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紫頭の男の子  作者: けら をばな
第一部・許されたい
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第二話・変化の予兆

 ぼくは五十メートル四方のだだっ広い真っ白の何も無い部屋にひとり、いつもどおりナイフと銃を両手に持ち仁王立ち。

 前と同じ状況、前と同じ場所。

 ヤナギとツツジを殺し、ルコウを逃した場所。床を濡らしていた赤い溜まりも、誰かが綺麗に拭き取っていた。

 ……ただ前と異なるのは、今回襲撃しに来る人たちが、堂々と「宣戦布告」をしてきたこと。

 そのお陰でこちらは準備が捗った。装備は完璧に整備され、道具は有り余るほど揃えられ、配置は一部の隙間なく、鼠一匹出ることも入ることもかなわないくらいに。

「田舎者がなめくさりやがって!! 誰ひとりとして逃がすな!! 皆殺しにしろ!!」

 などとリンドウはいつも以上にがなり暴れていた。だから警備はいつも以上だ。

 とはいえぼくはいつも通りだ。特殊な装備など必要ない。

 無線で「時間通りに敵が接近」との報せが入る。

 いつも通り気を張るが……、今回の敵はいちいち「宣戦布告」をして来るような甘ちゃんだ。ぼくの許まで辿り着けずに終わるだろう。

 と、心の中で溜息をついた。


 ――緊急事態発生。


 前線がものの十分で壊滅。

 しかも相手は五人と一匹の狼。うち一人は『紫鬼』。とのこと。

 そんな通信が入って以来、何の連絡も入って来なくなった。恐らく指令系統がやられた。まあ、初めからあってないような指令系統だけど。

 ぼくが今守っているのは、建物の最深部。

 前回の襲撃において、ルコウとか言うやつらがここまで来られたのは、確かに彼女ら自身の強さもあるが、それ以上に何百という大群で押し寄せて来たから、というのに起因している。

 なのに……五人で前線壊滅?

 そうだ。

 これは間違いなく、本物の『紫鬼』だ。

 他の『紫鬼』に会うなんて……、初めてだ。不謹慎だが、胸が高鳴る。

 かこん。かこん。

 響く靴音。

 来た……まさかこんな早く?

 ぼくの許に来る気配は、三つ。ひとりは女。

 一体どれが『紫鬼』なんだろうか。

 足音も三者三様。カツカツという革靴のような靴音、ぺたりぺたりと裸足のような音。

 そして、かこんかこんという少し耳慣れない音。

 早く……早く来い。

 早くその姿を見てみたい。

 気持ちが急かされる。

 正に死戦が始まろうというのに、わくわくが止まらない。いくら落ち着かせようと努めても、どきどきは一向に治まらない。

 鎮まらない感情で感覚を研ぎ澄まし、じっと音のする方に目を凝らす。

 やがて光に照らされ現れる、二人と一匹。

 ひとりは小さな男の子。褐色の肌を、執事のような黒の燕尾服(テールコート)が包んでいる。

 一匹は、真っ白で三メートルはあろうかという狼。

 そして最後の一人は、緋の着物に青の袴、腰に刀をぶら下げた、背の高い、紫髪の女。

 これが、これこそが、『紫鬼』……。

 鏡の中以外にその存在を目にしたことが無かった、『最強の存在』。

 その最強の存在同士が今、相まみえた。相手『紫鬼』の丸い眼鏡越しの視線と、ぼくの視線が絡み合う。

 ふたりの視線が、瞬時に尖る。

「……《フヨウ》、《グミ》、先に行ってきて下さい」

 柔らかくも少しかすれた、可愛らしい声。

「おいおい、こんなに堂々と遮られているのにか?」

 白狼が低い声で応える。

「平気ですよ、多分、――この方はわたし以外に興味がありません」

 それを聞くと小さな男の子は即座にたっと横に走った。白狼もやれやれという風に首を振りそれを追った。

 ひとりと一匹はそのままぼくの後ろ側へと大きく回り込んで、部屋を抜けた。

 ぼくはその間、まったく動かずに女をまんじりと見つめていた。

 太めの紫の眉。

 眼鏡越しに見える、じとっと座った瞳。

 そのすぐ下には点々と黒いそばかす。

 低めの鼻と、ちょこんと据えられた唇には、濃い口紅。

 着物には桃色の小菊が描かれている。

 下まで視線を落とすと、一本歯の高い下駄が見えた。随分と歩きにくそうだ。特徴的な靴音はこのせいだったのか。

 改めて全体を見る。どうやら背が高く見えるのはこの下駄のせいらしい。

 といっても、ぼくよりは大きいかな。

 ぼくは左手にナイフ、右手にピースメイカー。それを交差させ、頭を下げる。

 いつも通りの装備で、いつもとは異なる所作を。

「初めまして。いつかこうして同族たる『紫鬼』に相まみえることを、常日頃より望んでおりました」

「『紫鬼』、ですか。あんまり好きな言い方じゃないんですよね。かわいくないから……。ねえあなた。もう、よいのではありませんか? ここに存在する種族は、『ふれぽん』であるあなたを除いて、全て人間だと聞いています。――今、フヨウとグミが参りました。あのものどもは、人間に後れを取るようなものではありません。この戦、わたしどもの勝ちで終わります。わたしと闘う理由なぞ、どこにありましょうか?」

 ……そうだろうな。

 リンドウは何だかんだ言ってぼくに信頼を置いているらしく、ぼくの後ろには警備らしい警備は存在しない。

 ぼくらの負けだ。リンドウは、ここで終わる。確かに闘う理由なんてない。

 ……いや?

「そんなものは、どうだっていい。重要じゃない」

「……あなたは、護ってきたのでしょう? ここにある『秘宝』を」

『秘宝』?

