ザレシエ会戦 ‐各個撃破-
王国軍近衛師団と共に帝国軍左翼に躍り出た残りの近衛兵を率いるのは、伯爵家の当主にして王国軍中将のデヴィッド・サピアである。サピアは帝国軍左翼部隊を第3騎兵連隊に任せ、自らは敵の前衛3個師団の退路を遮断すべく部隊を動かした。
王国軍司令部は、この機に一気に帝国軍前衛を壊滅させようと動き出した。司令部直属の師団を可能な限り王国軍前衛部隊の増援として派遣し、シュミット師団を増強させた。
増援を得たシュミットは守勢から一転攻勢に出て、サピア率いる近衛師団及び帝国軍左翼部隊を突破した近衛師団第3騎兵連隊と共同で帝国軍前衛に襲い掛かった。
帝国軍前衛3個師団を率いるジョレス・アーヴェン中将は、この時にやっと周囲の状況を正確に把握した。既に自身の師団は半包囲の下にあり、左翼のサディリン師団は崩壊し、そして後方は遮断されつつある。右翼も敵の攻撃を受けてジリ貧になり、このままでは多数の敵に完全に包囲される危険があると。帝国軍が企図した包囲戦を、王国軍に実行されたのだと。
アーヴェン中将はすぐさま部下に命令し本営との連絡を図った。信号弾を上空に打ち上げ、増援を要請する。退くにしても進むにしても、多くの部隊が必要なのは目に見えていた。
アーヴェン中将が信号弾を上げるまでもなく、総司令官ロコソフスキ元帥は増援を送る事を画策していたようである。増援を送らなければ、前衛及び右翼が壊滅するのは目に見えている。だが彼はこの期に及んで決断し損ねた。
無論理由はある。
それは、叛乱軍がさらなる伏兵を配置しているのではないかという不安からであった。
叛乱軍は、帝国軍の前衛を自らが有利となる地点まで誘い込み、そして一気に包囲撃滅を図った。それは今の所完成しつつあり、この包囲を解かなければならないのはわかる。だが、こちらが本営、もしくは後衛の師団を投入し前衛の救出をし出した途端、叛乱軍はさらなる伏兵を左右両翼から繰り出すのではないか。そうなればその救出部隊も包囲下に置かれ全滅するのは確実だ。
それに、帝国軍前衛の後方を遮断しアーヴェン隊の後方を攻撃しようとしている叛乱軍右翼増援部隊の動きが奇妙だった。帝国軍の本営、つまりロコソフスキに対し完全に背を向けアーヴェン隊の攻撃に集中しているようにも見える。これは、後ろを気にしていないことの証左ではないのか? 帝国軍が増援を繰り出した途端、左右両翼から伏兵が襲い掛かってくる手筈になっているからアーヴェン隊の攻撃に集中できているのではないか?
今から偵察部隊を派遣し、伏兵の存在を確かめるという手段がないわけではない。だが今更それをしたところで時間の無駄だろう。偵察を行っている間に叛乱軍は前衛を完全に戦闘不能に陥らせることが可能なのだから。
ロコソフスキは考え、悩みぬき、そして決断した。それは、やや中途半端な判断だったかもしれない。
「後衛の師団に連絡。本営の守備に当たらせよ、と」
その命令を聞いた総参謀長ワレリー・ポポフ上級大将は、自らの耳を疑った。ロコソフスキ元帥が、前衛を見捨てようとしているのではないか、と。
「しかし、それでは前衛が……」
「……いや、叛乱軍の動きが不自然だ。おそらく左右両翼に新たな伏兵がいるのだろう。即応できるよう、後衛を本営と前衛の中間地点に配置し、敵の伏兵と左翼増援隊の動きを牽制する。偵察隊も派遣し、伏兵の配置状況を知らせよ」
それが、ロコソフスキの決断だった。
だが、ザレシエ平原に集まった王国軍は8個師団、つまり現時点で帝国軍前衛を攻撃している部隊しかこの戦場にはいなかった。
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それは遡る事2ヶ月半前の1月15日。高等参事官エミリア・シレジア少佐は王国総合作戦本部長モリス・ルービンシュタイン元帥と会見し、彼女自身が立案した迎撃作戦案を彼に見せた。
エミリアの作戦の初期案はこうである。
東大陸帝国軍の動員予想数は40から50個師団。占領速度を上げるため、また皇帝派貴族に明け渡す土地を早めに用意するため、帝国軍は3から5に師団を分割し、それぞれが自身の功績のために進撃を開始するだろう。
シレジア王国軍は予備役動員を布告し、できるだけ兵を集める。恐らく3月までには20個師団を用意できるだろう。それを帝国軍の進撃部隊に合わせて分割し各地の防衛に専念する。
分割される各軍団の師団数は以下の通り。
