カレンネの森の戦い ‐陽動-
時間は少し戻り、4月12日のこと。
王国軍キシール軍団は南へ向かうことは決定されたが、北上する帝国軍を具体的にどう迎撃するかについては決まっていなかった。キシール軍団は7個師団、北上する帝国軍は5個師団。数の上では有利だが、味方の被害を最小限に抑えなければ他の戦線に影響が出るため、正面からぶつかって戦うことは避けなければならない。
司令部は行軍しつつ迎撃作戦の立案を急いだが、有効な手を思いつかないまま時間だけが過ぎて行った。
同日午後2時30分。ヘルマン・ヨギヘス中将が司令部に迎撃作戦について上申した。
「我々は現在この街道を南下していますが、途中でカレンネの森がありますね?」
「あぁ。と言っても街道から少し西に外れた場所にあるが……それがどうしたのだ?」
「その森の近くで、帝国軍を迎撃しましょう」
ヨギヘスがその言葉を発した時、司令部のほぼ全員が意味を掴み兼ねていた。
いや、意味は分かる。カレンネの森を戦場に設定するのは良い。だが、なぜわざわざ街道から外れた地点を選ぶかがわからなかったのだ。
だがその司令部の中で唯一、ヨギヘスの発言に反応を示したのが、高等参事官エミリア・シレジア少佐だった。
「ヨギヘス中将閣下。それは街道を北上する帝国軍の左側背を討とう、と考えているのですか?」
「そうです……と言いたいところですが違います。えーと、貴官は……」
「総合作戦本部高等参事官エミリア・シレジア少佐であります、閣下」
「……しれ、じあ?」
ヨギヘスは固まった。と言うより、固まらざるをえなかった。
シレジアの姓を持つ者はこの国では3人しかいない。国王フランツ、宰相カロル、そして王女エミリア。ヨギヘス中将の目は両目共に健全で、しっかりと人や物を判別できる。シレジアを名乗る人物が女性であることも認識した。王国軍総司令官の目の前で、そしてこの状況下でシレジアの名を騙る者がいるはずがない。となれば、エミリア・シレジア少佐の名は本名であるということ。
つまり、この高等参事官とやらは王女である。
その結論に至ったヨギヘスは、時間にして13秒、言葉を失った。
「閣下?」
「あ、その、ご無礼を、殿下!」
ヨギヘスはある意味では彼らしく慌て、ある意味では彼らしくもなく慌てた。戦場では慌てず冷静に状況を見やるヨギヘスが慌てる、というのは大変珍しいのである。無論、この状況で冷静になれる方が変ではあるが。
「『殿下』ではありません。私は王女としてではなく、少佐としてこの場にいます。閣下は数万人の兵を束ねる中将、そして私は一兵も率いない少佐。どちらが敬語を使うべきかは言うまでもありません」
「はぁ……」
それで納得できるのであれば、彼はもう少し人生を謳歌できただろう。だが彼は結局どっちつかずの態度でエミリア少佐に接することになる。
「それで中将閣下。話の続きをしてもらえますでしょうか?」
「は、はい」
彼は一度の深呼吸と二度の咳を挟んで、作戦の続きを話した。
「まず最初に部隊を2つに分けます。1つは陽動として5個師団、もう1つは本体として2個師団を動かします」
「5個師団を陽動に?」
「えぇ。そして陽動5個師団をカレンネの森の北に配置、先頭を東に向けます。そして本隊2個師団は街道の東に展開するのです」
「なぜそのようなことを?」
「北上する帝国軍を分断し、各個撃破、東西より挟撃するためです」
「ほう……」
各個撃破という単語が飛び出た時はじめて、エミリアはヨギヘスの作戦案に興味を持ったと言える。ヨギヘスが自らの武勲を立てるために作戦を立案したのではなく、味方の被害を少なくするために考えた作戦なのだと、この時確信した。
「具体的な作戦行動についてお話します。まず、帝国軍に我が陽動5個師団を発見してもらわねばなりません。そこで偵察部隊を放ち、その偵察部隊をわざと帝国軍に捕捉させます。そしてその偵察部隊を帝国軍に追わせ、我々がカレンネの森の北に展開していることを教えるのです」
