自販の前でお話するだけの話
得意げに語ることではないが、我が家の玄関から歩いて数歩のところに自動販売機がある。
いやほんと、得意げに語るどころか、語る必要すらないことだ。ありふれた自動販売機。ペットボトルは140円で、缶は120円。田舎に比べて少々値段が張るのはご愛きょうといった感じの何処にでもある普通の自動販売機が、まぁあるのである。
だから僕は毎朝学校に登校するとき、いつもその自動販売機を目にしているし、帰ってくれば視界の片隅に自動販売機は存在する。
殆ど意識もしないし、利用だってしないけれど、でも日常の中にちゃんと組み込まれた大事な風景の一つ。
それが僕にとっての自動販売機だ。例えるなら空気のようなものと言っても過言ではない。いや、過言ではあるか。
空気は言いすぎた。
例えるなら電柱みたいなもんである。
そんな普段なら視界に収めても意識することは殆どない自動販売機だが、休日のある日、僕はその異様からどうしても目が離せない状況に陥っていた。
「ちゃうねん」
いってきまーすと玄関を出て一秒。僕の視界に入ったのは、スカートに隠された大きな臀部であった。
つまりは尻だ。
自動販売機の下に尻が鎮座していて、あろうことか尻が声を発している。
もしかしてこれが宇宙人という奴だろうか。名づけるなら尻人。
アナルヒューマン。
「ふむ」
僕は何処かの科学者っぽく、顎に手を添えながら自動販売機の真下にある尻へと近づき、とりあえず眺めることにした。
「ちゃ、ちゃうねん」
ほぅ。どうやらこの尻。恥ずかしがっているみたいだ。異文化コミュニケーションと言えば言語の壁が大きいと言うが、この尻は地球、しかも日本に来るにあたり最低限度の日本語を勉強してきたらしい。
素晴らしい。
とりあえず僕は友好の握手代わりにスカートをぺろんと捲くる。
顔面を痛烈に蹴られた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ! アナルヒューマンが戦争を仕掛けてきやがった! 畜生! 人類とアナルによる戦争が僕のせいで始まっちまうのか!」
「ちゃうねん!」
今度は怒っているらしい。ふりふり尻を振りながら怒っているアピールをする尻。だが照れが若干入っているところを見ると、どうやらまだ会話の余地はあるみたいだ。
人類とお尻の来るべき会話。
まずは全人類代表として礼儀正しく接しなければならないだろう。
とりあえず尻を足で小突く。
応じるように放たれた蹴り足を避けて再び小突く。
また蹴りが飛んでくる。
僕は小突く。
蹴りが飛ぶ。
おぉ。いいぞいいぞ。なんだかコミュニケーション出来てるんじゃないか僕。もしかしてこれがアナルヒューマン特有の挨拶なのか?
うひょー! よーし。お兄ちゃんいっぱい小突いちゃうぞー!
「いい加減にしてよ!」
「何だよアナル」
「アンタの妹だよ!」
何と。
どうやら僕の妹はアナルヒューマンだったみたい。
ならば僕は人類とアナルヒューマンの混血ということになり。
「つまり、僕は異星人同士を繋げる橋渡し役だったわけか」
「違うがな」
再び突っ込みが入った。そこはちゃうねんではないのかとも思ったがそれは些細なこと。一瞬で冷静な突っ込みを入れてくる尻から視線を外して空を見上げる。
さんさんと僕と妹アナルを照らす太陽。快晴の青空がとても綺麗。
うん。
「それで? 何でお前自動販売機にひれ伏してるわけ? 新手のプレイだったり?」
「やっと聞いてくれた! さぁ兄ちゃんよ! つべこべ言わずに私を引っ張ってくれたまえ!」
言われるがまま僕は妹の尻を蹴った。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
「おいおい。年頃の少女が何てはしたない声あげてるんだよ」
「爪先……! 兄ちゃん……! アタシの尻の穴に爪先を……!」
「え? だって突っ込めって言ったろ?」
「引っ張れって言ったんだよ!」
何と。
僕としたことが妹の話を聞き間違えるだなんて。
これはきっとアナルヒューマンの妨害工作が入ったに違いないだろう。
何てことだ! 実は本当にアナルヒューマンは実在していて、こうして今でも一緒にお風呂に入ってる仲良し兄妹の関係をぶち壊すつもりだったのか!
