旧シレジア領
4月19日。
帝都エスターブルクから馬車に揺られること5日、体力的にきつくなってきたところでようやく目的地についた。
「大尉。クロスノ……いえ、グロツカの総督府に寄りますか?」
「いえ、フィーネさんも体力的に辛いでしょう。まずは体を休めます。総督に会うのは明日でも問題ないでしょう」
「わかりました。宿泊は懇意にしている貴族の別邸を利用しましょう。宿は何かと不便ですので」
「……いつもいつもありがとうございます」
「大丈夫ですよ。今回のことは、我が国にとっても重要な事なので」
そう、重要だ。そんな重要なことを俺1人でやらなくちゃいけないんだから気が滅入る。誰かに代わってやりたいが、残念ながら俺しか動ける人間がいない。
ここはオストマルク帝国皇帝直轄領クロスノ。主要産業は農業と林業。そして第二次シレジア分割戦争の時にシレジアがオストマルクに割譲した領地の1つ。総督の名はアルバン・フォン・ロット子爵。
主要民族は当然のごとくシレジア人。だがここ数年、他の民族の流入も顕著で多民族都市となっている。
そしてここ数日、反帝国運動が盛り上がっている地域でもある。
シレジア王国時代、この街は「グロツカ」と呼ばれていた。
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事の発端は4月13日のことだ。
この日、オストマルク帝国外務大臣政務官ローマン・フォン・リンツ伯爵がシレジア王国大使館を訪問した。外務省の高級官僚の突然の訪問に大使館は騒然となったが、王国特命全権大使のナントカさんが冷静に事を運んでくれたおかげで、混乱は一時的なものに留まった。
リンツ伯爵はとりあえず応接室に通し、話し合いは当初大使と公使の2人で行われていた……のだけど、途中で俺を含む駐在武官3人が呼び出された。
「リンツ伯爵閣下の希望で駐在武官の全員を呼んでほしいとのことだ。失礼のないようにな」
と応接室の前で待機していた参事官に釘を刺された。んなこと言われなくてもわかってるよ。
ノックをした後、スターンバック准将、ダムロッシュ少佐、そして俺の順番で応接室に入る。とりあえずの敬礼はエチケット……なのはいいとして、リンツ伯爵は何の用なのだろうか。ちなみに応接室の席が足りないので、俺とダムロッシュ少佐は立ったままだ。
「……役者が揃ったところで本題に入りたいと思う」
リンツ伯爵はそう切り出すと、1枚の紙を懐から取り出した。
「これは3月20日、クロスノで逮捕されたある男に関する情報である」
部屋にいた全員が「クロスノ」という単語を聞いた途端に緊張した。
俺もリンツ伯爵のこの一言で八割方事情を察した。たぶん、ダムロッシュ少佐も分かってると思う。顔が強張ってるし。
「男の名はジン・ベルクソン。シレジア人の父親を持つ」
「……そのベルクソンとやらは、なぜ逮捕されたのですか?」
大使閣下からの当然のような質問。まさか食い逃げではないだろう。
「『民衆煽動罪』だ。この男はクロスノ総督府を襲った」
なにやってんだそいつ……。
数日前、フィーネさんと話し合った時に出た「第4の世論」の形成、つまりオストマルク帝国から分離独立しようというアレがついに起きてしまったということか。
そういえばあの時も彼女言ってたな。確か「旧シレジア領でシレジア人が騒ぎ立ててる」とかなんとかって。
オストマルクの法律には詳しくないからなんとも言えないけど、たぶん騒ぐだけなら見逃されたんだろう。
で、それで何を勘違いしたのか「何をしても許される」と解釈して総督府を襲ったと。
……よし、逮捕。
ん? でも待てよ? なんで民衆煽動罪なんだ? 総督府襲っただけだと不法侵入とか業務妨害とか器物破損とかその辺じゃないの?
