国債情勢
4月7日。つまり開戦7日目。
戦場から遠く離れたオストマルクでは、戦況の把握はできない。今俺の手元にある情報は全て戦前のものだ。
サラやエミリア殿下、マヤさんは無事だろうか。ラデックは後方にいるから戦禍に巻き込まれることはないとは思うが……。彼女らがいるザレシエ平原は、ここエスターブルクから馬車で10日離れた場所にある。どんなに頑張っても、それくらいの情報の遅延が出てくるわけだ。
南東戦線のヤロスワフだったらもっと近くなり、馬車で7日の距離になる。つまりヤロスワフの情報だったらそろそろオストマルクにも届く可能性があるわけだ。
……やっぱり待つのは苦手だ。
4月8日。今日は正真正銘の休暇。情報収集と称してサボりはしないし、最近はちゃんと事務も捗ってるから問題ない。そのはずだ。
いつものように書記官に外出を伝え、いつものように散歩をする。東大陸帝国弁務官府前の喫茶店「百合座」に行こうかと思ったが、開戦以来見張りがきつくなって近寄り難くなってしまった。万が一、ということもあるので、3月31日以来行っていない。
そうなると行き場がなくなるな。新しい喫茶店でも開拓しようかな、と思って適当にぶらぶらしている。財布事情が厳しいから低所得者層向けの喫茶店でもあればいいんだけど。
その時、1台の豪奢な馬車が俺の真横で止まった。なんだ? 糞でもするのか? じゃあ巻き込まれないように走るか、と思った時馬車の中から声が聞こえた。
「こんなところで会うとは奇遇ですね、ユゼフさん」
リゼル・エリザーベト・フォン・グリルパルツァー。ラデックの嫁候補。結構美人で姉に欲しいタイプ。あとでかい。
「……これはこれは、グリルパルツァー様。御無沙汰しております」
「そんなに畏まらないでください。私たちの仲ではありませんか」
確かに今更だけどさ、お世話になったし。
「どこかへご用事ですか?」
「いえ、特に用はありませんよ。息抜きの散歩をしているだけです」
「そうですか。では、一緒に乗りませんか?」
えっ?
揺られる馬車の中、なぜか俺は友人の婚約者と隣り合わせで座っている。おかしいでしょこの状況。てかなんで他に誰もいないの。普通こういう身分の人って近侍とか護衛とかも同乗してるんじゃないの?
「……乗ってもよかったんですか、私?」
「構いませんよ。これからある貴族の屋敷に行くので、ついでにその護衛をしてもらいたいのです」
「いや、なんで私が……」
「屋敷に護衛を置いて行ってしまったので」
なにそれひどい。色々とひどい。
「まぁ、それは半分冗談なのですが」
半分マジだったのかよ。
「お話がしたかったんですよ。色々とね」
色々ね。うん、この時期俺とリゼルさんが話し合う内容なんてひとつしかないのだが。
「結婚式場ってどこが良いと思いますか?」
「……はい?」
しまった。思わず素で聞き返してしまった。で、なんだっけ? 式場? え? 何の話?
「やはり権威ある教会でしょうか。しかしラデックさんは信心深い方ではないので似合いませんかね? それに結婚式は社交会という面もあるので、そう言った設備の整ったホテルのほうがいいのでしょうか。あまつさえそこで初めての夜を迎えて……きゃっ」
なにこれ。え、本当になにこれどういうこと。あと「きゃっ」って何。何を想像したの。想像妊娠でもしたのか。
俺の疑問を余所にリゼルさんの口は止まらない。いくつかの式場をリストアップして、さらにはそれぞれのメリット・デメリットを挙げる。リゼルさんの顔はまさしく恋する乙女の顔だ。政略結婚でもあり恋愛結婚でもあるってことだろうか。
結婚か。実感が湧かないな。結婚なんてものは画面の中にいる内気な女の子とするものだと思ってたよ。あまりにも内気なもんだから画面から出てくれないのが難点。
まぁ俺は貴族じゃないから気楽でいいか。一生独身でも俺は困らん。さ、寂しくなんてないんだからね! 勘違いしないでよね!
