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紫頭の男の子  作者: けら をばな
第二部・救われたい
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第四話・馬鹿正直ものの、酔狂奇譚

 突如ウイキョウに呼び出される。

「ああ、ニギ、来たか。実はな、仕事を頼みたい。仕事と言っても別に誰かを殺すだの盗み出すだのじゃない。ごく簡単なことだ。とあるパーティーに出席して欲しい。ただ、それなりの正装でパーティーに出て、大人しくおいしいものでも食べていてくれれば、それでいい。……なに、裏は何も無い。安心しろ。こういう立場だとな、他人との付き合いというものが殊の外仕事に影響するのだ。ああそれと、お前ひとりじゃないから安心しろ。コノハとカヤノも一緒だ。……ただの立食パーティーとはいえ、これはちゃんとした仕事だ。ちゃんと報酬も支払うし、待遇の良化も約束しよう。行ってくれるか?」

 怪しいが、これと言って断る理由はない。それにコノハたちも一緒なら、別にいいか。


 というわけで、ぼくは広い洋館の一室の片隅で、オレンジジュース片手に壁にもたれかかっている。ぼくの周りに人はまばらだ。『紫鬼』が睨みをきかせていれば、そりゃそうなる。

 遠巻きにぼくを指差す集団が、幾つかある。こそこそと隠れ掠め見て、ごにょごにょと囁き合っている。その集団を丹念にひとつずつ睨みつけると、慌てて、素知らぬ風に顔を逸らし順繰りに解散する。少しだけ小気味よい。

「ほどほどにしておきなさいよ? 好戦的だと印象付けられるのは面倒だわ」

 カヤノがぼくから少し離れた所に陣取って、ぼく同様オレンジジュース片手に壁にもたれかかった。

「ワインじゃないの?」

「飲めないのよ、わたしは。コノハは強いけどね。それより、もっとニコニコしていなさいな」

「あんな風にじろじろ見られてちゃ、神経も逆立つよ。動物園じゃあるまいし。柵なんかないってことを、分からせてやんなくちゃならない」

 ぼくは努めて胸糞の悪さを主張する。とは言え、実際そこまで機嫌が悪いわけじゃないけど。

「コノハにクッキー渡したりと、丸くなったと思ったけどかわいくないまんまね」

「……誰に聞いた?」

「みんな知っているわ。コノハがそこら中で触れ回っていたから」

 顔がぽっと赤くなる。カヤノはくすりと笑う。何だよ、余裕ぶった大人の笑みなんか浮かべちゃってさ、気に入らない。と心の中で愚痴りながらオレンジジュースを一気に飲み干す。

「ま、今日の所は大人しく、じろじろと見られていれば結構。それだけで牽制になるわ」

「……ん?」

「……やだ、気付いていなかったの? お館さまの意図を。要するに今日は、新戦力、しかも『紫鬼』であるあなたを、有力者たちにお披露目するために、あなたをここへ引っ張りだしたのよ。情報は既にあらゆる方面に流しているのだけれど、やっぱりこういう場で見せる方が、格段に効果的なのよね。……斥候をいちいち気にしなくっていいし」

「……ウイキョウめ、『裏は無い』とか言っていたくせに」

「事実、裏は無い。でも狙いはあるわね。あなたの存在が抑止力になる。お館さまのおっしゃっていた『いるだけでいい』ってのはつまりね、こういうことも含めてのことなのよ」

「なんか釈然としないけど。……じゃあ、やっぱり『こいつには近付いちゃ駄目だ』くらいに見せておいた方がいいんじゃない? ちょっと気に入らないから暴れていい?」

 リンドウもそんなことを言っていたし。……そう言えばリンドウって死んだのかな。

「マジでやめい。あのね、駄目よ、本当に。敵を近付けないのはもちろん、味方まで離れることとなるわ。そうなるといくら戦力を持っていようと不利。無法者と思われたら要所要所で協力が仰げないわ。節操を堅守する強者だ、と思わせるのが、何よりの選択よ」

「……結局、力よりも信用、か。それについては身につまされているよ」

 自分がリンドウの信用を受けるために、どれだけのことをしたか。最早思い出したくもない。

「あなたの人生になにがあったのか知らないけど、納得してくれればいいわ。あそこで笑顔をへばり付けているコノハの努力も報われるわ」

 コノハは、周りから少し距離を取られながらも、幾人かと談笑している。いつもより濃い化粧をして、無理に笑顔を作っているみたいだ。その証拠にというか、話し終えて談笑相手が離れると、黒曜石な瞳を曇らせて、つまらなそうな表情を浮かべ大きく溜息をついた。

 ふと、コノハがこちらの視線に気付き、目を合わせるとにこりと笑う。とくん。心が強く波打つ。瞬時に、周りのざわついた喧騒がかき消える。ぼくとコノハだけが、別次元の空間に落ちてしまったようだ。しかしそんな時間もすぐに終わる。コノハは別の連中に話しかけられて、そっちの方を向いてしまった。……残念だ。

「何が残念なの?」

「え?」

「……あなたが望むなら、止めはしない。でも、幸せになれるとは、到底思えないわ」

「え? あの、なに?」

「……何でもないわ。出過ぎた心配よ、忘れて」

 カヤノは、らしくない真面目な顔でひとりオレンジジュースを傾けた。ぼくはカヤノの言葉の意図が分からないまま、空のグラスを給仕に預けた。

 そして今一度コノハの方へ視線を移すと……嫌な予感。コノハの後方七メートル付近で、三十台前後の男の集団が、コノハを指差してにやにや『はい、わたしたちは今悪だくみをしています』とありあり分かってしまう表情で話し合っている。そして予感は的中。糞男どもはコノハにその笑みのまま近付いた。コノハとその生きる価値のない糞男どもとの距離は、手を伸ばせば届く、一メートルあるかどうかの、十分すぎる程の危険水域。勿論百戦錬磨のコノハが、その死んだ方が堆肥として価値の上がる男どもに触れることは間違ってもないだろうし、つまりは排泄物・吐瀉物以下の男どもの方も消してしまおうという意思は無い。ただ、威圧し、コノハの反応を楽しんでいるのだ。コノハと言えば、眉間に皺を寄せて『困っていますよ!!』と主張しているが、場所場場所だけに強くは出られないようだ。

 カヤノもそれに気付く。

「気に入らないわね。あの野郎ども、コノハが手を出さないこと分かってやっているわ。……でも攻撃の意思はなさそうだし、悔しいけれど、黙って飽きられるのを待つしかないわね。――ん? あれ、ニギ?」

「それ以上コノハに近付くな」――ぼくは男のひとりの首許すれすれにナイフをかざしていた。

「ってェ!? おぉおお――――――い!? なにやってんのあの子はァあ――――――!?」

 後ろで騒ぎ立てるカヤノを徹底して無視。

 脅された男は顔面蒼白。他二人も喧嘩慣れしていないのか目と口を大きく開いて後ずさるだけで銃も何も構える気配はない。それはそれで拍子抜けだ。男は引きつった笑顔で、

「ら、乱暴は止してくれ。確かにちょっとからかったのは悪かったが――」

「からかっただけ、だって? 冗談を言うな。半端な申し訳じゃ、許しはしないぞ。コノハは、今あんたがされていることと、同じことをされているんだよ。ぼくが『からかっているだけだ』と言ったとして、あんたは安心できるのかい。……とはいえ、ぼくはあんたたちと違って、明確に殺意を持っている。あんたの首を飛ばして、残りを血祭りに上げることだって躊躇いはしない。後悔もしない。見ての通りぼくは『紫鬼』だ。それくらい容易いことだぞ。……さあ、長生きしたかったら、それなりの覚悟と誠意を持って行動するんだな」

 ちょっと脅すと、男どもは蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。覚悟と誠意を持った行動とは到底言えないけれど、まあ、いいや。ナイフをベルトに差す。因みにこれはサクラが先日置いて行った……いや、投げつけていったものだ。

「コノハもコノハだ」と言いつつコノハに目をやる。「あんなのまともに相手しちゃ、調子付くだけに決まってるよ」

「まあ、それについては謝りますけど……」と言って眉を八の字にして、「あんまり乱暴なのはいけませんよ? 信用問題にかかわりますから」

「ぼくは謝らないよ。もしもってこともあるし、心配したんだから」

「……やっぱり、心配はしてくれたんですね」

「あっ――」

 顔がかあっと熱くなる。コノハが、顔を赤くして柔らかく微笑む。

「ありがとうございます。それについては、心からお礼申し上げます」

「べっべっべつに! 心配って言ってもそういうのじゃないし! あんたに死なれちゃ、目覚めが悪いって言うか、なんて言うか、あの、その、気に入らないて言うか……」

「はい、ありがとうございます」

「に、二度も言われることじゃないし!!」

 視線をコノハから逸らす。心臓がどくどくと高鳴って、これ以上じっと見ているのは無理だ。

 ……一体ぼくはどうしちゃったんだろうか。

 とそこへ、静観していた着飾った、好奇心旺盛な女たちがぞろぞろとぼくへ近付いてきた。うわ、厄介。しかしコノハがかちゃりと刀を鳴らし、黒曜石のような瞳から眼鏡越しに殺意を飛ばすと、「ひっ!?」という小さな悲鳴の後、血相変えて離れていった。