恐るべきアナル。
想像を絶する恐怖に僕の額から大粒の汗が一筋流れた。
「暑いしジュース飲もう」
「ちょっと兄ちゃん! 勝手に自己完結した上に可愛い妹を置いて自販使ってるんじゃないわよ! ほら! 尻フェチ兄貴! 頑張って引っこ抜けたら尻で顔踏んであげるからさ!」
「喚くな妹よ。第一さっきのやり取りで喉が渇いて力が出ないんだ。こんなんじゃ引っこ抜く力も出ないし、とりあえず先に喉をうるおして体調を万全にするのが得策だと思うぜ。それと家に帰ったら、顔じゃなくて僕の両掌に尻を置きなさい。揉みほぐすから」
「流石兄ちゃん! 頼りになる上に気持ち悪い!」
「とりあえず疲れたから座っていい?」
「いいよ!」
僕は自販でポカリを購入すると、自動販売機にひれ伏す妹の尻に腰を降ろした。
「ふが!」
腰を降ろした衝撃で妹が女子らしからぬ声をあげるが無視。ポカリで喉をうるおしつつ、くだらない茶番で出来なかった現状の整理に取り掛かることにしよう。
僕の妹は現在、腕をずっぽり自動販売機の下の微妙な隙間に突っ込み、発情したメス犬のようにハァハァ息を荒げながら自動販売機に頬を擦りつけ、膝立ちでその無駄にでかい尻を持ち上げていやらしく上下している状態だ。
うん。
成程。
「妹よ」
「ハァ……ハァ……何だい兄ちゃん妙案でも思いついたかい? 兄ちゃんの椅子になるのは別にいいけど、この炎天下でいつまでも続く状態ではないんだ。続きを家でやるために速く私を引っこ抜いて」
「君は変態だな」
「アタシは変態じゃない!」
むぅ。
そこまで断言されるとは。
「アタシは兄ちゃんの椅子だよ!」
「それ、変態じゃね?」
「いや、この場合妹を椅子に仕立て上げた兄ちゃんが変態的だとアタシは思うよ」
「おいおい、責任転嫁はよくないぜ妹ちゃん。僕は確かに現在進行形でお前を椅子にしてはいるが、僕から一言だってお前を椅子にする発言はしていないって」
「おー。そう言えばそうだったね。じゃあ訂正だ。アタシは兄ちゃんの椅子に立候補しただけだよ!」
「それは変態的だな」
「ぎゃー! しまった!」
このうっかりさんめ。
そういうお馬鹿なところがまだまだ詰めが甘いというのに。
「さておき妹よ」
「何さ兄ちゃん」
「お前、どうして自販に腕突っ込んでるわけ?」
そう。
そもそもの問題はそこである。
自動販売機に腕を突っ込んだ我が妹が、そこに至るまでの経緯を知らなければ話は始まらないというものだ。
そんな初歩的なことを問いかけるまで随分と時間がかかったような気がするが。
まぁお話は進んだのでオッケーであろう。
ともあれ、ここまで長いフリをかましたのだ。自販の下に腕を突っ込んだ理由だってさも想像の斜め上に違いないだろう。
異世界への扉でも見つけたか?
這い寄るなんちゃらに腕を引っ張られているのか?
もしくは自販の下の隙間がお尻の穴に見えて思わずムラムラしちゃったのか?
「隙間に落とした小銭を拾おうとしたら抜けなくなったのさ」
「つまんねー!」
まさかのありきたりなオチに僕は思わず叫んだついでに乗っかってる尻を軽くはたいた。
気分は馬に乗った騎手である。
「いてぇ!」
眼下で妹がやはり女子とは思えぬ叫びをあげるがこれまた無視だ。
「……それで? 小銭のほうは手に入れたのかよ」
「いやさ。それが小銭をまさぐってたら変な具合に掌が引っかかったみたいでさ。小銭も回収出来ないし掌は引っかかるしでアタシは今世紀最大の不幸を体験したよ」
「残念だが変態な妹の上に仕方なく乗っている僕のほうが不幸だと思うぜ」
「なにー? ってそれもそうか。ごめんよ兄ちゃん。アタシが変態なばかりにさ」
「気にするなよ妹。妹の性癖を満たしてあげるのが兄ちゃんの役割ってもんだろ?」
「兄ちゃん……」
語尾にキュンとか擬音がつきそうなくらい濡れた声で僕を呼ぶ妹。ふっ、どうやらギャルゲーよろしく妹の高感度を上げてしまったらしい。
この場合はなんだろ。尻撫でながら高感度が上がった感じだし、名づけるとしたら……
シリポ?
