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大陸英雄戦記  作者: 悪一
春の目覚め
135/496

帝国軍少将

 東大陸帝国皇帝及び軍の首脳部の下に、ザレシエ方面ロコソフスキ軍団壊滅の報が届いたのは開戦から20日以上が経過した4月22日のことである。

 10個師団約10万人の兵が1日にして消滅し、さらに帝国軍総司令官にして討伐軍総司令官であったロコソフスキ元帥戦死の報せは、帝国政府首脳部の心胆寒からしめること十分だった。だがその一方では奇妙な得心もあった。


 帝国軍事大臣レディゲル侯爵は、ロコソフスキ戦死の報を皇帝官房治安維持局長ベンケンドルフ伯爵と共に自身の執務室で聞いた。


「ロコソフスキ元帥は戦場外は勇猛だがいざ戦場に立つと途端に臆病になる男だ。よくもあれで総司令官が務まったものだ」

「それが、名誉の玉砕の原因ですかな」

「あぁ。奴も後方に下がって軍令を司る立場に身に置けば、もう少し楽に死ねただろうに」


 ロコソフスキ元帥をいずれ何らかの形で粛清することは決定事項だった。彼は総司令官という立場を利用していくつもの不正を働いており、その証拠は全てレディゲルの目の前に立つ男が握っている。


「軍令と言えば、軍令部総長クリーク侯爵が皇帝派に鞍替えしたようですな」

「負けが込んでいるときに皇帝派につくとはな。いったい何を考えているのやら見当もつかない」


 レディゲル侯爵はそう言ったが、本当に見当がつかなかったわけではない。クリーク侯爵は日和見主義者だ。もし彼、もしくは皇帝イヴァンⅦ世が必勝の策を持っているとしたら、クリークが皇帝派に鞍替えする理由がわかる。

 そしてその必勝の策とやらも、レディゲルにはいくつか心当たりがあった。


「まぁ、その件はそれでよい。問題はこの戦争をどうするかだ」

「それは皇帝陛下の御意向次第だと思いますが?」

「だとすれば、陛下はまた戦力を投入しろとでも言うだろう。いくら下級兵が死のうとも、陛下にとっては関係のない事だからな」


 東大陸帝国皇帝にとって、いやイヴァンⅦ世にとって兵士とは政治の道具でしかない。しかもいくらでも代えの効く道具だ。それによって自身の権威を高めることしか、あの老人はできないのだ。


「だが、今から新たに兵力を集めるとしても時間がかかる。それこそ、また3ヶ月くらいは準備をせねばならない」

「とすれば、予備兵力を投入するしかありませんな」

「そうだな。クリークが何を考えているにせよ、勝つためには兵力の投入が必要だ」

「ですが、勝たれても困りますね」

「あぁ。まったく、誰がこんな国にしたのか……」


 レディゲルが大きく溜め息を吐こうとしたとき、執務室の扉がノックされた。レディゲルが「入れ」と命じると、入室してきたのは彼の予想通り副官のシャクラ少尉だった。


「御歓談中失礼いたします。閣下、皇帝陛下から至急の御相談があるとのことです」




---




 午後3時。

 かつてシレジア討伐のための作戦案を策定した帝国軍三長官会議室。だが今この部屋には、帝国軍総司令官ロコソフスキ元帥の姿はない。その代わり総司令官が座るべき席には、誰が用意したのかは知らないがただ一輪の花が供えてあった。

 レディゲルが入室してから10分を過ぎた頃、ようやく皇帝イヴァンⅦ世が入室した。


「……ロコソフスキ元帥のことは、卿らも聞いておるな?」


 レディゲルとクリークは、ほぼ同時に頷く。


「新たな総司令官を用意せねばなるまい……。軍事大臣、誰が良いと卿は思うか?」

「現状、我々はまだ戦争中です。人事で揉めればそれは敵を利するのみでしょう。今回は臨時ということで副司令官のバクーニン元帥にその地位を一時的に与え、終戦後に正式な人事を検討するのが最良かと存じます」

