戦場の噂 その2
第123期士官学校卒業生は、何もエミリア王女やサラ大尉だけではない。
だが、卒業証書を受け取り軍に入隊出来た者は例年より少ない。入学時は180名いたが、ラスキノ独立戦争前には125名にまで減り、最終的に卒業証書を受け取ったのは83名だった。卒業証書を受け取れなかった者の内40名が退学、57名が死亡という有様だった。
だが副産物として、卒業後少尉任官数も過去最多だった。さらにはユゼフ・ワレサやサラ・マリノフスカを筆頭に、中尉以上に任官する者も多くいた。
そして何より、厳しい戦場を2度も耐え抜いた卒業生たちの絆は他者のそれよりも堅固となった。
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キシール元帥率いる王国軍はヤロスワフ防衛軍団の一部と合流し、合計9個師団の大軍となった。軍団は北東部アテニ湖水地方を目指して行軍している途中で、現在は一時の休憩中である。
その軍団、シュミット少将指揮する師団に2人の若い士官がいる。彼らは2人とも第123期士官学校弓兵科卒業生で、ラスキノ戦争時にはラスキノ攻防戦に参加した。
そんな2人は、直属の上司に聞こえないように雑談に興じていた。
「聞いたか。例の美人の第21剣兵小隊隊長の話」
「あぁ、聞いたよ。敵中で暴れ回って全身に敵の血を浴びて自分は無傷で生き残ったっていう狂戦士だろ?」
「それそれ。実はな、その美人に会ってみたんだけどな」
「本当か!?」
「おう。それがビックリしたんだけどよ、その美人の小隊長、剣兵科首席卒業のマヤ・ヴァルタだったぜ」
「あー、あいつか。確かに、あいつなら千人切りは余裕だろうな」
「士官学校時代から喧嘩が好きだったもんな」
「喧嘩が好きだった……と言うより、あのヴィストゥラ公爵令嬢に近寄る悪い虫を片っ端から排除していたって感じだったけどな」
「の割には戦術研究科のワレサとかいうもやし野郎とは仲良かったらしいけどな」
「あぁ言う奴が意外とモテたりするのかね……」
彼らは心底羨ましがっているようだが、彼らにも将来を決めた恋人はいる。自分のことを差し置いて他人の恋愛事情に嫉妬するというのが、恋愛と言うものの不思議な側面である。
「あぁ、そういやヴィストゥラ公爵令嬢もこの軍団にいるらしいぞ」
「そうなのか?」
「キシール元帥の司令部にいるらしい。あと少佐って呼ばれてたぞ」
「そりゃ随分出世が早いな」
「そうなんだが……ちょっと不思議な事もあったな」
「不思議な事?」
「あぁ。なぜか周囲からは『エミリア少佐』って呼ばれてた」
「……『ヴィストゥラ少佐』じゃなくて?」
「じゃなくて」
「……普通、名前で呼ぶか?」
「呼ばないよなぁ。姓じゃなくて名前で呼ぶのは、大抵仲が良い、もしくは大変高貴な身分の御方ってことだな」
「上司と仲が良くて、そして若くして既に少佐か……ヴィストゥラ少佐のイメージが……」
「おいやめろ。想像しちまったじゃないか」
「そうだな。この話はやめよう。あの人は例え農民階級であっても綺麗なままでいてほしい。いろんな意味で」
彼らがどんな想像をしたのかは書くに憚れるのでここでは紹介しない。が、彼らが男で年相応の性欲を持っていることは確かである。
「だな。……思えば同期生って結構この軍団にいるよな」
「そりゃそうだろう。なんせほぼ全軍召集だからな。召集されてないのは治安維持用の警備隊と非戦闘員くらいだ」
「でもさっき言った戦術研究科のワレサは見てないぞ? あいつラスキノで死んでないよな?」
「召集されてないんだろ」
「それもそうだな。あいつは剣を振り回すんじゃなくて女に振り回される方が得意だったからな」
「ある意味じゃ幸せな奴だ」
「あいつとよくつるんでた騎兵科のマリノフスカも確か近衛師団に居たよな」