北東防衛軍団:1個師団。
中北防衛軍団:2個師団。
南東防衛軍団:2個師団。
そして帝国軍迎撃部隊として、15個師団の機動軍団を編制する。
手始めに中南方面及びその周辺に展開した帝国軍、予想10個師団を討つ。その後15個師団を一塊として運用して各防衛線の救出をし、そして各防衛軍団の師団を吸収しながら残敵を掃討する。
かつてユゼフ・ワレサが居残り授業で教えた「第2次黒板会戦」を、規模を大きくして再現しようと言うのだ。
この作戦案を見せられたルービンシュタインは感嘆とした。
「戦力集中の原則」という点から見れば、この作戦の意図するところは明白だ。10個師団を15個師団で叩けばまず負けない。そしてその15個師団を動かしたまま敵をシレジアから追い出す。そしてその軍団の行軍経路や、日程、必要な人員、将官、補給物資その他が緻密に記載されている。
ルービンシュタインはエミリアを、単なる調子に乗った王女としか見ていなかったが、この緻密な作戦計画にただ感嘆とし、エミリアの評価を変えざるを得なかった。
それ故に、ルービンシュタインはこの提案を真っ向から却下した。
「理由をお聞きしてもよろしいですか、本部長閣下」
エミリアは、若干不満そうに質問をする。三日三晩考え抜き、資料を集め、そしてマヤの助言を入れて作ったこの作戦案を即刻拒否された。不満が出るのはある意味当然である。
だがルービンシュタインはその事情を鑑みたとしても、却下せざるを得ない。
「この作戦案にはいくつか問題がある」
「なんでしょうか」
「まず1つ目、15個師団をひとつの戦場に集め、そしてそれを合理的に動かすことが可能な指揮官がシレジアにはいないことだ」
シレジア王国軍の平時戦力は15個師団。大国ならまだしも、シレジアのような軍事小国でそれだけの軍団を運用できる人間がいないのは当たり前の話である。
「2つ目は、そもそも15個師団を集めれば脱走や疫病などの諸問題が湧き上がる事疑いようがない」
人は、集まれば集まるほど多くの問題を起こす。代表的なのは「みんなで悪いことをすれば成功率は上がるししかも罪悪感が薄れる」という問題だ。
軍隊から脱走しようとする人間は今も昔も一定数いる。それが戦争となれば尚更で、この兵の脱走問題は軍隊という組織にあっては死活問題だった。15個師団も集まれば、1個大隊単位で兵が逃げ出す可能性がある。
疫病の問題も厄介だ。15個師団もいれば衛生上の問題が出てくるのは必至であり、それを防ぐための対策が必要不可欠となる。
「3つ目は、他の防衛線の戦力があまりにも僅少であることだ。予想10個師団に、1~2個師団で対応しろと言うのは非現実的だ」
攻撃三倍の法則が正しいとするのならば、敵10個師団に対応するためには4個師団、最低でも3個師団が必要と言うことになる。それなのに、1~2個師団で防衛しろと命令するのは余りにも酷な話だった。
「……他にもないわけではないが、これが主な理由だ」
「……」
エミリアは表情には出さなかったが、内心はとても残念に思っていた。だが「お前が気に食わないから却下」と言われるよりはマシ、それに軍人として扱われ、軍事学的観点から否定されたことは、むしろ彼女にとっては良い事だったかもしれない。
ルービンシュタインは、黙るエミリアを見て「ちょっと言い過ぎたかも」と思い始め、彼なりに擁護に入った。
「だが、各個撃破という方針自体は正しいと思われる。ここからさらに良い作戦案に昇華させたいものだ」
「……ありがとうございます」
エミリアは感謝の意を述べたが、頭の中ではルービンシュタインの言う「さらに良い作戦案」でいっぱいだった。各個撃破は正しいと本部長は言った。それは戦略的な観点だけではなく、戦術的な観点でもそうだろう。
エミリアはしばし考え込んだ後、ルービンシュタインの度肝を抜く事を言い放った。
「では本部長閣下の助言を聞き入れた、作戦の第2案を述べさせて貰ってもよろしいでしょうか?」
彼女が語り出した第2案は、各防衛線の師団数を増やし一塊にして機動運用する本隊を8個師団まで減らしたものである。そしてその8個師団で、予想10個師団の帝国軍を討つ。そのために戦場においても各個撃破を行うという作戦案だった。
この第2案は本部長のさらなる助言によって修正され、第3案となった。
そしてその第3案が正式な迎撃作戦案として採択されたのが、2月20日の事である。




