ザルモアーズ家の姫騎士 PART2
破邪顕正を旨とした美堂千世との邂逅と騒動が起きた今日この日も白駒の隙を過ぐるが如しとして過ぎる。
定刻通りに食堂で夕食を済ませた後、自由時間となる7時以降に学生寮のシャワールームで二人ともその柔らかな肢体を湯が禊ぐ。
部活に正式に入部していない悠華としては運動部と文化部の両方から引っ張りだこのようにあちらこちらと回されて、その度に仮部員として部活や練習試合に参加させられるので、疲労が溜まらない日など指折って数えるくらいだ。
細江中学の校舎内ではいつでも「お姉様」と慕う後輩や同級生に囲まれるので休み時間というのに休むことすらできないし、次の授業にも備える余裕すらない。やはり部屋に籠って怪獣映画を見ているときしか、まともに身を休ませる暇がない。
話が反れてしまったが、とりあえず悠華は放課後には部活に新入部員という形で参加して活動するのが毎日の習慣となっていた。
今日は一昨日の夜にお世話になってもらった(というか無断使用で使用させてもらった)ゴールポストの所有団体である女子サッカー部と、ハンドボール部、テニス部のメンバーと共に活動していた。女子サッカー部で試合をしていた時は流石に焦ってしまった。
『……それにしてもこのゴールポスト、鉄柱に棒切れみたいなので歪んだ痕があるけど、これ一体何だろうね』
『わかんなーい。でも一昨日まではなかったよねー? どうしてだろー』
味方のチームが特攻している間にゴールキーパーとディフェンスが凹んだ痕をまじまじと見つめているのが確認できる。凹んだ痕は女戦士アテナが魔法を使えない悠華の振りかぶって投げる物理攻撃を防いだ際に生じた事故の賜物であるが、クレーター状となったグラウンドを修復したはずの永善がミスを犯して、放置しておいたのだろう。後で言い訳を聞いてやろう。
ともあれ、事の張本人となった悠華にとってはサッカーの試合が一秒でも終わるのを目指す為に、味方のチームが恐れを為すくらいに猛攻を繰り返していたのは当然、誰の頭脳にも刻み込まれる恐怖の長距離連続シュートが待ち構えていた。
「はああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……いい気分ねぇ。今日は特にたっぷりと汗を流したから過食でも当分は体重はキープできそうね」
ざらざらとしていた肌の感触がシャワーの噴出孔から勢いよく迸る湯で一瞬にしてかけ流される。同時に身体を包んでいた石鹸の泡が肌の穢れと共に足元へと滴り落ちた。
「悠華、風呂に入ってるワケじゃないのに親父臭い唸り上げないでよ。誰かが聞いてたらどうするの。それと最後のアレは私への当てつけ、と思っていいのかな?」
隣でシャワーを浴びる奏美がドスの利いた声で仕掛けてきたが、悠華は屈せず、嫌味を呟いた。
「べえええぇぇぇぇぇぇっつぅにぃ~? ただダイエットに苦労する人の悩みがわからなくって。あーあ、わからないのが悩みだなー」
「わざと!? わざとのつもり!? わざとね!! 悠華の言葉からは悪意しか聞こえないわ! フフン、いいもんね! 体重を気にしない悠華のスタイルなんてまな板と同じなんだから! 断崖の絶壁よ!」
その瞬間、反撃で吐いた罵倒にカチンとなり、二人の間に立つ壁を悠華が左手の拳で減り込むまで叩きつけた。
「冗談が過ぎるわよ……別に私は奏美みたいに無駄な脂肪つけてるワケじゃないしぃ! ちっとも羨ましくはないんだから!」
とは言いつつも、悠華はその白い裸身を見やった。
そこにある胸板は全くと言っていいほどの絶壁であり、ツルツルに磨かれている。
これを例えるなら、ロッククライマーが命綱を使用しないと登れない、というのが正しい。
言ってしまえば悲しい事実であるが、奏美とは対照的で彼女は思春期相応の成長を遂げている。更に立ちはだかるのはセレネの豊満な双丘だ。彼女には到底叶いそうにもない。
強がりというよりも敗北宣言を自ら言ってしまい、シャワールームの壁にしな垂れて自虐に陥ってしまった。