「いや、脅しはやめろって言ったのあんたよね?」

 近付いていたカヤノが呆れ気味にコノハをなだめた。


 そうやって立食パーティーは比較的平和なうちに終焉を迎える、筈だった。

 終盤になって、何の前触れもなく、このパーティーの主催者が従者二人を引き連れて壇上へ現れた。そしてマイクを前にして、

「皆さん、どうかご清聴下さい。……そして、これをご覧下さい」

 と、従者に指示を出した。すると従者二人は、手に持つ大小それぞれのバッグから、五十センチメートルはある大きな本と、小さな筆を取り出した。わけも分からず呆然と見守っている観衆が大勢の中、ぼくはあることにピンと来た。どうやらコノハも勘付いたようだ。

 従者は、その本と筆を近付ける。……すると、にわかにその両者がまばゆい、真っ白な光を放ちだした。ぼくは目を凝らしてじっとその反応を見ていた。コノハも同様に、黙ったまま険しい表情でそれを見守っていた。カヤノも気付いて、唖然としていた。

 従者がそれを元の位置に戻し、まばゆい光が収まると、カヤノが、

「ちょっとコノハ! あれって……」

「……はい。『秘宝』ですね、間違いありません」

「どんな意図があって、あんな所に……こんな大勢の前で……」

「その説明が、今からあるのでしょう」

 会場が騒然とした。『秘宝』を見知っているもの、名前しか知らないもの、さまざまなんだろう、各々驚いたり、眉間に皺を寄せ話し合ったり、ぽかんと口を開いたままだったりいろいろだ。……でも、『秘宝』の存在を知らないものは確認できない。やっぱりこっちじゃメジャーなんだなぁ。

「どうかご静粛に」――果たしてコノハの言う通り、主催者からの説明が始まる。

「これは、正真正銘の『秘宝』で御座います。皆々様方は、わたくしが『秘宝』の所有者であることはご存じでしょう」

「(知らないのぼくだけ?)」

「(今はとにかく聞きましょう)」

「恐らく皆さまは今、猜疑の目でもってわたくしめをご覧になっているでしょう。それは当然です。こんな大切なものは、人の目のつく所に置くべきではありませんからね」

「(ぼく最初、すっげー気軽に見せられた気がするんだけど)」

「(あの人たちを基準に考えない方がいいですよ)」

「(緊張感ないなぁ……)」

「ここでわたくしが皆様方にこれをお見せしたのは、他でもありません。この『秘宝』を、今まさに、手放そうと思っているからです」

 会場、当然、騒然。逆にぼくらはじっと黙って主催者を睨み続けていた。

「どうか、どうかご静粛に」

 そう言われても会場はなかなか静まらなかったが、主催者が思い詰めた表情でじっと押し黙っていると、やがて会場もそれにつられて、段々と静かになっていった。

「(あッ!? これ、本で読んだことあるよ!! 校長先生が黙り始めて、『皆さんが静かになるまで五分かかりました』とか言うの!! 本当にあるんだ!!)」

「(……ニギも学校へは行かなかったのですね。当然と言えば当然ですが)」

「(ニギ、あなたが突っ込みだっていうのは、わたしの完全な見当違いね……)」

「理由はごくごく簡単なことです。ただ、わたくしは疲れたのです。祖父の代から伝わるこの『秘宝』を護ることに、嫌気が差したのです。『秘宝』が傍らにあると、休まる暇などありません。誰かが自分を裏切りやしないか、目の前の優しい笑顔は自分を陥れるための罠ではないか、いつも頭の片隅にあって、わたくしを苛み続けるのです……。皆さまもご存じでしょう、『秘宝』に係わるならば、幸せを放棄せねばならない、という言葉を。……わたくしには、耐えきれません。ですからわたくしは、その責務を放棄するのです。この『秘宝』を、皆さまのうちの誰かに、差し上げたいと思うのです……」

 会場内が騒然とする、まさにその直前、コノハが手を上げて、

「して、その選定方法は?」

 とひと言。そのお陰で会場内はみな主催者の声に耳を傾け、しんと静かに静まり返った。

「よくぞ聞いてくれました。これについては、単純に決めようと思います。『秘宝』を護る上で最も大切なこと、つまり、――誰がこの中で一番強いのか、でございます。《カグチ》!!」

 主催者が叫ぶと、壇上がせり上がって、紫髪の、小太りで背が低く、紫の髭をもっさもさに生やした、一見ドワーフのような老人の男が登場した。その男は大きく真ん丸のぎょろりとした目で、ぼくたち三人にじっと視線を注いでいる。

「この中から一番強いものを選び出し、最後に《カグチ》と一戦を交え、勝った方にこの『秘宝』を進呈いたしましょう!!」

 主催者のその叫びは、狂人じみた色を帯びていた。その声に、ある種の不吉さを覚える。

「しかしそれにしても、……また『紫鬼』か。こんなにいるものなのか?」

「ねー、ニギ、『ふれぽん』って言いません?『紫鬼』っておどろおどろしくって嫌なんです」

「ぼくらは十分すぎるほどおどろおどろしい存在だよ、何言ってんの」

「こらこら、そんなこと言い合っている場合じゃないわよ。あの主催者……きっと、もとよりわたしたち三人以外眼中にないわ。最悪、わたしたちをおびき出す罠かもしれない」

「しかし、虎穴に入らずんば、です。秘宝二つとなると、多少のリスクを冒してでも狙いに行くべきだと思います。それに……あの主催者の様子、まともとは思えませんが、むしろその方が、厄介な罠を度外視してもいいのではないか、と感じます。本当に嫌になったのでは?」

「うーん……。コノハなら、大丈夫だとは思うけど……心配だわ」

「そうですね、おかしいと思ったら、すぐにでも助けて下さい。頼みましたよ、カヤノ、ニギ」

 コノハはぼくへ向かってウインク。またもや、かっと顔が熱くなる。

「べっべつに、今日は、単にパーティー行って来いって言われただけで、そこまで頼まれる筋合いは……」

「あら、じゃあ守ってくれないのですか?」

「そんなことは言ってない!!」

「そうですか。じゃあ、頼みましたよ?」――コノハがニヤッと笑って、前へと出た。

 ナニコレ!? 手の平で遊ばれてる!?

 そうしてぼくはコノハの後姿を見送るしか出来なかった。

 ……ただ、胸に感じた不吉さは、コノハの強さを考慮してもなお、ずっと拭えずにいた。



「あの、提案があります」と言ってコノハは手を上げる。

「はい、なんでしょうか」律儀に対応する主催者。

「はっきり申し上げて、この中に私以上に強いものなどいません。それどころか勝負になるものなど存在しません。『この中から一番強いものを決める』、などは時間の無駄でしかありません。……ならいっそ、そのものとの勝負をすぐに執り行いませんか?」

 コノハの言葉に、主催者はにやりと笑みを浮かべる。ぼくは反射的に眉をしかめる。

「……あなたの口からおっしゃってくれるとは、話が速い。実の所わたくしもそうとしか考えられなかったのです。公正性の部分からして、果たして皆さまからご理解がいただけるかどうかが疑問だったもので」

「でしょうね」と言って振り返り、「では皆さまに伺います。わたしより強い、と自信があるものだけ、前に出て来て下さい。もっとも、命の保証はありませんが」

 コノハは声高に言い放つ。これが並の人間なら傲慢としか言えないけど、コノハ、延いては『紫鬼』の実力を知っているなら、むしろ謙虚といっても差支えないくらいだ。

 会場全体はしんと静かなままだ。咳払いさえも聞こえない。コノハの堂々とした態度に委縮してしまっている。

「好戦的なのは駄目なんじゃなかった?」ぼくは傍らのカヤノにぼそっとひと言。

「言ったでしょ、節度を守った強者が理想だって」

「基準が曖昧だな。……ねえ、コノハは、カヤノよりも強いの?」

「……ニギ。同じ種族だからって、あんな化け物とうら若き乙女を一緒にしちゃ駄目よ」

「ふーん……」

 カヤノは嫉妬と羨望の複雑に入り混じった視線でコノハを見つめた。ぼくはその瞳を見て、嫉妬と……嬉しさを感じた。

 なんでそんなものを感じなきゃいけないのか。自分の感情に戸惑いを感じる暇もなく、

「始めッ!!」

 との主催者の叫び。

 ……え?

