茶番
スターンバック准将に滅茶苦茶怒られた。
それもそのはず。情報収集と称してオストマルク帝国外務大臣と会って、さらには大臣に協力を要請してしまったのだ。本来ならば、ああいうのは大使の仕事なのに。しかも俺が会談の内容を喋るのを渋ったから、もう余計に大変なことに。反省してます。
まぁ今回のことについてはシレジアは一切損はしてない。借りを作ることにはなったけど。
1月22日。
今日も情報収集と称して外出……しようとしたが、首席補佐官のダムロッシュ少佐に呼び止められた。少佐は明らかに俺を疑ってる表情をしている。嫌だなぁ、俺はシレジアのために精力的に働いてるんだよ?だからその手を離して、美人ならともかく少佐に引き止められてもキュンと来ないんで。心臓が縮み上がる的な意味ではキュンと来るけどね。
「どこへ行くのだ?」
「……外に?」
我ながらこの答えはどうかと思う。
「そんなことは分かっている。具体的に何をするつもりなのかを聞いているのだ」
「あー、えー、そのー」
まさかバカ正直に「リンツ伯爵の娘と逢引しに行きます!」とは言えない。なんかこう、この情勢で違和感がない言い訳と言えば……。
「コホン。えー、在オストマルク帝国東大陸帝国大使館に探りを入れようかと思いまして」
「ほう? どのように?」
「まぁ、そんな大それたことをするわけではありませんよ。大使館の前に張り込んで、大使館に出入りする人を見張るだけです」
俺もここに来てからポンポン嘘が言えるようになってしまった。なんもかんも政治が悪い。
でもあながちまるっきり嘘、と言う訳でもない。大使館に出入りする人間を調べて他国の動向を調べるのはよくあることだ。たぶん。
「ふーん? では誰か随員を連れて行くと良いのではないかな大尉。一人だと大変だろう」
「いえ、大丈夫です。二人以上だと怪しまれる可能性があります。それに一人の方が怪しまれないように動いたり逃げたりするのは楽ですから」
「そういうものかね?」
「そういうもんですよ」
ま、どうせ何言ってもストーカーが湧いてくるんだろうけど。動きすぎたツケが……。
「……そうか。では祖国のために頑張ってくれたまえ」
「当然です」
この際東大陸帝国より味方の方が厄介だ。
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東大陸帝国にとってシレジアやオストマルクなんかは国ではなく辺境の反乱勢力でしかない。が、東大陸帝国第55代皇帝パーヴェルⅢ世の独立承認以降、とりあえず形式上は同格の国家として扱われるようになった。その時に、各国に正式に東大陸帝国大使館が置かれるようになったのだ。「正式に」と言ったのは、非公式の大使館のような在外公館がパーヴェルⅢ世以前に既にあった。その名は弁務官府。辺境領の監視・調査及び中央政府との折衝を行う弁務官が駐在する館だった。
今でも各国の独立承認を認めない東大陸帝国貴族は多い。そして弁務官になるのは多くの場合貴族だった。そのため、現在でも東大陸帝国は「大使館」という言葉を使わず「弁務官府」という言葉を使用し続けている。ついでに外務省もなく、代わりに国務省がある。
閑話休題。
東大陸帝国弁務官府、もとい大使館。名称はどっちでもいい。正式名称は弁務官府だけど中身は立派な大使館だし。外観もやはり立派なものだ。シレジア王国大使館が屋敷なら、東大陸帝国弁務官府は宮殿になる。大使館のデカさは国力に比例すると言うしな。
ちなみにストーカーと言う名の随員は2人から3人に増えた。増えたところで腕が上がったわけじゃない。むしろ増えたせいで余計目立つ。そろそろプロを雇った方が良いんじゃないですかね。
でも他人の目がある状況だとやりづらい。ダムロッシュ少佐にああ言った手前、ここでトンズラしてリンツ伯爵に会う訳にもいかないし。どうしたものかね。
とりあえず弁務官府の入り口付近にボケッと突っ立て見る。特に何もするわけでもなく空中に焦点を合わせて。……うん、かえって怪しさ満点だね。
で、そこで見慣れた人影が右方向からやってくるのが見えた。ふむ。接触してみるのも良いけど弁務官府と追跡者の目もあるし、ここは怪しまれないように振る舞うしかない。
彼女は恐らくこちらの存在に気付いてるはず、というかたぶん俺の居場所知ってて来たんだろうな。今日はエスターブルクによくいる中間層の家の娘と言った風貌だ。相変わらず細部に拘ってる。よし、じゃあ俺もそろそろ本気出すかな。
彼女が、俺から5歩くらいの距離に迫った時、俺は作戦行動に出た。
コホン。
「ヘイそこのお姉さん! 俺と一緒にお茶しない!?」
「……」
“養豚場の豚を見るような目をしている”というのはまさに今の彼女の状態である。いや、あの、ごめんなさい。でも俺はめげない。
「どう? そこの喫茶店で俺と将来について語り合わないかい!?」
手を交えて、俺は頭の悪そうなギャル男のように彼女にナンパをしかける。自分でやっといてなんだけど、死にたい。
「……」
なんか言え。恥ずかしいから。
と思ったのも束の間、彼女が一瞬小さく溜め息ついた後目を開き、そして上目遣いをしてきた。
「素敵です! 是非お供をさせてください!」
とても可愛らしく大声でしかもノリノリで返事をする彼女。ただし目は死んでいた。
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喫茶店「百合座」は、東大陸帝国弁務官府の近くにある。シロンスクにあった「黒猫の手」と違い昔ながらの喫茶店という雰囲気で、客の年齢層も高めだった。
