ザレシエ会戦 ‐伏撃‐
「派手にやっているわね」
王国軍と帝国軍が激突している地点の南、つまり帝国軍から見て左にある丘に、近衛師団第3騎兵連隊に所属しているサラ・マリノフスカがいる。彼女は丘上に立ち、遠くで行われている会戦の戦況を静かに観察していた。
「隊長、前に出過ぎです。敵の斥候に見つかる可能性がありますからせめて伏せてください」
「……わかってるわよ」
彼女が指揮する小隊の若手の隊員にそう諭されたサラは、渋々体を伏せて草葉の陰に隠れる。
だが先ほどから帝国軍の斥候や歩哨と言った者の姿は見えない。偵察の網が雑なのかシレジアを舐めきっているのか戦力を集中させようとしているのかは定かではないが、この状況下ではありがたい話である。
だが一応、彼女は音量を絞って部下に問いかける。
「コヴァナントカ曹長、馬は暴れてないでしょうね?」
コヴァナントカと呼ばれた彼の本名はルネ・コヴァルスキ。彼は士官学校出身ではないものの、第15小隊の中ではサラに次ぐ有能な人物で、馬の扱いもうまい
「安心してください。馬も隊員も、マリノフスカ隊長に躾けられたおかげで大人しくしていますよ。あとナントカって言うくらいだったらもうコヴァだけで良いです」
「当然よ。なんのためにあんた達に鞭打ったと思ってるのよ」
彼女が言う「鞭打つ」は比喩ではない。貴族が趣味の乗馬、あるいは女性使用人の虐待時に使用する鞭を彼女は特訓時に使用していたのだ。無論、矢鱈と部下に物理的に教鞭を執ることはなかったが、一部の奇特な性癖を持つ部下以外は彼女の鞭を恐れて特訓に励んだ。
その甲斐があったかどうかは知らないが、彼女が率いる騎兵小隊はだいぶ練度が上がったようである。
部下はつい数週間前までその鞭に打たれていたことを思い出すと、身を震えさせずにはいられなかった。そしてここで失敗すればまたあの悲劇が待っているんじゃないかと考えると、勤労意欲は嫌でも上がると言うものである。
「そ、それで、戦況はどうですか?」
「……4個師団で10個師団を正面から相手したらああなるとは思うわよ」
「それじゃあ……」
「まぁ、これも作戦の内よ」
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帝国軍左翼1個師団を率いるのは、先のラスキノ戦争で醜態を晒したユーリ・サディリン少将である。彼は伯爵家の子息であることを考慮され、失敗の程度から言えば軽めの罰を受けた。それでもその処罰は彼の伯爵子息、そして軍人としての矜持を大きく損なわせること疑いようはなかった。
「敵の右翼を一気に殲滅して右に回頭、敵前衛の側背を討つ!」
サディリンはその汚名返上に死力を尽くした。彼が率いる左翼部隊は突進を続け、王国軍右翼部隊を壊滅させようと爆走したのである。彼は出世欲の赴くまま攻撃と前進を命じたが、配下の兵達の動きは消極的だった。と言うより、消極的にならざるを得なかった。サディリンから発せられる命令に対して、部下たちはほとんど例外なくウンザリしていた。上司が目先の武勲に釣られて前進と攻撃命令を繰り返したため兵たちは疲労の極致にあった。一部の部隊では陣形も連携も取る余裕がなくなり、行軍するのがやっと、という状態にまで陥っていた。
そしてそれを見逃すほど、王国軍右翼部隊の指揮官は盲目ではない。
王国軍右翼部隊は信号弾として1発の火球と3発の水球を打ち上げた。火球1発は司令部に宛てた事を意味し、3発の水球は作戦の実行を具申するという意味だった。
その信号を、司令部からハッキリ見たエミリアは他の幕僚には目もくれず叫んだ。
「閣下!」
王国軍総司令官キシール元帥はその叫びに強く頷いた。エミリアは多くは語らなかったが、何を言わずともキシールにはわかっていた。
