彼らの思惑
フィーネ・フォン・リンツが無能な人間だと思ったことは一度もない。
確かに彼女は自分で情報収集を行わなかったかもしれない。でも、彼女は別の方面で優秀な人間だ。
たぶん、フィーネさんは情報の取捨選択の天才なのだと思う。
彼女の父親、ローマン・フォン・リンツが集める情報は玉石混交のものだろう。
その数多ある情報の中で、重要なもの、優先度が高い情報をピックアップして、そして情報の点と点を繋ぎ合わせ、そしてそれを文字に起こす。
これがどんなに大変な作業かはよくわかる。
前世で死ぬほど論文書いたからな。数多くある参考文献から必要な情報を取り上げて、不要な情報を切り捨てて。そして集めた情報を文章にして論述して自分の考えを述べる。結構難しいし、時間がかかる。そして先生から「ここの考察が変。やり直し」って言われて死にたくなるのだ。
それを彼女は数日で終わらせるし、早ければ1日で片付けてしまう。しかも非の打ちどころがないほど完璧にまとめる物だから、先生の出る幕がない。
これを才能と呼ばず、なんと呼べばいいのだろうか。
これで情報収集能力手に入れたらフィーネさん情報面じゃ最強じゃない? CIA作れると思うよ?
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翌4月29日。
なんだかんだあったおかげで情報を詳しく見る時間がなかったので、今日改めて見ることにする。
昨日、フィーネさんが持ってきてくれた情報。3ページしかないが、どれも貴重なものだ。
情報は、主に3つ。
内務省高等警察局。
内務大臣ホフシュテッター伯爵。
そして資源大臣政務官ウェルダー子爵。
俺はその情報を、リンツ伯爵家が懇意にしている男爵家の邸宅の客間で見ることにした。
内務省高等警察局とは、オストマルク帝国内を監視している政治秘密警察のことだ。
多民族国家オストマルク帝国が、各民族の独立運動によって崩壊することを避けるために、その芽が出る前に排除することを目的としている。
年間どれほどの人間が高等警察局に拘束されているかは公開されていない。だけど外務省の予想では年間1000人は下らないと言う。
だがその中で、本当に分離主義を唱えているのは僅かだ。皇帝や貴族に対するちょっとした陰口を叛乱の萌芽と見做して逮捕拘禁することが横行しているのだ……、とフィーネさんは予想していた。
その理由は、高等警察局は官僚主義的なノルマが課せられるからだそうだ。年間1000人の逮捕者を出すことがノルマになっていて、だからそのノルマを達成するために架空の分離主義者を摘発しているのだという。
では今回のジン・ベルクソンは架空の人間なのか、と思ったけどそれは昨日の調査で違うことがわかった。
ジン・ベルクソンは実在した。少なくとも数日前までは実在していた。だが彼は貧民街からひっそりと、誰にも知られずに消えた。
おそらく、あの高等警察局クロスノ支部の中にいるのだろうが。
閑話休題、重要なのは内務大臣と高等警察局の関係だと思う。
高等警察局は、一応帝国法においては独立した組織として存在している。内務省の下に置かれているのは、大臣や長官を置く行政組織ではないこと、人事面における権限が内務省にあること、そして政治警察という都合上内務省と協力して摘発した方が効率が良いことが挙げられる。
だが、いかに合理的な理由あって内務省の傘下にあるとしても、運用する人間が合理的に政治警察を運営するかと言えば話が違う。
内務大臣が、自己の利益の為に高等警察局を利用する。高等警察局員も、自身の栄達の為に内務大臣に協力する。
そしてもう1人、今回の事件でキーとなる人物がいる。それが資源大臣政務官ウェルダー子爵だ。
資源省とは、オストマルク帝国で最も新しい省である。元々は内務省資源管理局だったのだが、7年前に独立したのだ。
7年前。つまりホフシュテッター伯爵が内務大臣に就任した翌年だ。
資源大臣に選ばれたのは、ホフシュテッターと懇意の者だったとしてもおかしくはない。
資源省の仕事は、農林水産資源及び鉱工業原材料の管理及び開発・活用、そして人的資源の管理までも行っている。国交省と農水省と経産省と厚労省を足して4で割った感じだろうか。
多岐に渡るその権限は当然巨大なものとなる。当然、資源大臣の政治的存在感も大きくなるのだ。
そして、これら3者が第三次シレジア分割戦争を望む理由。それは言うまでもなく、シレジア南部のクラクフスキ公爵領だ。シレジアにおいて、王都シロンスクに匹敵する人口と経済規模を抱えるこの領地を手に入れられたら、自身の懐も、省の権限もより強固になるだろう。
内務省が国内世論を煽り、高等警察局が具体的にそれを実行する。
煽った世論は、宮内大臣政務官コンシリア男爵を通じて皇帝陛下へ向かう。
皇帝は、煽られた国民世論に押される形で開戦を決意する。
そして実際に戦争が起こってクラクフスキ公爵領を悪徳なるシレジア王国から解放する。すると新たに多くの農林水産資源、鉱工業原材料、人的資源を手に入れた資源省の権限は益々大きくなる。
元クラクフスキ公爵領は、資源大臣やらの推薦でホフシュテッター伯爵領と名を変えることになるのかもしれない。
そしてホフシュテッターが元々持っていた伯爵領は、高等警察局長殿が受け継ぐとなお良いかもね。
……はぁ、人の国を一体なんだと思っているんだか。
と、その時にドアがノックされた。
「大尉、私です」
フィーネさんの声だ。
……昨日、俺ってば随分恥ずかしい事を言ったからな。どうも会うのが恥ずかしい。まぁ、門前払いするわけにもいかない。俺は「どうぞ」と短く答えて、彼女の入室を促した。
が、なぜか1分経っても彼女は入室してこない。何やってんだ?
