帝国軍三長官会議
時計の針は1月3日の午後2時まで戻る。
この日、東大陸帝国皇帝イヴァンⅦ世は帝国軍三長官を緊急召集した。
軍政を司る軍事省の長である軍事大臣、軍令・戦略を司る軍令部の長である軍令部総長、前線指揮・戦術を司る帝国軍実戦部隊の長である帝国軍総司令官。この三者を纏めて「帝国軍三長官」と呼び、その三者が帝国軍最高指揮官である皇帝の下に集まり軍の基本戦略について話し合う会議を「帝国軍三長官会議」と呼ぶ。
イヴァンⅦ世が会議室に到着するまでの僅かな時間、三長官は雑談と言う名の情報収集に励む。
「それで、皇帝陛下の御用件とはいったい何なのだろうか。軍事大臣閣下は何か聞いているか?」
そう発言したのは帝国軍総司令官のロコソフスキ伯爵である。階級は元帥。
「詳しい話は私も聞いていない。だが状況から察するに、今度のシレジア征伐の会議だろう」
「そんなことはわかっている。具体的な内容を聞いているのだ」
軍事大臣レディゲル侯爵がやや投げやり気味で答えると、ロコソフスキは憤慨した。ロコソフスキは皇帝派の人間であり、それは即ちセルゲイ派であるレディゲルの政敵に当たる。軍の階級はロコソフスキの方が上だが、階位は下で、三長官の中での席次も軍事大臣が一番上で総司令官が一番下である。そのため、この二人は顔を合わせる度に衝突し合う。
その二人の間に入って口喧嘩を仲裁するのは軍令部総長であるクリーク侯爵である。階級は上級大将。帝位継承の件については中立を貫いている。勝ち馬に乗りたがっている、と言い換えても良い。
「軍事大臣の言い種ではないが、私も心当たりはある」
「ほう。総長閣下のお考えの程は?」
「十中八九、派遣軍の人事だろう」
「なるほど」
ロコソフスキはそう納得したが、実の所彼もそう考えていなかったわけではない。知らないふりをしたのは、彼がその人事の内容を既に知っているからである。自分だけが知っている情報を知らないふりをするのは存外難しく、彼は自分からその話題を出したことによって凌いだのである。
もっとも、他の長官もロコソフスキが人事内容を知っていることくらい想定済みなのだが。
ひとしきり会話を交わした後、皇帝イヴァンⅦ世が会議室に入室してきた。三長官は起立・敬礼する。皇帝が着席し、三長官の着席を促すと、それが三長官会議開催の合図となる。
「今日、三長官に集まってもらったのは他でもない。近日実行に移すシレジア王国を僭称する叛徒共の討伐、そのための具体的な人事及び作戦計画について話し合うために召集した。皆の自由な討論を期待するものである」
皇帝が出した議題は三長官の予想通りであり、彼らは脳内に用意した台本をそのまま読み上げようとした。この時常になく最初に発言を求めたのは、軍の事実上のトップである軍事大臣レディゲル侯爵だった。
「小官としましては、作戦の開始日時は4月1日の夜明けとすべきかと存じます。それ以前であればまだ気温も低く兵の士気に関わりましょう。その上で、兵を指揮する者の選定について陛下の御意をお聞かせ戴きたい」
このシレジア征伐がイヴァンⅦ世の勅命であり、なおかつ彼自身の政略上の決定であるからには、作戦計画や人事権はイヴァンⅦ世が握るというのは自明の理である。よって軍事大臣は殊更に自らの権限を振りかざして皇帝の意見に異を唱えるのではなく、大まかな計画に対し皇帝の裁量を認め、皇帝が満足したところで自らの権利を行使しようとしたのである。
イヴァンⅦ世も軍事大臣の意図することは承知していた。だが、イヴァンⅦ世は単なる皇帝であり軍事の専門家ではない。細かな作戦計画や人員配置をできるほどの独創性を、残念ながら彼は持ち合わせていなかった。
「具体的な作戦計画については、軍令部総長とよく話し合ったうえで決めてほしい。だが、師団長以上の人選に対しては、差し出がましいが私が決めさせて貰う」
「では、我等にその人事をご教授できないでしょうか。それをもとに、作戦を策定いたします」
こうして、シレジア討伐軍の陣容と規模が決定された。
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翌、1月4日。
軍事大臣レディゲル侯爵は、大臣執務室で皇帝官房長官ベンケンドルフ伯爵と会談をしていた。
「討伐軍総司令官、オルズベック・ロコソフスキ元帥、副司令官ミリイ・バクーニン元帥、総参謀長ワレリー・ポポフ上級大将……各方面軍団長から師団長までの高級士官はその殆どが非セルゲイ派貴族・武官で占められていますな」
ベンケンドルフは、レディゲルから手渡された討伐軍の概要を読み、そして驚愕し、その次に呆れ返った。ベンケンドルフが軍人ではないが、彼でも十分理解できるほど人選が偏っていた。
「ロコソフスキが直接指揮するということは恐らく奴もこの人事策定に参加したのだろう。だが、問題は動員規模だ」
「討伐軍の陣容は最低でも40個師団、ですか」
「シレジア王国軍の戦力は平時15個師団。攻勢三倍の法則に則れば、まぁある意味では正しい。だがこれほどの人員を動かせば、財政が傾くことは必至だ」
「40個師団は我が帝国の1割にも満たない戦力ですが、それでもですか?」
「40個師団と言ってもこれは正面戦力に限った話だ。補給や補充用の部隊、後方に下がらせる予備兵力、非戦闘員を含めて総動員数は、おそらく60万は下らないだろうな」
「60万人の民族移動……さぞ壮観でしょうな」
ベンケンドルフは肩をすくめて、この事態を笑った。東大陸帝国の財政を考えると、笑える話題ではないのだが。
「で、軍事大臣閣下はどうなさいますか? これだけの兵力です。シレジアが如何に奇策を張り巡らそうとも、この数の差ではどうしようもないでしょう」
「シレジア軍が頑張ってくれることを祈るしかあるまい。今更討伐を中止するわけにもいかんしな。こうなるのであれば、多少リスクはあるが奴をさっさと暗殺すればよかった」
「今となっては手遅れですし、あの方が思いの外頑健で長生きなのが運の尽きです。今は祈りつつ、勝ってしまった時の対策を考えましょうか」
「そうだな。そこで相談なんだがな伯爵」
「なんでしょうか?」
レディゲルはニヤリと不気味に笑うと、皇帝官房治安維持局長でもあるベンケンドルフにある「相談」をした。
ついに100話到達です