 ぼくは顔を上げる。その疑問が顔に出ていたのだろうか、女が眉をひそめる。

「あなた……『秘宝』のことを知らずにこんなことをしていたのですか?」

 ぼくは黙っていた。

 それが答えだった。女の視線が尖る。

「疑問を持たなかったのですか? どうしてこんな辺境の地に係わらず自分達が狙われるか、とか」

「……金持ちの考えなんて、もともとよく分からないよ」

「あなたは……よく分からないのに、刃物を振るっていたのですか?」

 女の瞳が鋭く尖る。

 呆れられているだろうか、軽蔑されているだろうか。よく分からない何かのために、多くの人を殺してきたことを。

「仕方ないよ。襲ってきたやつらは全部、ぼくを生かすつもりなんてなかったもの。殺さなきゃならなかったもの。そうしなけりゃ生きていけなかったもの……怒ってる?」

「……怒っています。あなたに対してではなく、あなたに銃を握らせたやつに対して。あなたに人の肉を切れと命じたやつに対して。……もしもあなたが大人だったなら、あなたに怒っていたでしょう。でもあなたは子供ですから」

 イラッ――。今度はぼくが眉をひそめた。ピースメイカーの撃鉄を起こした。

「子供じゃない」

「子供ですよ。どうしようもないくらいにね」

 プチッ――。一気に頭に血が上った。思いッ切り膝を曲げ、弾丸のように女に向かった。


 先ずは一発。脳天に狙いを定め、引き金を引く。ぼくの速さと相まって速度は二倍。

 女の体が僅かに沈む。

 見事に、軽々と避けられてしまった。

 女の右手が刀の柄を握る、左手で鯉口を切る。添えられる右足が、ずッと前へ伸びる。

 ぼくは、構わず走る。弾丸のごとく。距離が詰まる。撃鉄(ハンマー)を打ち起こす。

 撃つか。

 ……いや、駄目だ。避けられる。無駄撃ちは極力避けなければ。女の間合いギリギリまで接近する。

 今だ――。心臓を狙い。引き金を絞る。

 その瞬間、ゾッと全身が凍りつく。

 女の手元から、一瞬にしてにょきっと刀が()える。ガキン。放たれた弾丸は一瞬にして軌道が逸れる。

 そしてそのまま刀の切っ先が、ぼくに向かって真っ直ぐに伸びる。

 いつの間にやら、ぼくの足は後ろへ跳ぶように地面を蹴っていた。

 それが幸運だった。

 ぼくのからだは一瞬にしてギュッと静止する。首元数センチで女の刃先は止まった。

 すぐさま撃鉄(ハンマー)を起こし、引金(トリガー)を引く。

 考えがあってそうしたのではない。その行動の全てが反射だった。そうせずにはいられなかった。

 女は刀を引いて、弾丸を真っ二つに切り裂く。

 その隙に地面を蹴り上げて高く跳ぶ。

 しかし女の刀はそれを読んでいたように、ぼくの首元のネクタイの結び目部分を横一線に切り裂いていた。

 ほんの、コンマ一秒遅ければ、ぼくの首は確実に飛んでいた。

 宙返りして、逆さまのまま、天井を蹴り、弾丸になって、夢中にとにかく逃げた。距離を二十メートル程度は稼ぐことが出来た。その間、女は一歩も動くことはなかった。

 地に降り立ったが、今自分が上を向いているか下を向いているか自信が無かった。完全に錯乱していた。足の側に重力がかかっていることに気付いて、やっと安心出来た。

 するとどうだ、地面に片膝をついてしまった。額から汗がほとばしり、肩で息をしていた。

 ほんの一瞬やりあっただけなのに、信じられないほど疲れていた。

 そして、女の鋭い眼光を見つめて、ようやく気付いた。

 足をとどめたのも、引金(トリガー)を引かせたのも、こうして無我夢中に逃げたのも、全てぼく自身の恐怖の()した(わざ)だった。

 ぼくにとって恐怖とは、撒き散らすものだった。相手を凍りつかせ、戦意を失くさせ、がちがちと身を震わせ、脱力させ、背中を晒させ、まな板の鯉とさせるためのものだった。

 それが今、ぼくはこの女に、間違いなく恐怖している。身を凍らせ、戦意を失くし、無様に背を向けて逃げた。恐らく、人生(鬼生?)で初めて。

 からだが、未だにみっともなく震えている。

 ぼくは今、悔しがっているのだろうか?

 いや、違う。

 これは間違いなく歓喜だ。恐怖に歓喜している。からだ中の細胞のひとつひとつが、喜びに沸いている。今日ここでこの女に出会えたことを祝福している。

「はは……」

 つい、笑いが漏れた。女は眉一つ動かさず、刀を鞘に仕舞う。

 ぼくは両足でしっかりと立ち上がる。でもからだの震えは止まらない。

 ナイフを頭上に放り投げ、ネクタイを外し、投げ捨てて、上から降ってきたナイフを取る。

 そして、大きく深呼吸。流石にこのまんまじゃ駄目だ。気持ちを落ち着かせる。

 かこん。かこん。

 女がぼくへと向かう。一本歯の下駄で、まったくふらつくことなく。

 紫の、腰までもある長い髪が、それになびく。

 今一度、じっくりと女を見る。凛とした眉を。一本一本がつやつやと光る、さらさらとした紫の髪を。眼鏡越しにのぞく、じとっと座った瞳を。

「……綺麗だ」

 つい、感想が零れた。女はかこん。かこん。と下駄を鳴らしながら進む。

「……随分余裕ですね。そんな状況じゃありませんよ」

 少し楽しくなってきた。余計なことをしてみたくなる。

「ねえ、ひとつ聞いていい?」

「何でしょうか?」

「人間の男女が真に平等になるためには、どうすればいいと思う?」

 女の足がぴたりと止まった。首を傾げて、目をぱちくりと瞬かせ、左手を右肘に、右手を顎に運んで、考え始めた。

「……そりゃまた、突然の質問ですね? ……でも、……うーん。ふぇみふぇみしい人とはあんまり付き合いたくなくって。どうも苦手なんですよね。答えられません」

「そっか……。ぼくは、簡単だと思うんだよ。男も女もみんな、銃を持てばいいんだ」

「ありゃりゃ。そりゃまた随分らでぃかるな……」

「でも、本当さ。性差のほとんどは、その力量差に起因する、といっても過言ではない。じゃあ、その差を埋めるのは何かって言ったら、人を簡単に殺すことが出来る科学技術さ。

 ……銃を持った男と銃を持った女、どっちが怖い? 正解は、両方怖い。銃の引き金を引けば、誰だって一瞬にして誰かを殺すことが出来る。男も女も関係ない。

 まあ、今はまだ確かに、その差が完全に埋まったとは言えない。男と女が撃ち合えば、男が勝つ。でも、これから先、科学技術がもっと進んだら、もっと、誰でもお手軽に人を殺すことが出来るようになったなら……男と女、それだけじゃない、子供と大人だって、(さかい)が無くなる。種族の壁さえ、意味が無くなる」