 ドワーフ型『紫鬼』・カグチは、二メートル以上はある巨大なハンマーを持って地面を蹴った。コノハに向かって直進。そしてハンマーを振り上げて、それを叩きつける。

 ドゴォンッ!! ハンマーが床に叩きつけられる。コノハは既に回避していた。大理石の床が粉々に砕け散る。館全体が揺れる、窓ガラスが割れる、テーブルが一斉にひっくり返る、ワイングラスや食器がけたたましい音を立てる、シャンデリアがキィキィと不吉な音を立てる、女は叫ぶ、男は慌てふためく。阿鼻叫喚の地獄絵図。

 大勢が出口を目指す。人の濁流がぼくとカヤノを巻き込もうとしている。

「ニギ、上だ!」

 カヤノに言われると同時に、シャンデリアへと飛び移る。そうやって見下ろすと酷いものだ。二つの出口には人だかりが出来て圧し合いへし合い、部屋の真ん中にはコノハとカグチがちゃんばらを演じていて、部屋には未だ逃げる素振りすら見せない何十人もの男女が残っていて、楽しげに歓声を上げている。

 がしゃん! カグチのハンマーがテーブルを吹き飛ばし、主催者の真横二メートルほどの位置に勢いよく落ち、ぐしゃぐしゃに砕ける。しかしそんなことにも気を留めず、

「いいぞカグチッ!! 壊してしまえッ!!」

 とハウリングも何のその、マイクに向かって半狂半乱に大声で叫び続けている。観客もやんややんやと囃し立てる。なんだ、コレ。金持ちの考えることは、本当に分からない。

 カヤノはコノハの後ろへと降り立つ。気付いて、遅れてぼくもそれに続く。

「コノハ、不味いわ!! すぐに勝負を取りやめて!!」

「いいえ、……残っているギャラリーの中にはわれわれに好意を持つ方々も多い、中途で切り上げてしまっては、悪い印象を与えかねません。それにあの主催者、狂ってはいますが、予想通り罠をかけてくる様子はありません。純粋に勝負……というか破壊事を楽しんでいるだけです。……それ以上に、わたしとしては、この方と純粋に雌雄を決してみたいのです。ですから、大人しく下がっていてくれませんか?」

 コノハの瞳が好戦的に光る。ぼくはその目にまたも不吉さを感じてしまう。ひと言で言ってらしくない。不意につんと刺激的なにおいが鼻につく。

「オスもメスも決まっているでしょうが!! ったく、知らないわよ?」

 カヤノは不満げに後ずさる。ぼくも、止める手立てがないので渋々引き下がる。にやりとまたもや好戦的に口端を上げる。おい、どうしたんだコノハ。

「強いですね。嬉しいです。楽しいですよ。胸が躍ります」

「ほほう、ほほほう、ほっほうほう、いいのういいのう、生きのいいわっぱじゃ。それでなくては鬼と生まれた甲斐がないというもの。ほほほう」

「子供じゃありません、二十年以上生きていますよ。それに、鬼って呼称はあまり好きじゃありません」

「ほっほっほうほうほう! 今の姿を鏡で見るといい。あんまりにもおどろおどろしくて、(おのれ)のその純粋な瞳じゃ、途端につぶれるぞ!!」

「……あまり怒らせないで下さい。殺しますよ」

「ほほほう!! 怖い怖い!!」

 コノハは小太刀を鞘に仕舞い、腰を落とす。カグチはにやりと歯を見せて笑い、コノハ同様腰を落とし、ハンマーを振り上げて構える。

 そして、静寂。

 どちらもそのままで動こうとしない。観衆も息を飲んで見守っている。どうなる? どう動く? どちらが有利だ? と……しかしその時、――

 ぴぴぴぴぴぴ。静寂を瓦解させる、甲高い携帯電話の着信音。

「……あ、ごめん」

 カヤノは懐から携帯を取り出す。いや、映画館じゃあるまいし謝る必要はないと思う。緊張感が緩んだのか、溜息や咳ばらいが起こる。一時ざわつく。

 が、二人には関係ない、動く――!!

 カグチがじりっと地面を擦る。その途端、コノハが地面を蹴る。身を屈ませ地面すれすれを這うように飛ぶ。ハンマーが振り下ろされる。コノハの頭に向かって、迫る、迫る!

 しかし、当たらない。コノハは、垂直に上へと跳んだ。またもハンマーは大理石の床を砕く。

 皆一様に唖然。ぼくもこれは読めなかった。

 コノハは天井へ吸い付かれるように一直線。からだを反転させ、天井に張り付き、脇差を引き抜いて、左手に持ち、二刀流。膝をぐっと曲げ、――猛スピードで突進!!

 風を切る。衝撃波が館全体をきりきりと軋ませる。――その時、

「ヤバイ!!」

 カヤノが叫んだ。が、その声はきぃんという剣戟の不協和音とダイナマイトでも爆発させたのかと思わせる爆風によってかき消された。その一撃によって、カグチのハンマーはいとも簡単に微塵になった。

 勝負は決した。そう思われたまさにその時、カグチの口元が、不気味に嗤う。

 暗転、銃声。――室内の明かりだけにとどまらず、外の明かりも全て消えたと同時に、四方八方から銃声が轟いた。

「コノハ!!」

 叫んだってどうにもならないことは分かっている。とにかく急がないと。目が慣れるまでもう少し時間がかかる。いっそ瞼を閉じる。ナイフをベルトから取り出す。耳を研ぎ澄ます。自分に向かって飛んで来る弾丸を闇の中で捉える。弾丸を、切る、切る。ガチンガチンと金属音が鳴る。同時に、コノハへと向かう女の気配を察知。ひとつはカヤノのもの。そしてもうひとつは、――

「!? コノハ!! 後ろだッ!!」

 必死に叫んだ。コノハの背後から音もなく、何ものかが近付いていた。間違いない、隠密の専門家だ。いくら『紫鬼』でも、コノハは女だから、女の気配を感じることは出来ない! コノハ、気付いて!!

 すぐに明かりが点いた。またもや目が慣れるまで時間がかかった。……静かだった。

 観衆の中に潜んでいた、銃を持つ刺客全員の脳天に、赤い点が付着していた。全員、銃殺されていた。振り向くとカヤノの手に持つ銃から白い煙が吐かれていた。他の、半狂半乱だった客たちも、突然のことに目が覚めたのか、縮こまりがくがくとからだを震わせていた。

 そんなことより、コノハだ。どうなった? コノハは、ぼくの指示通りこちら側を向いていた。そしてナイフを持った女暗殺者の首を飛ばしていた。

 そして、血を吐いた。

「甘いんだよ、あまあまだよ」

 紫の髪の少女……ルコウが、コノハの腹部に槍を突き刺していた。

 あの    コノハ                          え?

     嘘でしょ?    そんな    ぼくは

        違う             えっと   どうすれば

  ぐるぐる   まわる   なにが   どうなって          どうして

「コノハ!!」

 カヤノの叫びが、ぼくの意識を呼び起こす。そうだ、助けなきゃ。

 あれ……おかしいな……足が、動かない。からだが震える。それでも、一歩一歩、足を前に運ぶ。少しずつ距離が詰まるけど、倒れたテーブルにつまづいて転んでしまう。涙で視界がかすむ。どうして泣いているのか分からない。必死に涙を拭いて、壇上を見上げる。

 壇上にいたはずの主催者は、弾丸によって蜂の巣になって、モノと変わり果て転がっていた。

「ほほう、ほほほう、まさかこうもうまくいくとはのう」

 カグチは壇上で主催者の死体を足蹴にし、楽しげに歯をむき出しにして嗤う。

「最悪、『秘宝』の強奪だけ出来ればと思っておったが、まさかウイキョウんとこの最強の『紫鬼』まで仕留めてしまうとは……わしらの時代がとうとう来たかのう」

「あああああああああああああ!!」

 カヤノは金切り声をあげ叫び、コノハの許へと風になって走った。ルコウは脱兎のごとく逃げ、壇上に上がりカグチの背に飛び移った。カヤノが追おうとしたその時、コノハが意識を失いずざんと地に力なく倒れ落ちた。