「なるほど。帝国軍が陽動隊を発見すれば『叛乱軍は我々の側面を襲おうとしている』と思わせることができる、と言う訳ですね?」
「はい。エミリアで……ん、エミリア少佐の言う通りです。帝国軍はそれを知れば、やはり自らの被害を少なくするために作戦を立てるでしょう。恐らく部隊を陽動と奇襲部隊に分け、陽動が街道を北上し、我が軍が釣られたところを奇襲部隊で討って、そして陽動隊と連携して挟み撃ちにする。たぶんこの作戦が一番確実性が高いと思います」
事ここに至り、キシール元帥以下の幕僚たちも作戦の概要がわかった。敵が行うであろう作戦を逆手にとって各個撃破しよう、というのがこの作戦の内容なのだ。
「つまり、敵の陽動隊を我が軍の本隊2個師団で撃滅し、そしてそのまま敵奇襲隊を挟撃する。というわけか」
「左様です、元帥閣下」
「では中将、もし敵が部隊を分散させずに我が軍を討とうと考えたらどうする?」
「その時は、本隊に敵の背後を突かせるだけの事です」
「なるほど。……ヨギヘス中将の作戦案は良いものと考えるが、卿らはどう思う?」
キシール元帥は幕僚に意見を求めた。殆どの者は特に反対をすることなく、ヨギヘス中将の案に賛同した。それは彼らが、ヨギヘスが考えた作戦案以上の出来の代案を持っていなかったからである。反対するのであれば代案を寄越せ、と言われるくらいなら大人しく賛同した方が良いと言うことだ。
だがそんな空気にも拘らず、勇敢にもヨギヘスの案に意見を唱えたのはエミリアだった。
「ヨギヘス中将閣下。よろしいですか?」
「……少佐、なんでしょうか」
「はい。閣下の作戦案に少し修正を加えたものなのですが……」
ヨギヘスが立案し、エミリアの修正した作戦案は、この20分後に採用されることとなった。
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4月15日午前11時20分。
エルキ・ロパトニコフ中将率いる帝国軍1個師団は、王国軍5個師団を誘き寄せるため街道を北上していた。
敵軍団発見の報告を受けたのは、王国軍との予想接触地点に到着した時だった。
「グロモイコ閣下の言っていた通りだな。部隊を西に向けさせ、叛乱軍を迎撃するぞ! 粘っていれば、すぐに本隊が奴らの背後から襲いかかるはずだ!」
彼はすぐさま部隊を左に回頭させ、王国軍5個師団を待ち伏せた。本来であれば1個師団で5個師団に立ち向かうのは暴挙としか言いようしかないが、今回に限っては援軍が敵の後背を突くことになっているため問題はない。
ロパトニコフの命令を受けた師団は、綺麗に、そして素早く部隊を展開させた。1個師団という数の少なさが身軽な動きを助けたのだが、それよりもロパトニコフ中将の指揮が適確だったことも大きい。
だが残念なことに、彼は戦況全体を把握する能力に欠けていた。
ロパトニコフ師団が部隊の展開を終え、西から来る王国軍に意識を集中したところに、彼の命運を決定づける報告が届いた。
「後背より、敵出現! 数、推定2個師団!」
「何!?」
王国軍は、ロパトニコフ師団が完全に西に向き、戦闘態勢に入ったのを確認してから突撃を敢行した。この報告を受けたロパトニコフ師団は完全に浮き足立ち、東西どちらの敵を相手にすればいいのかわからなくなってしまった。しかもロパトニコフの後方に現れたのは王国軍最強の近衛師団だったことが、彼の人生最大の不幸だったと言える。
ロパトニコフはすぐさま反転180度回頭を命じた。西の叛乱軍5個師団は、帝国軍本隊4個師団が足止めしてくれる。そう考えての命令だった。
だが旗下の将兵がその命令に迅速に答えることができるかと言われれば話は別である。
西を向けと言われ、それを実行した途端に東を向けと言われて、はいそうですかと実行できる将兵は少ない。どちらを向けばいいかわからなくなった各部隊は、陣形を崩したまま不完全な形で回頭してしまった。
その最中に王国軍2個師団の攻撃を受けてしまっては、もはやロパトニコフにはどうしようもなかった。
わずか30分の戦闘で帝国軍ロパトニコフ師団は6割の損害を出し潰走した。




