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魔女セレネ

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 浴場へと向かい、白い裸身が隅々で露出される空間に於いて悠華はるかは熱湯と水の割合をちょうどよく混ぜて、その肌に水滴で包ませた。


「ふぅ、気持ちいいわねぇ…」

 

 外ではガヤガヤと騒ぐ声と、オノマトペに該当する音が一帯に拡大していた。要は隣同士でシャワーを利用している少女たちが隣同士で会話しているわけだ。

 

 ――今度の休みはどうするー? へぇーあの子がそうだったんだー、カレとどうなのー? と。


「さっさと洗って部屋に戻ろうかしら」

 

 言っている間にもシャワーの流れる勢いは絶えず、スレンダーな腰に達しようとしている長い髪を濡らし続けている。藍色がかった髪は頭頂からサラサラとしていて、容貌だけでなくその髪も他の女子生徒から羨まれている。


「一世一代の才媛か。みんなからはそう呼ばれているけどあまり嬉しくない称号なんだよね」

 

 その身が浴びるシャワーの熱湯に体を火照らせながら物思いに耽る。バスタオル巻いていたとしても全裸であることに変わりはない。

 神田悠華は身分の良い家柄の出身で、昔から裕福な生活を暮らし、何か申せば誰かが応じて事足りて何一つ欠陥がなく満足であった。

 しかし裏腹に厳しい教育指導、ギリシャのスパルタ教育ほどではないがその中で育ってきた。英語をマスターすればドイツ語、算数を理解すれば数学、理科がわかれば物理、ピアノを習得すればフルート、と。

 勉強に次ぐ勉強、習い事はできる限り習わされ、遊ぶ時間などなく埋められてしまった。

 最初は両親の言いつけだからと勝手に納得してやらされる事を順当にクリアしていったのだが、やがてそれが異常でつらくなり、時は泣き音や弱音を両親に向かって吐いたことがあった。

 だがその度に「我が一族は優秀でなければならない。そうでなければ愚劣だ」と逆に叱られてしまったのだ。

 自由なき捕縛された子供時代、あまりいいノリではないが彼女の小学生卒業までの人生を言葉にするとそれが相応しいだろう。

 かといって身体的・精神的に追い込まれた自分を、被害者だとか悲劇のヒロインだと思い込むことは決してする事はなかった。被害者と思う者はいつまでも自分を被害者と思い込んで妄想に陥り、悲劇のヒロインは目の前にある厳しい現実からドタキャンしているように見えるからだ。

 そうはなりたくない。

 自らを律し、御して、制す。

 例えストレスが溜り鬱憤が溜まっていたとしても理性で押さえつけよう、正しくあろうと、正義であろうと、崇拝される女神であろうとした。

 

 ――その努力を脆くも崩した。

 

 小学6年生のあの日、ものの見事にあの家族は壊してしまったのだ。


『こんな家族なんか消えてしまえ!』

 

 と、押さえつけていたストレスを爆発させて暴言を吐いたのだ。


「今思えばあの時が大きな転機だったかもね」


 一人呟くもののシャワーの流れる音にかき消される。

 たった二年前までの出来事を回想していた彼女だったが、これ以上の暗部を語ると気分を害してしまうのでこれ以上過去を語らず、白い裸身を洗浄して服を着替え、部屋へと向かおうとする。


「部屋で怪獣映画でも見るか。でももう一回『ゴジラの逆襲』で確認してから見てもおかしくないわね。でもそうなるまた一度全部見る必要が――まいったなー、VSシリーズも見たいところなのに。ミレニアムシリーズもいいかな」

 

 映画を鑑賞する事を思いながら、しかしあまり周辺を気にすることなく、ただ部屋に戻ることだけを考えながら歩みを進めた。

 理由になるほどのことでもないが、映画を見なければならない使命がある。優先すべき使命が。



『けて……すけて……』



「え?」

 