なんだよそれは。
「さて、お口を開けなさい。水分を与えてあげよう」
「あーん……んごっ!?」
「よーしよし。たんと飲めよ」
「んほっ……! んごご! んぼぁ……! 兄ひゃ……! 勢い! よすぎ! んぼ!」
頑張って顔を横に向けて精いっぱいその小さな口を開いた妹にポカリを突っ込んで強引に飲ませつつ、どうやって妹をこの窮地から脱させるか考える。
おそらく変に掌を突っ張ったのが原因だろう。妹のことだ。小銭を探すという当初の目的を忘れて、影になって冷たくなっているアスファルトに手を当てて冷やすのに夢中になって、気付いたら手をコロコロと擦りつけたいたに違いない。
「んぉ! んんん! んはぁ……!」
ったく、我が妹ながら情けないことこの上ないな。まぁ妹の不手際を片づけるのも兄ちゃんの仕事だ。どれ、ここはさらに一つお兄ちゃんの株でもあげることにするか……っておいおい。
「んぅ……う、ぁ……」
「妹ちゃん。アヘってないでちゃんとしなさい」
「……テメェ」
恨めしそうに僕を睨み上げる妹。はて、僕が一体何をしたというのだろうか。
「危うくこっちは溺れかけたってのに反省の色はないのですか!」
「そもそも僕は何も悪いことをしちゃいない」
「自覚なしかよ!」
チクショー! と大声でわめく妹。そのせいで僕が乗っている尻も前後左右にゆさゆさ揺れる。
気分はさながらロデオに乗ってる感じ。
よーし。お兄ちゃんお尻叩いちゃうぞー。
「そりゃ!」
「うぎょ!?」
これで三度目になる女子らしからぬ悲鳴をあげた妹を放置して、僕は重い腰をようやくあげることにした。
のっそりと立ち上がり、尻を上げた状態のはしたない妹を改めて見直す。
「よし。作戦会議もそこそこに、まず最初は景気よく思いっきり足を引っ張ってみるか」
「作戦会議してたの!?」
「何言ってるんだい。三十秒前にもう議題は終わっただろ? 作戦名はぎゅっとしてスポンだ。スカート脱げてもいいってお前言ってたじゃん」
「マジか。アタシそんなこと言ったっけなぁ」
「言った言った。ついでにBカップだって自分で暴露してたぜ」
「ふふふ、甘いな兄ちゃん。その情報はあまりにも古すぎる……いつからBカップだと錯覚していた?」
「ごめんな。兄ちゃん、お前が本当はAカップだって知ってるんだ」
「ひぎぃ」
さてさて。
僕はとりあえず妹の後ろに回り込んで前屈みに構えた。腰を落として、大地に根を張るように両足を広く構える。
妹も僕の決意を知ってか知らずか、僕が足を取りやすいように体を伸ばしてうつぶせになった。
「さて……茶番がすぎたがそれももう終わりだ。ここからはシリアスに決めるぜ妹ちゃん」
「わかってるよ兄ちゃん。もうアタシが壊れても構わないから思いっきり引っ張っちゃって!」
「良し来た!」
妹の覚悟を無駄にするわけにはいかない。話が唐突すぎるが、それもこれも全て茶番を挟むことによって覚悟をする時間を稼ぐため。
既に引っ張るための覚悟は茶番の間に過ぎ去った。
僕は妹の尻を叩きながらスカートを引き抜く覚悟を決めたのだ
「え!? 足じゃ──」
「せいやぁ!」
「いぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
有無を言わさずスカートを奪い去ると同時、妹が羞恥心の上げる激痛にこれまたやっぱり女子らしからぬ悲鳴をアスファルトに向けて響かせた。
「よっしゃー! 妹のスカートゲットだぜ! うひょー! すっげー! 生温かいぞぉ! しかもちょっといい香りもするし! はぁぁぁぁぁぁぁ! 生き返るぅぅぅぅぅ!」
「き、貴様ぁ! 生きて黄泉路を渡れると思うなよ!」
喜びの舞いをスカートと共に踊る僕に、あらゆる負の感情を乗せた妹の言葉が突き刺さる。
ふふん。だがその程度でビビる僕ではない。所詮今の妹など籠の中の鳥、もとい自販の虜。腕を取られて身動き出来ぬ貴様などおそるるに足りぬのだ。
それと黄泉路は確かに生きては渡れないよね。
「んぅぅぅ? そんな態度でいいのかなパンツ丸出し妹、略してパン丸」
「くぅぅ……! 最早妹の文字すら略に入ってないじゃんかぁ……!」
「それはともかく。今お前が頼れるのは僕しかいないんだぜ? しかも現状は黒の紐パン丸出しで尻を突きだした状態だってことを忘れるなよ妹。僕の胸先三寸じゃ、お前はそのまま放置プレイされて空き缶を回収しにきたホームレスのおっちゃん達に薄い本プレイされることになるんだぜぇ?」
あくどく笑う僕の真意に気付いた妹は、文句を言うこともできずにぐぬぬと口を震わせた。
ふはは。ようやく己の立場っていうのがわかったか妹よ。最早お前の薄い本展開は僕の掌の中にあるっていう最悪の事実になぁ。
「どうだぁ? それがわかったら何を言うべきかわかるだろぅ?」
「うぅぅぅ……」
「さぁ言っちゃいなって。言えば楽になるぜ? ほら、我慢するなよ」
「うぅぅぅぅ……!」
「ほらほらほら!」
やっべ。
やっべぇぞ。
顔を真っ赤にして羞恥に耐える妹ってちょっと面白すぎる。
そしてやっべぇ。
勢いでスカート脱がしちゃったけど、これどうやって収集つけていいのかわからなくなってきた……。
「うはははははは!」
とりあえず笑ってみたけど、状況は妹も僕も同時に追い詰められている状態。妹は気付いてはいないが、ぶっちゃけこの状況。誰か人が来た瞬間僕の人生ゲームオーバー確実である。
なんせうつ伏せで涙目のパンもろ少女を見下して、そのスカートを片手に高笑いする僕という状況。
もうあれだ。
やべぇ。
おい。
もうどうしようもねぇよ。
これもう収集つかないって。
最早自暴自棄になって妹を虐める僕だが、まぁ妹もやられっぱなしではいない。涙目になりながら、尚果敢に兄魔王と化した僕に挑戦するように視線を鋭くしてくる。ぐぬぬ、何だその視線は。兄ちゃんはビビったりしないんだからね。
「へっ、所詮アタシを捕まえていなくちゃ上手に出られない臆病者の癖してさ。図に乗ってるんじゃないっての」
何?