「で、さっきのはなんなんですか?」
「他にいい手が思いつかなかったもんで」
俺が恥を忍んでナンパしたのは、フィーネ・フォン・リンツという貴族の娘である。思えば伯爵令嬢にナンパって超失礼だよな……と今更後悔。なお、彼女は今なお俺にゴミを見るような目をしている。
「あなたはもう少し賢いと思ったんですが」
「ご期待に添えず申し訳ないですがね、案外私は頭が悪いもので」
「まぁ、過ぎてしまったことをとやかく言っても仕方ありません。今日は貴方の奢りということで」
「アッハイ」
やっぱりフィーネさんはお怒りのようです。
「まぁ私たちは手紙で愛の告白をし合った仲ですから、ね?」
「……あ、店員さん。この店で一番高い物を出してくれますか?」
「ごめんなさい調子に乗りました許してください」
エスターブルクの物価は高いのに、給料はシレジアの物価基準で払われるもんだから相対的に薄給なのだ。こんなことで無駄な浪費はしたくない。それにあの外務大臣閣下をお祖父ちゃんと呼ぶのは、俺は嫌だ。
しかし俺の必死の謝罪と祈り虚しく、なんだか割と豪華な焼き菓子が運ばれてきた。解せぬ。
「冗談はさておき、弁務官府の前で何をしていたのですか?」
冗談だと言うならフィーネさんが口にしてる物、俺にも食べさせてくれませんかね。他人が食べている者は美味しそうに見える効果も相まって物凄く食べたい。
「……そんな物をねだる子供みたいな顔をしないでください。ハッキリ言って気持ち悪いです」
「すみません……」
気持ち悪いって言われた……。でも、なんだろうこの気持ち。嫌じゃない。
「はい」
「はい?」
フィーネさんはなぜかフォークを俺の目の前に突き出した。フォークの先端には、哀れにも焼き菓子と永遠の別れをしたイチゴの刺殺体があった。
「はやくしてください。腕が疲れます」
「え、あの、なんですこれ」
俺が状況を確認してる間にも、そのイチゴから血が滴り落ちている。
「私達は華の都で出会った若い男女。であればこのようなことをするのが普通です。追跡者の目を騙すためにご協力願います」
つまり頭の悪そうなカップルみたいに、いわゆる「あーん」をしろ! と彼女は言ってるのだ。うわぁ……。
でも仕方ない。自分が蒔いた種だ、自分が収穫しないと畑が荒れる。
「……じゃあ、すんません。いただきます」
そうは言ったところですぐに実行できるほど俺は勇者じゃない。口を開けるのに10秒くらいかかり、さらに顔を前進させるのに10秒かかった。
いつまでも食わない俺にフィーネさんは業を煮やしたのか、フォークを口に突っ込んできた。というかイチゴが喉の奥に当たって一瞬吐き気を催してしまった。イチゴ特有の酸味でなんとか吐き気を打ち消すことに成功するが、危うく美少女の前でゲロ吐くところだった。
「お味はいかがでしたか?」
「恋の味がします」
それと若干胃液の味もする。
「それは結構」
彼女は「あーん」や俺の冗談に対して特に何も感想を言わずに焼き菓子を食べることを続行した。件のフォークをそのまま使ってるけど、この世界では間接キスとか気にしないのかね。それともフィーネさんが特殊なのか。うん、後者だな。
「で、話を戻しますが、何をしていたのですか?」
「何もしてませんよ。何をしようかと悩んでいた時に貴女が来たんです」
ダムロッシュ少佐に対する適当な言い訳だ、なんてのは余りにも情けない事なので言えない。
「弁務官府に出入りする人間を見張るつもりだったのなら、それは無駄な努力でしたよ」
「え、そうなんですか?」
「えぇ。弁務官府は調査局の人間が随時見張ってますし、それに何か特別なことがあったら貴方に伝える気がありました」
マジですか。
もうリンツ伯爵には頭上がらないな。もう破産しそうなほど貸し作っちゃってるし。
「でもなんでそんなに協力してくれるんですか?」
「それが国益に繋がるからです。貸し借りの心配はしなくてもいいですよ」
「フィーネさんが気にしなくても、私は気になるんですよ」
将来、シレジアで石油とか石炭の鉱山が見つかったらリンツ伯爵家の資本で開発させるとかしないとダメかしら。いつになるか知らんしそもそも鉱山があるかわからんけどさ。
「ついでにもう一つ質問があるんですが、なんで私の居場所が分かったんですか?」
「簡単なことです。あなたは年が明けた頃から精力的に動いています。外務大臣にも会ったシレジアの外交官が一人で帝都をほっつき歩いている。とすれば見張りの一人や二人をつけるのは当然のことです」
「じゃあ、今も……」
「えぇ。貴方の目ならどれが私が用意した追跡者かわかるかもしれませんね」
どこにいる? 俺は俺の追跡者に不審に思われないように目線だけを動かしてみた。が見つからない。視界外にいるのかな……。って、あれ? そう言えば俺の追跡者の姿が見えないな。どこに行ったんだ? 急に追跡者としての能力に目覚めたのか?
「あぁそうそう。言い忘れていましたが、貴方を執拗に追いかけていた不審な三人組は貴方に会う前に治安当局に連絡しておきましたよ。外交特権を使って逃亡した可能性が高いですが、もうこの場にはいません」
なにそれ怖い。調査局怖い。
「……じゃあそれだと、さっきの茶番はいったいなんだったんですか?」
追跡者がいないんだったらあのバカップル演技不要だったと思うんだけど。
「…………」
なんか言え。




