迷える子羊を導く神父
靖國 永善。
突然目の前に現れ、突然としてアテナとアーヴェインの攻撃を防ぎ、突然に名前を名乗った。
何処にでもいそうで実はそうでもなさそうな地味な名前だが、助けてもらった身でもあるので面と言えなかった。
黒を基調としたスーツと革靴、対照的に金色に輝くロザリオ、そして両手に抱え持つは聖書である。
外国人のような堀の深い顔。
左目は一重、右目は二重で眉毛は太い。前髪は眉毛よりも上に整っているが後ろ髪は首の半分よりも下にやや伸びていた。
ミステリアス、というか無表情を繕っているこの神父はステンドグラスの窓が煌びやかに光る礼拝堂でこちらに背を向けていた。
一見しただけで神父だと判断したのは早計だったと思ったが、どうやら悠華の予想通りではあったらしい。
実際、この男は悠華の通う細江中学校から南西に二キロ離れた場所にあるカトリック教会で神父を務めていた。
橙ノ木高校と細江中学校はキリスト教に従った形で授業や年間行事を展開しているので、そのカトリック教会の所在については同級生や先輩や教師からも聞いているが一度も行ったことはなく、この神父の事についても聞いた事はない。
という訳でこの神父の存在を知らない悠華は、この教会に入ってから一度も会話をしていないのだ。
(何だか気まずい。話しかければいいのに、下手に言ったらもっと沈黙しそうで怖い。後輩だったら何気なく声をあければ応じてくるのに!)
ちょっと勇気を出してみることにしてみた。
「あ、あの先ほどはどうもありがと――」
「今は黙ってなさい。天に召された者たちの冥福を祈っている最中だ」
「は、はいっ! すみませんでした」
悪い事をしたわけでもないのに指摘された。
とりあえずは命を助けてくれた人なのだが、命の恩人として感謝するほどには幾分か配慮が足らないのが残念だ。
「――主よ、貴方の元に逝かれた魂の群れに慈悲と愛を注いでください。いつも私の心は貴方と共に。父と子と聖霊の御名によって――アーメン」
静かに、それでいて厳かに呟く神父の祈りが終わると、彼は額・口・胸の順に十字架を模倣して指を振り、その後に彼女の方へと視線を向ける。
「怒鳴ってすまなかったね。これでも私は教義には丁重に従うタイプなのでね」
「そ、そうですか。あの先程の件については本当に助けてもらってありがとうございました」
「礼などいい。私は当然の事をしたまでだし、偶々通りかかったのが幸いしただけだ、神田悠華」
神父は相も変わらない口調で言った。
意外と思えば意外であった。
まさか助けに来るのが偶然通りかかった神父だったのである。
白の魔女セレネが助けに来る可能性はなくはなかったが、それにしても偶然すぎるのではないか。
一介の神父が戦闘のプロである戦士と傭兵の攻撃を防いだのだから。
言うならあの三人も随分と意外だった。
最初の一撃を神父に防がれた後に、示し合わせたかの如く戦闘行為を中止したのだ。勿論、アテナとアーヴェインは悔しそうにもう一撃加えようとしていたが、女騎士に制止させられてあっという間に姿を消していったのである。
直後に一連の騒動を聞きつけたのか警察のパトカーがやって来たようで、悠華は神父に連れて行かれるままに教会に来たのだ。
返り討ちをする目的は果たせなかったが、どうやら命だけは助かったらしい。
神父――永善はとりあえず此方の味方だ。
「とは言え、あの連中はどうも見境のない奴らだったな。周囲を気にせずに自分の思うままに人を殺し快楽を求める。バチカンの騎士はそうでもなさそうだが所詮は同列か」
「あの人は一体何者なんですか? 途轍もない力で私を襲ったあの連中は人離れした力を持ってますけど」
「ふむ、あの者達は言わば戦闘のプロだ。一般人には知られない裏の業界で時には重罪人や人外の討伐、時には戦争への幇助と介入、時には裏取引や密約を行っている。それぞれ違う組織に所属しているが全体としては似た者同士だ。奴らにはなるべく関わらないほうがいい。とは言っても魔女と契約した君にはどうしようもない事か」
思わず神父の言葉に疑問を浮かべた。
「何でセレネの事を知っているの? まだ私は何にも話していないのに」
白の魔女セレネの存在を知っているのか、セレネと悠華しか知らないはずの契約を神父はあっさりと言ったのだ。
疑わざるを得ない。
「当たり前だ。なぜならば私がこの場所に――関門市に招き呼び寄せたのだからな」
あっさりととんでもない言葉を神父は言ってのけた。
「神父さんが……招き寄せた?」