「僕が臆病? 僕がビビり?」
「そう、兄ちゃんはビビりだ!」
「ぐぬぬ」
挑発だとはわかっているけれど何だか上から目線で下から言われるとムカつく。悔しくてスカートを噛んだりしちゃうくらいに悔しいぞ。
「僕はビビりじゃない。ビビりじゃないぞぉ……!」
「だったら条件を対等に出来るはずだ! そら! ビビりじゃないってんなら兄ちゃんも自販機の下に手を突っ込んでみろよ!」
何だって!?
僕もお前と同じく腕をずっぽり嵌めこめっていうのか!?
「くっ……だがしかし……」
「おんやぁ? まさか兄ちゃんってばパン一の妹と同じ土俵にも上がれないのかい? パン一のアタシと同じ場所に! パン一のアタシと同レベルに!」
ぬぬぬ。何だかわからないが凄く舐められているような気がする。あろうことか自販機の下の隙間に腕を取られたパン一妹に舐められるとは……。
何たる屈辱!
ちょっと興奮してきた!
「上等だ! けけけ、後で泣きを見るなよ妹。対等の条件になっても僕はお前を見下してやるぜ!」
「へへへ! やれるもんならやってみな! 腕が使えない恐怖におびえるがいいさ! 後スカート返して!」
「スカートは返さない! うぉぉぉぉぉ!」
「ぎゃー! 頭からスカート被るなぁ!」
「ふぉぉ! 唸れ僕の左腕!」
「スカート返してよぉ!」
妹の叫びを無視して、僕は気合いを込める意味合いも兼ねて手にしたスカートを頭から被ると、その勢いのまま妹の隣にしゃがみこんで一気に自販機の下の隙間に手を突っ込んだ。
狭いようで意外にすんなりと入った僕の腕が、ひんやりとしたアスファルトの感触によってクールダウンする。
「うぉ、気持ちいいなこれ!」
夏っていうこともあるのか。冷たく冷やされたアスファルトがここまで気持ちいいとは!
でもすぐに暖かくなるから、違う場所に腕を動かして動かして動かして動かして──
あれ?
「お?」
あれ?
ちょ。
えっと……
動いて。
動き。
止まった?
「兄ちゃん?」
慌てて体を蠢かせる僕の姿を、距離換算で十センチ程度の距離にある妹の顔が懐疑的にうかがっている。
だが僕はそんな妹に構っている余裕すらない。夏の日差しとは関係のない嫌な汗が体から流れ出す。
いやいや。
ちょっと待って。
「い、妹よ……」
「に、兄ちゃん……」
顔を突き合わせて互いに呼びあう。
言葉はもういらなかった。
まるでビクともしない左腕は、間違いなく妹と同じ。
つまり。
ミイラ取りがミイラになってしまったという──
「いってきまーす」
その時、狙ったかのようなタイミングで背後から気だるげな声が聞こえてきた。
この声は僕も妹も知っている。だって僕ら兄妹の一番上。偉大なる姉ちゃんののほほんとした声で。
「……あー」
体勢が体勢なので、振り返ることは出来ない。だが妹も僕もその冷たい視線だけはひしひしと感じていた。
何だろう。
日射しは熱い。
とても、熱くて。
僕と妹は無言のままに視線を交わすと、申し合わせたように尻を持ち上げて呟いた。
「ちゃうねん」
さぁ、休日はこれからだ。