「ほっほほほう、ではではこれにて」

 カグチは『秘宝』の入った鞄を持って、音もなく消え去った。


「コノハ……コノハ!!」

 カヤノはコノハの頬を叩きながら必死に意識を取り戻そうとしている。腹に突き刺された槍からは、どくどくと血がとめどなく流れ出している。……ぼくも、何かしなきゃ。

「馬鹿、近付くな!!」

 カヤノがぴしゃりと言い放つ。びくっとからだが跳ね起きる。そうだ、何をやっているんだ。

 そのカヤノの叫びに呼応するように、コノハの瞳がうっすらと開く。

「「コノハ!!」」

 コノハは微かな声で、「……ごめんなさい。目が覚めました。ちょっと、変になっていたかも」

 カヤノはコノハの手を握り、「多分、ワインに一服盛られていたんだわ。あの観衆の盛り上がりようといい、あまりに異常だった。あなたがあれを避けられないのもおかしいし。……フヨウから連絡があったんだ。『危険だ、すぐに引き返せ』って……」

 そんなことを今話している場合じゃない。カヤノも混乱しているのだろう。

 ……いや、違う。他にやりようがないんだ。取り敢えず連絡をして……それから? 血も止めようがない。この怪我じゃ、素人なんかが動かさない方が最善だろう。

 やれることなんか、ひとつもないんだ。

 特に、コノハに触れることのできないぼくじゃ。

 突っ立っているほかないんだ。

 今ほど、女の人に触れられないことを許せないと思ったことはない。

 コノハの視線がぼくを捉え、そして、ニコっと笑う。そして、蚊の鳴くような声をもらす。

「ニギ……ごめんなさい」

「……え?」

「あなたを護るだなんて大口を叩いておきながら、こんなにも早く離れなきゃいけなくなりました。所詮わたしなんかには出来ない約束だったのですね。傲慢です。……ずっと傲慢でしたね。ずっと、あなたをどうにかしようとしていました。自分の思い通りのあなたになるにはどうすればよいか、ずっと考えていました。あなたの人生を、必死で捻じ曲げておきながら、それをいいことだって思って……。ねえ、でも、ひとつだけお願いがあるんですよ。お願いだから、自分を大切にしてあげて。だって、悲し過ぎるじゃないですか。世界で二つとないあなたですよ?あなたはいい子です。どこでだって、必要としてくれる人はいますよ」

「コノハ……」

「…………本当に、本当に……ごめんなさい」

 そう言って、目を閉じた。

 かあっと頭に血が上る。目を見開いて、自然と拳が握られ、歯を噛みしめる。

 ――ふざけるな。遺言まで説教かよ。そうだよ、あんたは勝手だよ、勝手すぎるよ。最後の最後まで子供扱いしやがって。怒りがふつふつと湧いて来る。全身に力がみなぎる。

 怒りでも何でもいい、ぼくの全身に絡まる悲しみを吹き飛ばしてくれ。

「追加情報だ」と言ってカヤノは携帯電話を覗く。「助けはこちらに向かっている。今はそれを信じるしかないわ。あと……あのカグチとか言うやつの情報だけれど、どうやらココに所属したのはつい最近らしく、もともとは《スズシロ》とかいう女の許に仕えていたのが……てェ!? オイ!!」

 ぼくはカヤノの携帯電話をひったくった。

「ちょ、オイ!! 何考えているの!?」

「捧げるべき祈りは決まった。カヤノはコノハを護って」

「ニギ、あんたもしかして!? 待って、今のあなた、人殺しの目をしているわ。お願いだから冷静になって」

「じゃあ今怒らなくって、いつ怒るんだよ!! コノハ!! 死ぬな! 絶対に死ぬな!! 勝手にやってきて勝手に死ぬなんて、絶対に許さないからな!! 絶対に助けて見せるから!!」

 ぼくは携帯を放りだして、カヤノの制止も聞かず、闇夜へ勢いよく飛び出した。



 フヨウから受け取った情報は以下の二つ。カグチとかいう『紫鬼』は元々スズシロの夫の『秘宝』集めに携わっていたが、当の夫が死んでから『秘宝』関連の仕事を探していた、というものと、スズシロ邸の位置。

 全力でそこへ向かった。カグチたちもそこへ向かっているとは限らない。不安は大きいが、他に宛てがない。それに……目的はカグチじゃない。あくまでスズシロ邸にあるであろうモノだ。強奪してでも手に入れなきゃいけない。

 闇夜に浮かんだ、二つの紫の頭。考えるよりも先に、ナイフを投擲。

 背後の気配に気付いたカグチはルコウを投げ上げて、懐からナイフを取り出しそれをかきんと弾く。そして三人、地に降り立つ。ぽつりぽつりと侘しく設置された幾つかの明かりに姿が照らされる。

「命が惜しければ『秘宝』を置いて行け!」

「ほほほう、ほほほう、生きのいいわっぱじゃ。こいつはしんどいのう」

 そう言いながらカグチは真ん丸の目を見開き、その口元には笑みが浮かんでいた。ルコウは猫又へと姿を転じ、じっとぼくを睨んでいた。

 降り立った先は、まさにスズシロ邸だった。あちらこちらに銃痕が刻まれて、へしゃげた死体がごろごろと、古いものから新しいものまで幾つも転がっていて、月夜の冷気に土に還ることを拒まれていた。

「ほっほほほう、我が主の『秘宝』を奪おうという不届きものは、それと同じ運命をたどって貰うが、それでよろしいか!」

「行き倒れなら本望、討ち死になら尚のこと良し。でも今は、何としても生きて帰らなきゃならない、あんたを殺してでも!」

 ぼくはナイフを両手に装備。カグチは腰から曲刀を引き抜く。しぃぃと鉄の擦れる音。

「ほほほう! 面白い、さあ、やろうかい! 小賢しいわっぱ!!」

 カグチは刀を振り上げて、その背を街灯の橙に染めながら疾走した。


 一撃目、振り下ろされた曲刀は、両手のナイフで止めるのがやっとだ。力は並外れている。

 カグチが刀を引く、そして横一線に薙ぎ払う。ぼくはバク宙で避けながらナイフを投擲。当然弾かれる、ベルトからナイフを補充。そして二号三号打ち合う。一撃一撃が重くて防戦一方。じりじりと圧され続けている。

「ほっほっほう、どうしたどうした! それが世界を震わす『紫鬼』か!」

「世界なんざ興味ない! 勝手に震えてろ!」

 カグチが刀を両手に持ち、大振りに振り下ろす。その時、ほんの少しの隙が出来る。一気に距離を取り、勝負に出る。両手のナイフを投擲。振り下ろされた刀はすぐには上げられない。一本のナイフは弾かれたが、もう一本のナイフは、ずぶり、と左肩に刺し込んだ。

「ほほう……ほははははは! 小気味いいわっぱじゃ! そうでなきゃ面白うないのう!!」

 カグチはにやりと歯を剥き出しにして笑い、ナイフを躊躇なく引き抜いた。血が染み出るのもお構いなく、両手でぎゅっと曲刀を握る。

 成程、サクラのやっていたことだけど、ナイフ投擲は結構有効な戦略だ。しかし、……と思いながら、上着で隠しつつ、ちらりとベルトのナイフを確認。残り八本か。逐次投入は分が悪い。勝負をかけられるときに、一気に行かなければ。それよりも、投げた後に無防備になるのが痛いな。ナイフは武器と同時に防具でもあるわけだから。うーん……。

 ベルトからナイフを一度に四本取り出し、サクラのように、人差し指と中指、小指と薬指の間にそれぞれ挟む。でもこれはあくまで投擲専門の構え。握る力が入らないから、このカグチの攻撃を防御することなんて到底できない。投げナイフ一辺倒に出来るほどナイフは持っていない。こんなことがあるって分かったらもっとサクラから借りて来ただろうけど……いや、こんな戦略思い付かなかったか。普通に銃を使っていたんだし……。

「はははは! なにを考えているか分からんが、お構いなく行くぞ!!」

 あっはは、だよねー。カグチは見開いた目でぼくを蜘蛛の巣のように粘りつけ、突進。さて、どうする。上から切りつけられるのを半歩後ろに下がり避ける。返す刀で下から振り上げられる。避けられる暇はない。とっさの判断、両手の小指・薬指に挟んでいるナイフ二本を、上に投げ上げ、両手にしっかりとナイフを持つ。

 今度は、両手では止めない。それじゃ反撃に転じられないから、少し体勢を崩してでも、片手で止める。がきん。カグチの曲刀とぼくのナイフが火花を散らす。想定の範囲内だけど、ぼくのからだが浮く。不安定な体勢の中、この近距離の絶好の機会、ナイフを投擲。カグチの心臓を狙ったそれは、左腕をかすめただけにとどまった。

 カグチは一度曲刀とからだを引く。その一瞬の隙をぼくは逃さない。片手に持っているナイフを上に投げ上げて、先程上へ投げ上げたナイフ二本を掴み、ぐっと前へ出る。左のナイフで下から切り上げる。カグチはバク転し避けながら後ろへと距離を取る。

 散々投げられておきながら、ナイフは間合いが短い、とからだで判断してしまったのだろう、完全なる悪手! 右手のナイフを投擲、カグチの右肩に命中!