「魔女とは一度も接触はなかったのだが、数日前に電話で白の魔女本人から依頼が来たのだよ――『助けてほしい』と。昔ほどではないが今でも魔女狩りは西洋で行われていて、極東の日本に逃げ込んできたから匿ってほしいと頼んできたのだ」
魔女がここにやってきたのは何故か、と襲撃前に思ったのだがそれならば納得がいく。
連絡手段は公衆電話でもするなり、ケータイを手に入れるなり色々とある。
「それで当然、その依頼を受けたわけね」
「勿論だとも。東洋においては魔女狩りなど行われてもいなし、相手の素性がどうであれ受け入れるのが神の望む無差別の愛に成るのだから。そこで依頼を受けた私は即座に取りかかったのだが――その後は君が見た通りだ」
つまりはこの神父が三人を招き呼び寄せたのと等しく、一連の事件の原因となったようなものだ。そうなると味方として信用していいのかと思う。
「神父さんは何者なの?」
「私はただの一人の神父だよ。迷える子羊を少しでも導くしかできない信者だ」
ふと礼拝堂の入り口に設置されている振り子時計を見れば午後十時を過ぎている。この時間帯は学生寮の門は閉じきっている。
「ヤバい! 門限の時間過ぎてるじゃない! 早く帰らなくちゃ!」
「待ちなさい。そう焦らずに帰らなくても一緒に食事をしないかね?」
ルールには必ず従う真面目なタイプに似合わず勧誘された。これでは大人の男女の付き合いに使われる勧誘の言葉に近い。
「ナンパのつもり? 悪いけど私は帰らせてもらうわ」
「神父は基本的に一人ぼっちだからそんな事を言わないでくれ。ハヤシライスやカレー、豚骨ラーメンでも食べてくれないか? 何ならカツカレーでもカレーうどんでもいいぞ」
「脂っこい料理ばかりじゃない! こんな時間帯に食べたら太るわよ!」
「何を言う。毎日の糧が得られるこの時代で、しかも十代の女性が食べずに我慢するのは体によくない。食べるだけ食べて将来元気な子供を産んでほしいのが私の願いだ」
軽く、いやとんでもなくセクハラに近いというかそのもの発言を堂々と言う神父。悠華は物分りのいい方の人間なので、信仰に基づいた発言なのだと理解した。表面上だけは軽蔑しないようにしよう。
「どうせなら今度教会を訪ねた時にカロリーの低いものを用意してよね」
「そのように努力しよう。こんな時間帯だ、また襲われる可能性もあるかもしれん。私が車で送ってあげよう」
益体のない話でもしながら、ドイツ製の外国車で学校の裏にある学生寮の門外まで送ってもらうと、そこには腕組みをしている寮監がいた。
眉間に皺を寄せてその美形を台無しにする程度に歪ませている。
その姿を見るなり悠華は体をアルマジロの如く丸めてドアの陰に隠れた。
「ひいぃ! 寮監のあの様子じゃ絶対に怒ってる!」
「大丈夫だ、震える事はない。あれは白の魔女セレネが扮している姿だ」
そう言われてちょっとだけ見ると、いつの間にか寮監の姿はどこにもなく、代わりにセレネが窓からこちらを子供を見る目で微笑ましく見つめていた。
「お帰りなさい、悠華」
「あ……ただいま」
そう挨拶して外国車から出るなりいきなり抱きつかれた。
まるで子供との再会を喜ぶ母親のようであり、喜色満面で力の限り抱き締められる。悠華は抱きつかれる中でセレネの豊かに実った二つの果実に圧迫されて今にも気絶しそうだ。
「ぐ、ぐぐるじぃ! 寮の生徒に見られたら恥ずかしいじゃないっ!」
「大丈夫よ、今は結界が張られているから誰にも見られない――あら、貴方は誰かしら?」
神父の姿を見るなりやや警戒するが、その対象の彼は無表情で呆れていた。
「助けてくれと言ったのは貴様ではないか。白の魔女セレネ・メロディズム・リュシエンヌよ」
「靖国永善……あぁ、あの時のね」
微妙な反応だ。忘れかけていた事を思い出したかのようにも見える。
「私、貴方に助けてくれと頼んだ覚えはあるけれど、助けてもらった覚えは全くないわ」
「その代わりにそこの娘を助けてやったぞ? これで依頼は履行されたのと同じだ」
「悠華が……本当なの?」
と、セレネは神父に向けていた厳しい視線をそのまま悠華に向けてきた。
「う……ソノトーリデス」
セレネがまるで悪事を働いた子供を咎める親のようで言い出しづらい。
「えっと……まずは落ち着いて、その次に私の話を聞いてね?」
才媛と謳われる少女でも、遠回しな発言はできる方ではないので直接的に話すことにした。
戦士、傭兵、騎士の三人を同時に相手にする羽目になったこと。
何もできず臆病になっていたこと。
そして永善に助けてもらったこと。
それらを全て話すと、セレネは何を思ったのか右手を顎に当てて考察を始めた。全てを聞き終えた後でも彼女は焦る様子を見せない。
やはり見た目の割に長生きしているのか、無闇に癇癪を起したりはしないようだ。
