回想
簡単な図説つきです
それは、大陸暦632年5月28日のことでした。
私はその時はまだ11歳で、士官学校の1年生。本当の身分を隠し、エミリア・ヴィストゥラと名乗りながら士官学校生活を営んでいました。
そして私の所属する学級の何人かは毎日のように自主的に居残り授業をして自らの能力を高めていました。私もそれに参加し、皆と共に研鑽に励みました。マヤから剣術を、サラさんから馬術・弓術を、ラデックさんから算術を、そしてユゼフさんから戦術・戦略を学び、そして私は魔術を皆さんに教える日々を送っていました。
そしてこの日の放課後は、ユゼフさんの戦術・戦略の授業でした。彼が戦術と言うものを語るときは目が少し輝いてます。ただ長く喋りたい、って思いが強いせいか些か説明の仕方が下手なのが玉に瑕です。
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「時代がどんなに移り変わろうと、魔術や技術がどう進化しようと、戦争の必勝法ってのは変わらないんだ」
彼はそう切り出し、授業を始めます。
「必勝法なんてものがあるのかい?」
マヤから当然のように質問。必勝法なんてものがあるのなら、誰もがそれを実行するはずです。みんながみんな同じ方法を使ってしまえば意味はないでしょうに。
「ありますよ、ヴァルタさん」
「それは一体なんだい?」
「簡単なことですよ。『敵より多くの兵を集める』ということ。ただそれだけです」
「はぁ……」
マヤは少し拍子抜けな表情をしています。どんな壮大な戦術理論が飛び出してくるのか期待していたのに、結局はただの単純な足し算・引き算だったのですから。
この回答に他の受講者、特にサラさんはあからさまに不満顔を見せています
「……なんかつまんないわねそれ」
「戦争が面白いと感じたら、それはそれでダメだよ」
ワレサさんはそう言いましたが、サラさんの言う通りこれではつまらないのも確かです。
「つまりあれか? 戦争に備えて多数の兵と武器を集めて、それを養える国が勝つ! ってことか?」
「そういうことだね。大国がなぜ強いのかと言われる所以は、ラデックの言う通りたくさんの兵を養えるからさ」
「なんだかなぁ……」
「まぁみんなの不満も分かるよ。数だけ集めて敵にぶつける、ってだけじゃ芸がない」
ワレサさんは困ったかのように頭を掻きます。理屈は分かるのですが、彼自身不満も多いってことなのでしょう。
でもここで止まってしまっては、居残りをする意味はありません。この居残り授業は受動的ではなく、こちらから積極的に意見を言って研鑽を積むのが目的です。
私は右手を静かに上げ、ワレサさんに意見、いや質問をぶつけます。
「ワレサさん。質問よろしいですか?」
「どうぞ、エミリア様」
「ありがとうございます。ワレサさんの言っていることはわかりますが、本当に数の差が戦力の差なのですか? 戦史と言うものには、少数の兵によって多数の兵を打ち破った例が多くありますが」
私がそう言うと、ワレサさんは「その質問を待っていた!」と言わんばかりの目をした。
「エミリア様の仰る通りです。戦史には、1万の兵で2万の兵を追い払った戦いと言うものがあります」
「では、数の差は戦力の決定的な差ではないということですか?」
「いいえ。数の差は決定的な戦力の差です。それは原則にして真理です。たとえ一騎当千の英雄なる者がいたとしても、1人では1千人の兵を倒すのが限界。1千人と1人をけしかければ一騎当千の英雄は倒れるでしょう。ましてやよく訓練された兵でも一騎当三が限界なのです」
「……納得いきませんね」
本当に。これでは軍事小国たるシレジア王国は滅亡してしまうではないか。その時思ったことは、ただそれだけでした。
「ですが先ほど言ったように、寡兵で以って大敵を追い払った例はいくらでもあります。今日はその術を教えましょう」
「お願いします」
ワレサさんは一度咳払いをすると、黒板に何やら図を描き始めました。左側に「凸」が2つ、右側には3つ、それが相対しています。左側に2個師団、右手に3個師団が存在する戦場という想定でしょうか。
「この黒板会戦に参加した兵力は西軍2個師団、東軍3個師団。ここは平原地帯で遮るものは何もない。両軍の魔術技量や兵の練度、各師団長の能力は同じだとして……じゃあサラ、この場合どっちが有利だい?」
「左が私たちの軍勢だったら左の勝ちね」
サラさんのこの発言は、自らの能力に自信を持っていると言うより、仲間の能力を信頼していると言った感じです。
「いや、残念ながら俺らはまだ士官候補生だからこの黒板会戦には参加していないかな」
「じゃ、右が有利ね。さっきのユゼフの話を聞く限り」
サラさんはあっさりと前言を翻します。
「うん。正解。右、もとい東軍は何も考えずただ前進すれば左軍を圧殺できる。東軍1人が西軍1人と心中するような戦術を取ったとしても、東軍は1個師団残る。じゃあ次」
ワレサさんは黒板消しで以って、東軍を一撃で粉砕します。哀れにも人っ子一人残っていませんでした。
そしてまた新しく師団を召喚させます。今度もまた3個師団、しかしさっきのとは違い上下に……いえ、戦場に上下はありませんから、この場合は南北に離れて布陣しているということでしょう。上から順に1、2、3と番号がふられています。
「さて今回の第2次黒板会戦の場合、東軍は戦略的な理由でやむを得ず3個師団を3つに分け、3方向から進撃してくる。西軍はこれを迎撃しようと2個師団を派遣した。条件は、配置以外は同じ。じゃあ……ヴァルタさん。この場合、どっちが勝ちます?」