「……よくしゃべる子だこと。もうちょっと子供っぽくして下さいよ」

「子供じゃないからね。さて、こっから本題なんだけど……」

 そう言って、ぼくは女の腰に差した刀を指差し、

「どうして、そんな武器をわざわざ使う? どうして自分からいちいちハンデを背負う?」

「……あなたって人は。それを聞くために無駄に長々と……」

 女は呆れ気味に深い深い溜息をひとつ。そして、

「……深い意味なんてありませんよ。なんとなくです」

 やや自嘲的な物言いだった。……それが、無性に嬉しかった。

「……じゃあ、わたしの方からもひとつ聞いていいですか?」

「どうぞ」

 女はぼくのピースメイカーを指差して、「それって確か、弾込めのためにひとつひとつ薬莢を外さなきゃ駄目なやつですよね? 威力だってそんなに高いわけじゃない。……あなたの方こそ、どうしてそんな骨董品を好き好んで使っているのですか?」

「……深い意味なんてない。なんとなくだよ」

 ぼくは笑った。女も、ふっと笑った。この上なく幸福だった。女は歩みを再開した。ぼくも地面を蹴って、弾丸のように飛んだ。

 女は足をぴたりと止めて、膝を曲げ、ぎゅっと重心を下げる。

 ぼくは銃身を真っ直ぐに女の心臓に向かわせる。

 女の左手が、もう一度鯉口にかかる。

 抜刀術。――映画(あんまり観ないけど)でくらいしか見たことが無かったし、そこに出てくるものは全て、エンターテイメントであり、大体が胡散臭かった。

 鞘からひょろひょろと繰り出された剣に、敵がバッタバッタとなぎ倒されてゆく姿はあまりにも滑稽だった。

 しかし今日目の当たりにしたものは、本物だった。正に人を殺める剣だった。

 刀がどういう道筋でぼくに向かって来るのかまったく予測出来なかった。

 そして、繰り出される刃は、正に神速。ぼくは防御兼近接攻撃のために、女の刀などより遥かに軽いナイフを持っているものの、それでも止め切れるかどうか、自信が無い。

 しかも、遠距離攻撃であるピースメイカーは、まったく当たる気配すらしない。

 ああ、絶体絶命。だけど、楽しい。

 よし。決めた。

 懐に飛び込んで、刀の動きを制限しつつ、至近距離で銃撃。それでいこう。多分、それしかない。

 引き金を引く。心臓は狙うものの、中てるためのものではない。あくまで懐へ入り込むための布石。

 女は逆手に刀を握り、抜いた。弾丸は弾かれる。その間に、距離は三メートルに詰まる。すぐさま撃鉄を上げる。今度は左太腿部分を狙い、引き金を絞る。女はさっと左足を引く。それによって、女のバランスが崩れた。

 ――にやり。ぼくは破顔。

 今だ。懐へと飛び込む。

 触れて、二人が消えてしまう、そのぎりぎりまで近付いて。ぼくのナイフが、首元へと伸びる。虚を突かれたのか女はそれを、大袈裟に仰け反りながら、逆手に持った刀で止める。女は今、右足一本で立っている姿勢だ。不安定極まりない。

 よし、いける。ぼくは右手を伸ばし、眉間を狙い、引き金を……

 ぞくっ――。

 全身を走る寒気。息が止まるほどの恐怖。瞬時に体を引く。

 女は、その不安定な姿勢のまま、いや、不安定な姿勢を利用して、右手に逆手で握り、高々と上げられた刀を、ぼくの心臓狙って打ち下ろした。

 ぼくは体を捻り、倒れるように仰け反って、それを何とか避けた。あのまま突っ込んでいたら、確実に心臓に刃を突き立てられていただろう。

 ――またもや恐怖に助けられた。ナイフを持ったままの左拳を地面に打ち付けて体勢を持ち直し、後ろへと飛んだ。

 そして、無闇矢鱈に発砲。

 どこへ飛んだかさえ分からなかった。誰にも中ることなく、乾いた発砲音と、どこかの壁を削る音だけが部屋中に響いた。

 必死になって逃げた。振り向くと、女は遥か遠く。三十メートルは離れていた。

 ――これは流石に情けない。

 浅く速い呼吸を、努めて鎮める。どくどくと速い心臓の鼓動を自覚しながら、すうっと息を大きく吸って、ゆっくりと吐く。

 かこん。かこん。

 女の下駄の音。半月の弧を下にしたような瞳が、じっとぼくを捉えて離さない。

 改めてその姿を見て、ぞっとした。全身のどこにも力んだ所が見当たらず、しかし全身くまなく力が溢れ出て、一分の隙もない。

 これぞ鬼だった。これぞ破壊だった。少しでも気を許せば、ひとときに斬り殺される勢いだった。

 凄い。

 息を飲む。目が離せなかった。かこん。かこん。下駄の音以外に、音は何も聞こえなかった。

 女の姿以外に、何も見えなかった。

 ふと、世界に、ぼくとこの女の、二人以外にいないんじゃないか、そんな風な錯覚を起させた。

 この姿をずっと見ていられたら、どんなに幸せだろうか。

 ……こほん。咳払いを一つ。

 いかんいかん。なに夢心地でいるんだ。殺すか殺されるかって時に。かこん。かこん。ぼくと女の距離はじりじりと詰まる。

 ピースメイカーを見る。弾がひとつとして入っていない。ベルトに一本ナイフが入っているが、純粋なナイフ二刀流でこの人に向かうってのは、流石に不味いな。出来れば再装填(リロード)したい。けど、そんな隙をどうやってつくればいいんだか。

「あっ」

 と何かに気付いたように、女の後ろを指差す。いやいや、こんな手で気が逸れる筈が……

「え?」

 女が振り向く。

 見事気が逸れた。

 嘘でしょ、そんな馬鹿な。

 ぼくは慌ててナイフを上空へ放り投げる。そして、ピースメイカーの撃鉄(ハンマー)を少しだけ起こし、ローディング・ゲートをかちりと開き、回転弾倉を回しながらレバーを引き、(から)の薬莢をひとつひとつ外す。