「閣下、質問よろしいですか」
「あぁ。君は確か次席補佐官のワレサ大尉だったね。なんだい?」
うーむ。返答の仕方が娘さんにそっくりだな……。いや娘が親に似てるのか。
って、今はそんなことどうでもよろしい。
「なぜ民衆煽動罪が適用されたのでしょうか」
「さすが大尉だ。実際、それが事件の核と言ってもいい」
「恐れ入ります」
良く知ってる人が知らないふりして自分を褒めるとかなんか背中がむずむずする。あのフィーネさんの父親が褒めてると思うともっとむずむずする。早くこの場から退室したいです。
「今、貴国は東大陸帝国と戦争をしている。そして情報によれば、かなりの勝利を積み重ねているそうだね」
「……それが原因ですか?」
「そうだな。内務省は、このベルクソンという男がシレジアの戦争を利用して旧シレジア領の分離独立、もしくはシレジア編入を求める運動を起こし、仲間を集めたと考え逮捕した。現在この男は内務省管轄の高等警察局によって拘留されている」
高等警察局ね。うん。初めて聞いたけどだいたい想像がつく。政治警察ですねこれは。拷問とか普通にやってそう。ま、この世界じゃ犯罪者に対して殴る蹴るは当たり前だけど。科学捜査なんて夢のまた夢だし。
「それで、我々にどうしろと?」
スターンバック准将が聞いた。我々と言うのは大使館のことを言っているのか。それとも駐在武官に限定した話なのか。
「今回おそらく、内務省はこの事件を契機に国内のいわゆる『便乗参戦論』を支持している貴族や官僚を集めて、皇帝陛下に言上するのだと、私は考えている。そうなれば、貴国も困るだろう?」
滅茶苦茶困る。
つまりオストマルク内務省がシレジアの脅威を声高に叫ぶことによって国内世論を「便乗参戦」に集束させて、皇帝フェルディナント以下略陛下に宣戦布告を促す、と。
俺らが頑張って同盟組んだりなんなりって言うのは外務省の独断専行だったってことなのかな。それとも単純に内務省と外務省の仲が悪いのか……。
いずれにしても困る。ここでオストマルクに参戦されたら今までの努力が無駄になる。
参戦しないまでも、俺と外務大臣との間で結ばれた「非難声明」発表が遅れるかもしれない。国内が便乗参戦派に傾いている中で、親シレジア的な態度に出ることは反発を招くだけだ。
シレジアを救うためにオストマルクが内戦になれ、と言えるわけでもなし。
「我々もシレジアに対して宣戦布告をするなど思いもしない。だが国内世論がこれ以上反シレジアに傾けば、どうなるかは保証できない。そこで貴国に対し、この問題を解決する努力をするよう要請する」
つまりシレジア王国に公式に「旧シレジア領を編入するなんてとんでもない!」という声明を出せということだろうか。
いや、努力しろって言ってるだけだから、内務省とか皇帝家に対して内密に声明を出すだけでもいいのかな。
……あれ、なんで武官呼んだの? それだけなら大使だけでもいいよね?
「リンツ閣下。話は戻るが、なぜ我々を呼んだのだ?」
あ、さっきのスターンバックの質問って武官の話だったのね。
「……今回の件に関し、我が帝国外務省は事の次第を明らかにするために独自調査をすることになった。調査隊の長は、外務審議官エドムント・フォン・ジェンドリン男爵が行うが……その調査隊に、貴国の武官を1人貸してほしいのだ」
「なぜ?」
「ひとつは、調査の内容次第でオストマルク帝国の内政に深く関わる可能性がある事。その際、もし他国の文官がいると知った内務省が、内政干渉だなんだと騒ぐ可能性がある。もうひとつは、今回の調査で隣国の戦争が関連すると思われること。軍事的な観点からの助言が欲しいと男爵からの要請があった。それで、我が帝国も武官を出すが、当事国の武官も出した方が有用な意見が出るだろう、ということだ」
「なるほど」
このリンツ伯爵の言いようが、俺が自由に動けるために考えた言い分だと考えるのはナルシストが過ぎるかな。第一こんな重要な調査、俺みたいな人間が任用されるわけでもなし。スターンバック准将が適任だろう。
「と言うのであれば、私が行こう。少佐、日程の調整を……」
「わかりました。リンツ閣下、調査隊の出立はいつになりますか?」
スターンバック准将とダムロッシュ少佐は行く気満々だな。その間俺は大使館で留守か。これで人目を気にせずエスターブルクで自由行動ができる。
「4月21日から月末まで。最悪の場合、5月までずれ込むだろう」
「4月末……か」
ダムロッシュ少佐が日程の確認をしているが……4月末か、なんか用事があったような、ないような。
「閣下、4月27日に第二皇子グレゴール・ライムント・フォン・ロマノフ=ヘルメスベルガー殿下の誕生日祝宴会がありますが……」
「何? それはまずいな」
相変わらずこの国の皇帝家の人間の名前は長いな……。
まぁ、この祝宴会をまさか休むわけにはいかないだろう。帝国でも重要な会、かなりの要人が集まるはずだし。その会をまさか俺に任せる、なんてこともできるはずもなし。
……え、伯爵ってもしかしてそれがわかってて予定をぶつけてきたの?
「その会を休むわけにはいかないか。……仕方ない。ワレサ大尉」
「ハッ」
「大使館附武官として命じる。ジェンドリン男爵の調査隊に同行し、男爵の調査に協力せよ」
でっすよねー!
「謹んで、拝命致します」
まぁスターンバック准将のお供をして見た事もない名前が長い皇子の誕生日会に出席するのは嫌だしね。
4月14日。
こうして俺は旧シレジア領グロツカ、いやクロスノに行くことになった。
ちなみに伯爵が言ってた「帝国から出す武官」とやらは、予想通りと言うかやっぱりと言うかフィーネさんだった。
新婚旅行と言う奴だな!
「バカなこと言ってないで準備してください大尉」
「はい、ごめんなさい」