「えっ……数だけの勝負なら東軍だが……。でもそれが答えなら、わざわざ書き直したりしないよな? 西軍が勝つ要素があるってことだろ?」
「ま、確かにそうですね。ヴァルタさんの言う通り、西軍もある意味では有利です」
「どういうことだ?」
「西軍が数の上で有利に立っているからです」
マヤは首を傾げました。と言うより、教室中にいる皆が首を傾げています。私も意味が分かりません。
「あー……ユゼフ。もうちょっとわかりやすく」
「まぁ待てラデック。順番に説明するから」
ワレサさんは黒板にまた何かを書き込みます。西軍の正面から伸びるように矢印が、これは部隊の行動線でしょうか? つまり西軍が前進して、真ん中の東軍第2師団に突撃しているということですか。
「さて、今度は視野を狭めてみましょう。マヤさん、この西軍と東軍第2師団。勝つのはどっちですか?」
「西軍だ。数が倍も違う」
「正解です。西軍は全体の兵力では2対3で負けています。しかしこの真ん中の戦い、ただこの一点のみに限れば、一転して数の有利は西軍に傾きます。2対1、何もない平原での決戦であればまず負けません」
「なるほど……」
皆が納得したかのように頷きます。これなら、殆ど完全勝利に近い形で東軍1個師団を撃滅できるでしょう。
「そして残った東軍2個師団も上下に分かれているから、真ん中倒したら①か③のどっちかを叩けばいいってこと?」
「サラさん正解」
「殴られたいの?」
「ごめんなさい」
2個師団で東軍中央の1個師団を討ち、その後南北好きな方の敵1個師団を2個師団で討つ。そして最後に残った方を討つ。ということになりますね。これなら全体の数で負けていても西軍が勝てます。
「局地的な数の有利を作り出して敵を各個撃破する。昔の偉い人は言いました。『我が全力で以って敵の分力を叩く』とね」
「誰がそんなこと言ったんだ?」
「……あー、ソンシ?」
「変わった名前だな……」
私も寡聞にして聞いたこともないですが、理屈は通っています。でも疑問はいくつか残ります。
「ワレサさん。よろしいですか?」
「なんでしょうか、エミリア様」
「もし西軍が中央を全力で叩いたことを東軍が知ったら、東軍は南北に分かれている師団を集結させればいのでは?」
「鋭いですね。でも、どうやって集合させますか?」
「えっ?」
「どこそこの地点に集合する、というのは信号弾だけじゃ伝えきれません。伝令の馬を出すしかありませんが、中央が突破されているため容易ではないでしょう。伝令の馬でやり取りするのは時間もかかるし効率が悪い。そんなやり取りをしてる間に、西軍は南北どちらかに転進して各個撃破する、という事態に陥るかもしれませんね」
「そう、ですね」
ワレサさんに戦術で勝てる、と思って言ってみましたが。どうやらダメみたいです。
「いや、でも悪くない案ですよ。もし東軍の第1、第3師団の指揮官が優秀であれば、一度部隊を集結させるでしょう。そうすれば東軍は2個師団です。そして西軍は東軍第2師団と交戦した影響で数も減り、将兵の体力も減っているはず。その場合同じ2個師団でも、東軍有利に事態を運ぶことが可能でしょう」
「なるほど……。そうすれば、全体兵力で有利という差を東軍は生かせますね」
「そういうことです」
難しいものです。戦術というのは。
「エミリア様が先ほど言った少数の兵で多数の敵を打ち破った戦いというものの半分くらいは、この各個撃破によるものと言っていいでしょう」
「んじゃ、残りの半分は?」
「残りは地形とか奇襲とか、あとは指揮官の無能さとか」
「最後は救いようがないわね」
「まったくもってそうだね。でも、そんな無能の下で戦う羽目になる兵にとってはもっと惨い話だよ。そうならないために、今頑張って勉強してるわけだけどさ」
そう言うとユゼフさんは、第2次黒板会戦を強引に終了させ、実際に大陸で起きた各個撃破の戦例を紹介に入りました。
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「……殿下。エミリア殿下」
「……ん、あぁ……。マヤ……」
「お疲れですか?」
「あぁ、私寝てしまったのですか……」
私は気づけば、シレジア迎撃軍司令部に設置された私の執務机で眠っていたようです。
「ここ最近、働きすぎですよ。開戦まで間もないのですから、ゆっくり休んでください。後は私に任せてください」
「いえ、そんなことは……」
そんなことはない。まだ行ける。そう言おうとしたが、まだ眠気が残っていた。手足も、思うように動かない。疲労している証拠だ。
「マヤは大丈夫なのですか?」
「えぇ。エミリア殿下と違って、鍛えていますので」
「まるで私がもやしみたいじゃないですか。私だって……」
私だって、鍛えたはずだ。でもここ最近は高等参事官としての事務仕事が多くて、剣の稽古などしてなかった。
「すみません。お言葉に甘えて、休ませていただきます」
「えぇ。ごゆっくり」
私は執務室から出て、女性用兵舎に向かおうと戸を開ける。でもその前に、忘れる前にマヤに伝えないと。
「マヤ。この戦争に勝ったら久しぶりに剣の稽古をつけてくれますか?」
マヤは、少し意外そうな顔をした後、疲れを見せない元気な笑顔で返事をした。
「ビシバシと鍛えて差し上げますよ」
「ふふ。楽しみです」
私は満足の行く答えを聞くと、戸を閉めました。
大陸暦637年3月26日午後8時のことです。