 そして懐から新しい薬莢を取り出して、押し込む。帰ってきたナイフを左手でキャッチ。

「え? 何かありましたか?」

 女がぼくを見る。地面にバラバラと広がった空薬莢に気付き、目をぱちくりと瞬く。

「え?…………ああ!! ず、ずるい! 騙しましたね!? 姑息な手を使って!!」

「えっと……………………………………………………………………うん、ごめんなさい」

 ぼくはぺこりと頭を下げる。

 女はかあっと顔を紅潮させ、ぶるんぶるんと頭を激しく横に振る。紫の髪が乱雑に揺れ動く。

「素直に謝らないで!! 分かってます、分かってますから!! こんな手に引っ掛かるなんて自分でも情けなく思ってますからぁ!!」

 膝を折ってその場に座り込み、両手で頭を抱える。

 可愛らしい所作だ。刀を片手に持っていなかったら。首とともに刀をぶるんぶるんと振るう姿は、どう見ても危ない人にしか見えない。

 まあ、危ない人なんだけどね。

「はあ…………まったく。本当に心底情けないですね。こんなんじゃ駄目だって、分かってはいるんですけど。……自分の性格を直すなんて、どだい無理な話ですよ」

 女は立ち上がり、肩を落とし、下を向いたまま溜息。ぼくはついつい破顔し、

「まったく、神も恐れる『紫鬼』が、なにやってんだか」

「神さまなんていませんよ」

 キッパリ。女はさも平然と言い切った。その言葉にぞくぞくっとからだが震える。

「……どうしてそう思う?」

 ぼくは平静を装うけど、心はかなり揺れていた。

 神さまを、当然のように否定した。

 この人は、強い。

 改めて言う必要もないけど、確信した。同時に、何かしらそういう神秘的な存在にすがっていた自分を自覚した。自分の弱さを晒された気分だ。

「いないと思った方が、楽ですから。もし、本当にいるのであれば……ちゃんと斬り殺しに参らねばなりませんね」

 女の、真っ直ぐな瞳が鋭く尖る。全身に電流が走る。言葉に、完全に打ちのめされた。

 強い。

 こんな人に、勝てる筈が無い。

 女は重心をぐっと下げて、今度は抜き身の刀を両手でしっかりと持ち、ぼくへその刃先を向ける。

 禍々しい覇気がその全身からほとばしる。

 その空気に、雰囲気に、絡め取られる。からだが重くなる。銃を持ち上げるのでさえひと苦労。

 これは……死を覚悟しなければなるまい。とっくに相手が強いって分かってんだし、今更だけど。

 ただ、それならば、せめて知っておきたいことがある。

「ねえ」

「……はい、なんでしょうか」

「名前、教えてよ」

「今更ですか?」

「いいから」

「……《コノハ》、と申します」

「そっか……」

「……ねえ、あなたも教えて下さいよ」

「……別にいいじゃん」

「よくありません」

「……」

「ねえ」

「……」

「ねえってば!!」

「……《ニギ》」

「……《ニギ》、ですか?」

「変な名前でしょ?」

「いいえ、そんなことありませんよ」

「…………ありがとう。結構気に入ってんだ。――大切な人に付けて貰ったから」

 ぼくは飛んだ。《コノハ》に向かって真っ直ぐに。この戦法しか、ぼくは知らない。

 コノハも走った。剣を振り上げて。真っ直ぐに、ぼくへ向かって。

 撃鉄(ハンマー)を上げ、引金(トリガー)を引く。

 コノハはそれを一刀両断。足止めにさえならない。

 そして、もう一度迷いなく振り上げる。

 ぼくは、一瞬にしてコノハの間合いに入る。頭上から綺麗な小太刀筋で叩きつけられる刀。

 それをナイフで防ぐ。

 ――すさまじい衝撃。

 ぼくの手がしびれる。

 その手から、背骨に、両足に伝わり、軋む。床にまで伝わり、みしみしと音を立てながら床がボコッと円形に凹む。

 亀裂がびきびきと壁にまで届く。コンクリートで頑丈すぎるほどに固めたこの堅牢な建物全体をゆさゆさと揺らす。

 ぼくは撃鉄(ハンマー)を上げる。コノハは剣を引いて、左足を後ろへズッと引き、今度は下から切り上げる。ぼくは後ろへ下がりつつ引金(トリガー)を引く。放たれた弾丸は――刀の風圧により砕けてしまった。

 ……嘘でしょ?

 更に、風が刃を作る。コノハの一撃を完全に避けた筈なのに、ワイシャツに袈裟に斬り込みが入る。

 ……嘘でしょ(多分三度目)?

 コノハの左膝が高く上がる。刀の刃を上に向けたまま、上空から突きの構え。間髪いれず、その刃先がぼくへと向かって来る。

 避ける(いとま)が無い。

「くっ!!」

 左手のナイフを投げ上げる。右人差し指で引き(トリガー)を引いたまま、左手で撃鉄(ハンマー)を跳ね上げる。

 銃声三発(パンパンパン)

 こんなことをしたのは初めてだ。当然上手く行く筈はない……と思ったが、一発は惜しくも髪を掠めただけだが、二発は見事、コノハのからだを撃ち抜いた。ひとつは左肩、もうひとつは右足太腿。

 やった!! 咄嗟に顔が弛む。――それもそうだ。つい先ほどまで死を覚悟していたのだから。

〝勝てるかもしれない〟

 そういう思いが強まるのも無理はない。左手で、上から落ちて来たナイフをキャッチ。

 コノハはぐらりとからだを揺らしたものの、攻撃は止めなかった。

 左足を前へどしんと前へ大きく運びながら、右手一本で刀を前へ押しやる。

 だが、鈍い。ナイフで逸らす。と同時に懐にまで入り込む。

 コノハはぼくへ向かっている。ぼくもコノハへ向かっている。この状態で撃てば、避けられる筈が無い……。

 これは、落ち着いて狙えば、勝てる!!