彼は大きく手を上げると、掌をシレジアの空に向けた。そして彼は短い詠唱の後、彼自身の手によって中級魔術「火砲弾」を撃ち上げる。高速で、そして眩いほどに輝くその火の塊は、このザレシエ平原にいる全ての王国軍将兵の網膜に焼き付いたことだろう。
その10秒後、王国軍及び帝国軍前衛部隊が戦っている地点の両翼から土煙が立った。
午前11時10分、帝国軍ロコソフスキ軍団の本営は帝国軍両翼部隊のさらに外側から土煙が上がっていることを確認した。
「閣下、大変です! 両翼より新たな敵です!」
「何だと!? 数は!?」
「推定2個師団、左右両翼合わせて4個師団と思われます!」
「バカな……そんな非常識なことがあるか! 叛乱軍の平時戦力は15個師団なのだぞ!? その半分以上がここに集結していると言うのか!?」
ロコソフスキは狼狽した。自身が予測した倍以上の戦力がこの平原に集結していたと知った彼は、まずその事実を否定する思考をした。「そんなことはありえない。敵の偽装工作ではないのか」と。
だが現実という生き物は、狼狽する帝国軍に対し容赦なく真実を伝え続ける。敵の新手は合計4個師団で、そして功を焦って突出した帝国軍の前衛及び両翼、計5個師団が包囲されつつあると言うことを。
帝国軍左側面に現れたのは王国軍2個師団。
その中で、サディリン少将を指揮する部隊を側背より攻撃せんと突撃するのは今や王国軍でも指折りの精鋭部隊となった近衛師団第3騎兵連隊である。その中でもサラ・マリノフスカ大尉が率いる第15小隊の覇気は燦然として輝くものだったという。
「全騎突撃! 友軍右翼と連携して敵左翼を撃滅するわよ!」
彼女は連隊長であるドレシェル大佐の声を掻き消してまで部下にそう命じる。もっともドレシェルの指示も似たようなものだったので問題にはならないが。
第3騎兵連隊はほとんど全員が抜剣している。一部の者は弓を構えて、既に敵に対して嫌がらせの遠距離攻撃をしており、また一部の者はシレジアの旗を装着した槍を天高く構えて突撃している。連隊は綺麗な横隊を組み、整然と、そして猛然と敵部隊の左側面に襲い掛かった。その騎兵隊は、上空から見れば海岸に断続的に押し寄せる大波のように見えたことだろう。
「コヴァ! あんたちゃんとついてきてるでしょうね!?」
「勿論ですよ隊長ォ!」
サラとコヴァルスキは脳内を駆け巡るアドレナリンを声に変換しながら馬の腹を蹴る。第15小隊は波の最前列を疾走しており、帝国軍左翼部隊が狼狽している様をありありと見ていた。
その帝国軍左翼部隊を指揮するサディリン少将は混乱の極みにあった。今まで「自分が戦局を有利に運んでいる」と信じ、ただひたすらに前進していた最中に突然側面を騎兵隊に襲われたのだから。
「クソッ! 前進止め! 左に回頭して敵騎兵を迎撃せよ!」
彼はそう言うと、槍兵隊を左に展開し槍の壁でもって猛撃してくる騎兵を追い払おうとした。だがその命令は実行に移される前に、王国軍右翼部隊の攻勢によって阻まれた。回頭することを封じられたサディリンは、王国軍近衛師団第3騎兵連隊の騎兵突撃を甘んじて受け入れるしか道は残されていなかった。
「退くな! 逃げることは許さん! 最後の一兵まで、帝国軍として戦え!」
サディリンはそう部下に命令したが、最早それを聞く者はいなかった。帝国軍左翼部隊は態勢を整える前に王国軍騎兵隊に突入され混乱状態となる。
ユーリ・サディリン少将は1人で果敢に王国軍相手に奮戦するものの、王国軍が放った1本の矢によって首を射抜かれ、何を思うことなく絶命した。
指揮官を失い、さらには騎兵の突入を許した帝国軍左翼は陣形も何もなく散り散りとなり、そして王国軍の容赦ない残敵掃討によって9割の損害を出して壊滅した。
第3騎兵連隊と王国軍右翼部隊は、帝国軍左翼部隊を倒した勢いを保ったまま、突出した帝国軍前衛3個師団の左側面を討つべく突進した。




