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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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雨乞い

作者: 工藤るう子
掲載日:2012/09/02





 途方に暮れていた。


 もっとも、彼の白皙の表情からそんなことを看破できるものは、よほどの眼力を持っているか、彼とごく親しいものにかぎられたろう。








 禁足地である入らずの森に足を踏み入れたのは、彼が、生贄だからである。


 近年まれに見る旱魃で、水が枯れかけていた。


 近在の村々から集めた金で招いた雨乞いは、それなりの力があったのだろうが、結局、文字通り焼け石に水だった。


 最後の手段と、竜神への雨乞いを決めざるを得なかった、村長達の苦渋の決断も、無理からぬことだろう。


 そうして選ばれたのが、彼の大切な幼馴染でさえなかったなら、彼は淡々と、儀式を進めることができていたのに違いない。


 そう。


 彼こそが、雨乞いの神事を司る、竜神を祭る神社の宮司であったからだ。もとより彼だとて、ぼんやりしていたわけではない。最悪の事態を避けるべく、竜神に乞いつづけた。


 すべてが徒労に終わった時、彼は、生贄を決める矢を弓につがえ、空に放った。


 まさか、それが、幼馴染の家の屋根に突き刺さるだなどと、考えもしなかったことである。


 いや、それとも、自分は意識していたのだろうか。


 彼は、これまでの思考を覆す。


 男にしては過ぎる赤を宿した、薄めのくちびるが、皮肉気にもたげられてゆく。


 年下の幼馴染、彼が何よりも愛しんでいた彼が、あと数ヶ月で嫁を娶る。今はまだ、日照りでそれどころではないだろうが、いずれ、彼は、許婚者を迎えることになっただろう。この春先、彼女を連れてきて、照れたように笑った幼馴染を思い出すたび、彼の胸は、針でつつかれるように痛んだ。


 矢が刺さった家に、彼が訪ねて行った時、幼馴染は、潔く了承して頭を下げた。


 生贄の大役を、謹んでお受けすると、彼は、笑ってみせさえしたのだった。


 あの刹那に覚えた、壮絶なほどの喪失の予感。それは、耐え難いほどのものだった。


 彼のあの笑顔をもう見ることができないのだと自覚した途端、自分が何をしているのか、彼はまざまざと理解してしまったのだ。


 そうして、彼がいなくなるくらいならと、彼は、自分で、村長達を説得したのだった。


 神に仕える自分こそが、生贄にはふさわしい。


 幼馴染と入れ替わることは簡単だったが、ただ入れ替わっただけでは、彼は村にいられなくなる。だから、公に自分が生贄にならなければならなかった。


 後顧の憂いなきようにと、遠縁から跡継ぎを招きもした。


 それだけのことだ。


 幼馴染は、呆然と、彼を見詰めた。ついで、決められたのだからと、詰め寄った。おそらくは、彼もまた、幼馴染である宮司がいなくなることに、彼ほどではないにしても冷たい喪失を感じたのだと、都合よく思っていたかった。


 自分が生贄となった後のことなど知りはしないが、彼が幸せであってくれることだけを、切に願った。また、彼が、時折、自分のことを思い出してくれることをも、願わずにはいられなかったのだ。


 そうして、彼は、禁足地へともろもろの手順を経て、踏み込んだのだった。


 生贄を逃がさないために、村々から選ばれた男達がついてくる。逃げる心配など無用なのだが、これもまた儀式の手順のひとつとすれば、しかたのないことである。


 めったに宮司以外の踏み込むことのない森の中は、里と比べてひんやりと心地好い。それでも、よくよく見れば、下草や落ち葉に、水不足の影響を見て取ることができた。


 奥へ奥へと進む足音が、静まり返った森に染みてゆく。


 やがて現われた竜が淵は、恐ろしいほど水位が下がっていた。


 木々を映して照り映える煌めく水面が、苔のようなよどんだ暗緑色に覆われ、ねっとりと漆の溜まりのような印象を、見るものに与えた。


 無言の男達に、手足を縛められ、彼は、息を呑む。


 覚悟を決めてはいたものの、さすがに、足元から這いずり登ってくる怖じ気をとめることはできなかった。


 目を閉じ、幼馴染の笑顔を思い出す。


 彼がいなくなるくらいならと、決意した心は、偽りではない。


 彼のためにも、彼の心の中に生涯忘れられることのない場所を得られるだろうためにも。


 ただそれだけのために、宮司は、淵へと、飛び込んだのである。








 彼は、途方に暮れていた。


 自分は死んだのではなかったか。


 息が苦しくなった。しかし、喉を掻き毟るだろう指も、水を掻くだろう手も、水を蹴るだろう足も、縛められたまま、ただ、淵の底へと飲み込まれ、そうして、意識を失ったのだった。が。