「フィーネさん?」
「あ、い、いえ。失礼します」
そう言って彼女はやっと部屋に入ってきた。服装は昨日と同じ軍服だが、表情は憑き物が取れたかのように、心なしかすっきりしてるように見える。
が、同時に彼女は珍しく慌てている。ドアを閉める動きは妙にぎこちないし、歩くときも手と足が同時に出ている。見てて少し面白い。
まぁ、その、なんだ。俺にもわかる。というか俺とほぼ同じ心境なのだろう。恥ずかしくて目を合せずらいのだろう。
「……調子はどうですか?」
とりあえず彼女の緊張の糸を解さなければ、と思って適当に話題を振ってみる。
「……大丈夫です。大尉のおかげで」
「私は、何もしてませんよ」
妙に恰好附けた台詞を言った記憶はある。ぶっちゃけ忘れたい黒歴史だ。
「それでも、私は感謝いたします。それと、迷惑をおかけしました」
「フィーネさんのことを、迷惑だと思ったことはないですよ」
だからいつも通りにしてください。なんか妙に背中がむずむずする。
「それでフィーネさん。何の用ですか?」
「あぁ、いえ、その。昨日は色々あったおかげで情報を精査する時間がなかったのだと思い、その、手伝おうかと思いまして」
うむ。どうやら彼女も昨日の出来事はあまり触れてほしくないようだ。恥ずかしい、って感じの表情してるし。
その顔を暫く観察したいなぁ、と思わなくもなかったが、、まぁあまりやると本当に嫌われるので自重する。第一あそこまで彼女を追い詰めたのって75%くらい俺のせいだもんね……。
という訳で話題はさっさと変えよう。これ以上の交戦は双方を消耗させるだけだ。主に心が。
「丁度いいです。私も今情報を見ていたところですから。少し、質問してよろしいですか?」
「わかりました」
そう言うと、フィーネさんの顔がいつも通りの毅然としたものになった。いつもの、調査局のフィーネ・フォン・リンツだ。
「今回、私がこのベルクソン事件の調査を依頼された理由を知っていますか?」
「……いえ。父は話してくれませんでした」
ふむ。フィーネさんにも知らせない事情があると。あまり大っぴらにできないような事情があるってことか?
……どうも胡散臭い話になってきた気がする。
俺はとりあえず、先ほどまで考えていたことをフィーネさんに披露した。高等警察局のこと、内務大臣のこと、資源省のこと。今の所状況証拠しかないが、俺の立てた仮説を話す。
「なんで呼ばれたんでしょうね」
「それは……大尉が信頼に足る人物だからでは?」
「信頼してくれてることは嬉しいですが、でももっと他にいたでしょう」
ジェンドリン男爵だって信頼に足る人物だから調査隊の長に選ばれたんでしょ?
別に俺みたいな士官学校卒業したばかりで15歳のガキンチョを選ぶ必要性はない。それに俺は外国人だ。伯爵はなんか理由を言ってたけど、今思えばどれも説得力に欠ける。
「……外国人だから、もしくは外交官で信頼できるのが大尉しかいなかったと言うことではないでしょうか」
「んー、でもなんでわざわざ外交官を選んだんだ……」
下手すれば内政干渉として弾劾されてもおかしくないようなことを、俺に依頼するかね?
自分の国調査に関しては自分の国の人間にやらせた方が効率が良い。わざわざあんな調査協力令状なんて作る手間もかからないし、万が一の情報漏洩のリスクも小さいし。
フィーネさんも疑問に思う所があるのか、右手を口にあて考え込んでいた。
「もしかしたら……」
「何か、心当たりでも?」
「……これは予想なのですが、外交官にしかできないことを、父は大尉にやらせようとしたのではないでしょうか」
「外交官にしかできない……?」
なんだろう。外交官にしかできない事って。俺がやったことと言えば、外交と、あとは情報収集と……。
「大尉は、いえ外交官は、私たち帝国臣民には持っていないものを持っています。それが、今回の鍵なのだと、私は思います」
フィーネさんが話した予想は、なるほど確かに筋が通っていた。
でも、そんなことをさせようとするなんて、リンツ伯爵は結構無茶な人間だと思うわ……。