 いける! ぼくはより仕留めるのに確実な接近戦を選ぶ。――が、妨害。ルコウがぼくとカグチの間に割り入って、毛を逆立て爪をひけらかし、ひっかいてきた。チッ、仕留める好機を逸した! ぼくは舌打ちしながら、バックステップで攻撃を避けながら距離を取る。同時に左手のナイフを投擲。そして、丁度上から落ちてきた先ほどの二本のナイフを、間髪入れずに惜しげもなく投げた。至近距離で、三本のナイフがルコウを襲う。ただの猫又である彼女が、これを避ける道理はない。ぼくの中の冷たい意識が、ルコウの殺害を確信。

 が、カグチがそれをさせなかった。カグチはルコウの腹を蹴り上げて吹き飛ばし、ナイフの射線上に立ち、先ず一本目のナイフを曲刀で弾き、次の二本のナイフのうち一方は返す刀ではね返し、もう一方は、避けるいとまなく、左手の平で受け止めるのが精一杯だった。

 どさん。気を失ったルコウのからだが地面に叩き付けられる。カグチの左手からナイフを伝って、赤い球がぽたりぽたりと赤い染みを作る。冷気をいっぱいに含んだ風が吹きすさぶ。なにものの動く気配がない。そして六十秒の間、ぼくとカグチ、視線を絡み合わせたまま微動だにせず、地球が静止してしまったかのような、極めて静かな時間を過ごした。

 それを崩したのは、ぼくの方だ。ベルトから残りすべてのナイフを四本取り出し、両手を背に回しそれを隠し、前傾姿勢で膝を曲げる。カグチも遅れて、左手に突き刺さったナイフを引っこ抜き、左足を前に出し、曲刀の刃を上に向け右手を頭上に持ってきて、左手をぼくとカグチの視線の間に翳す。その左手から、血液が点から線となって流れ、地面に赤いたまりを作る。

 そのまま三十秒。そしてまたもやぼくの方が、その沈黙を破る。先手必勝。目を尖らせて、突っ込む! が、

「ほほう、やっぱりちょっとタンマ」

 突然カグチが構えを解いて、気の抜けたような息を吐いた。この死線において待ったなど許される行為ではない! と飛びかかってもよかったのかもしれないけど、あまりに突拍子のない行動に、ぼくも気が抜けてしまい、つい、構えを解いてしまった。

「ほほほう、感謝するぞい」

 カグチはにっと歯を出して笑い、血の付着した上着を脱ぎ、ぼくに背を向けて、ルコウの許へと歩み寄った。そして倒れるルコウに向かって、優しく上着をかけた。……うーん、襲える雰囲気じゃない。大人しく棒立ちのまま待つ。しかしさっき助けたことといいこの態度といい、

「情が移ったのか?」

 ぼくの問いに振り向いて目を見開きにっと笑う。本心が分かりにくい。

「ほっほっほう、少しの間だが一緒に暮し、身の上話を聞いて迂闊にも、な。非情の世の中じゃが、非情に生きるは殊の外むつかしいものじゃ」

「……それが世界を震わせる『紫鬼』か?」

「ほほほう、世の中勝手なものじゃ。……して、おぬしこのものの家族を殺したそうじゃの」

「……恨むか?」

「いや、恨みはせん、恨みはせんよ。『秘宝』に携わるものの末路じゃ。当然の理じゃ。覚悟のない方が悪いのじゃ。だが、ひとつばかり頼みがあってのう。……もし、わしが負けるようなことがあっても、こいつだけは逃してくれんか」

「……勝つつもりはないのか。死ぬつもりなのか、あんたは」

「ほほほう、なあに、死ぬも生きるもおんなじじゃ。何も変わらん。おぬしもそのうち分かる」

「……ぼくが欲するのは『秘宝』だ。人の命に興味はない。邪魔立てしない限り、こちらから襲い掛かるようなまねはしない」

「ほほほう、そうかそうか、恩に着るぞ、さて……」

 と言って曲刀を構え、腰を落とした。


「さあ逃げろ、闇が喉を引っ掻くぞ。

 さあ逃げろ、一筋の紫がお前の命を奪いに来るぞ。

 さあ逃げろ、家族も仲間も顧みずに、それ以外にすべはない。

 さあ逃げろ、守ろうなどと微塵も思うな、思うた時点でお前の命はない。

 さあ逃げろ、なにもできやしない、諦めるほかない。

 さあ逃げろ、さあさあ逃げろ、誰もお前を責めやしない。

 さあ逃げろ、逃げるだけでも一苦労。

 さあ逃げろ、どうした、逃げろ、遅い遅い、死がすぐ側にまで近付いたぞ。

 さあ逃げろ、逃げろや逃げろ。

 さあさあ、さあさあ、――どうやら逃げても無駄だ、逃げられるはずがない。

 さあ、三途の河でも鬼ごっこだ、永遠に終わらぬ追いかけっこだ。

 終わるか、終わらせるのか。

 さあさあ、――さてさて、……そろそろ、終わらせちまおうかい、わっぱ」


 カグチの口から禍々しい歌が紡がれると同時に、殺気がほとばしる。来る、これで決まる。どちらかが息絶えざるを得ない。すさまじい威圧感だ。飲み込まれちゃ駄目だ。ここで失敗したら、コノハの命が終わる。それを心に描いた途端、全身に力がわいた。絶対にこいつを殺す。殺さねばならない。そう意識すると、無意識のうちに構えていた。

 じっと心に潜んでいた鬼が、楽しげに身を乗り出した。



 決まる、すぐ決まる。

 先に行動したのはカグチ。左手を突き出したまま、地面を這うように走り出す。カグチの曲刀が袈裟切りにぼくを襲う。ぼくは右手の二つあるナイフのうち一方を上に放り投げ、しっかりと一本のナイフを握り、カグチの攻撃を回転しながらいなす。同時に距離を詰め、左手の二つあるナイフのうち一方を上に放り投げ、しっかりと一本のナイフを握り、カグチの首を切りかかる。カグチは首をすぼめてそれを避けるが、体勢を崩す。いいぞ。

 ぼくはそういう風にして、ナイフをジャグリングしながらカグチに対し至近距離での乱戦に持ち込むことができた。一見意味のないこのジャグリングだが、ナイフ投げへの切り替えとその際に生じる隙の軽減、またその意味での牽制、などを考えると決して無意味な行動ではないはずだ、と思いたい。現に防戦一方だった先ほどとは一転、拮抗した状態にまで立て直した。

「ほほほほほう! 面妖な術を使うわっぱじゃ! いいぞい、楽しいぞい! もっと、もっともっともっとじゃ! もっとその命、輝かせてみるがよい!」

「そりゃどうも!」

 流石にさっき思いつきましたなどと告白するわけにもいかず、楽しげなカグチと剣戟を繰り広げる。しかしその拮抗にも崩れが生じる。ぼくの足に疲労が出始めた。始め気付かなかったが、じり、じり、とほんの少しずつ圧されるうちに、満足に動かせない下半身を自覚した。

 カグチは連戦、しかも手負い。それなのに、スタミナでここまで差があるとは……。これ以上の長期戦は、不利だ。覚悟を決めて、瞬発力で一気に決める、それしかない。

 勝てるか? 勝つんだ――。殺すんだ――。さあ――。

 カグチの曲刀が頭上から真っ直ぐに振り下ろされる。ぼくはいつも通り二本のナイフを上に放り投げる。カグチのそのひと振りは、少々大振りだった。そして生じる僅かな隙。

 よし、今だ。

 回転しながら避け、まずは左手のナイフを投げる。生じた隙は、思ったよりも致命傷だったらしい、避けきれず、右肩に突き刺さる。カグチの顔がゆがむ。利き腕だ、二重の意味で痛い。

 間髪入れずに右手のナイフを、心臓を狙って投擲。が、左腕で防がれる。しかしこれによるダメージの蓄積は大きいはず、両腕の動きはかなり制限できただろう。

 降ってきた二本のナイフを捕る。そして、ぐっと前へ出る。

 この勢いで前へ出れば、カグチは下がるに違いない。隙ができる。そこを狙えばいい。

 ――さて、同程度の実力者同士の仕合において、勝敗を決する要素はなんだろうか。何より大きいのは、体調だ。前日にどれだけ寝たとか、しっかり食べているかとか、からだにおかしな所はなかったかとか。ぼくは病み上がりで、左手の負傷もほぼ治っているけれど完全とは言えない。しかしカグチも、コノハなんていう化け物じみた相手と戦ったすぐ後だし、ダメージの蓄積は彼の方が大きい。そう考えるとこうした事前の準備の部分で勝負がつくことは、この場ではないだろう。