「そうか……軍事大臣はこう申して居るが、軍令部総長の意見はどうだね?」

「小官も軍事大臣の意見には賛成でございます、陛下」

「……わかった。では、ミリイ・バクーニン元帥を次の帝国軍総司令官に任命する」


 老人は淡々と、掠れた声で次代の総司令官を決めた。だが、この人事は最良と言うより唯一の選択であったに違いない。それは皇帝自身も承知していた。


「さて予想の外、苦戦が続いておる。そこで新たに兵を送り込む必要があるとは思うが……」


 この新規兵力投入にレディゲルは反対ではあったが、努めて最初に反対意見を出したのはレディゲルではなく、皇帝派に鞍替えしたはずのクリークだった。


「恐れながら陛下、今から兵を集めることは時間がかかりすぎます。それに財政のことがあります故に、新たな兵力投入は最小限度に留めておくべきかと存じます」

「うーむ……。軍事大臣はどう思うか?」

「……私も軍令部総長の意見と同じです」


 これはレディゲルにとっては少し予想外の事態だっただろう。レディゲルが新規兵力投入に反対し、そこにクリークが積極的な新規兵力投入を唱えてレディゲルを敗北主義者だと弾劾するのではないか、と考えていたのだ。

 だが、現実にはクリークが新規兵力投入に反対した。レディゲルにとっては好都合だが、彼の政治的立場を考えると違和感がある。


「では、現状の戦力のみで叛乱軍を討つべしと、卿らは言うのであるな?」

「えぇ。ですが戦力が足りないのは確かです。この機に予備兵力を投入し、シレジア王国を僭称する叛乱軍を疲弊させましょう」


 レディゲルはまたしてもクリークに台詞を取られた。

 クリークは、軍令部総長に相応しい戦略的観点からの提案を皇帝陛下にしている。クリークが皇帝派になったのは、この戦力比をシレジア王国軍が覆すのは既に不可能だからと思っているからだろうか。だからこそ、クリークは正論で以って皇帝陛下に忠誠の意を示しているのか、そうレディゲルは考えた。


「そうか……そうであるな。軍令部総長の言う通りだと余もそう思う。では、予備兵力の投入規模と、その部隊指揮する者についてだが……」

「一気に兵力を投入しても、ロコソフスキ元帥の二の舞になるやもしれません。ここは2回に分けて投入するべきかと」


 事、軍令に関してはレディゲルに口を挿む余地はない。彼は軍事大臣であり、自己の職権は軍政に関することのみである。別段、軍令に口を挿んでも構わないのだが、そこを糾弾されてしまえばどうなるのかわからない。そのため彼はクリークの正面に立って反対することはなかった。


「肝心の指揮官ですが……」

「そのことについてだが、少し相談があるのだ」

「何でしょうか、陛下」


 指揮官の相談は今までも何度かレディゲルにもあった。今回の戦争において高級士官の殆どは皇帝派、もしくは立場を決め兼ねている者たちだった。今回の予備部隊の指揮官も、同じだろう。

 だがそのレディゲルの予想は、大きく裏切られることになる。


「大甥を、そろそろ前線に立たせるべきではないかと思うのだ」

「……は?」


 その予想外の言葉に、レディゲルは暫く体を動かせないでいた。

 イヴァンⅦ世の大甥。つまり、皇太大甥セルゲイ・ロマノフを前線に立たせると、この老人は言ったのだ。

 ついにボケたのか、とレディゲルは一瞬思ったが、その後レディゲルの冷静な部分が、皇帝の心意を突き止めた。


「……理由をお聞きしてもよろしいですか?」

「うむ。大甥は今年で18歳。そして帝国軍少将に身を置くものだ。だが、彼はまだ戦場を経験していない。将来の帝国を率いるのであれば、いつまでも宮殿に籠らせておくわけにもいかんだろう」


 つまり実地演習をしろ、とこの老人は言っているのだ。セルゲイが暗殺されないよう、レディゲルは皇太大甥を安全な春宮殿に匿っていたのは事実だ。

 だが皇帝はそれを無理矢理外に出して、王国軍なり暗殺者なりを利用してセルゲイを殺そうとしているのだ。

 なんとしてでも反対して止めなければならない。だが皇帝陛下が強く言う以上逆らうことも出来ない。それに何より


「なるほど。であれば、セルゲイ殿下……いえ、セルゲイ少将にも参加してもらった方が今後の国のためとなりましょう」


 クリークが皇帝の意見に賛同した。これで、レディゲルが表立って強く反対することはできなくなったと言ってもいい。


「軍事大臣は、どう思う?」


 皇帝からの質問に対し、レディゲルは賛同の意を示す以外の選択肢は残されていなかった。




 4月22日、午後3時30分。

 帝国軍三長官会議は、予備兵力の前線投入を決定した。

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