「ユゼフさんはどっちが良いですか?」
「え、えーっと……」
急に話振らないで頭混乱してるから。
えーっと、なんだ? ラデックが求婚でもしたのか? 本当に「この戦争が終わったら結婚する」という王道の死亡フラグ立てたの? 何考えてるの? 死亡フラグって他人を巻き添えにすることがあるんだよ?
……とりあえず返答しなきゃいけないな。えーっと、うーんと。
「……リゼルさんのお屋敷でやったらどうでしょうか」
「ハッ。それもいいですね!」
よし、これでも良かったらしい。……え、このためだけに俺馬車に乗せられたの?
「さて、話がまとまったところで本題に入りましょう」
リゼルさんの顔つきが急に真剣になった。なにこの温度差。
「なんでしょうか」
「……ユゼフさんは、市場の様子は見ていますか?」
「……それなりには」
見てると言えば見てる……けど俺は経済には詳しくない。新聞開いて「へー、ふーん。何言ってるかわかんねぇわ」としか思わないタイプだ。
「では、シレジアの国債の話は?」
「……わかります」
国債。はやい話が国の借金のことだ。個人の借金とはだいぶ性格が異なるけど、まぁ細かい話は良い。
で、そのシレジア国債は今、価格が下落……いや、暴落と言っても良いくらい下がりまくってる。
国債の価格は即ち国の信用度と言い換えてもいい。シレジアの信用度が今落ちまくってるから、価格も下がる。まぁ、普通に見たらシレジア勝ち目ないもんな……そりゃ売りたくもなる。
「オストマルクにある有力商会もシレジア国債を売り飛ばしていますね。我が帝国の財務大臣も随分悩んでいるみたいです」
「でしょうね……」
たぶん一番悩んでるのウチの国の財務尚書だと思うけど。
「それで、グリルパルツァー商会も売っているんですか?」
「そうですね。半分当たりです」
「半分?」
「確かに数日前、我が商会は保有しているシレジア国債をすべて売り払いました。ですが今、私の方から買い戻しを進言しています。おそらく明日には大量に買い戻されることになるでしょうね」
「……理由は?」
「理由は……そうですね。この屋敷の人に聞けばわかります。着いたみたいですよ」
「え?」
馬車の外を覗く。どっかで見た事がある屋敷……というか、2回ほど中に入ったことがある。1回目はスターンバック准将の付き添い、2回目は外交交渉の前段階で。
そこは、リンツ伯爵家の屋敷だった。
「……なぜ大尉がグリルパルツァー男爵令嬢と一緒の馬車に乗っているのでしょうか」
フィーネさんは会うなり不機嫌そうな顔――いやいつも不機嫌面してたか――でそんなことを言った。俺が知りたいくらいだよ。
「道に落ちていたので、拾いました」
「男爵令嬢ともあろう御方が、感心しませんね」
「申し訳ありません」
リゼルさんは明らかに反省してないような良い笑顔で謝った。なにこれ。ていうか本当にこの状況、誰か説明してくれませんかね……。
「コホン。とりあえずここではなんなので、中にどうぞ」
フィーネさんはそう言って俺たちを屋敷に入れてくれた。この光景も3か月ぶりだな。もっともその時はリゼルさんいなかったが……。
応接室にて俺とリゼルさんはフィーネさんと向かい合って座っている。俺は一応護衛と言う立場だからリゼルさんの後ろで立ち続けるつもりでいたが
「ユゼフさんも話の本題に入ってほしいから一緒に座ってください」
とリゼルさんに言われたので渋々座った。無論適度に距離を空けて。俺が友人の婚約者に手を出すわけないじゃないか。
で、この人たち何話すんだろうか。さっきの国債の話と関係あるのか?