 心臓をどくどくと鼓動させながら、落ち着いて撃鉄(ハンマー)を上げる。右腕を伸ばし、落ち着いてコノハの脳天を狙う。そして、落ち着いて引金(トリガー)を絞り――

「――甘い」

 脳内に突き刺さる、コノハの落ち着き払った声。

 ぼくの右腕は、宙を浮いていた。

 何事か理解が追い付かなかった。

 コノハはぼくが撃つ瞬間、使用不能と高をくくっていた、銃弾を受けた左手でもって、腰の脇差を抜き放ち、ぼくの右腕を切り離していた。

 そして続けざまに右手の刀を振り上げて、ぼくに斬りかかった。

 ぼくは呆然としていた――それが却ってよかったのかもしれない。

 コノハの剣先は右肩から腰の左側にかけて、すっとなぞったが、傷は浅く、血が滲むだけで済んだ。変に動いていたら、それこそ死んでいた。

 コノハはぐっと右足を更に前へ突き出す。

 また、来る。こんな態勢じゃなにやっても駄目だ。後ろを向いてタッと逃げる。そしてすぐ目の前に立ちはだかる壁に気付く。

 追い込まれていた。

 振り返る。

 かこん。かこん。

 じりじりと近付くコノハとぼくの距離は、もう五メートルもない。

 息が、出来ない。コノハの視線が蜘蛛の糸のようにぼくのからだに絡みつく。

 かこん。かこん。

 右腕に忘れていた筈の痛みが走る。どくどくと赤い血が流れ続ける。

 はあはあと大きく肩で息をする。苦痛に顔がゆがむ。耐えきれず片膝をつく。

 そして……死を覚悟する。いや、享受すると言うべきか。

 この凄腕の剣豪に対し、片腕で何が出来ると言うのか。

 絶望。

 死、そのものを受け入れざるを得ないこの状況。

 ……狙うは、相討ち、ただひとつ。

 死にゆく自分への、せめてもの慰め。死に際に燃え立つ命の、一瞬の輝き。最期の(はな)()

 かこん。かこん。

 コノハをほんの三メートル前に据えながら、ぼくは目を瞑り、祈った。

 神さま、もしいらっしゃるのなら、ぼくに五分の魂を。

 ぴたり。下駄の音が止まった。

 目を開くと、コノハは悲しげな表情でぼくを見つめていた。

 お願いだから、そんな顔しないでよ。虚しくなるじゃないか。

「ねえ、ニギ。……もう、いいでしょう。終わりにしましょう」

「……ああ、そうだ。コノハ、終わりにしよう。ぼくの全てを、終わらせてくれ」

「どうして……どうしてそこまでこの闘いに拘るのですか? 誰が見るでもない、何を護るでもない、こんな()()いに、何の意味が見いだせると言うのですか?」

「……コノハ。そもそも生きることに意味なんてないよ。この世に生まれ落ちて、死んで消え去ることは、花弁を濡らした朝露が夕に土へ落ちるのと変わりないんだよ。……コノハ。ぼくら『紫鬼』が闘うのだって、それと同じだよ。死ぬまで闘う。それが自然の摂理なんだよ。ぼくは、逃げない。前へ進み、前のめりに死ぬ。それだけだよ」

「……ニギ。『紫鬼』は――『ふれぽん』は――そんな生き物じゃありません。わたしたちはその特性と能力差以外、人間と大した違いなどありません。もっと楽しんでいいんです。怒ってもいいんです、悲しんでもいいんです。……生きたっていいんです。生きて、笑ってしまえばいいんです」

「怒れない人間は山ほどいた。泣くことを許されない人間も山ほどいた。……こんな混沌とした世界で、力の権化たる『紫鬼』が、笑って生きられる環境なんてないよ」

「ニギ、あなたって人は……」

「ぼくらは、破壊だ。勢いよく放たれた鉛玉だ。鉛玉は笑わない。悲鳴などあげない。痛みなど感じない。敵の心臓を食い破り、砕け散るだけの存在だ」

「……いいえ、違います。それだけは断言させてもらいます。少なくとも私は違います。痛い時は痛いし、好きなお笑い芸人が面白いことを言えば笑いを抑えられませんし、大切な人が死ねば悲しい。孤独が恐ろしい。誰かにすがりたいときもある。……現に、あなたに撃たれた左肩と右足は、すごく痛いですよ。こんな状況じゃなきゃ、しくしくと子供のように泣いている所です。――あなただって、そうでしょう? 右腕からとんでもない量の血が噴き出していますよ?」

「……痛くなんてない」

 ぼくはぎりっと歯噛みした。からだが小刻みに震えていた。

 これは――死に対する恐怖からじゃなかった。

 どうして自分の顔から血の気が引いたのか、どうして心臓の鼓動が速くなったのか、理解できなかった。

「あなた――そうですか、そういうことですか」

 コノハは納得したように頷いた。そして瞳を尖らせて、

「あなたは、人を殺したという己の罪を、背負いたくないのですね」

 ずしん。脳天に金槌の一撃をくらったような衝撃を、その言葉から受けた。

 両足がぶるぶると震え、我慢できず左膝を地についた。コノハは口撃の手を緩めない。

「――振り下ろされた一本の剣なら、弓に弾かれた一矢の矢なら、突き出された一本の槍なら、『壊せ』とスイッチを押された一個の爆弾ならば、どんなに楽だったでしょうね。あなたに『殺せ』と命じたここの親分……いいえ、あなたに『鬼』と名付けた神さまとやらにその罪をなすりつけてしまえばいいのですから。

 でも、断言します。あなたは、そんな存在ではない。あなたは、人間と同じです。笑ったりもすれば悲しんだりもします。あなたは、自分で考え自分で行動できる人間そのものです。生きる意味を無理矢理にでも作らなきゃ済まない、そんな人間と同じ存在です。

 ……だからあなたは、罪を背負わなければなりません」

「やめろォ!!!」

 ぼくは大声で叫んだ。痛みを吹き飛ばすために。人間らしい感覚を消し去るために。

 コノハはすっと真っ直ぐに立ち、左手の脇差を前へ突き出し、右手の刀を頭上に掲げた。

「……ニギ。わたしはあなたの神を殺します。わたしは、あなたにあなたの罪を背負わせます。わたしは――あなたの瞳から、涙を流して御覧にいれましょう」

「ハハ……ハハハハハハハハハハハ!!!」

 ぼくは高らかに、今までにないくらい思い切り、気持ちよく笑った。おかしかった。

 ぼくの瞳から涙を? おじいさんが死んでも泣かなかったぼくから? あんたが? どうやって?

 そうさ、どだい無理な話だ。ぼくは人じゃないから。なんて馬鹿らしい!!

