宰相として
宰相府応接室に通されたエミリア王女を待っていたのは、5年ぶりに会う叔父の姿だった。
前に見た時より、だいぶ老けて見えた。精悍な顔であることには変わりないが、年齢相応の皺が増えたことが何よりも目を引いた。
「……掛けたまえ」
カロル大公はエミリア王女にそう促した。
着席するエミリア王女の動きはぎこちなく、目の焦点も定まっていなかった。脚も震え、掌には汗が溜まっていた。彼女がこれほどまでに緊張しているのは、もしかしたらこれが初めてであるかもしれない。
「……」
「……」
エミリアがソファに座り、従卒から紅茶を出されても、双方は沈黙を保ち続けた。彼女らは身ひとつ動かさず、用意された紅茶の湯気だけがただ虚しく室内を漂っている。
「……士官学校は、どうだった」
沈黙に耐え切れなくなったのか、大公はそう切り出した。なんともない、親戚同士の会話としては真っ当な話題であるはずだが、彼女らの置かれた立場においては違う意味を持つ。
エミリア王女もそう思い、ありきたりな、曖昧な返事をする。
「……大変でした。すごく」
「……そうか」
大公は王女の短い返事を聞くと、深く追及せずにさらに短く返した。
両者の間に、また長い沈黙の時が流れる。そして今度は王女が沈黙に耐え切れず、言葉を放った。
「叔父様は、どうでしたか?」
「……まぁまぁ、だ」
結局二人はまた黙ってしまう。この後、似たような事を3、4回繰り返し、時計は無為に時を刻む。
30分程経った頃だろうか、心を決めたエミリア王女がようやく本題に入ることができた。
「……今日は叔父様に、いえ、宰相閣下にお願いしたいことがあって来ました」
「……ほう」
カロル大公、いやカロル宰相は目の前にいる女性の目つきが変わった瞬間を見た。そして、貴族用衣装を身に纏ったエミリア王女の意図を正確に察した。
彼女は総合作戦本部高等参事官として要請をするのではなく、一貴族として、宰相である自分に直訴しているのだと。武官の身では意見が通り難いと言うことならば、自ずとどういう願いなのかは判断ができる。
「願い、とは何かね?」
「はい。2つありますが、どちらも来月にでも始まるであろう戦争についてです」
エミリア王女はそう言ったが、王女も宰相も、開戦は4月上旬であると知っていた。ただ、事態が急変しているという意味では大差はないため、エミリア王女は「来月」と表現した。
「言ってみたまえ」
「1つは、動員令の発令です」
動員令とは、国家が危急に際したとき兵士として使用可能な人員を集めるための命令である。概ね15歳以上45歳以下の健康な男子、且つ徴兵経験のある者即ち予備役のことである。通常、予備役兵は若年層、そして次男以下の男子から優先的に徴兵される。これが“総”動員令となった場合、兵として使えそうな人間全てを徴用することになる。
シレジア王国の場合、予備役動員によって5個師団程度を短期間で召集可能だ。
短期間で兵を集めることが可能な一方欠点も多い。まずは動員された兵はほぼすべてが槍兵にしか使えないという点だ。専門知識・特殊訓練が必要な騎兵、魔術兵等と言った部隊には充てることができない。
さらに、長い間動員令をかけ続ければ社会を支える労働者や農業従事者が減るため経済的な影響が計り知れない。戦争をするためには剣や槍、弓などの武器が大量に必要なのに、それを作る労働者を徴用してしまっては元も子もない。
そしてもう1つ、動員令は時間がかかる。これは動員令の利点である「短期間で召集できる」ということと矛盾しているような言葉だ。しかし短期間と言ってもそれはあくまで「通常の、平時の召集方法と比べたら短期間」という意味である。誰を召集するかに必要な事務処理、部隊の編制、召集後の再訓練や戦線配置等の処置に最低でも2、3ヶ月はかかる。
エミリア王女はこの召集時間を考慮し、時間がかかる動員令を開戦前に発令してほしいという意見を宰相に具申したのである。
「我が国において、動員令の布告権限は宰相以上の者にしか与えられていません。開戦まで時間がない以上、可及的速やかに動員令をかけてほしいのです」
「……確かにそうだが、今動員令をかければ経済に与える影響が大きいのも事実だ」