フィーネさんは紙の束を机に広げ、何枚かを俺らに見せるように置いた。内容は……今回の戦争について、だろうか。
「……ではまず、大尉とリゼル様、両方にお伝えします。我が帝国外務省が独自に入手した情報によれば、4月1日、シレジア王国軍はザレシエ平原において東大陸帝国軍と会敵した模様です」
……早いな。なんで俺より先にフィーネさんが知って……あぁ、いや違うか。当たり前か。俺らの場合、情報は一度王都を経由するわけだから、その分時間がかかるのか。ザレシエから直接エスターブルクの帝国外務省に来る方が早いのはむしろ当然の事だ。
「……それで、結果は?」
リゼルさんはせかすように、フィーネさんに問いかける。俺も気になってつい前のめりになってしまう。
「シレジア王国軍の圧勝です。帝国軍は将兵10万人弱を失い、さらには帝国軍元帥ロコソフスキ伯爵は戦死した模様です。王国軍の損害は1万に満たない、とのこと」
「……おぉ」
つい感嘆の声が出てしまった。勝つとは思ってたけど、まさか圧勝とは思わなかった……。圧勝だと言うなら、サラとかも無事だろう。本当によかった。
「なるほど。どうやら投資した甲斐がありますね」
リゼルさんも満足そうな表情をする。俺との取引の話をしているのだろう。
「それで、公式発表はいつになりますか?」
公式発表? つまりオストマルク政府がこの戦闘の結果を内外に発表する日程が気になるってことか? なんで?
「この情報はまだ第1報で、子細な情報が入るのは恐らく2日後です。公式発表はその時になるでしょう」
「なるほど。軍務省が先走る、と言う可能性は?」
「祖父、いえクーデンホーフ侯爵閣下が圧力をかけているので大丈夫だと思われます。ですが、動くなら早めの方が良いでしょう」
あの、何の話してるの?
俺が頭の上に疑問符を並べていたためか、フィーネさんはやっと「こいつ何も知らないんだな」って気づいてくれた。あいにーどいんてりじぇんす! なお文法があってるかは不明。
「リゼルさん、彼に事の次第を話しても?」
「あぁ、すっかり忘れていました。すみませんお願いします」
どうやら商談に夢中になって俺の事は忘れられていたようだ。ひどい。
「……今回、私がリゼル様を呼び出した理由は1つ。国債の話です」
「国債?」
ここで繋がるのか。さっきの話に。
「シレジア国債は暴落を続けています。市場の反応はだいたいが『シレジアは大敗して東大陸帝国に領土を割譲させられるだろう』と言うことです。ここまでは大丈夫ですね?」
「えぇ。それは新聞には書いてありましたが……」
「そして私たちオストマルク外務省、シレジア外交官、そしてグリルパルツァー商会は秘密裏に結託し、東大陸帝国軍の情報を収集しました。おかげで、ザレシエにおいて王国軍大勝利となったわけです」
「そう、ですね」
だんだんきな臭い話になってきたぞ……?
「現在オストマルク国内で伝わっている情報は『ヤロスワフ方面、王国軍苦戦』のみと言って良いでしょう。それがシレジア国債暴落の要因のひとつなのですが、さてここで『王国軍大勝利、状況好転』の情報が入るとどうなると思いますか?」
「……買い戻しの気運が高まりますね。まだ何とも言えない状況が続きますが」
「お察しの通りです。王国軍の勝利によって国債市場はひとまず落ち着き、価格も上昇に転じるでしょう」
「つまり、先ほどから話していたのは……」
「グリルパルツァー商会がシレジア国債を最安値で大量に買う時機の話し合い、ですよ」
ダイナミックなインサイダー取引だなおい! 正気か!
「ついでに言えば、東大陸帝国の国債が最大限高くなったところで売る準備も始めていますよ」
なにそれも怖い。
「バレたらまずいんじゃ……」
「まずいですよ。だからこそこうやって秘密裏に会っているんじゃないですか」
フィーネさんはしれっと言い放った。その理屈が正しいのか間違っているのか分からない。一方の当事者であるリゼルさんは可笑しそうに笑いを堪えている。
……うん、なんていうか、うん。
社会って難しいね……。