 ひとしきり笑ったら、からだの震えが消えた。コイツを殺す。その使命感だけがからだを支配した。

 にやりと口元に笑みが戻った。

 そうだ、これこそがいつものぼくだ。

 いつも通り、目の前の敵を排除する。

 それだけ。さっきのは、単なる一時の気の迷いに過ぎない。剣だって(なま)る。(やじり)だって錆びる。なら簡単だ、研げばいい。神経を研ぎ澄ませばいい。

 楽になった。

 こうなりゃ、死んでも生きてもおんなじだ。後は運に任せればいい。

 二本の足でしっかりと地面を踏みつける。肩の力を抜き、左手のナイフをしっかりと握る。これで最後だ。

 これで最期だ。行くぞ。勝負は恐らく、一瞬で決まる。

 ぼくはぴょいんと軽く跳躍。そして背の壁に足をつけ、思い切り蹴る。三メートルあった距離は一瞬にして消滅する。

 頭上から刀が打ち下ろされる。

 がきん――。ナイフで受け止める。

 全身が地面に叩きつけられそうになるのを、なんとか両足で防ぐ。

 左手の脇差しの切っ先がぼくへ向かう。ぼくは、避けない。避けたらそれで終わりだ。

 コノハの脇差が、ぼくの右肩部分にもろに突き刺さる。

「ぐぅ……!!」

「ほら、痛いでしょう? 泣いてみなさいな。泣いて、命乞いをしなさいな」

「ふざけるな…………死んでもお断りだ!!」

 歯を食いしばり刀を逸らすと、コノハに向かってそのナイフを投げつけた。

 左肩の、ピースメイカーで撃ち抜いた所に刺さる。コノハの顔がゆがむ。

 しめた! ベルトからナイフを取り出し、地面を蹴る。

 脇差が深くめり込む。

 痛くなんか、ない。

 コノハは脇差から手を離し、一歩下がりながら刀を振り上げ、ぼくのナイフを首元すれすれで防ぐ。

 予定通り。ぼくは、躊躇なくナイフを捨てる。

 そして、ぼくはコノハに向かって飛び込んだ。

 ぼくは、コノハに触りにいった。コノハの瞳が大きく見開く。

 今気付いたってもう遅い。後ろに下がったって避けられまい。

 ――届いてしまえば、触れてしまえば、ぼくもコノハも途端に消える。

 おじいさん……もう、いいよね。

 ぼく、頑張って、おじいさんとの約束守ったよ。一生懸命生きたよ。

 やりたくないこといっぱいしながら、精一杯生きたよ。

 何度も死にたくなったけど、我慢したよ。

 それも、これで終わるね。

 コノハが、導いてくれるよ。

 ありがとう、コノハ。……名前を呼ばれたのなんて久しぶりだから、嬉しかったよ。

 さようなら。

「――ニギ。泣きましたね。……わたしの勝ちです」

「――え?――」

 夢心地の気分が一転、コノハの言葉で途端に現実へと戻される。

 ぼくの頬を伝う一縷の涙に気付いた時には既にコノハの刃をからだに受けていた。

 コノハは、向かって来るぼくを、下がることなくその場でひらりと回転しながら紙一重で避け、そのまま左肩から腰の右側にかけて、袈裟に切り込みを入れていた。

「あっ……」

 ――力が、抜ける。先ず地に膝をつき、からだが傾き、ぺたん、と仰向けに倒れる。血液がどくどくと流れ出し赤く赤く染める。床の継ぎ目を伝い、四方八方に格子を作る。

 目を開いても、霞んで何も見えない。コノハが何か言った気がする。何も聞こえない。

 そうしてからだは死んでゆくのに、涙は流れ続ける。それでもどういうことか、悲しみは感じられない。

 ……ああ、よかった。やっと死ねる。

 安堵の言葉が口端から漏れる。自然に顔が綻ぶ。精一杯生きて、こうして死ねるんだ。本望じゃないか。何も思い残すことなんてない。よかったじゃないか。

 地面の冷たさが伝わる。冷たいなァ、いやだなァ、寒いのは、好きじゃないんだ。

 でもそれさえも、段々と感じなくなってきた。成程、これが、死ぬっていうことか。

 ……そういえば、小説の続き、読めずじまいだ。仕方ないよね。

 ……ありがとうコノハ。殺してくれて。最期に一目見たいけれど、一言だけでも聞きたいけれど、もう、無理だ。――さよなら。

 目を瞑る。識が遠くなる中で、コノハの言葉が何か、鼻声で聞こえた気がする。

「……死なせなんかしませんよ。死ねるなんて思わないで下さい。あなたは、――きっと、――もっと生きなきゃ駄目なんです。――もっと笑ってもいいんです。――我慢せずに泣いてしまってもいいんです。――そうすべきなのです」

 かちん。刀を鞘にしまう音。意識はそこで完全に途絶えた。――



「――ねえおじいさん。見て、雪が降って来たよ」

「雪なんざ珍しくもなんともない。寒いよ、窓を閉めな。どうして子供は雪を見るとはしゃぐのかね」

「え、だって、雪だもん」

「ただの雪だよ。去年も学校帰りの子供が雪を投げ合っていたねえ。あと、食べている奴もいたから叱っておいたよ。腹壊すって事も分かんないのかね。子供は本当に馬鹿さねえ」

「子供だもん」

「子供だねぇ」

「……学校、かぁ」

「学校…………なあニギ、お前さんは学校に行きたいかね?」

「ううん、女の人がいっぱいいて怖いから」

「そうか…………じゃあ、友達は欲しいかね?」

「友達……分かんない」

「お前も、こんなじいさん一人の相手じゃつまんないだろう」

「ううん、別に?」

「そうかい?」

「それに、本もいっぱいあるし」

「そうかいそうかい。お前は本が好きだな。そいつはいいことだ。世の中ってもんは、無知には結構冷たい。知識にせよ法律にせよ制度にせよ、知っていなけりゃどうにもならんのだ。……でもなあ。わしが元気なうちはいいがなぁ。そうはいかんわけだから――」