「そうです。ですが、敵は恐らく我が方の3倍の戦力を用意するでしょう。我がシレジアの平時戦力は15個師団。とすれば敵の規模は最低でも45個師団となります。この戦力差を少しでも縮めるためにも、動員令が必要なのです。負ければ経済どころか我が国の、そして国民の未来も危ういのですから」
今回の戦争が東大陸帝国内の政争の延長線上にあるが以上、征服を目的としてやってくるのは自明の理である。傀儡国家の樹立ではなく、自分の派閥にある貴族に領地を分け与える。そこにシレジア人が入り込む余地はない。
そしてかつて彼の国に奪われた旧シレジア領内の統治は苛烈極まりないものだと言う。
となると、シレジア王国に残された選択肢は2つ。
汚辱にまみれ泥を啜り、自らを弾圧する者に対して忠誠を誓うか。
それとも、徹底的な抗戦であるか。
そしてエミリア王女は、後者を選んだのである。
「勿論、シレジア経済に影響が出ないように短期間で終わらせます。犠牲者が少なくなるように、最善を尽くします」
ここまで言われてしまうと、カロル大公としては反論ができない。確かにエミリア王女は政敵である。しかしだからと言って今国を見捨てるがごとき回答をすることは、宰相である彼にはできなかった。
「……わかった。陛下と軍務尚書と相談の上、動員令を布告する」
「ありがとうございます」
満足いく回答が得られた王女は安堵し、ここに来て初めて大公に笑顔を見せ、そして頭を下げた。
大公はその王女の態度に少し驚いていると、彼女は間髪入れず2つ目の要請に入った。
「そしてもう1つ、お願いがあります」
「あ、あぁ。なんだね?」
「はい。リヴォニア貴族連合とオストマルク帝国、そしてカールスバート共和国に対し今回の戦争に介入しないよう要請してほしいのです」
「つまり後顧の憂いを断つ、と?」
「そうです」
東大陸帝国が60万の大軍でシレジアを征服せんと試みる以上、シレジアは持てるすべての戦力を東に向けなければならない。しかし全ての戦力を東に移動させれば、空き巣のように他国がシレジアに宣戦し、第三次シレジア分割戦争となる可能性があるのだ。
「しかし、小国である我が国に対してそのような約束が通るだろうか」
「別段難しい話ではありません。期限付きで構いませんので」
「期限付きか」
「えぇ。2ヶ月でも3ヶ月でも。その間に決着をつけます」
「……それは、高等参事官として何か確信があってそう言ってるのか? それともただの大言壮語か?」
「大言壮語を吐く趣味はありませんので」
「……そうか」
確かにエミリア王女の意見は正しい。期限付き不介入というのは、言い換えてみれば「3ヶ月経っても戦争が終わっていなければどうぞご自由に」ということである。無論、シレジアとしてはご自由にされても困るのだが、しかし3ヶ月以内に東大陸帝国との戦争にケリがつけられなければ経済や人員と言った面から押し潰される可能性が高い。つまり、有限不介入でも無期限不介入でもそれ以上戦うことは、シレジアにとっては不可能なのである。
加えて言えば、オストマルク帝国の戦争不介入はほぼ決まったも同然である。それはオストマルク大使が親大公派の皮をかぶった親王女派であること、そしてオストマルク帝国駐在武官ユゼフ・ワレサが、彼の国の外務大臣から約束を取り付けたためである。
そしてリヴォニア貴族連合やカールスバート共和国も、おそらく不介入を貫くだろうとエミリア王女は予想した。今回の東大陸帝国によるシレジア征伐は皇帝イヴァンⅦ世の私戦の色が強い。セルゲイ派と血の繋がりを持つリヴォニア、セルゲイ派貴族の協力によって政変を成功させたカールスバート。その両国が皇帝派に与するとは思えない、そう王女は考えたのだ。
そして、王女の目の前にいる宰相も同じ結論に至ったのか、静かに首を縦に振った。
「外務尚書に連絡し、すぐに実行するよう命令しよう。できれば無期限不介入の約束を取り付けられるようにな」
「……度々、私の意見を聞いてくださり感謝に堪えません、宰相閣下」
王女は再び頭を深く下げ、そして立ち上がる。
「叔父様とはまだ話したいことは多くありますが、今日は残念ながら時間がありません。またの機会にゆっくりお話しましょう」
「……あぁ」
「それでは、失礼いたします」
「…………あぁ」
大公は、王女に対して特に何も言うことはなく、立ち去る王女の背中を見つめた。
予想外に長く続いた会談はこうして終了した。




