帝国と世論
オストマルク帝国外務省、4月10日午前9時発表。
大陸暦637年4月1日、東大陸帝国はシレジア王国に対し侵略行動を開始せり。
同日午前10時頃、シレジア東部国境中南部のザレシエ平原において、帝国軍10万と王国軍8万が激突。王国軍の果敢な戦闘によって、帝国軍は敗退、死傷10万の大損害を被る。王国軍の被害は僅少とのこと。
帝国、及び王国政府の公式発表は未だなし。
帝国外務大臣政務官 ローマン・フォン・リンツ伯爵
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「世論」と言うものは、如何に専制国家と言えども無視できない重要な政治要素だ。無論、前世日本みたいな民主国家と比べると影響力は小さくならざるを得ないけど、それでも無視して良いわけじゃない。特にオストマルクみたいな多民族チャンプルー国家では、世論や民意を無視した政策は独立戦争や革命を引き起こす引き金となる。
だから帝国首脳部や官僚の皆さんは日々頭を抱え続けている。ご苦労様です
さて、オストマルク帝国が上の発表を行う前まで、このシレジアの戦況はオストマルク国境に近い南東戦線の情報のみが伝わっていた。その情報は帝国外務省の公式発表に寄らない、言わばそれなりに信用が置ける噂と言うものだった。
その流れてきた噂が「ヤロスワフ方面、王国軍苦戦」であったことから、オストマルク国内の世論は2つに割れた。
1つは簡単。「同じ反シレジア同盟だから便乗参戦して美味しいところ持って行こうぜ」論である。オストマルク帝国に近いクラクフスキ公爵領を手に入れたら、きっと懐も温まる事だろう。この世論を形成しているのは帝国の富裕層や貴族、官僚等の禿鷹共である。
でも帝国政府は今の所手を出す気はない。シレジアと同盟結びたいなと考えている外務大臣クーデンホーフ侯爵がその筆頭だ。
もう1つの世論は「東大陸帝国が膨張しすぎてるからどうにかしろ」論である。どちらかと言えば少数派の意見だが東大陸帝国との国境付近に住んでいる、もしくはその地域の出身者たちに多い意見だ。シレジアを倒した勢いで、そのままオストマルクも滅ぼすのではないかと戦々恐々としている。だが政治的影響力の小さい一般市民の意見なので中央に通りづらいんじゃないかとも言われている。
クーデンホーフ侯爵がこの論を密かに支持している、なんてこと知ったら帝国官僚共はどんな顔するだろうか。見物である
それはともかく、これが4月9日までのオストマルク帝国の世論だった。でもさっきの外務省の公式発表後にこの世論が一変する。
まず東大陸帝国脅威論者は消え失せた。「あれ? もしかして東大陸帝国ってまだ雑魚なんじゃね?」と思ったからだろうか。呑気でいいね、大国の傘にいる人ってさ。
便乗参戦論者はむしろ増えた気がする。「疲弊した王国軍の脇腹を刺して美味しいところ持って行けばいいんだ! 東大陸帝国も雑魚だから怒りを買っても問題にならないね! むしろ恩を売れるかもね!」とかなんとか思ってるんだろうな。まさに外道。
そして第3の世論が形成された。まだ少数派だけど、シレジア王国軍が勝利を積み重ねれば重ねるほどこの動きは大きくなるだろう。
それが「シレジアと同盟して、ついでに他国も巻き込んで反東大陸帝国同盟作ろう」論、略して「同盟論」である。
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4月11日。新しく開拓した低所得者層向け喫茶店「雨宿り」でフィーネさんとの情報交換会した時にその世論について聞いてみた。
「参戦派の意見が大きくなったことは確かですし、それを抑えることが大変だと言うのは外務大臣閣下も仰っていました。ですが、第4の世論を形成されるよりはマシでしょう」
「第4の世論、ですか?」
フィーネさんは相変わらず紅茶と適当な焼き菓子を注文。味についてはフィーネさん曰く「百合座が100としたら雨宿りは70」らしい。いいんだよ。ここは値段も30%OFFだし、第一味オンチな俺には違いが分からないしね!
「はい。簡単に言えば『シレジアなんていう弱小国にだって出来たのだから、自分たちも民族の力を結集して帝国政府に喧嘩を売ろう』という論です」
「つまり、独立の気運ということですか」
「そうですね。そこまで行かなくとも自治権の拡大くらいは要求して来るでしょう」
オストマルク帝国が10の民族を束ねることができる理由は1つ。東大陸帝国という強大な敵と言う存在のおかげだ。あの国が力を持っている限り、各民族は「帝国の傘に入らなければ東大陸帝国に食われてしまう」と考え独立なんて騒がなくなる。それにオストマルクの法律上では「国民は皇帝の名の下に平等である」と定められている。……もっとも、富裕層や権力中枢、そして貴族は一部の民族に偏ってはいるようだが。
それでもオストマルク政府も各民族が武力蜂起しないように気を遣っているから、何もなければ今後100年は大丈夫だっただろう。
で、今回の戦争がシレジアが何かの間違いで勝てばどうなるのか。
「シレジアが勝った場合、おそらく一番騒ぎ立てるのは……いえ、既に騒いでいるのは旧シレジア領の住民です」
「でしょうね」
第二次シレジア分割戦争の時に奪われた旧シレジア領には、当たり前だがシレジア系住民が多い。今回の戦争でシレジア勝利に沸き立つのは良いが、勢い余って王国軍を呼び込むように宣伝したら……。
「このままでは我が国にとっても、シレジアにとっても、そして旧シレジア領民にとっても悲劇にしかならないでしょう」
「えぇ。シレジアがオストマルクに勝てるはずがないし、オストマルクも独立運動の火を煽られてしまっては他の民族にも影響しますからね」
そして旧シレジア領民の何人かは人柱に捧げられることになるだろう。だから煽るなよ? 独立運動起こすなよ?
民族問題は国益とか段取りとか無視して過激な感情で動くことがある。感情は大事だけど、こっちにも予定というものが……。
「それで、偉大なるクーデンホーフ侯爵閣下はどのようにお考えで?」
「偉大かはどうかは知りませんが、クーデンホーフ侯爵は何を考えても何もすることはできませんよ」
あ、そうか。外務大臣だもんな。侯爵ができるのは外交と、侯爵が持っている領地の経営だけだ。調査局も対外情報機関であって対内秘密警察じゃないしな。
このあたりの問題は内務大臣とか、あとは実力行使ができる軍の範疇になるか。
「でも、他の省に圧力をかけることはできますでしょう?」
「できますよ。圧力とは言わず餌でもいいですけど」
餌って言い方も酷いな。
んー、内務省とか軍務省に与える餌ってなんだ? 権限とか予算とか人員とかだろうか。あ、いや大臣個人に対する餌とか脅迫でもいいわけか。専制国家だし、皇帝からの圧力も効果がありそうだ。
「まぁ、今議論すべきことではありませんね。準備はしておきますが、現状では戦況がどう転ぶか未知数ですので」
「ですね」
いっそシレジアが負けた方がフィーネさんにとっては楽なのかもしれない。
負ける気はないけどね。
ちなみに、帝国外務省の公式発表があったおかげでシレジア国債は一時期暴騰した。リゼルさんが金貨の風呂に入っている姿が脳裏に思い浮かんだのは多分気の迷いか何かだろう。決して思春期云々の話ではないはずだ。そのはずだ。




