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大陸英雄戦記  作者: 悪一
春の目覚め
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フィーネ

 自分が、フィーネ・フォン・リンツが優秀な人間であると思い始めたのはいつのことだったでしょうか。

 恐らく、いえ疑いようもなく、士官学校に入学した時からでしょう。


 士官学校の試験では、私は次席以上が当たり前でした。どんなに調子が悪くとも、三席より下になったことはありません。

 そして祖父は外務大臣クーデンホーフ侯爵、父は外務省の高級官僚。

 自分で言うのもなんですが、誰もが羨む家柄を持つ才女だったと思います。


 簡単に言えば、当時の私は自惚れていたのです。


 私と同期の者で、私の上に立つ者は居ませんでした。爵位が上の人間は少しいましたが、彼らは成績面では私よりかなり下でしたし。


 そして士官学校最終学年になった時、私は軍の研修制度を利用しました。

 研修制度を利用した者は昇進が早くなる。それは軍に配属される前から早いうちからコネを作ることができるから。


 だから利用した……というのは半分嘘です。


 実の所、私は士官学校に飽きていました。


 誰も彼も、私より下の人間で、そして私を追い抜くことは殆どありません。

 やることと言えば、私とコネを作って自らの栄達を図ろうとし、見え透いた偽りの友情を持ちかけてきたり。あるいは、友情ではなく性的関係に持ち込もうとした下劣な者もいました。


 ハッキリ言いましょう。私は士官学校にうんざりしていました。


 学校は競争社会です。誰もが自身を磨いて、追いつき追い抜かれを繰り返しながら自己の才能を完璧なまでに研ぎ澄ます。そういう施設が学校です。


 ですが、私の周りにそれをする者はいませんでした。競争が起きない、停滞した社会が私の周りに出来ました。


 だから私は、一刻も早く士官学校から抜け出したかった。


 そして私は最終学年になる直前に、父の推薦によってジェンドリン男爵の護衛をすることに決まりました。

 正確には軍の仕事ではありませんでしたが、それでも嬉しかったのです。9月から私は新しい環境で、新しい競争ができると、そう思っていたのです。



 ですが、現実は変わりませんでした。

 男爵家にいる複数の他の護衛官、護衛先で出会う多くの軍人、そのどれもが、士官学校時の同期生と同じでした。


 コネのために偽りの友情を持ち出してきて、自らの未来のために婚約を持ちかけてきます。


 研修4日目にして、私は配属先の変更を検討し始めました。ですがその変更の頼りにしていた父が、外務省の仕事の都合で長期出張に出てしまいました。


 そのため、私は父が戻ってくるまでこの嫌な仕事をしなければならなくなったのです。



 そして父が戻ってきたのは、11月の中頃のことです。

 よくもまぁ、2ヶ月も我慢できたものです。士官学校時代の方がマシだと思えるほどの仕事でしたから。


 私は帰ってきた父に対して早速、配属先変更願いを出そうとしました。ですが、父の方から仕事を持ちこんできました。


「フィーネ。護衛で忙しいと思うが私の仕事を手伝ってくれ」


 その仕事とは、今度新しくシレジア大使館に赴任してくると言う次席補佐官との接触でした。

 そう、ユゼフ・ワレサ大尉のことです。


 彼の話を父から聞いた時、会ってみたいと思わせる気持ちにはなりました。

 何と言っても、農民出身で、しかも私と1つ違いで大尉。卒業直後の初の任地が大使館というのは、どう考えても普通のことではありません。


 この男は普通ではない。恐らく士官学校でもとりわけ優秀な男だったのではないか。

 私は期待に胸を膨らませて、そのユゼフ・ワレサ大尉と接触しました。




 そしてその期待は、見事に裏切られました。


 会場内では挙動不審でしたし、女性に年齢を聞くという失礼なことを平気でする。質問ばかりで自分自身は何も情報を持っていない、本当に連絡要員として来たのかと思わせるような人物でした。


 ですが、15歳という年齢に相応しくない思慮深さは持ち合わせていました。


 不思議な人だと思いましたよ。ある方面では15歳なのに、別の方面では30歳にも見える人です。


 

