ウィグリ湖畔の戦い
シレジア北東部アテニ湖水地方に、かつてユゼフらがラスキノへ向かう中継基地として利用したタルタク砦がある。
開戦以来この砦は断続的にやってくる帝国軍10個師団を迎撃すべく、王国軍中将クハルスキ子爵率いる3個師団が駐屯していた。そして数多くの屍を築き上げつつも、帝国軍の侵攻を何とか食い止めていた。
このまま防衛を続ければ、いずれ援軍が来る。それまで持ちこたえていれば祖国は救われる。王国軍はそう自らの胸に聞かせながら、援軍の到着を待っていた。
だがその希望は4月10日、オスモラ方面の帝国軍10個師団が大挙して北に転進したという情報によって打ち砕かれることになった。
「帝国軍20個師団によってタルタク砦が包囲される危険性があります。ここは後退すべきでしょう」
「だが後退と言っても、今現在10個師団と相対している状況だ。迂闊に下がれば、それが帝国軍の全面攻勢を呼び、我が軍を全滅させてしまう可能性だってある」
「だがこのまま座して状況を眺めていても、20個師団に挟まれてしまっては全滅は免れないぞ。タルタク砦は難攻不落の要塞ってわけじゃないんだ」
タルタク砦の司令部は紛糾していた。敵の全面攻勢を誘う危険を承知で後退するか、それともこのまま籠城し続けるか。
どちらの選択を取っても全滅する可能性がある。だからこそ幕僚たちは慎重な議論を積み重ねてはいたが、しかしその議論をいつまでもするわけにもいかない。1週間もしないうちにオスモラの帝国軍がアテニに来ることは確実。後退するにせよ籠城するにせよ、事前準備のための時間が必要だ。その時間を考慮すれば、一両日中に結論を出さなければならない。
「貴官の意見を採用して籠城するとして、一体どうやって将兵を救うと言うのだ!」
「オスモラの帝国軍が北に転進したと総司令部が知ったら、必ず北に援軍を向けるはずだ。そうすれば敵は、援軍に背を向けるか、我々に背を向けるかをして二正面作戦に出るだろう。そこを討てば、敵10個師団は確実に葬れるぞ!」
「だが、もし総司令部がここに来なかったら、あるいはこのことを知らなかったらどうするんだ!? 我々が敵中に孤立するだけだろ!」
彼らは、キシール軍団が南に転進したことをまだ知らない。彼らがキシール軍団の情報を知るには、あともう1週間の時間が必要であるが、情報よりもまず帝国軍が来ることは火を見るより明らかである。
もし彼らがその情報を知り得ていたのなら、悠長に籠城案などを出してはいなかっただろう。戦争における情報伝達の重要性とその難しさの良き例と言える。
「ふぅ。とりあえず、君たちは落ち着きたまえ」
「……失礼しました」
幕僚たちによる白熱した議論は、クハルスキの一言によって一旦沈静化した。
「後退するか、籠城するか。この判断は、閣下にお任せいたします」
後退案を進言した幕僚は、落ち着いた声でそう言った。最終的な決定権は無論クハルスキにあるのだが、参謀らが結論を出せなかった以上、どちらを選択するかをクハルスキ自身が決めなくてはならない。
これは別の視点から見れば、参謀たちの責任回避とも取れる行動ではあった。しかし彼らには1つの案に絞ってそれをクハルスキに提言する勇気と器量がなかったのも確かである。
クハルスキは沈黙して考え込んだ。
彼が脳内で考えていたことはただひとつ。それは後退と籠城、どちらが旗下の将兵たちが生き残る可能性が高いかということだけだった。戦術や戦略の前に、いかにして多くの兵を家族の下に帰すか、それだけを考えていた。
ある意味においては、この考えは将として上に立つ者としては相応しくないだろう。
それでもクハルスキは、そのことだけを考え、そして決心した。
「タルタク砦を放棄し、後退する」
---
同日、午後7時30分。
王国軍は日没を待って作戦を開始した。
タルタク砦は現在、帝国軍の包囲下にはない。それはタルタク砦の南北にかなり大きな湖が存在し、物理的に包囲することが不可能であるためだ。
クハルスキ軍団はその地形を生かした防御戦闘を行い帝国軍の侵攻を防いでいたのだが、それが今回後退作戦をある程度容易にしていた。
クハルスキはまず、タルタク砦にある持ち運び出せる物資をありったけ馬車に乗せた。無論これは物資の有効活用と、帝国軍に接収して利用されないための策だった。
だがこの物資撤収作業が帝国軍に察知されれば「王国軍は砦を放棄しようとしている」と感づかれてしまう。
そこで王国軍は夜を待ってから物資撤収作戦を実施した。
またそれと同時に、帝国軍に対する小規模な夜襲も仕掛けた。これは帝国軍がタルタク砦に対して夜間に積極攻勢を出させないようにするための事前の策である。
クハルスキは帝国軍を牽制し、その行動を受動的にして撤収の余裕を作った。
この策は成功し、帝国軍は王国軍による夜襲及び払暁奇襲を警戒して防御の姿勢を取った。
またクハルスキの予想に反し、帝国軍は翌4月11日の午前9時45分、東に少し後退を始めた。これは帝国軍がタルタク砦に籠城する王国軍を、砦から誘い出し、そして釣り出したところを全面攻勢に移ろうとしたために行った作戦だった。
だが王国軍にとってはむしろ好都合だった。これによってクハルスキ軍団そのものの撤退の難易度がある程度下がるからだ。
クハルスキは帝国軍の後退に合わせて、少しずつ部隊を後退させた。午後1時30分の時点で軍団の全戦力のうちの3分の2を撤退させることに成功した。
この時点で、帝国軍が王国軍を釣り出せない事を悟り、再び部隊を前進させたためこの日の撤退はやや中途半端な状態で終了した。
午後2時40分。
クハルスキは、第58歩兵中隊隊長ヤヌス・マエフスキ大尉からの提出された上申書を下に作戦を立案し、実行に移す。
この時タルタク砦に残っていた部隊は、クハルスキが直接指揮する1個師団9600余名である。この9600余名の兵が一斉に砦から撤退したのを帝国軍が確認した。
帝国軍はこれを機に一気に部隊を突入させ、タルタク砦を制圧しにかかった。その後、なお後退を続けるクハルスキ師団を追って、帝国軍2個師団が急進して砦から飛び出した。その時、1発の火系上級魔術がタルタク砦に着弾したのである。
上級魔術の火は、砦にある木造建築の兵舎に瞬く間に引火し、そしてなぜか可燃物の無い地面にも火がついた。数分も経たぬうちに砦は業火に包まれ、占領作業をしていた帝国軍1個連隊を襲った。
これは撤退直前、マエフスキ大尉が進言したもので、砦に保管されていた殺人的蒸留酒を重要地点にばら撒いていたことに起因する。
その光景を見た、急進した帝国軍2個師団は完全に浮足立っていた。
クハルスキがそれを見逃すはずもなく、後退から一転して攻勢に出た。混乱した帝国軍にそれを有効に防御できる策はなく、2個師団が1個師団によって湖に追い詰められ、まだ寒さが残るシレジアで湖水浴を楽しむ羽目になる帝国軍兵が続出した。
帝国軍が秩序を取り戻したのは午後3時20分のことで、この時にはクハルスキの師団は完全に撤退を完了していた。
この一連の戦いで帝国軍は3800余名の戦死者と、1300名弱の溺死者を出したとされる。