 では、後はなにがある? それは、油断、だろう。こうなる筈だという思い込み、勝てると思った時に出る気の緩み、別のことにかまけて前方不注意。……しかしどんな生物だって、気を張り続けることは不可能だ。そうなると、油断するタイミングが全てになる。気を抜いてしまった時にどういう状況にあるか、ぼくとカグチの勝負では、それでしか決まらない――。

 かくしてぼくは油断した。勝負をかけに行った、最悪のタイミングで。

 カグチはぼくの読み通りには動かず、前へと、ぼくへ向かって突進してきた。

 しまった。――焦る。右手のナイフを投擲。脳天を狙ったそれは、髪をかすっただけ。

 ぼくは、たまらず下がる。――完全に悪手。

 カグチは加速して、ぼくの前に壁のように立ちはだかる。最後に残った左手のナイフ一本。

 どうする? ぼくは足を止め立ち向かう。逃げたってどうにもならない。

 左手のナイフを、投擲。

 がきん。――虚しく響く金属音。無情にも弾かれた、ぼくの最後のナイフ。

 カグチの口が、にやりとゆがむ。

「ほほほう、それが最後でじゃろう? そうじゃろう? 分かっておる、顔で分かる。気持ちで分かる。――さあ、終いじゃ。お主の最期じゃ。祈るがいい、お前の神に!!」

「――神さまなら、とっくに殺されちゃったよ」

 勝負を決したのは、――カグチの油断、僅かな隙。

 カグチはぼくのナイフが底をついたことを知っていた。ぼくにはもう武器はないと、この状況を打開するすべは残されていないと、そう思い込んでしまった。

 それが、カグチの動作を大きくした。振り下ろす曲刀の太刀筋を大振りにした。そこに加えて、ダメージの蓄積。両腕に傷を負った彼の曲刀は思ったよりもゆっくりだった。

 カグチが勝利を確信し、頬を緩めた瞬間、……彼の手から勝利の女神は立ち去った。

 闇夜に響く、二発の銃声。

 カグチの心臓を貫く、二発の鉛弾。彼の口からつっと垂れ流される、赤い、赤い筋。

 ぼくは懐からデリンジャーを取り出して、続けざまに二発、発砲していた。



「ほほほう……なんと……見事じゃ……わっぱ……。最期に問う……わしは、強かったかのう」

「……あんたが勝っていても、おかしくはなかった」

「ほほほう……そうかいそうかい……その言葉だけで十分じゃ……」

 カグチはそっと、ゆっくりと膝をついた。

 その時、

「カグチ!!」

 女の叫び声。

 驚いた。女の気配を感じないほどに集中していたから。上品な女性だった。黒のワンピースドレスを着て、装飾品に嫌みな派手さはなく、やや濃い化粧も紫の口紅も不自然さはなく、調和がとれている。この女性がカグチの主であるスズシロだろう、とごく自然に判別できた。

「カグチ……あなたって人は!!」

 スズシロはカグチの許へ走り寄った。カグチはその姿を嬉しそうに、少年のような瞳で、叶わない夢をずっと追い続けているような瞳で見て、柔らかに笑った。スズシロはカグチのすぐそばまで近づいたものの、なにもすることができず、傍らに膝をつき手をこまねいていた。

「我が主……どうか、どうか夢半ばにして先立つ、こんなわしを、どうかお許しください……」

「カグチ……もう、いいって言ったじゃない! もう、諦めたって! それなのに……それなのにどうして!」

「ほほほう……わしはこんなことしかできんのじゃ。わしから武器を取り上げられたなら、生死の狭間にいられないのなら、わしは生きていられないのじゃ。死ぬこともできないのじゃ」

「わたしは……あなたがいてくれればよかったのに。それだけでよかったのに……」

 スズシロの瞳から涙が伝った。カグチはまた、嬉しそうに笑った。

「ほほほう、そうか、そうか。ああ、それはよかった。我が主、それが聞けただけでも、嬉しゅうございます。生きた甲斐があったというものでございます。……主……最期に……最期に二つ、二つだけ、頼みごとがございます」

「……言いなさい」

「ありがとうございます、主、どうか、ルコウを助けてやって下さい。あの子はひとりじゃ生きていけそうにありません」

「……分かりました。何があろうとも、あの子はわたしが守ります。もうひとつは、なんですか。早く言いなさい、早く、早く!」

「主……最期は、あなたの腕の中で死にとうございます」

 スズシロは黙って頷くと、カグチを赤子でも包むかのように抱き上げた。カグチのぎょろりとした瞳が嬉しそうに細くなる。

「ああ……主……温かい。こんなにも温かいものだとは……ついぞ知らず生きてきました。……主、あなたは美しい。もう、過去に縛られる必要なんぞ無いでしょう。さっさと金持ちの坊主でも捕まえて、幸せになって下さいな。なあに、できますとも。そうやって儚げな顔で一瞥すりゃ、近寄って来ない男はいますまいて」

「……あら、カグチ。三つ目のお願いかしら?」

「……ほほほう! まったくじゃ! しかし、容易かろうて、あなたさまならば。……ああ、もう、行かなきゃならんみたいです。惜しいが、主、今までありがとう」

「待って、――カグチ、わたしだってあなたにお礼を、――」

 ぽんっ。

 カグチは、間抜けな音を立てて、消えた。

 ――呆気なかった。あまりにも簡単で、現実感がまったく湧かなかった。

 スズシロもそうみたいだ。呆然自失。しばらくの間目を見開いて、支えを失いだらんと垂れた服をただただ見つめていた。

 そして、ようやく気付き、諦め、ぼくに涙を見せないよう俯き、肩を震わせる。

 ぼくもまた、膝をつく。全身が脱力する。――焦点が合わさらないくらいに、狼狽していた。全身が打ち震えた。どうして? 分からない。

 いや、少し考えれば分かることだ。

 怖かった。

 ぼくは、どれだけの死体を見ても、自分が死ぬ姿というものを、想像できなかった。当然と言えば当然だ、今まで、死体はあくまで見下ろすものだったから。コノハに会って、自分より強い存在に相対しても、死に直面してもまだ、それを実感できなかった。でも……

 いや、違う。

 そんなんじゃない。

 もっと単純だ、カグチの死が、あまりに簡単だったから、怖くなったんだ。

 ぼくは自分という存在を、『紫鬼』を、もっと浪漫的(ロマンチック)幻想的(ファンタジー)な存在だと思っていた。

 ぼくの死には、もっと、何かに導かれるような神秘性が、あるものだと思っていた。

 でも違った。目の前の、自分と同じ種族・『紫鬼』であるカグチは、異性に触って、ただ、ぽんっと間抜けな音だけを残して消えてしまった。

 冗談じゃない。

 こんなに呆気ないなんて、聞いてない。これじゃあ……これじゃあ、ぼくが見下ろして来た無個性な死体と、何の変わりもないじゃないか。

 今、分かった。コノハ、あんたの言葉が、今やっと、理解できた。

 あなたの神さまを殺します。あなたには業を背負って貰います。

 ぼくは自分が殺して来た人たちと同じものでしかない、ということを、ようやく身につまされた。

 ぼくはばくばくと激しい心臓の鼓動を感じるがままに、その場でじっと動けずにいた。

 スズシロが立ち上がり、振り返る。そしてルコウの許へと歩み寄る。

「……残りの『秘宝』は奥にあります。もう、守るものは誰もいません。勝手になさい」

 しっかりとした声で言い放ち、ルコウを抱き上げて、闇の向こうへと消えていった。

『秘宝』……そうだ。ぼくには、助けるべき人がいるんだ。こんなところで絶望している暇はない。コノハだって……あいつだってぼくと同様、何の変哲もない存在でしかない。今のままじゃ、呆気なく死んでしまう。死んでからじゃきっと、生半な『秘宝』の数じゃ助けられない。

 早く、早く行かなきゃならない。急げ、動け、ぼくのからだ!

 ぼくはコノハの姿を思い浮かべて、歯を食いしばった。からだの震えは止まらないけど、立ち上がり二つの足でしっかりと全身を支えた。一歩、また一歩と歩き、全身に血を巡らせて、そして、走った。加速した。

 待っていろ、コノハ。絶対に助けてやるから!