「そうなの。あの三人はまだ連携して動いているのね。アテナはともかく、アーヴェインとザルモアーズ家の騎士が不和を起こして分裂するかと思ったのに。徹底的に私を始末するか、捕縛するか――どちらにせよこのままではまずいわね。一斉に来られたら困るわ」
「何か方法は」
そこまで言って悠華は言うのを止めた。安易に対策手段を求めるという馬鹿はしないと思ったからだ。
「とにかく貴方の完全状態でも、殺されたとかいう五人の魔法少女たちが相手でも、あの三人にはやられてしまったんでしょ? だったら私が勝てる理屈なんてないと思うわ。一人ずつならともかく――」
「一人ずつ、か。それはなかなかいい案ではないか。そうと思わんかね、白の魔女?」
永善の言葉に若干嫌悪を見せながらも悠華の案に頷く。
「そうね、悠華の案ならばいいかもね。結界を張っていればしばらくは安全だけど、いつ土地勘を持って魔力反応を辿られても困るから、一人ずつ返り討ちにするのがいいわね。肝心な時に助けてくれなかった貴方とは違って悠華は本当にいい子だわ」
どうも永善に対する態度が良くない。
永善が神父なので西洋の歴史を紐解けばそれも仕方ない事だろうか。
「ならば私が一役買って彼らと話をつけようではないか。できるだけバランスを取るようにしてやるが、それ以降は白の魔女と神田の好きなようにするがいい」
「待ってよ! 神父さんは私たちの味方ではないの?」
「勘違いしないでくれ。私は単純に魔女の依頼を受けただけであって、その依頼は先ほど履行されたのだ。これ以上は中立の立場でアフターケアを行う。あえて言わせてもらうが、教会はあくまで中立の立場に則って動くのでね。一方に偏るのはルールに反するのだよ」
大体、と神父は言い続ける。
「処刑人だろうが、傭兵だろうが、バチカンの騎士だろうが相手が魔女であればいささか厄介だ。まして魔法少女という眷属を加えていたのだ。あの状況であの者たちを卑怯だと言っても全然そんなことはないし、あの三人でよくここまで魔女と戦えたことに賞賛を送るのが当然だ。それほどまでにそこにいる魔女は恐ろしく、そして強い」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
決してお世辞とは言えない言葉を賛辞として受け取るセレネ。
先ほどよりかは抑えてきたのような気もするがまだ嫌悪は消えない。
「でも交渉と言っても容易な事ではないと思うのだけれど?」
「だからこその中立の立場である私の役目だ、一人ずつ戦わせる事など必ず説得してみるさ。それが魔女の願いだからな。但し、悠華にはリスクを負わせる事になる」
「まさか、私が代わりに戦うの?」
「当然だ。よもや忘れていたわけではあるまい。魔女の眷属、いや魔法少女だったか、動けない主人をその眷属が守るのは当然だろう?」
完全に忘れていた。
神父という助け舟が来たから自分は大丈夫だろうと慢心していたのでその指摘はかなり厳しい。
「でも戦うって言ったって、私は何にもできないし、まだ魔法少女としての力も」
「そこは私がしておくから特に問題ないわ。悠華にはまた危険な目に遭ってしまうもの」
元々はセレネが巻き込んだ事態なのだが、それを受け入れたのは悠華だ。
「いいわ。依頼したのは私なのだから、貴方を信用するわ。覚悟も決めているわ。勿論、悠華もね」
「ちょ、ちょちょちょっと! 私勝手に覚悟を決められてる!?」
悠華の覚悟は、悠華のものなのに。
セレネの覚悟の言葉を聞いた神父――永善は深く、厳かに頷いた。
「では早速として手配に向かおう。しばらくの猶予は必要だろうからそれまでに準備しておくがいいさ。なぁに、対等になるよう努力はするさ」
そう言い残し、ドイツ製の外国車に乗って、エンジンを噴かした後に学生寮の前を過ぎ去っていった。
残るのは静寂と光と二人だけだった。
「戦う、か」
やはり難しい任務を悠華は担当することになる。
一人ずつ相手にすれば勝つ可能性があるとしても、巨大な鉞を持つ戦士、バスタードソードを担ぐ傭兵、剣と盾を装備する騎士を相手に正直勝てる気がしない。
「セレネの為にやらなくちゃいけないのはわかってるけど」
「どうしたの?」
「いや、何でもないわ」
独り言を呟く様子を訝しまれて否定する。
さすがに今晩のような無為無策の醜態を晒すようでは彼らに挑めない。
いくら何でも考えが足りなかった。不意とはいえ突然の事態に対応できなかったのが痛かったか。
だから、改めて戦うとなれば何らかの対策が必要だ。
「セレネ」
「何かしら?」
「私を魔法少女として覚醒させて」




