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大陸英雄戦記  作者: 悪一
春の目覚め
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ヤロスワフ解囲

 結論から言えば、キシール軍団はヤロスワフでは殆ど戦闘をしなかった。


 ヤロスワフを包囲していた帝国軍は5個師団。籠城した王国軍3個師団は先のラスキノ独立戦争におけるラスキノ攻防戦の戦訓を生かし、徹底的な防御戦を実施して帝国軍に出血を強いていた。だが帝国軍の方でも戦訓を生かして、数度の強襲に失敗してからは攻勢に出るのは止めて嫌がらせの攻撃をする以外は積極的に行動することはなかった。

 もしこのまま帝国軍がヤロスワフを包囲し続ければ、籠城軍は数日のうちに疲労と飢餓によって降伏したに違いない。


 だがそこにキシール元帥率いる王国軍7個師団が甘んじて捕虜となった帝国軍上級大将ルイス・グロモイコを引っ提げてやってきた。

 グロモイコ上級大将は、帝国軍の誇りも何もなく自らの生命と安全の為に最善を尽くした。つまり王国軍に完全に利用されていた。グロモイコは戦場に着くなり全軍に降伏・武装解除を呼びかけた。

 そのあまりにも情けない上官の姿を見た帝国軍将兵の殆どが戦意を喪失。一部の師団が微弱な抵抗を試みたものの、7個師団の攻撃を受けてはその抵抗が長期に渡って続くはずもなく、戦闘は十数分で終了した。


 4月18日午後4時50分。シレジア南東部の小都市ヤロスワフは解放された。




 万単位の捕虜の列が西に向かっている。それを警護するのは王国軍1個師団のみだったが、帝国軍捕虜たちは抵抗する様子はない。戦意を喪失しているのか、それとも単に疲れているのかはエミリアにはわからなかった。


 エミリアは今後の事についても考えていた。

 ここヤロスワフからアテニ湖水地方まではシレジア東部地域を南北に縦断する形になるため、通常の行軍速度で20日程はかかる。その間、兵の士気が維持できるかが問題だ。

 現状、士気に関しては問題がない。むしろ高揚状態にある。ザレシエ、カレンネ、そしてヤロスワフと、3回連続で完勝したため「この戦争勝てるんじゃないか?」という気運が高まっている。だがその士気も、1ヶ月も行軍をし続ければ地に落ちるのは自明の理だ。


 もう1つ気になるのは、東大陸帝国本土にいる予備部隊10個師団の存在だ。

 ユゼフから提供された情報では、帝国軍は後方に予備部隊5個師団、それを2か所に配置している。1ヶ所はザレシエ平原から東南東に7日の距離にある地点。もう1つはアテニ湖水地方から北東に10日距離に配置されていると言う。

 予備兵力投入に関して権限を持っているのは最高司令官たるロコソフスキ元帥と、アテニ方面に転進したバクーニン元帥のみ。後は1000km以上離れた帝都ツァーリグラードの人間だけだ。そしてロコソフスキ元帥は開戦初日に戦死した。

 もしバクーニン元帥をアテニ湖水地方に束縛すれば命令は届くことなく、もしくは届くのに時間がかかりすぎるため、ザレシエ東にある帝国軍予備部隊5個師団は事実上遊兵となる。


 となれば、シレジア王国軍がやるべきことは1つ。人員を集めながら北に移動し、バクーニン軍団を撃滅するしかない。


「エミリア?」


 ふと気づくと、エミリアの数少ない親友であるサラ・マリノフスカ大尉が目の前に居た。彼女は心配そうな目でエミリアの顔を覗き込んでいる。


「どうしましたか、サラさん」


 エミリアは平静を装ったが、その努力は無駄となった。


「エミリア、何度呼んでも返事しないんだもの」

「あら、そうでしたか……」


 エミリアは周囲を見渡すと、確かに時間が経過していることが分かった。日はかなり陰ってきており、既に周囲の者は仮説兵舎へ向かっていた。何もせず、ただ物思いに耽っていたエミリアは、周囲から見ればかなり異様に見えた事だろう。


「すみません。少し考え事をしていましたので」

「ふーん……。あんまり自分一人で抱え込んじゃダメよ? 私、考えるの苦手だけど話ぐらいは聞くわよ」

「ありがとうございます」


 こうやって親身に、エミリアの身体のことを心配してくれる人物と言うのは少ない。だからこそサラという人間を大切にしなければならないと一層強く思うのだ。


「はぁ、ユゼフが居てくれたら難しいこと全部丸投げできるのに……」

「そんなことをするのは酷と言うものですよ。せめて3割くらいは、私達で考えてあげませんと」

「それもそうね。あいつに“脳筋”って言われるのも嫌だしね」


 サラは自覚していないが、サラがユゼフという男性のことを話すとき少し笑顔になる。エミリアはそのことをいつ彼女に教えてあげようか、と悩んでいた。だがエミリアは決断し損ねた。もしそれを指摘すれば、大事な友人の笑顔を見る機会が少なくなるのではないかと言う不安があったからだ。

 もっとも、残念なことにその笑顔が当の本人に向けられることはない。向けられるのは笑顔ではなく、大抵が拳だ。


 エミリアは暫く親友と、彼女らの年齢に相応しい会話を続けた。


(次はいつこういう機会があるかわかりませんから……)




---




 カレンネの森、そしてヤロスワフの戦いにおいてシレジア王国軍は7万人にも及ぶ帝国軍の捕虜を手に入れた。

 時を経てその事実を知った補給参謀補ラスドワフ・ノヴァク中尉は唖然として執務室の天井を見上げた。


 7万人の捕虜。一時的に何処かの場所に収容するとして、問題はその7万人の食糧をどう確保するかである。

 捕虜を無碍に扱うことはできない。いざとなれば捕虜は停戦交渉における重要な交渉材料となり得るし、そもそも「捕虜を捕るくらいなら殺せ」と言えるはずもない。


「……はぁ」


 彼は司令部に来てから何百回目かの溜め息を吐いた。


 現状、王国軍は20個師団を維持するだけでも補給線に過大な負荷がかかっている。この上7個師団の捕虜を捕ってしまったら、その負担はさらに大きくなってしまう。これ以上補給の負担が増えればシレジア王国の国力では全てを賄うことはできない。

 これ以上の状況好転を望むのであればシレジアは戦術的な勝利ではなく、戦略的な、もしくは政治的な勝利を得なければならない。


 一介の補給参謀補で、戦略や戦術というものを知らないラデックであってもそれがわかった。それほどまでに、シレジアは追い詰められているのだ。


「……ユゼフがいたら、なんて言うんだろうな」


 彼は士官学校時代の友人の事を思い出しながら、与えられた職務を淡々とこなした。



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