「ぐぐぐぐぐ……これはきっと頭に栄養分が回っているからよ。それに貧乳はきっと必要なステータスよ! 需要と供給がただ釣り合っていないだけよ! だから……」
これではまるで奏美みたいではないか。そう思って焦熱に火照ったペースを取り戻すことにした。
異性への興味が全くないという事ではないのだが、少なくとも奏美の異性に対する関心ほど強くはない。
恋は盲目と言うが、憧れの対象が存在する奏美を見ればまさに的を得ている。
だが、盲目になるから相手を知っているつもりでも知ってはいない。無知にさせる病気だ。
焦っていた熱を冷やした時、悠華は今まで言い争いをしていた奏美の方のシャワールームがやけに静まり返っていることに気づいた。
シャワールームから出て着替えているのかと思ったが、未だ流れ続けるシャワーの音が聞こえるあたり、まだ中にいるのだろう。
「ねぇ?」
静寂を破ろうとして問いかけようとすると、奏美の悄然とした声が返ってきた。
「悠華。あのね、気になることがあるんだけど……今日の美堂先輩が言ってたのをそのままに聞くけどさ……一昨日の夜は本当に何してたの?」
「…………それは」
急な問いに答えられなかった。答えられるはずがない。
何度も思ってきたが、白の魔女セレネを助ける為に魔法少女となって、戦闘のプロである襲撃者たちと戦っているだなんて、どう答えられようか。
信じられない、幻滅した、失望した。
直接吐かれるとまでにはいかないだろうが、恐らく刻まれるものは相違ない。
「悪いけど、言えない」
「……そう。でもね、何だか私にはわかるような気がするの」
「何のことを?」
「悠華が最近起きた連続猟奇事件に関わっているような……曖昧な感じだけど、とにかくそんな気がして心配でならないの。ねぇ、本当に何もないんだよね?」
二人を隔てる壁があっても伝わる不安に、悠華は静寂を被り続けていた。
「一体何をするのだ、魔法少女の神田悠華よ」
深夜一時くらいを回っているあたりだろうか、子猫に化けた姿のセレネから二人目の襲撃者との対戦日が今日と判明して大慌てになり、ルームメイトの奏美が寝るスキを窺って外へ出た。
美堂千世との騒動もあったためか、学生寮の玄関に寮監が不動明王の如く構えていた。きっと千世が報告していたのだろう、何時にもなく厳しい顔つきで立っていた。
普段は魔力を凝縮して猫の姿に変身しているので、悠華一人で切り抜けなければならず、どれだけの危険を掻い潜ってきたかは本人が知るのみ。
それなのに、何も知らずに細江中学の中央庭園で園芸部が日々手掛けている花園を鑑賞している様を見て、湧き上がる衝動で永善に掴みかかった。
「神父さんの顔を見たら殴りたくなってきたの。それと……後は任せたと言っておいて、何なの? あの杜撰な処理は?」
放課後の時に女子サッカー部で見た、あの歪んだゴールポストの事である。
最初は悠華の意図がわからなかったが、そのうち「ああ……」と頷く。
「アレは仕方ないだろう? 学校のグラウンドを修正するのにどれだけの時間を要したことか。いくらなんでも一晩で元通りというワケにもいかないだろう」
「それが神父さんの役目じゃなかったの!?」
「馬鹿なことを言うな。私は全知全能ではないし、そうなるつもりも愚かしいからしない。これでも私は一介の神父なのだよ」
アテナとアーヴェインを相手にして翻弄しているあたり、とても「一介の」神父だと思えない。
「とりあえず猫の手も借りたいくらいに事後処理は大変だったよ。手を借りてくれた猫のおかげでな」
「手を借りてくれた、猫……?」
「私のことよ」
振り返るや、そこに子猫ではなく等身大の貴婦人姿のセレネがいた。
セレネが扇子をそよそよと煽いで口元をおさえる。
「私が永善に猫の手を貸させたの。ロードーローラーでグラウンドを修正するだなんて何日かかるかわからないもの。悠華の為にも手を貸したわけよ」
「ふーん……って、そんな地味な作業でグラウンド直してたの!?」
しかもロードローラー。
ますはそのロードローラーをどこで入手していたのか、どうしてそれでグラウンドを直そうとしたのか、そのあたりから聞きたいものだ。