「近衛師団で、しかも大尉だろ? 出世走路まっしぐらだな」
「羨ましいねぇ」
「俺らも頑張るしか……っと、あれ元帥じゃないか?」
「ん? どこだ?」
「ほら、そこ。左前」
彼が指差した先には、王国軍9個師団を束ねるキシール元帥の姿があった。彼は旗下の兵員一人一人の顔を見つつ、時々兵と握手や会話をしている。こうして元帥直々に挨拶して周り、兵の士気を高めようとしているのだ。
「……あ、本当だ。幕僚たちもいるな」
「どうして参謀ってのはどいつもこいつも陰気な面してるんだろうな」
「それが仕事なんだろ?」
「それもそうだな。図面を眺めながらああだこうだ言う奴だ。陰気にもなるわな」
そう彼らは階級がはるかに上の者に対して小声で陰口を叩いていたが、ある人物が彼らに声をかけた時その態度は一変した。
「お久しぶりですね、」
「……ヴィストゥラ様!? お、お久しぶりです」
彼らは、まさかここに先ほどまで噂の対象だった人物が来るとは思わなかった。そして何よりも話しかけられるとは思いもよらぬことだった。
そしてさらに衝撃的な言葉が、彼女の口から発せられた。
「確か弓兵科のバルトシュ・リソフスキさんと、パベウ・チェシュラークさん、でしたよね?」
「「えっ?」」
「あ、すみません。間違っていましたか?」
間違っていなかった。だからこそ彼らは今硬直している。
「い、いえ、あっています」
「えぇ。でも、なんで……?」
「なんでって、同じ士官学校で学んだ仲ではありませんか」
彼らは再び絶句せざるを得なかった。
リソフスキとチェシュラークと呼ばれた彼らは、今目の前にいる彼女のように校内で有名な人間という訳でもなかった。貴族の子弟ではあったが、どちらも無名の男爵家と騎士階級、成績もパッとしなかったし、ラスキノ戦争でも特別武勲を立てたわけでもない。
そんな2人を覚えている。それは少なくとも、第123期士官候補生全員の顔と名前を憶えているということになる。
「ヴィストゥラ様は記憶力が良いのですね……」
「そんなことはありません。それに記憶力が良くても、応用力がなければ何もできませんから」
彼女は謙虚にそう答えたが、彼女が十分に応用力に富む人間であることは一部の者には有名だった。
「あぁ、それと言い忘れていました。私はもう『ヴィストゥラ』ではありません」
「はい? そうなのですか?」
女性の姓が変わる、というのは別に珍しくもない。嫁入りすれば大抵の場合、姓が変わる。だから彼らは公爵令嬢であるヴィストゥラが、名のある貴族と結婚したのだと解釈した。
だが、その解釈は残念ながら外れだった。
「私の本名はエミリア・シレジア。今度からは『エミリア』と呼んでください」
「「…………えっ?」」
本日何度目かの硬化現象だった。
シレジアと言う姓が意味する事実はただひとつ。この国に住む人間なら誰でも知っていること。
「で、殿下!? こ、これは失礼を!」
彼らは急いでその場で跪いた。彼女が高貴なる身分の御方だと分かれば、この行動は正しい。
「そんな大仰なことをしないで結構ですよ。ここは軍の中、私は一介の少佐にすぎません。貴方たちは佐官に対していつもそんな風に挨拶しているのですか?」
「い、いえ……」
「では、立ってください。挨拶は軍人らしく、敬礼で構いません」
「あ、はい……わかりました」
彼らは立ち上がると、一上司に向けた敬礼をした。士官学校で散々習った、綺麗な敬礼である。
2人の敬礼に満足したエミリアも答礼をする。
「では、私はそろそろ行きます。お2人共、どうか御無事で」
「はい。エミリア殿下も、ご壮健であられますよう」
「えぇ。それでは、また会いましょう」
エミリアが去った後、彼らは暫く立ち尽くしていた。
そして互いの表情を確認すると、2人は数分間に亘って笑い転げた。その光景を見た直属の上司が彼らを注意するまで。




