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大陸英雄戦記  作者: 悪一
春の目覚め
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感情を持つ鉄

 このオストマルク帝国において民族主義者はかなりの少数派と言って良い。

 前世世界基準で考えると異様なことだと思うが、民族主義という考え方自体が現代的、この世界では未来的な思想だからかもしれない。大陸帝国の言語・宗教の統一政策によって民族間の壁が低くなったおかげもある。

 もしかするとこの世界の民族間差異とは、前世日本における都道府県民間の差異でしかないのかもしれない。


 だからこそ、ジン・ベルクソンなる者がなぜクロスノ総督府を襲ったのかがわからないのだ。

 わからないのは、俺が前世においてほぼ単一民族国家であった日本の平凡な国民として生きていたからなのだろうか。




---




 4月28日。


 ジン・ベルクソンを知る者は少なかった。彼はそもそもクロスノ出身者ではないどころか、旧シレジア領出身でもなかった。数年前、このクロスノに引っ越してきたことだけが辛うじてわかった事実だった。

 彼が住んでいたのはクロスノの貧民街。このことからわかるように、彼は経済的に裕福ではない。経済的貧困層にある者が民族主義に感化されて過激な行動に移る、というのならまだ理解できる。だが貧困層に至るまでオストマルク帝国に対する帰属意識が高いこのクロスノという土地で、彼は異常者であるとしか言いようがない。


「ベルクソン? あぁ、そういや最近見ないな。……あいつのこと? さぁね。よく知らん。深い付き合いがあったってわけじゃねぇし」

「この町では、それが普通なんですか?」

「どうだろうな。人によって違うかもしれんが」

「貴方の話で良いですよ」

「んぁー、そうだな。オレはよく皆とつるむよ。どこそこで日雇いがあるとか、教会の炊き出しがあるとか、そういう情報は仲間で共有するのが常識だ」

「……それは、民族関係なく?」

「民族?」

「えぇ。貴方はシレジア人ですが……たとえばリヴォニア人とそういう関係を築くのですか?」

「当たり前だろ。金ってーのはな、使う奴とか関係なく同じ効果を生み出すんだ。硬貨だけにな」

「はぁ……」

「もっとも、リヴォニアの貧民がいるとは思えねぇがな……」


 何人かに聞いて回ったが、これが一番有用な情報だった。情報料として銅貨1枚を渡すと、彼は貧民街の路地裏に消えて行った。財布が少し軽くなったな。


 ちなみに今日はフィーネさんは一緒にいない。この程度の情報収集なら俺だけでもできるし、第一リヴォニアの貴族と一緒に行動して貧民街のシレジア人に事情聴取など、考えてみれば愚策と言うものだ。


 うーん、でも手詰まりだな。

 ベルクソンなる人物の核心に触れることはできなかったし、彼が過激な行動に出た理由もわからない。


 ちょっと視点を変えよう。

 シレジア人じゃなくて、貧民街の住民としてこの町に住む者として、ジン・ベルクソンになりきろう。


 そう思って俺はその場で横たわる。路上生活者のように、地面の感触を頬の神経で確かめる。そういや前世で、なんかのドラマで被害者の気持ちを知るために唐突に地面に寝転ぶ刑事が居たな……。

 まだ昼なのに、少し寒い。地面はまだ冷たいままだし、それにごつごつしてて寝にくい。せめて枕が……いや、この際新聞紙でもいい。とりあえず体と地面の間に入るものが欲しい。


 俺は暫く地面(ベッド)に文句を垂れつつ、そして考える。


 ベルクソンはこの固くて冷たい地面を、誰からの支援もない状態で感じていたのだろうか。そうだとすれば、それはかなり寂しい事だと思う。

 でも、この状態では過激な民族運動は起こさないだろう。

 この状態だったら、まず行ったこともない祖国に対する念より、自分の出身地に対する望郷の念が先に来る。俺だったら……そうだな、士官学校時代だろうか。サラに殴られ続けた日々を思い出すだろう。

 まだ一段階間を挟まなければ、彼の気持ちはわからないだろう。


「そんなところで寝ていると風邪をひきますよ、大尉」


 突然声を掛けられ、ハッとして目を開けると、目の前にはフィーネさんが立っていた。正確に言うのであれば、フィーネさんの履いてる靴があった。

 どうも考えるのに夢中になりすぎて、直前まで気付かなかったようだ。目を閉じていたとはいえ、足音で気づくだろうに。


「案外気持ちのいいものですよフィーネさん」


 とりあえず俺は横になった状態で応答する。

 フィーネさんの靴の上には当然だが靴下があり、さらに上を見れば生足があり、そしてさらに視線を上に辿って行けば……後はわかるな?

 フィーネさんにばれないよう眼球だけを動かす。もう少し、もう少し……。


「大尉。御報告があります。とりあえず起きてください」

「どうしても起きなきゃダメですかね?」

「はい。大尉の視線の行方が少し気になるので」

「…………」


 俺はのっそりと起き上がって、とりあえず胡坐をかいた。立ったら色々負けな気がする。こうなったら足だけでも観賞しよう、と思っていたのだがフィーネさんは俺の心意もしくは視線の在り処に気付いたらしい。フィーネさんは俺の右隣に移動し、そしてその場でいわゆる女の子座りをした。

 まぁこれはこれでアリか。


 貧民街の街路の端で軍服を着た若い男女が座っている。なにこれ。


「それで、大尉は何をしていたんですか?」

「ん? うん。まぁ、その、ベルクソンがどんな人間かを調べようかと思って」

「……それで寝ていたのですか?」

「まぁね。路上生活者らしいベルクソン氏が、なんであんなことをしたのか知りたくて。で、それを知るためにベルクソンになりきってみただけです。まぁあまり効果はなかったと思いますけど」


 敢えて言うなら、ちょっとセンチメンタルな気分になっていた時に知り合い(フィーネさん)に会えて少し嬉しかった、という程度だろうか。

 無論そんなこと恥ずかしくて言えないが。


「あ、そうそう。それで報告とはなんですか?」

「はい。過日、大尉が気になっていたことに関する情報です。こちらになります」


 彼女はそう言って脇に抱えていた文書を俺に手渡した。枚数にして3枚だが、得られた情報は大きい。

 ふと視線が気になって右を向いてみると、フィーネさんがなぜかこっちをジロジロと見ていた。なんだろうか。顔に何かついてます?