「それよりも君にはやるべき事があるだろう? こんな事に構ってる暇はないはずだ、さっさと魔法少女に変身してくれないか?」
「回避したわね。いいわ、後で追及してあげるから。じゃ、今から魔法少女になるわよ……」
渋々了解した感じで返答すると、セレネが何か思いついたように頭部を上げる。
「そういえば今度からは魔法少女に変身するには『白き天翼は熾天使の象徴!』と言わないと変身できない使用になっているわ」
「ハァ!? 何でそんな仕様にしているのよ! 恥ずかしくて言えないじゃない!」
「だって変身するときに何か言わないと張り合いがないでしょ。それでいざという時に戦えないと前回のような惨い目に遭ってしまうわ。そうなったら困るのは貴女だし、私も困るもの」
他人事だと思って。そもそも彼女の為に戦っているのに、その態度は傲岸不遜にもとれる。
そういえば、何日か前にセレネがテレビで女の子が変身してスーパー戦士として戦うアニメを見ていたような気がする。あの時のアレは、この場面での伏線だったのか。
「く、屈辱よ! 私を嵌めてるとしか思えないわ!」
「でも戦うんでしょ? それが貴女の決意なんだから、決意して契約した以上は履行するのが貴女の役目だったはずよ」
言葉を借りられた以上、反論はできない悠華。
「わ、わかったわよ! やればいいんでしょ!? じゃ、じゃぁ…………」
高まる鼓動を鎮める為に呼吸を整えて構えるや、ノリで仮面ライダー(正確には初代くらいだろうか)の変身ポーズを真似る。
「白き天翼は熾天使の象徴! リリウム・セラフィー!」
すると一瞬にして制服から魔法少女としての戦闘服である白いドレスへと切り替わり、その嫋やかな肢体に魔力が籠ってきた。
「……!」
「眷属としての力を譲渡された以降は何時でもどのタイミングでも、それを呼べば魔法少女になれるから頭に刻み込んでね」
「あんまり覚えたくもないキーワードだけど」
「そうだな。その変身の言葉はあまりにも……フフッ、フハハハハハハハハハハ!」
神父の永善が固まった表情を崩さず、腹を抱えて笑い始めた。なぜこうも神父はこの時だけツボに嵌るのだろう。
「笑うなー!」
――痛いミスを犯してしまった。
なぜ永善から次の相手が予想とは違っていたことを確認しなかったのだろう。これは完全に悠華のミスである同時に手痛い致命傷でもあった。
襲撃者たちの二人、つまりはアテナとアーヴェインは好戦的だったから、即座に永善の提案を受け入れてこちらと戦ってくるのだと予想した。実際、予想していた通りに事は進行していき、辛くも勝利に貢献したのだ。
悠華が予想した対戦の順番としては、アテナ、アーヴェイン、騎士というものだったが、先ほども言っていたようにアテナとアーヴェインは好戦的だから、この両者の並びが入れ替わったところで特に問題はなかったし、結果は辛勝であっただろう。
だが問題は容易はなく、流石に悠華は自分が才媛と慕われることをひどく後悔さえしてしまった。
何で二回戦目に騎士と相手になることを、作戦読みから外してしまったんだ。
「…………!!」
風にフワリと靡かれて月光で煌めく銀髪、悠華を見つめる瞳の色ははエメラルド、そして艶やかな桃色の唇を持つ美麗な風貌の女性。
対して細い体躯を包み込むのは鈍重に見える鎧の数々。前頭部から頂点までを覆う兜、それから肩当ての装甲、銅、籠手、手甲、ロングブーツと防具を混合させた脛当て、草摺りと全ての防具が銀色に光っている。
騎士という装備ながらも、姫と思わせる見た目はまさに圧巻で、セレネとは対照的な美しさの違いがある。
――まさか、この騎士が二回目に戦うとは、思ってもみなかった。
「私はバチカン市国ローマ=カトリック教会特派聖人騎士団第二隊師団長、アンジェリーク・ルイ・ジャン・ローザ・クレマン・デ・ザルモアーズです。以後お見知りおきを」
「……長いわね」
とにかく長すぎる。最初の所属団体の名前だけでバチカン市国のくだりで師団長ぐらいしか聞き取れなかったし、彼女の名前もアンジェリークとザルモアーズの始めと終わりの部分しか理解できなかった。
