北か、南か
4月8日。
キシール元帥率いる王国軍8個師団は部隊の整理を行うため、軍団をザレシエの西にある放棄された農村に後退させた。後方から予備兵を呼び補充させたり、人員を融通、配置転換をさせた。だがザレシエ会戦で王国軍は1個師団規模の人員を戦死もしくは戦傷させてしまったために、結局キシール軍団は7個師団に再編された。
再編が終了し、戦場の始末や物資の補給や兵の休息などが一段落したのは4月8日のことであったが、さらに別の問題が、それも立て続けにキシール元帥の下に届けられた。
1つは、中北部オスモラで6個師団を率いている副司令官ジグムント・ラクス大将からの報告書である。
「……帝国軍が北に転進?」
「はい。ラクス大将の報告によりますと、帝国軍はオスモラでの攻勢を中止し、アテニ方面へ向かったとのことです」
「つまり、アテニには帝国軍20個師団が集結することになるのか」
アテニ湖水地方を防衛するのは、アルトゥール・クハルスキ中将率いる王国軍3個師団である。湖と湿原に囲まれたアテニは人口も少なく防衛がしやすい場所と判断し、3個師団のみが配置された。
当初のエミリアの作戦では、ユゼフから寄せられた情報を下にまず中南部の総司令官ロコソフスキ元帥が直接指揮する軍団を撃滅させ、その後オスモラの副司令官バクーニン元帥が指揮する軍団を壊滅させる予定だった。これが成功すれば、帝国軍は上位2人を失い、また命令・情報が分断されるため王国軍が優位に立てただろう。あわよくば、帝国軍が撤退をするかもしれない。
だが、バクーニン軍団は北に転進し戦力の集中化を図った。アテニ湖水地方はいかに兵力差が出づらい地形にあるとはいえ、3対20ではどうしようもない。こちらも戦力を集中化して対抗するしかない。キシール軍団とラクス軍団、そしクハルスキ軍団を合わせれば王国軍の合計は16個師団となり、これであれば帝国軍にどうにか対抗できそうである。
キシール元帥はそう判断し、部下に北に進路転換を命じようとした。だがその時に、もう1つの報告がキシールの手元に届いた。それは周囲を偵察していた部隊からの伝令であり、キシールにとって無視できない報告だった。
---
ヤロスワフを包囲する帝国軍10個師団、その司令官ルイス・グロモイコ上級大将の下に「ザレシエ方面苦戦」の報が届いたのは4月4日のことである。
この報は帝国軍ロコソフスキ軍団前衛部隊が包囲される直前、居もしない伏兵を探し求めていた偵察部隊がロコソフスキ元帥を見限り、独断でヤロスワフ方面軍に救援を要請したのである。
「……どう思う、参謀長」
「にわかには信じ難いことですが、ですがこれが本当だとしたら我が軍団は危機に陥ります。一刻も早く救援を出すべきでしょう」
「だがヤロスワフに立て籠もる叛乱軍を放置するわけにはいかないだろう。下手をすれば背後を突かれる可能性がある」
「部隊を分ける他ありません。ヤロスワフは5個師団で以って包囲するにとどめ、残りの師団でザレシエの救援に向かわせましょう」
この時点でロコソフスキ軍団が壊滅していることをグロモイコ軍団の司令部は把握しておらず、またその可能性を考慮してはいなかった。ロコソフスキ軍団偵察隊が提供した情報があまりにも抽象的すぎて、状況を細かに把握することができず、まさか帝国軍10個師団が王国軍8個師団に1日で壊滅させられるとは思いもしなかった。
グロモイコは参謀長の意見を採用し旗下の軍団を2つに分けた。1つはヤロスワフを包囲し王国軍を束縛させ、もう1つの部隊はグロモイコが直接指揮して北上し、ロコソフスキ軍団の救援に向かうことになった。
---
ヤロスワフ方面の帝国軍が部隊を分け、5個師団で北上してくる。これは王国軍にとっては各個撃破の好機であるに他ならない。
だがキシール軍団が南に転進すれば、アテニ方面が手薄になる期間が長くなる。シレジア南東部の端に位置するヤロスワフと北東部の端に位置するアテニ。直線距離で400km離れており、どんなに速く行軍したとしても2週間以上は経ってしまう。そしてヤロスワフの敵を発見・撃滅する時間を考慮すると、最悪の場合1ヶ月は北を放置せざるを得ない。ラクス大将の6個師団を増援としてアテニに派遣しても彼我の戦力差は9対20と大きい。それを1ヶ月の間帝国軍の攻勢を支え続けなければならないとなると、それは非常に難易度が高いと言わざるを得なかった。
ではヤロスワフの敵を放置してアテニに向かうのか、と問われればまた別の問題が噴出する。
1つは、キシール軍団が北上したとして、ヤロスワフから来た敵5個師団がキシール軍団の背後を突く可能性があり、そうなれば少なからぬ損害を被る可能性がある。もう1つは、ヤロスワフ自体も苦戦しており、ヤロスワフ失陥も時間の問題ということだった。
キシール元帥は暫く沈黙を守った。彼の脳内は北に行くか、南に行くかで意見が分かれており、そしてその収拾がつかないでいた。彼は判断をしかね、彼の幕僚や高等参事官に意見を求めた。
(もしユゼフさんがココにいたら、どういう風に言ったでしょうか)
エミリアは心の中でそう考えていた。彼女はまだ状況が大きく変わった場合に臨機応変に対処する能力が低い。彼女自身それを自覚しており、だからこそユゼフ・ワレサという作戦参謀の存在が如何に優れたものだったのかと改めて感心した。5年前の王女護衛戦の時でも、ラスキノ戦の時でも、彼は状況を俯瞰的に眺めて作戦を練った。
彼女は思考した。今この場にはいない友人が自分の傍にいれば、どんな判断をしただろうか。この状況をどう見ただろうか。
「……高等参事官の意見は?」
キシール元帥がエミリア少佐に意見を求めても、彼女は熟考し続けた。黙り続けるエミリアに対して総参謀長ウィロボルスキ大将を始めとしたキシールの幕僚は不安感を覚えたが、彼女はそれを無視して考え続けた。
そして数分後、彼女は決断する。
「南に行きましょう。閣下」