 いったい自分はどうしたのだろう。


 水の中にいるとわかる。水草や、魚、水中の生き物が、ひらひらと、泳いでいる。なのに、息が苦しくない。ふわふわと心地好い浮遊感に酔ってしまいそうだ。


 しかし、これは、何、いや、誰なのか。


 彼は、自分の目の前の男を判じかねていた。片頬を歪めて、にやりと不敵に笑う男は、無言のまま彼を凝視していた。


 頭の天辺から足の先まで、あますとこなく、値踏みするかの鋼色の視線に、背筋に粟が立つ。


 居心地の悪い心持ちで、ただ、隠れるのも腹立たしく彼は、その場から、相手の瞳を見返した。


 と、


「我に、怖じぬか。名はなんと言う」

 

と、口が動いたとも見えぬのに、殷々(いんいん)と低い声が、周囲にこだます。とたん、のんびりと泳いでいた生き物達が、慌てたように身を翻す。


「………」


「我の眠りを妨げておいて、名も告げぬとは、よい態度だ」


 面白がっているような声ほどには、瞳は笑ってはいない。


 宮司の喉が、ゆっくりと上下した。


「あなたは、竜神か」


「いかにも」


 端的な反応に、


「私は、この地の宮司をつとめます。名を、春賀と」


 ほう、と、竜神の瞳が、面白そうに瞬いた。


「宮司が淵に身を投げたか。いったいなにをした」


「私は、竜神のにえなれば、竜神に願いの儀がございます」


「おまえが、我の贄とはな。……よかろう、言ってみろ」


 先ほどまでと比べればいくぶんか口調がさばけた雰囲気で、自分の顎を撫でながら竜神が応える。


「村に雨を…………」


 みなまでいう必要はなかった。


「おう」


 短く答えた竜神は、いきおい、彼、春賀の手を掴んだ。


 思わず目をつむった春賀の耳元で、


「おい、目を開けてみろ」


 悪戯そうな声が聞こえた。


 声に誘われるように瞼をもたげた春賀の、色の薄いまなざしが大きく見開かれた。


 いつの間にか春賀は竜神に抱えられるようにして、空に浮かんでいたのだ。


 黒い雨雲が、足元に広がっている。


 雲の彼方に、稲妻が走った。


 大気が渦を巻き、重く垂れ込めた雲が、大粒の雨を降らしはじめる。


 雲の切れ目から下界を覗けば、呆けたように仰向いている村人が大勢いる。緑がみずみずしくなり、乾いた地面が黒く濡れ染まってゆく。


 春賀は、空を見上げてはしゃいでいる人々の中に、愛しい幼馴染を見つけた。


 自然、目元が和らぎ、口角がはんなりとした笑みをかたづくってゆく。


 彼の鳶色のまなざしが、複雑そうな色を宿して、空を見上げている。春賀のことは、見えていないだろう。それでも、嬉しそうで辛そうで、寂しそうな、その表情を見れただけで、春賀には、充分だった。


「たきち………」


 春賀が、そうと気づかず、幼馴染の名前をつぶやいた。


「あれが、おまえの想いびとか」


 思いもよらぬことだった。春賀が、ゆるゆると、竜神を振り向く。


「なんのことです」


「誤魔化さずともよい。おまえの顔を見れば、丸わかりだ」


 見透かすまでもないと、そう言われては、ぐぅの音も出ない。


「彼が私の想いびとだろうとなかろうと、あなたには関係のないことでしょう」


 春賀が、竜神の鋼色の瞳を見上げた。


 クッと、喉の奥で笑う気配がし、竜神が、春賀の白い顔にその野生的に整った顔を近づけた。


「そうもいかん。おまえは、我の贄だ。春賀」


 低く、ゆるやかに、名前を呼ばれて、春賀の背中が、ぞわりと逆毛立つ。


「つまりは、おまえは、我のものなのだ」


 ひょいと顎の下に手をあてられ、顔を傾けられた。


 落とされるくちづけを呆然と受けていた春賀が、手を突っ張って、竜神を引き離そうとする。と、思ったよりも簡単に、離れた。


「なにをっ」


 明け方の空のような色に、春賀の頬が染まっている。それを見下ろし、


「ま、時間は飽きるほどある。おいおい、おまえを我に振り向かせてみせよう」


 にやりと太い笑みを、竜神は、頬に刻んだ。


 野性的で、迫力のある、まさに原始からの神にふさわしい笑顔に、春賀は、思わず見惚れていた。


「おまえの願いは叶えた。では、もどるとするか」


 独り語ちるようにつぶやき、竜神は、春賀を抱えたまま、雲の上から、姿を消した。








 禁足の森の奥、竜が棲むと言われる、深い淵がある。静かに水をたたえる淵のその奥に、宮司が贄となって沈んだのはどれほどの昔のことなのか。


 竜神の心を捕らえた宮司が、その想いに応えたのかどうか、それを知るのは、当事者達だけ。




 竜が淵は、湧き水をたたえて、今も、ただ静かにそこにあるだけである。



 



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