 ぼくがコノハの許へと来ると、丁度救護班とサクラ・フヨウが辿り着いた所だった。

「……ニギ……あんた、もしかしてそれ……まさか……」

 サクラはぼくが背負う大量の荷物を指差して、眉をひそめた。

「……今からすることは、あくまでぼくの独断専行であることを、みんなには知っておいてもらう。――それと、邪魔立ては許さない」

 ぼくが睨みつけると、コノハを取り巻く救護班の女性たちは青ざめてしまった。

「ちょっと、あんた何を考えて――」とサクラが息巻く所に、

「サクラ、待って」とフヨウが割り込む。「ニギ。ぼくらの力じゃ、『紫鬼』である君には敵いそうにない。だから、ただ君の身勝手な行動を見守るしかできない。……これでいい?」

 フヨウはいつも通りの眠そうな顔で、しかし少し緊張した声色で聞いた。……察しが良くて助かる。ぼくはちらりとカヤノを見る。カヤノは納得したように頷いて、諦めたように溜息をついた。

「それじゃあわたしは……サクラたちを守るのに精一杯で、ニギを止めることができずにいた、と。……こんな茶番設定が役に立つかしらねぇ」

「無いよりはマシ、だと思う」

「……いざとなったらわたしが助ける。好きにしなさい」

「……ありがとう」

 ぼくは『秘宝』を鞄から取り出して、コノハの傍らに置いた。救護班たちはわけが分からずうろたえていて、サクラは理解して不機嫌そうに一歩引いた。

『秘宝』の形は本当にさまざまだった。まず、ここの主催者が持っていた、小さな筆と、大きな本。そしてスズシロの許から盗み出して来た、折れ曲がったトランペットと、おもちゃのような破魔矢と、レンズが五つある眼鏡と、紫の平凡な扇子と、金色のシンプルな簪の、計七つ。

 サクラは床の上で、苦しそうに呼吸している。顔からは完全に血の気が引いて、瞳からは生気が感じられず、出血量を考えても生きているのが不思議なくらいだ。

 ぼくは無意識にきゅっと唇を噛む。必死になって『秘宝』を盗み出したものの、不安だった。果たしてぼくの願いはこの数で足りるのか、本当にこんなものが願いを叶える力があるのか、ぼくの行動は無駄どころか、むしろ邪魔をしているんじゃないのか……。

「ニギ、信じなさい。本当にコノハを助けたいのなら。ひたむきに、純粋に祈りなさい」

 ぼくの心配を察したのか、サクラがそう声をかけてくれた。

 そうだ。……そうだな。ぼくが信じないと。頷いて、コノハに向かう。

 ぞろぞろと床に置かれた『秘宝』は、途端にまばゆいばかりの光を放った。しかしいままでの『秘宝』の反応と異なるのは、その色が、白だけじゃなくって、赤、青、黄色と、七色の光を発していることである。信じるしか、すべはない。ぼくはコノハの傍らに坐して、祈る。

 数分が過ぎた。状況は何も変わっていない。『秘宝』はただただ七色の光を放ち、コノハは生気のない瞳でぜえぜえと荒い息をしている。

「糞……糞! 糞! どうしたってんだ、どうすりゃいいんだ! 駄目なのか! 願いごとがかなうなんて嘘なのか! これのために殺し合いが起こってるってのに……人が死んでるってのに! それも全部、全部! 無駄だってのか!」

「ニギ、落ち着いて」

「でも!」

「いいから、落ち着きなさい。祈り続けなさい。今だけでいい、信じなさい。解釈に身を任せなさい。『秘宝』はあなたの誠実さに応える。それだけ」

「……糞!」

 まるであたかも『秘宝』の番人のようなことを言う。じゃあ、信じてやろうじゃないか。

『秘宝』がすさまじいまでの光を放つ中、息絶え絶えのコノハを見守る。

 コノハ、ぼくは、あんたにもっと生きてもらいたいんだ。どうしてこんな風に思ってしまうのか、よく分からないけど……。

 いや、そうだ、ぼくはコノハのことを全然知らないんだ。

 ねえ、コノハ。コノハはどんな時に幸せって思うの? サクラが言ってたよ、ぼくからックッキー貰って、気持ち悪いくらいに嬉しそうだったって。ずるいよ。ぼくの見ていない所で。ぼくにも見せてよ。どんな顔して笑っていたの?

 コノハ、寒いのが苦手だって、言ってたよね。泣いちゃうくらいだもん、きっと、何かつらいことがあったんだよね。お願い、聞かせてよ。知りたいよ。あの時のコノハ、すごく悲しそうな顔をしていたよ。コノハ……ぼくも、寒いのは嫌いなんだ。いろいろとあったから。それも、聞いて欲しいんだ。知って欲しいんだ、ぼくのことも。

 コノハのことを、もっとよく知りたい。ぼくのことも、もっとよく知って貰いたい。

 だから、ねえ、起きて、コノハ!!

 ――どれだけ祈ったか分からない。

 するとどうだ。『秘宝』からほとばしる光が、にわかに消え入った。

 だが、それも一瞬。

 目を潰されんばかりのまばゆい七色の光が、『秘宝』から堰を切ったように溢れだした。

 それはまさに光の洪水だった。『秘宝』から放たれた光は空間を満たし、渦を巻いた。熱く、感触があるかのような錯覚にさえ陥り、深海に放りこまれたようで窒息すらしてしまいそうな心地だった。救護班の中には仰け反って尻もちをついたものもいたが、ぼくやフヨウは、じっとコノハを見つめ続けていた。

 それから、その不思議な時の中を、どれ程の時間過ごしていたのか分からない。


 気付いた時には、ぼくはあの日と同様、温かい布団の中に包まれていた。



「『秘宝』を使用したようだな。しかも、情報では七つ。大盤振る舞いだ。……それだけの『秘宝』を集めるのに、どれだけの労力と時間が必要だと思う? 自分が何をやったのか、分かっているのだろうな、ニギ」

 ぼくは、ウイキョウの厳しく尖った視線を受けてもたもたとした小言を受けている真っ最中。

 ただただ黙って深く深く頭を垂れている。ウイキョウの隣には車椅子のマツリカがじっとこちらを見ていて、ぼくの斜め後ろではぼく同様深々と頭を垂れるカヤノの姿がある。

 結論を言うと、コノハの蘇生には成功した。今現在は自室ですやすやと寝息を立てているらしい。そんなコノハの顔も見てみたい、というぼくの願いは、今の所叶えられていない。

《コノハの蘇生は『秘宝』を利用したものである》

 との情報は真っ先にウイキョウの元へと伝わった。というかカヤノらにはその報告の義務があった。『秘宝』の有無などもとより伝わっていたのだから、そこを隠し通すことは無理だ。

「ウイキョウ様」とぼくはあくまで丁寧に、「ご報告の通り、今回の『秘宝』使用はわたくしめの独断専行であり、カヤノに非はございますまい。叱責を受けるべきは、このニギただひとりでございましょう」

 当初思い切り「図に乗るな」みたいな発言をしていたやつが、改まって低頭平身で挑んだ所で、どれほどの説得力があるだろうか。日ごろの態度の悪さを呪う。

「ふん、調子のいいやつだ。散々好き勝手言っていたくせに、いざ不利な立場になったら平伏して尻尾を振る。それでどうにかなると思っているのか」と予想通りだが分が悪い反応。「カヤノに非はない、とのことだがな、では聞こう、お前ひとりに責任が負えるとでもいうのか。お前に、何ができるというのだ」

「……申しわけございません」

「わたしが望んでいるのは謝罪ではない。お前に何ができるか、と聞いている」

「……必ずや、同数以上の『秘宝』をお館さまに献上いたします」

「何度でも言おう、お前ひとりで、何ができるというのだ。お前ひとりで、戦場を渡り切れるとでも思っているのか。戦場で相対すのは人間ばかりではない、さまざまな化け物と殺し合わねば、目的は達せられない。『秘宝』所有者は日々洗練されている。『紫鬼』とて最早珍しくはない」

「必ずや、……必ずや、お館さまの手足となり、お役に立つ所存です」

「ふん、それが、お前の精一杯だろう。ひとりではなにもできん」

「お言葉ですがお館さま」と後ろのカヤノが顔を上げる。「確かに貴重な『秘宝』の使用は控えるべきです。しかし――」

「控えるべき、などではない。あってはならんのだ、カヤノ。お前は何年ここにいる。未だにそんなことも分からんのか」

「……その通りでございます。あってはならないことでございます。しかし、あの場で『秘宝』に祈りを託さなければ、コノハは死んでいたかもしれません。お館さま、コノハは今まで多大なる成果を修めてきました。そしてこれからも一番の働きをいたしましょう。コノハの喪失こそ、われわれにはあってはならないこと」