「ねえ、おじいさんは友達いるの?」

「なんだ、わしか。……まあ、昔にゃいたことはいたが、今じゃてんですっかりだ。死んだり喧嘩別れしたり、疎遠になったり……」

「そっか。じゃあ結局、その程度のものじゃないのかな」

「……まったく。偏屈というか小賢しいというか生意気というか。そんな風に育てた覚えは無いんだけどねぇ」

「育てられた覚えはあるよ」

「…………まったく」

「へへっ」



 おじいさんの夢を見た。ああ、もしかして、初めてかな。生きている間は、一緒にいるのが当たり前過ぎたもの。

 死んでからは……どうしてかな、一度も出てくれなかった。

 思い出す、おじいさんが逝ってしまった時のこと。寒く、冷たい日のことだった。

 雪が深々と、容赦なく地に降り注いでいた――。

 おじいさんは布団に横たわり、必死の形相で呻きながら苦しんでいた。

 かかりつけの医者に電話しても出てくれなかった。運悪く、他の所で急患があったらしい。

 辿り着いたのは、おじいさんが苦しみ出してから二時間後だった。

 そして、簡単な触診やら聴診やらの後、

「助かる見込みはない」

 との診断結果が当然のように導き出された。

 ぼくは医者にすがったけれど、他に助けるべき人がいるから、みたいなことを言われてすぐに出て行ってしまった。

 ――それから八時間、おじいさんはずっと苦しみ続けた。

 ぼくはなすすべなく泣き続けていた。

 やがて、おじいさんの声が小さくなっていった。どうやらもう駄目らしい。

 そして、ぼくは泣き疲れてしまった。涙も枯れかけて、おじいさんの手を握りうつらうつらとしてる間に、意識は夢の中に。

「ニギ……精一杯生きてくれ」

 おじいさんの声が聞こえた。起きると、朝になっていた。おじいさんの手が、ぼくの頭の上に乗っていた。既にこと切れていた。ひどく冷たくなっていた。

 ひどく寒い日だったから。

 ぼくのからだも冷たくなっていたけど、おじいさんの体温は、冬の風に全て攫われていた。

 ……おじいさんの柔和な死に顔を、ただひたすらぼうっと見つめていた。

 かけられる言葉など無かった。流れる涙なんて残っていなかった。

 ――その日から、冬が、嫌いになった。

 雪が、恐ろしく感ずるようになった。寒い風が肌を刺す度に、心まで犯される気分になった。

 ……だからだろうか、こう、逆に温かいと安心できる。

 何だろう?

 今、ものすごく温かい。それでいて、ふかふかしたものに包まれているようで心地よい。さっきまで震えるくらい寒かったのに。

 ふにっ――。

 何か温かい、ぷにぷにすべすべしたものに触れる。

 ん、なんだろう、これ。

 恐る恐る、目を開ける。

 辺りは適度で穏やかな光に満ちていた。向こうに、茶色い壁のような何かが見えるけれど、ぼやっと薄いもやが視界全体に覆いかぶさっていて、それが何なのかがまったく分からない。

 そうやって目を凝らしていると、やがて視界が晴れる。茶色い壁だと思っていたものは、天井だということが分かった。

 そして同時に、自分が布団に包まれて横たわっていることを自覚する。

 どういうことなんだろう――。

 自分がさっきまで何をしていたのか、何故こんな所で寝ているのか、何ひとつとして理解できない。

 まるで夢の中へ入り込んでしまったようだ。……もしかして、探せばおじいさんに逢えたりするかな。

 幽かな期待を胸に、からだを起こすと――

「あがッ!? うがッ!!」

 全身を駆け巡る鋭い痛み。瞬く間に覚醒する自意識。

『ボクハ、マチガイナク、イキテイル』――いやでも突き付けられた、(せい)の確信。

 途端にからだはゆっくりと傾いて、ぽすん、と布団へ後戻り。

 どくん。どくん。あまりの衝撃に、心臓の鼓動は強く高鳴る。

 呼吸も速く、暑くもないのに全身から汗が噴き出した。

 そして、すぐさまぐるぐると頭をめぐらす思考。

 どうしてぼくがこんな所でこんな風になっているのか。

 ぼくのからだ全体に、包帯を巻かれているようだ。つまり治療されてこんな所にいると。左手などは、厳重にギプスのようなもので固定されている。

 ふと頭をもたげる、紫の髪の……『紫鬼』の女。

「――コノハ――」

 宙に向かって、誰に聞かせるでもなく呟いた。……そうだ。

 ぼくはあのとき、『紫鬼』であるコノハと闘い、敗れた。死んだ、と思った。……

 それなのにこうして生きている。まさか、情けをかけられたというのか。

 はっきりしない頭を振るって論理的思考を少しずつ取り戻す。周りをよく観察する。

 二十畳はあろうかという畳を敷きつめた広い和室のど真ん中で、ぼくは寝ていた。

「……ん? なにこれ?」

 ぼくの布団が、ゆっくりと呼吸するように膨らんだり縮んだりを繰り返している。

 ……布団の中に、何かがいる? 右手で掛け布団を、勢いよくどかす。

「……って、うぉわ!?」

 ぼくは驚いて跳ね起きて、布団から急いで脱出する。

 ……それもそうだ。布団の中に、褐色の肌のかわいらしい少年が、全裸で、すやすやと気持ちよさそうに眠っていたわけだから。誰だってそうするでしょう?

「え? あれ? あの、その、どういうこと!? 何なの!! 誰? えっと、そうじゃない、なんでこんなことに!? 何が!? わけが分からない!!」

 全身に痛みを感じながら、必死になって叫ぶ。すると褐色の少年は「うるさいなあ」と言いたげに眉を八の字に曲げた。

 ……なんでそっちが怪訝な顔するの、こっちの台詞(?)だよ。少年の瞳がゆっくりと開く。

 そして――目と目が合った。

 その少年は、本当にかわいらしくって、一糸まとわぬその姿は妖艶と言ってしまっても差支えない。

 本能は警告しないけど、触れた途端にぽんと消えてしまっても不思議ではないくらい。思わず見惚れてしまうほど。

「あの……えっと……その……」

 意識したら途端に緊張してしまった。声が上ずる。二の句が継げない。情けない。

「……駄目じゃない」

「……え?」

 少年から発せられた声は、ぼくよりも少しだけ高くて、それでいてかわいらしかった。

 どういうこと? とぼくが返そうと思ったら、少年はひょいと立ち上がって、……王子さまのようにぼくを抱き上げた。え、いや、あの、ほんと、どういうことなの?

 そして、今気付いた。ぼく、包帯が巻いてある以外に布が見当たらない。つまり、全裸の男が全裸の男をお姫さまだっこしている構図である。

 ……え、どういうことなの?