 何者かの声が直接耳を通して、脳に響くように聞こえてきた。

 最初はこの学生寮の声かと思ったが、当然見渡しても耳を澄ましてもそれに該当するものは存在しなかった。

 どうやらこの声は自分だけにしか聞こえていないらしい。周辺にいた女子生徒は何も聞こえていないのかホールで楽しそうに延々と談話をしている。



『助けて、助けて…』



 若い女性の声だ。


「誰、あなたは一体誰なの? どこにいるの? なぜ助けを求めているの?」


『……』


 これ以上は脳に響き渡ることはなかった。掠れた声からにして、多分女性は瀕死の重傷を負ってどこかで悠華に助けを求めているらしい。なぜ悠華であるかは誰でもいいのだからとりあえず助けてくれと言っているのではないだろうか。兎に角、人が助け求めているのだから、義勇ではなく反射行動で彼女は学生寮の外へ出ようとするのだった。



 

 そこで発見されたものは異様な光景であった。



 少し前のこと。寮監がいないスキに学生寮を抜け出し、監視カメラの死角をスニーキングで抜け出した後はその周辺を探し出したのである。学生寮を抜け出すことなど寮に住む生徒にとっては当たり前の光景で、悠華も買い出しの為に抜け出した事があり、これくらいの事は造作もないことだった。

 とはいえ声の主を探すことは途方もなく困難ので、ケータイで奏美に遅くなると連絡した。


「もうこれじゃ奏美に怒られるのは必至かな。ま、仕方ないか。脳に人助けを求める声が聞こえたなんて、超能力じゃないし変に思われるよね。適当に言えば言いかな」

 

 街灯が灯る通学路を道なりに進み、ケータイで返信メールを送った後に。

 

 -―その先の街灯の真下で『声の主』はいた。


「誰かっ…………私を助けて、ゴフッ!」

「あっ!」

 

 アスファルトの地面に広がる錆びた鉄の塊みたいな匂い、それを血だと理解するのに1秒もかかることなかった。脳に響いてきた時点で瀕死とわかっていたので大体は予想できていた。

 それなのに。

 田舎でも都会でもないこの街にはとても似合わない輝いた金髪。

 整った顔立ちと見る者を全て射止めるような魅了の眼。

 格調高いドレスを身に纏っているが、それが不似合の意味合いを多くする。しかし『格調高い』という意味はあくまでも元々の形での意味で、今はボロボロに敗れてしまった服から読み取っただけであった。

 今ではもう引き千切れ、破れに敗れてもはや見る影もない。そこに見えるのは元々の高級さがにじみ出ているだけである。

 女性の状態もかなり有りえない状態に陥っていた。


「嘘、こんなの死んでいるんじゃないの!? いや死んでるのも同然じゃない!」

「助け助け助けたすけたすけたすけたすけたすけたすけたすけ助けて」

 

 壊れたロボットのように呟く女性の体は傷だらけで、グチャグチャに掻き混ぜられていた。街灯に任せていた身体は胸と腹が裁かれており、あらゆる内臓が飛び出て肋骨さえも露出されている。


「ああああああああああああああああああああああああ!」


 吐き気を催して胃袋から逆流しそうになる。

 その細い身体の下半身も同じような状態であった。

 

 両脚が太ももの付け根からなくなっていたのだ。


 正しく言えば切断されていると言うべきか。切り口がやけに鋭利で切断面がはっきりとしているが、そんな切断面の状態など些事だ。

 問題は頭である。

 頭部は完全に首の骨と離れており、今や飛び出ている内臓の上に落ちていた。完全に首と切断されているわけでなく、首から伸びている血管と脊髄だけが頭部とリンクして支えている。


「貴女、私を、私を助けてくれるのかしら? それとも」

 

 思わず視線が重なり、慌てて逸らしてしまった。


「だ、大丈夫なの? とても生きているようには見えないわ。すぐに救急車を――」

 

