継承者の戦い
4月24日。
皇太大甥セルゲイ・ロマノフが住まう「春宮殿」、その謁見の間にて、軍事大臣レディゲル侯爵がセルゲイに対して跪き、頭を垂れていた。
「殿下、このような事態に至り、誠に申し訳なく……」
「いや、構わない。余自身も、そろそろ戦場に出たいと思っていた頃だ。確かに想定外ではあったが、考えようによってはいい機会だ」
「はぁ……。しかし、万が一ということもあります。警戒なさってください」
今回、セルゲイは後方で待機している予備部隊の傘下に入り、1個師団を率いることになった。
投入される予備部隊の総兵力は5個師団、これを統括・指揮するのは皇帝派の将帥であるエイナル・マルムベルグ大将である。
軍の規律の関係上、セルゲイはマルムベルグの指示に従わなければならない。それが例え愚かな命令であったとしても、セルゲイはそれを忠実に守る義務が生じる。たとえセルゲイが帝位継承権第一位の存在だとしても、戦場に立てばセルゲイは一少将であり、逆らうことは許されない。レディゲルはそれを心配していた。
だがレディゲルの心配は、セルゲイも承知である。だからこそだろうか。セルゲイは意外とこの状況を楽しんでいるようである。
「心配は無用だ。余は元より生きてこの場所に戻るつもりだからな。生きて、そして帝冠を戴くまで死ぬ予定などない。誰にも邪魔はさせんよ」
セルゲイは毅然とした表情と口調でそう言った。
その言葉は確かに自信に満ち溢れた者であり、そして生き残る算段を用意してある者の物言いである。
「余にとってこの戦争は、全くの無意味だ。だがその戦争で60万の将兵を無為に死なせることなど、余にはできない。だから最善を尽くそうと思う」
「殿下、しかし」
「あぁ、卿の言いたいことはわかっている。この戦争、勝ってしまっては余の立場が不利になると言いたいのであろう?」
「左様です」
この戦争に、東大陸帝国が勝ってしまった場合、皇帝派とセルゲイ派との争いはますます醜く、そして陰惨なものとなる。それはまもなく産まれてくる皇太曾孫の性別に関わらず、皇帝イヴァンⅦ世の寿命に関わらず、帝国は長く不穏な時期が続くことになる。
それはセルゲイにとって、そして今彼の目の前で跪いているレディゲルにとって避けねばならない未来だった。
「その点は問題ない。余は戦争の勝ち負けに拘るつもりなどないからな。だが……」
「……?」
セルゲイは、将来の皇帝として相応しい堂々とした立ち居振る舞いで椅子から豪快に立ち上がった。彼は身長も高く顔も整っている。そしてそれはロマノフ皇帝家の証とも言える輝く銀髪と相成って、まさしく全大陸を統べるべく生まれた覇者なのだと、誰にでも認識できるほどの存在となっている。
「別に、活躍しても構わんのだろう?」
大陸暦637年4月25日。
それが皇太大甥セルゲイ・ロマノフが十数人の護衛を引き連れて戦場に向かった日である。