 ぼくを布団まで運び、横に寝かすと、掛け布団を掛けて、自分も入り込んだ。

「うん、これでよし」

「いや、どういうことなの?」

 やっと発せられた、当然の疑問符。

 それを少年は、眠たそうな瞳でぼくを見つめたまま、意味が分からない、という風に首を傾げた。

 …………どういうことなの!!

「え、分からない? どうしておんなじ布団に入っているのかなぁってことなんだけど」

「ああ、そっか。そうだよね。えっと……様子を見に来たら、君、寒そうに震えていたから……」

 と少年はぽつりぽつりと雨だれのように言葉にした。……って、え? それだけ?

「ええっと、あの、つまり君は、ぼくが寒そうにしていたから、温めなきゃいけないと思い立った結果……その……全裸で同衾したと……」

 少年は眠そうな瞳のまま、こくこくと頷いた。まあ天然。それにこのコ表情が乏しい。将来が心配。この様子だと、躊躇なんてなかったんだろうな。はぁ……

「そっか、ありがとうね」

 一応、お礼を言うと、少年はその無表情の顔を少しだけ綻ばせた。その微妙な変化は、ぼくの心臓をどきっとつかせた。

 端正な顔立ちと言い、魅力の塊みたいなコだな。

「ぼくは、《フヨウ》。……ねえ、君は?」

 少年は、フヨウは自らの名を名告(なの)った。

 ――ぼくの頬にさっと熱がこもる。不意打ちだった。名を言われて、聞かれただけだけど、それだけで、何故か、顔が熱くなった。

「ぼくの名前は、――《ニギ》」

 言葉が尻すぼみに小さくなった。恥ずかしかった。このフヨウに、甘えているような気がした。……多分だけど、――フヨウはぼくの名前を既に知っていた。それでもわざわざ聞いてくれた。これはひとつの儀式だ、と思った。意味は……分からないけど。

 ものすごく嬉しい。

 それでいて、ものすごくくすぐったい。

 足音――。女の気配。ふたつ。痛いのを我慢し、さっと起き上がり身構える。

 ……このにおい、間違いない。片方はコノハだ。ぼくをこんな状態にした、あの『紫鬼』だ。

 ムシッ。ムシッ。

 畳を踏みしめる音。少しずつ、着実にぼくの許へ向かって来る。

 コノハに会ったら、何と言えばいいのだろうか。聞きたいことなら山ほどある。

 ここはどこなのか。お前の目的は一体何なのか。何故、ぼくを生かしたのか。……先ずはこの(オセ)(ッカイ)のお礼といこうか。

 足音がぴたりと止まる。

 襖一枚隔てた向こう側から、コノハと女の気配がする。

 どくん。どくん。

 努めて落ち着かせ、心臓の鼓動を整える。

「いますかー。フヨウー。はいりますよー」

 コノハの声。すっと襖が開く。コノハの姿が見えた。その黒曜石のような、純粋で穢れを知らない真っ黒な瞳に、はっと息を飲んだ。

 美しい――。

 コノハもぼくを見て、その堂々と座りきった瞳を、驚いたように大きく見開いた。

 そして――

「ショ…………ショ……」

「……しょ? …………何?」

「ショタァアア――――――――――――――――――――ッ!!」

 部屋一面が、血で、赤く染まった。……コノハの鼻血で。ぼくのからだも赤に塗れた。

 コノハはぼくを見るなり一時停止。と思ったら意味不明の言葉を吐いて鼻血を噴き出させ、ぱたりと倒れてしまった。コノハの後ろにいた、メイド服姿の褐色の女の子が慌てて、

「ちょ、あんたたち、なんてかっこでなんてコトしてんのよ!! コノハ、しっかり!!」

 ぼくは改めて自分が全裸であることを認識。あっと思い慌てて布団で隠し、

「い、いや、別に変なことしてたんじゃないぞ!! ホントだぞ!?」

「馬鹿言ってんじゃない!! 全裸の同衾が変なことじゃないんだったら政治家のふーぞく(がよ)いなんざ問題(ニュース)にならないわよ!! コノハ殺す気なの!?」

 ぼくは目をぱちくり。

「…………え!? そんなんで死ぬの!? 嘘でしょ!! ぼくがどんだけ苦労したと思ってんだよ!! 死ぬ所だったんだぞ!!」

 っていうか、死んだとばかり思っていた。女の子はキッと眦をきつく吊り上げて、

「コノハはこんなんで簡単に死ぬ子なのよ、しょうがないでしょ!! しぶといゴキブリもホウ酸団子でコロリと逝くでしょ!? それとおんなじよ、文句あるの!?」

 超ド級種族・『紫鬼』をゴキブリ扱い!? しかも女の子を!! 文句ならありまくりだよ!!

 とか何とか言おうとした所でフヨウがからだをぴたっと押し付けて、

「コノハさん、ぼくらみたいなかわいい男の子、大好きだから」

「自分で言うの!? っていうかぼくはかわいくなんかない!!」

「……そんなこと、ない」

「そんなこと……ひゃ!!」

 フヨウがぼくのからだをまさぐりだした!! 離れたいのに力が入らない!!

「……ほら、かわいらしい声。かわいらしい顔。かわいらしい仕草」

 フヨウの顔が、上気して紅潮している。

 ちょ、ちょっと怖いよ……。

「ぎゃあああ!! コノハ!! また鼻血が!! 死んじゃう!! ちょっとフヨウいい加減離れなさい!!……コノハ、目を覚ましたのね!? お願いしっかりして!!」

 女の子は叫びながらコノハを抱きかかえる。コノハはうっすらと目を開き、

「……どうか介錯を」

「コノハあああああ!! 諦めちゃ駄目!! あなたにはやるべきことがあるでしょう!!」

「……ショタ☆イチャ目の当たりに出来て、この世に何の未練がありましょうか。この恍惚の中で逝けたなら、どんなに素晴らしいことでしょう。…………ただし、筋肉は死ね」

「コノハぁああああああ!! そんな遺言いやぁああああああ!!」

 コノハはひっそりと目を閉じ、女の子は泣き崩れる。フヨウは我関せずとぼくをまさぐり続けいやあのそこはだめせなかになにかかたいものがほんとちからがはいらないちょっとちょっとまってまってこころのじゅんびがまだできてなあああああ


 ぼくの日常が、一変する――。


 非日常の荒波が襲いかかる最中、不安とも淡い期待とも取れる予言めいた確信が、終始ぼくの心をいたずらに揺さぶっていた。


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