 痛いほどに心臓の鼓動が激しく鳴っているのは、あまりにも大量の血が流れているのを見てしまったせいだ。実際、負傷の女の周りは血が池と化して溜まっている。

 先ほど仕舞い込んだばかりのポケットの中からケータイを取り出すものの、冷静でいられずにボタンを押すことができない。それを見越してか、傷だらけの女はガクガクと震えながら右腕を上げた。


「救急車は必要ないわ。どうせこの傷を治すことは普通の人間にはできないから。もっと確実に私を助ける為の方法を貴方に教えるわ」

「貴女を救うための方法? 私、止血方法とか治療なんてできないよ?」

 

 怪訝に感じたためか悠華は思わず傾げる。


「私は、私は魔女。魔性にして妖術を扱う稀代の魔術師セレネ・メロディズム・リュシエンヌ。契約することで貴女に奇跡を与える。『魔法少女』としての力を授けることができるわ」

 

 内臓を抉り出され、肋骨が露出し、両脚を切断され、頭部が千切れても尚、優雅に構えて潤んだ唇で言う。


「だから貴女に契約してほしいの」


「……貴女は自分で魔女といった筈よね。それならば――」

 

 人外の存在を前にして息を呑みながら続ける。


「自分の魔術で身体を治せるんじゃないの」

「確かに私には自分の身体を瞬時に治せるほどの魔術を習得しているわ。でもそのために必要な魔力が今の私にはない。このままでは私は血を失い死んでいってしまう。でも貴女が契約すれば、貴女の中にある魔力で回復できる事も可能よ」

 

 足の震えが止まらない。何せ悠華が相手にしているのは魔女なのだから。

 ――人間じゃない。

 歴史上ではその魔術で人を誑かし貶めた存在だと言われ、魔女裁判なんてものが起きたのだ。

 それと同様いや同一の存在が目前で一般人の己に助けを求めている。

 どんな光景だろうか。思考がうまく回転せずヒートしそうになる。

 ざっと後ろに一歩二歩と下がった。このまま180度回転して振り向けば無視することもできるし、逃げられることも逃げ切ることもできる。そもそも両脚が綺麗さっぱり切断されていて、頭と首をつなぐ血管も千切れそうなのに、逃げる悠華を追うことなどできない筈だ。

 逃げるだけで振り切れる非現実、また一歩後ろへと下がる足。

 その途端、魔女の眼が弱々しいものとなった。


「そう、私を見捨てるのね。それで正しいのかもしれないわ。結局は私が間違っていたのね、これも私が愚かだったから」

「っ!」


 愚劣。


 その言葉は自分が最も嫌いな言葉だ。

「ああああああああああああもうううううう! わかったよ、契約すればいいんでしょ!?」

 

 アスファルトの地面をだんだんと踏み、勇み足で魔女へと迫った。


「諦めて死ぬのはやめてよね! こちらが気分が悪くなるんだから! やればいいんでしょうが!」

「……いいの?」

 

 驚くほどに開いた彼女に瞳に希望という光がともし始める。


「私がいいって言ったんだからやってもいいに決まってるでしょうが。だから愚劣だなんて言わないで生きなさいよ。精一杯、一生懸命、最大限に生きなさいよ!」

 衝動的とはいえ咄嗟の行動に、若干恥ずかしくなりながらも手を差し出す。


「後は貴女がやるんでしょう? 早く私にその契約というものをやりなさいよ」


 醜悪で不条理な現実の中で。

 悠華は非現実を受け入れるのだった。


が望むは契約。魔女セレネ・メロディズム・リュシエンヌの名において誓約を契る」

 

儀式めいた言葉を唱えて傷のない右手の、人差し指で悠華の手に魔法陣らしきものを描く。その瞬間、それは固形化し、宝石の原石に似た石へと具現し。

 意思を持ったかのように飛び、悠華の胸へと埋め込まれた。


「うぐっ!?」

 

 その瞬間、心臓が激しく痙攣して息が苦しくなり、悶える事すらできずに体が動かなくなった。

 アスファルトへと倒れ、そのまま意識が闇へと落ちていくのだった。

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