「えっと……アンジェリーク・ルイ・ジャン・ローザ・クレマン・デ・ザルモアーズ……さん」
「略称アンジェで宜しいです。名前が長くて呼びづらいでしょう?」
「はぁ……じゃぁ、アンジェさんで」
何という間の抜けた場面だろう。
アテナの時にも味わったのだが、敵同士なのにこうしてまともに会話しているのは珍しいことではないのだろうか。戦いに礼儀を重んじているのだからか。
しかし本当に名前が長い。
異様に長いが、どうも名前の中に聖人なのか両親の名前なのか特定できない名前が多い。
ジャンという名前は聖書でいうところのヨハネの名前だし、ルイはかつてのブルボン朝のフランス王家の名、ローザはインノケンティウス4世の時代のに存在したヴィテルボの聖乙女の名である。
「デ」という、フランスでは前置詞にあたり、英語の「Of」という単語にあたる。フランスでは定かではないがこの前置詞のつく者は大体爵位を持つ貴族らしい。つまり彼女はフランス貴族の血をひく人物の可能性があるのだ。そうでなくとも気品の良さからにして地位の高い家柄に生まれ育ったのがわかる。
「アンジェさんはアテナとは違って、所属している組織をはっきりと言うのね。しかもご丁寧にバチカン市国のローマ=カトリック教会の者と名乗ってるし」
「貴女が一般人であれば名乗ることはなかったでしょうが、事態が事態ですので」
腰まで達しそうな金髪を掻き上げながらアンジェは続ける。
「人々を魔術の類で誘惑して陥れる魔女、中でもその一人である白の魔女セレネが動き出したので教皇庁は魔女討伐の為、私を派遣したのです」
「何気にサラッととんでもない事吐いてるわね」
まさか教皇庁にそんな組織が存在しているだなんて誰も思ってもないだろうに。つまりはローマ=カトリック教会の地下組織か。
それなのにまだ彼女は続けた。
「極東の日本で同じ目的を持っていたアテナとアーヴェインと合流して、セレネを追撃しながらもここにたどり着いたという訳です」
その証を見せるつもりか、自身の身長の半分程もある銀製の装飾剣と十字架と薔薇のレリーフが施された大盾を掲げ持つ。
その剣と盾は何度も使われているはずなのに、まだ真新しい。
何人もの血を吸ってきたアテナの斧とは違って、その輝きは白く貴かった。
「同じ信徒の立場上、永善と言う名の神父に止む無く従いましたが、この場を借りて貴女に警告を渡します……白の魔女セレネの眷属から契約を断ち切り、一切合切関わらないでください」
「……何ですって?」
「セレネのような魔女は眷属を増やしながら、己の魔力を高める存在です。そうなれば一般人に対して危険が高まります。今のセレネならば討ち取れる好機、それも貴女がいなくなれば更に確率は高まります」
「……」
アンジェの警告宣言を出されてから数秒、閑静なグラウンドの中央で悠華は俯いていた顔を上げる。
「アンジェさんは、以前にセレネさんが眷属としていた少女たちには何にも感じなかったの?」
「五人の眷属ですか。確かにあの者たちには可哀想なことを施してしまったことには遺憾でなりません。特にアーヴェインの卑怯なやり方で勝ったというのには屈辱です。しかし、それは仕方なかったことです。教皇庁から指令された魔女討伐の為、人々から守る為、そして私の使命と信義の為に私は戦わなくてはならないのです!」
その時、悠華が拳をギリギリと握り潰した。同時にギリギリと歯軋りもする。
――この人は私の敵だ!
「やっぱりアンジェさんの警告に従えない。使命だとか信義だとかそうやって大義名分を掲げて、自分をやり方を棚上げにして戦う欧米人は嫌いよ!! 特に宗教はねっ!」
――気に入らない。神を味方にしているような奴は気に入らない。
宗教でいうところの弱者という存在として偽の外套を被って、神を顕示させて力を形振り振り回す者たちが。
「……そうですか。交渉は決裂ですね」
「元々従うつもりもなかったわ」
「ならば、貴女が果てるまで戦わせてもらいますっ!」
魔法少女の拳が、姫騎士の剣が互いに唸った。