「『秘宝』七つの消失と天秤にかけてもか?」

「はい。断言致します。彼女の強さは、お館さまも十分過ぎるほどご存じのはず。……『秘宝』七つ分の働き、すぐにでも取り返して見せるでしょう」

「成程、成程。では、ニギ、『秘宝』七つ分の仕事は、コノハがするそうだ。お前はどうする」

 ウイキョウは煙管の先に火を点けてぼくを見下した。さて、ここで「コノハの救出は自分の手柄だ」と開き直ることも十分可能だ。でもそれでは、奇襲を見破れなかったカヤノや、まんまと罠にはまってしまったコノハ自身に非をなすりつけることにもなりかねない。……そんじゃ、やっぱりこれっきゃないな。

「……!? ちょ、ちょっと、ニギ!?」

 驚くカヤノの声。ぼくは、両膝をつき、目を瞑り、両手をつき、額を床につけた。

「……土下座で許されるとでも?」

「思っておりません。わたしにはお館さまのお怒りを鎮めるすべを持っておりません。その力がありません。ただただ頭を下げるしかございません。それが、今のわたしの精一杯でございます。しかし、近い将来、必ず、必ずや成果を上げて見せます。どうか、――どうか今だけはこれでご容赦ください」

「……ふん。小賢しいやつだ」


 ぼくとカヤノはウイキョウらの部屋を出て、二人押し黙ったまま歩いている。

 結局、隣にいたスズシロのフォローもあって、ぼくらは両方とも不問となった。実際コノハの喪失は痛いし、あちらの罠や事情を見抜けなかったウイキョウ側にも責任がある、ということをスズシロが示してくれた。上司がきちんとそういう発言をしてくれるのはありがたい。ウイキョウは終始忌々しそうな表情をしていたが、まあ、満足いく結果となった。

「……すまない」カヤノが立ち止まっておもむろに口を開いた。「いざとなったらわたしが助ける、なんて偉そうなことを言っておきながら、このザマだ」

「何言ってんのさ」とぼくは振り返る。カヤノは悲しそうな表情をしていた。だからぼくは笑顔を作って、「二人ともお咎めなしだなんて、最高の結果が引き出せたじゃないか」

「……土下座までしたのにか?」

「大したことじゃない。いままで、――ぼくは生き残るためにもっとひどいことをしてきた。今更土下座どうこうで、何とも思わない。慣れたもんさ。それだけでカヤノもぼくも、コノハもこうして平然としていられるんだし、安いもんだよ」

「……ニギ。はっきり言っておく。お前があんなことするよりは、何らかの罰を受けた方がよかった。恐らく、これを知ったらコノハだってそう思うだろう」

「……」――ぐっと言葉に詰まる。

「コノハを出しに使ってこんなことを言うのは悪いとは思う。それに感謝もしている。――でもな、やはり、悲し過ぎるだろう。あんなことに、慣れていちゃいけない。お前のその歳で、あんなこと平然とできちゃいけない。……せめて、あんなことをやったら、お前を知る人が悲しむ、くらいのことは憶えておいてくれ。頼む」

「……コノハが、悲しむ?」

 ――やっと絞り出したぼくの声はかすれていた。

「コノハだけじゃない。わたしも、お前のうずくまる姿を見て悲しかった。無力な自分を呪った。わたしもコノハ同様、お前のことが好きになったからな」

「――え?」

 いきなりそんなこと言われたら、顔も熱くなる。カヤノはにやりと大人っぽく笑う。

「安心しろ、コノハほどじゃない。元から好みではないし。筋肉つけろ。……ああ、そうだ」

 カヤノは突然、頭を深々と下げる。

「改めて礼を言う。コノハを助けてくれてありがとう。お前のお陰だ。わたしだけじゃ、『秘宝』を使うなんて発想すら浮かばなくって、多分どうしようもできなかった」

 ぼくは意外な言葉と行動のコンボにうろたえて思考も止まる。

 カヤノはすぐに頭を上げ、いつも通りのそっけない顔で欠伸を一つして、

「ああ、いろいろあって疲れた。帰って寝る。お前もさっさと戻って休息をとるんだな」

 という言葉を残して早々に立ち去ってしまった。


 ぼくは歩いた。心が温かかった。カヤノに好きと言ってもらえたのが嬉しかったし、本人から聞いたわけじゃないけど、コノハもぼくのことが好き、と言われて、飛び上がるくらいに嬉しかった。そして、必要とされているという事実もまたぼくの心を躍らせた。

 ぼくはウイキョウの所でも確かに必要とされていた。それでも、こことは違っていた。

 これは、未体験の感情だった。誰にも抱いたことのない感情だった。

 ――ぼくは、コノハを助けられたことが、この上なく嬉しかった。

 そんな風にして上機嫌に歩いていると、背の高いツバキと、対照的に小さいが目立つ紫頭のノヅチと、褐色の肌にいつも通りの眠そうな顔を浮かべるフヨウの姿が見えた。

 ツバキは銃を持っている。そして三十メートルほど先の的に狙いを定め、引き金を引いた。パンッパンッパンッ。三発の銃声が響く。――が、どれも的を揺らすことはできなかった。

「あー、やっぱ駄目だな。精密射撃はおれには無理だ」

「……いやあのね、ツバキ、君って前の所で傭兵やってたんだよね? っていうかこんなの精密射撃って距離じゃないからね?」

 ノヅチは呆れ顔で紫の頭をぽりぽりと掻いている。ぼくの姿を真っ先に見付けたのはフヨウで、眠そうな顔のままでぶんぶんと大きく手を振った。それに気付いた二人が、フヨウの視線の先のぼくと目を合わせた。するとツバキが、

「あ、おーい、ニーギニーギニーギニーギニーギニーギー♪」

「歌うな」

 ぼくは仕方なく三人の許へと足を進めた。フヨウは真っ先にぼくの許へ駆け寄って、

「どうだった?」

 と小声で聞かれた。ぼくはやんわりと笑顔を作って頷いた。フヨウもまた、安心したように微笑んだ。……ぼくはフヨウにも、十分過ぎるほど救われているな。いつかちゃんとお礼をしなきゃいけない気がする。そんな横からツバキが割って入り、

「おいニギ、射撃やってくか? ストレス解消にいいぞ?」

「いや、君、ストレスないよね? 絶対ないよね? っていうか訓練をストレス解消に使わないでね?」

 ツバキはノヅチを無視続け、ぼくに銃を寄こした。やるとは言っていないんだけどなァ。溜息をついて、しかし折角なので、前に出て撃鉄を上げ、的に照準を合わせる。これからも射撃技術は必要だしな。息を吐き切って、静止し、狙い、引き金を、絞る。

 どくん。――

 突如、心臓に電撃が走る。息が止まる。からだ全体に握りつぶされたような衝撃。

 カグチのにやりと不敵に笑う顔が目の前に現れる。

 それだけじゃない、内臓をぶちまけた死体が、脳漿を飛び散らせた死体が、首を切り落とされた死体が、心臓からだくだくと血が流れ続ける死体が、次々と現れ、ぼくの目の前に浮かび、漂い続ける。ぽかんと口を開ける、がくがくとからだが震える。耐え切れず、目をぎゅっと閉じる。

 ――いや、ぼくはすでに目をつむっていた。

 これは、ぼくの脳内に投射されている映像だ。

 つまり逃げ場がない。

 脳内を鮮明に駆け巡るのは、さまざまな、ぼくの殺してきた顔。今まで無個性だと思っていた死体が、突如として表情を持つ。微妙な差異まで見分けがつくようになる。

「……ギ……ニギ……ニギ! しっかり!」

 ――フヨウの声に救い出される。ぼくは現実に戻された。どうやらぼくは銃を握ったまま汗を流し、ただただ突っ立っていたらしい。

 ぼくは、今すぐにでも銃を投げ捨てたかった。でも呪われたかのように手に吸い付いて離れない。指ががんじがらめにされたように動かない。

「……フヨウ……フヨウ……ぼくは……ぼくは……」

「ニギ、大丈夫、大丈夫だから」

 フヨウは暴発しないように気を付けながら、ぼくの手から銃を取り出してくれた。

 そしてぼくは、気付いたらフヨウにしがみついて泣いていた。耐え切れなかった。

 フヨウはずっとぼくの頭を撫でていた。ノヅチとツバキの姿も見えたけど、何が起こったのか理解できていない様子で、二人目を合わせてうろたえていた。

 ツバキから借りた小説に、『地獄は頭の中にあるんです』という言葉があった。

 まさに、神さまを殺されたぼくは、地獄だけが脳の中に残った。

 ぼくは以後、銃を撃つことができなくなった。……

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