「大尉は凄いですね」


 フィーネさんが褒めた。いつぞやぶりだな。


「どうしたんですか、急に。褒めても何も出ませんよ?」

「見返りを求めているわけではありません。思っていることを口に出しただけですから」


 思ってることを口に出す、か。フィーネさんという人物には相応しくない言葉だ。

 見かけによらず、相当弱っているのだろうか。


「別に私は凄くないですよ。私はフィーネさんが調べてくれた情報を利用しているだけですから」


 フィーネさんが居なければ、俺は今頃滅亡寸前の大使館員として事務処理に追われていたかもしれないしね。

 でもフィーネさんの見解は些か違うようだ。


「いえ、私は何もしていません」

「でも、この情報だって……」

「その情報は、リンツ伯爵家の者が調べた結果です。私はそれを纏めて、書面に起こして大尉に渡しただけです。その情報だけではなく、私が大尉とお会いした時から提供した情報は、全て父の働きによって得た物ですから」


 その言葉の中に、彼女がここ数日落ち込んでいた理由を垣間見た気がする。それでもなお、その落ち込んだ気持ちを自らの心に閉じ込めて、自分の職務をこなしていたのか。

 それは称賛に値すべき行動だろう。俺だったら全部投げ出して現実から逃げたくなるね。


「……下らないことを言いました。情報の詳細を話します」


 でも、この状態が長く続くはずがない。手遅れになる前に、ある程度ガス抜きをした方が良いだろう。

 感情を表に出さず、真面目に自らの義務を果たす人間ほど鬱になりやすいってエロい人が言ってた。


「フィーネさん」

「なんでしょうか、大尉」


 とは言ったものの……どう言えばいいだろうか。男らしく「俺の胸で泣け!」とか? いや、むしろドン引きするだろうな。そしてセクハラで訴えられる。

 ……単純で良いか。考えてみれば、深く考え過ぎて鬱になる人間に対して深く考えて相談させるのも変な話だ。


「相談にならいつでも乗りますよ」

「……?」


 わからないのか。それともわからないふりだろうか。


「フィーネさん、最近様子がおかしいですよ」

「……そんなことはありません」


 そんなことあるだろ! と強くは言えない。相手が意固地になるだけだ。彼女はプライドが高い人間だからな。

 ……プライドが高い人間か。プライドが高い人間の半分は、心の弱さを隠すための壁として高いプライドを築き上げてると言う。ちなみに残りの半分はただのナルシストだ。


「強いのは結構ですけどね。でも、いくら鉄の心を持っていたとしても限界はありますよ。鉄を何十回も、何百回も叩けばいずれ折れるように、心も折れるのです」

「……ですが刀剣は、鉄を何度も叩いてその強度を上げます」


 彼女らしい、識見に富んだ反論である。それが、彼女の精神が未だ平衡を保っている証左でもある。でも、あくまでもそれは「今の所」という注釈がつくのではあるが。


「『鉄は熱いうちに打て』とは昔から言いますけどね。でもフィーネさん、それは熱いうちに打つからこそ効果がある、という意味でもあるのです」


 フィーネさんが今熱い状態にあるかと言えばそうじゃない。こんな状態で叩いたら金属疲労でボッキリ折れるだけだ。

 だとすれば、彼女に必要なのは「もっと熱くなれよおおおおおおおおお!」なのだが、まぁ、それは無理だね。第一燃え滾るパッションを抑えられないフィーネさんってもうそれフィーネさんじゃないでしょ。


「フィーネさんの()は既に完成されています。だからこそ、今でも強がりを言えるほどの耐久力があるのでしょうけど、それも限界でしょう」

「……では、どうしろと?」


 彼女は相変わらず感情を表に出さない冷たい声を出している。でも、どうも心なしか頼りない。

 たぶん、彼女は感情を殺しているのではない。感情を上手く外に出す方法を知らないのだろう。


「鉄は己の心を他者に伝えることはできません。自らが折れて砕けるまで、ただじっと待つことしかできません。でも……」


 でも、彼女は鉄ではない。無機物で、無感動で、無味乾燥で、物言わぬ冷たい金属ではない。

 鉄のような心持つ、感情を持った人間だ。


「フィーネさんは人間です。感情を持つ、人間です」


 話せば楽になる。と言ってしまってはまるで尋問みたいに聞こえるが、今の彼女にとってそれが一番大事なことなのだ。

 そして、俺も感情を持った人間だ。だから、彼女の言葉を黙って聞くくらいのことはできる。たぶんね。




 数分の沈黙のうち、彼女はゆっくりと、そして小さな声で自らの心情を吐露し始めた。それはある意味では彼女らしくもないことだが、でもいつまでも溜めておくのは良くないことだ。

 フィーネ・フォン・リンツが歩き出したことを、今は喜んでおこう。

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