 そしてその気持ちは、2度目の接触時により大きくなりました。


 私が、正確には父が用意した人間に私なりの衣装を見繕って護衛兼支援要員として大衆食堂に向かいました。私もそれなりの恰好をして。

 これならばれないだろうと、自分ではそう思いました。


 ですが、彼はあっさりと私がフィーネ・フォン・リンツであることを見抜き、さらには護衛要員を言い当てました。

 余りにもあっけなく見つけられてしまったので、つい私は彼らは素人なのだと嘘を吐いてしまいました。


 大尉は、私にとって良い競争相手になるのではないか。そう思った日です。




 ですがその思いは次第に薄れていきました。

 ユゼフ・ワレサという人間は、私とは全く違う型の人間であると認識しました。


 それは、東大陸帝国の帝位継承規則に端を発する一連の出来事を機に強まりました。


 彼は、自己の職権を最大限に利用して、帝都中を走り回りました。時にはその職権を上回る、つまるところ越権行為と弾劾されてもおかしくはない事をしました。

 私に会い、外務大臣に会い、高名な商家の娘と会い、さらには国家間の交渉や妥結を全て1人でやりきったのです。


 そしてその間私は、父から与えられた枠の中で、ただ降ってきた情報を紙に書いて、記憶して、それを大尉に渡すことしかしませんでした。

 自分がどうしようもなく無能で、惰弱な人間であると思い知らされました。


 そして開戦直前、大尉に会ってみると、そこには自信なさげな大尉の顔がありました。

 彼は言うのです。自分はもっと何か出来たのではないか、と。


 何を言っているのか、わかりません。

 あれだけのことをして、自分が無力だと言えるなんて、謙虚どころの話ではない。


 私は必死に彼を励ましました。

 無論それは、彼が単なる無力な人間ではないからと心から思ったからです。


 でも、本当はわかっていました。

 もしここで彼が無力な人間だと私が認めてしまえば、何もできなかった私と言う人間が、どんな惨めな人間になるのかということを。

 そんな惨めな人間となることが嫌で、そんな現実を見るのが嫌で、私は必死に大尉を励ましたのです。


 彼が有能な人間でないとしたら、私は一体なんなのか……。




 その無力感は、クロスノに来た時にさらに膨れ上がりました。


 私も自己の職権の中で最大限に努力しようとしました。

 あのいけ好かない内務省の人間を論破して、多少なりとも自分が優秀な人間だと証明するために。


 でも、できませんでした。

 ベルクソンに会うことはできませんでした。


 大尉は方針を変え、街の聞き込みを開始しました。

 最初は順調でした。人の話を聞くだけですから。


 でも、貧民街の調査に入ってから、変わりました。


 貧民街の住民が、私を白い目で見ています。理由は明白です。私は特権階級に居座る身で、そして彼らから見れば敵なのですから。軍服を着ていなければ、おそらく殺されていたでしょう。

 そして聞き込みを開始した時、現実という名の鞭が私の心を追い込みました。


 リヴォニア人のせいで。

 貴族のせいで。

 そこにいるお前みたいな奴のせいで。


 何回言われたか、覚えていません。


 そんなことはないと、反論したかったです。

 ですが、できませんでした。


 なぜなら、その殆どが事実でしたから。


 私はリヴォニア人です。

 私は貴族です。


 私は、父が集めた情報を、ただ大尉に渡すだけの人間です。

 何もしてないのに、何もできないのに、自分が優秀な人間であると、必死に自分に言い聞かせた哀れな人間です。



 聞き込みが終わると、大尉はひどく困惑した表情をしていました。

 それは聞き込み結果が意外なものだったからなのか、それとも、私が意気消沈していたからでしょうか。



 その後大尉からの命令で、私は情報を集めました。

 いつも通り、父から貰った情報を、紙に書くだけ。


 自分が嫌になります。無知で無能な自分が嫌になります。


 そんな陰鬱な気分で仕事をしていたせいか、随分と遅れてしまいました。

 いつもならすぐ終わるのに、数日かかってしまった。

 これが本当の自分の実力なのではないかと思えてきました。



 情報を伝えるべく、大尉を探しました。

 邸宅にいた近侍によれば、貧民街に出かけたとのこと。


 貧民街にもう一度行くことは躊躇われました。

 でも、私は歩きます。心を無にして、感情を殺して行けば、なんとかなると思ったからです。



 大尉はあっさり見つかりました。なぜか寝そべっていましたから。


 私に気付いた大尉は、なぜか起き上がりません。

 視線だけ上に動かしていました。


 その時、気付きました。


 大尉は、普通の人間なのだと。

 目の前にいる女性に対して多少の劣情を催す、普通の人間なのだと。


「大尉は凄いですね」


 気付けば私はそんなことを言いました。


 こんな普通の人間が、精力的に動いている。

 私なんかと違って。


 私がこの領域に達するまでは、もう少し強くならなければならない。

 こんなことでへこたれるような人間ではダメだ。


 普通の人間である大尉だって、祖国の滅亡の危機に際しても、臆することなく動いたと言うのに。

 私がこんなことで心が折れてはいけないのだと。

 でなければ、私は普通以下の人間のままなのだ。私なら、心を無機物化させることだってできるはずだ。


「フィーネさん」

「なんでしょうか、大尉」


 大尉は珍しく、真剣な目をしていました。


「相談にならいつでも乗りますよ」


 意味が、よくわかりませんでした。

 いえ、言葉の意味ならわかります。私が最近様子が変だと、鈍感な大尉でも気付いたのでしょう。


「フィーネさん、最近様子がおかしいですよ」

「……そんなことはありません」


 下手な嘘を吐きました。

 微かに残った、小さな小さな、私の矜持プライドがそうさせました。


「強いのは結構ですけどね。でも、いくら鉄の心を持っていたとしても限界はありますよ。鉄を何十回も、何百回も叩けばいずれ折れるように、心も折れるのです」

「……ですが刀剣は、鉄を何度も叩いてその強度を上げます」


 やめてください。

 私は折れません。折れてはいけないのです。


「『鉄は熱いうちに打て』とは昔から言いますけどね。でもフィーネさん、それは熱いうちに打つからこそ効果がある、という意味でもあるのです」


 知っています。

 だから私は冷たい人間になろうとしているのです。


「フィーネさんの()は既に完成されています。だからこそ、今でも強がりを言えるほどの耐久力があるのでしょうけど、それも限界でしょう」


 大丈夫です。

 私はまだ、大丈夫です。


 そう言おうとしましたが、その言葉は喉につっかえて出て来ませんでした。

 代わりに出たのは、あまりにも弱々しい言葉です。


「……では、どうしろと?」


 感情を推し量られないように、苦労しました。


「鉄は己の心を他者に伝えることはできません。自らが折れて砕けるまで、ただじっと待つことしかできません。でも……」


 言わないでください。

 それ以上言わないでください。


 でないと、決心が鈍りそうです。


 お願い。言わないで。


「フィーネさんは人間です。感情を持つ、人間です」




---




 その後、どうなったのかは記憶にありません。


 ただ、私は溢れ出る感情と涙を抑え切れることができなかった、という事実だけを覚えています。

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