ザルモアーズ家の姫騎士 PART1
とある昼下がりの出来事。春季の気持ちいい風もいつの間にか夏季の湿っぽくて温い風へと変化し、それが時折として吹き寄せてくる。
どこかの県にある関門市に存在する、私立 橙ノ 木高校付属細江中学校の校庭に設置されている中央庭園は今日も人気で紫陽花の花が咲いており、青と紫の2色に分かれているのを鑑賞しながら、手作りの弁当を食べて賑やかな談話を繰り広げている女子が多くいる。
鮮やかに彩っている庭園を背景に、喫茶店テイストの食堂「Ageratum」で悠華と奏美は注文してきたメニューで食事を摂っていた―――のだが。
「はむはむ……もぐもぐ、はむ、もくもく」
「……悠華、悠華ったら」
「はむはむはむはむはむはむ、んくんく、ぷはぁ」
奏美が目撃しているのは、大量に昼食のメニューを掻き込む悠華だった。今日のこの日は悠華の催促に乗って野菜とタマゴのサンドイッチを注文したのだが、悠華だけは何故か食券十枚を使用して大量に料理を注文していたのだ。
メニューはパスタやうどんなどの麺類他2品、カレーとハヤシライス、カツ丼や牛丼の丼もの、野菜盛り合わせとスイーツパーティパフェ(食堂特製オリジナルのパフェ)であるが、どれもカロリーが高いものばかりなのに悠華はカロリーを気にせずに次々と掻き込んでいた。
掻き込むスピードは大食い大会に参加した大柄の男性が食べているとしか思えない。
「もぐもぐもぐもぐもぐ……」
「悠華ったら! こんなに注文して……食べすぎよ! カロリー過多の摂取で太っちゃうよ!」
「んぐ、ぷはぁ~食べた食べた。満足満足、と。で何?」
やがて注文したメニュー十品全てを食べ終える。女子中学生とはいえ年頃の女の子がいつも食べることのできないメニューばかりなのに悠華は気にせずに平らげてしまったのだ。
「って、聞いていないし…ちっとは私の話を聞きなさい! 大体、昨日から様子がおかしいよ! 部屋にいないと思ったら起きた頃にはどうしてか腰痛と筋肉痛を訴えて遅刻寸前まで寝ているし、昼食は食べ過ぎてるし! 不眠はお肌の敵! 過食はダイエットの敵よ!」
「うっ……奏美の言う事に一理あるわね。でも、私は運動したから食べてもいい権利があるわ! 奏美だって週に二日か三日くらいでペースで夜食のデザートを食べているじゃない!」
「え!? どうしてそんな事を知ってるの!? 悠華に知られないように食べてたのに!」
逆に指摘、しかも自分だけしか知らない事を指摘されてギクッと驚く動作を見せる。その行為が事実であることを証明している。
「深夜にベッドから出てコソコソしているのを聞いたらわかるでしょ! バレないと思ったつもりでしょうけど、バレバレよ!」
「ふ、ふふんだ! 私が夜食が摂ってたのがバレたとしても悠華が深夜まで部屋にいなかったのは変わりないことなんだから! 寮監がチェックをしなかっただけマシよ!」
主張が正しいとばかりにふんぞり返って腕組みをする奏美。彼女が夜食を摂っていることなど個人のプライベートであり、悠華には決して奏美には言い返すことのできない非ができてしまっている。
一昨日の夜、魔法少女へと変身して襲撃者との対戦を行っていたことをどのように言えようか。それにアテナに勝った後にグラウンドにそのまま横たわっていたはずなのだが、朝になって何故かベッドで寝ていた。しかもご丁寧にパジャマまで着替えさせていたりするのだが、こんなことをしたのは一体セレネなのか永善なのか気になるところである。
そもそも昨日と今日に限って大食いをしているのは、魔法少女として戦った最中で消費してしまった膨大なエネルギーを回復させるためである。昨日の朝はかなりの空腹感に襲われて、それを満たすために大食いをしているのだ。
兎に角、永善には事後処理を頼んだわけだが、まさかパジャマを着替えさせるところまで事後処理として実行してしまった場合は多いに問題になるわけだが。
ともかく突き詰められたら言い訳のしようがないのは明白だ。
――そんな時に。
「その通りよ!」
「「え?」」
悠華でもなく奏美でもない別の女子の声。
食堂の窓際の席に居座っていた彼女らの前に立っていたのは第三者の女子だった。
彼女らと同様に細江中学の制服を着てはいるが、左胸に縫い付けられている校章のラインの色が異なっていた。細江中学では学年ごとにその校章のラインの色が異なっており、一年は蘇芳、二年は浅葱、三年は萌黄と三種類に分かれている。
目の前に立っているの女子の校章はその三種類のうちの萌黄であり、つまりは細江中学の三年生であることがわかる。
セミロングの黒髪、アンダーリムフレームの眼鏡、吊り上った目と口の下の黒子が特徴的で、あえて言うならば真面目だとか勤勉なタイプの人間だ。
「……奏美、この人誰?」
「私に聞かないでよ」
「神田悠華二年生、貴方の学生寮での最近の行動は目に余るものがあるわ! 自分の部屋だからと下着姿になったり、寮の閉館時間までに帰ってこなかったり! これは学則違反よ! 例え風紀委員の誰かが見逃しても私は見逃さないわ!」
と、懐からまるで葵の紋所を目に入らせるかの如く、生徒手帳を取り出して見せつける。
その生徒手帳のプロフィール欄と風紀委員と記入された経歴を見て、奏美がハッと気づく。
「あーわかった! 風紀委員長の補佐を務めてる三年生の美堂 千世先輩だ! 風紀委員で最も厳しい堅物だとか言われている噂の先輩よ!」
彼女の噂は巷でよく耳にはさむ。
なんでも服装チェックではスカートの短い女子を彼女に発見されれば、無理矢理改正させられると聞いている。
「えー、マジなのー? こんなところで会うなんて最悪だわー」
「堅物とはよく言われるから褒め言葉にしかならないけど……神田悠華二年生、私を目の前にしてよくも平常でいられるわね! 全国有数の才女だとかもて囃されているらしいけど、私には無効よ!」
「私、微妙に風紀委員の人に褒められちゃってるけど……喜んでいいのかな?」
「ここは大人しく聞いていようよ、悠華に原因があるんだし」
小声でヒソヒソ話をする二人に対し、ビシィ! と千世が突き刺しそうな勢いで人指し指を向けて指摘してきた。やっぱり見た目が伴っていれば中身も同じの真面目タイプだ。
「私の前でいい度胸してるじゃない! さぁ大人しく吐きなさい! どこで何をしていたのかを! 言い訳は無用だからみっちりと聞かせてもらうわ!」
「う……それは……!」
まずい、非常にまずい事態となった。
一昨日の夜は白の魔女セレネを襲った三人の襲撃者のうちの一人であるアテナと対戦して、身が千切れるような思いで(右腕や下半身が切断されてたが)苦戦しながらも何とか撃退した日である。
尋問されて話したところで信用性もないし、B級映画か妄想と切り捨てられてるのがオチだろう。
「そうね。私も悠華が何をしていたのか気になるところだわ」
「奏美まで!」
庇ってくれると信じていた奏美に半ば裏切られ、食堂で昼食を摂っていた女子たちがどうしたと言わんばかりに視線を集中させていた。
汚れのない澄んだ瞳がいくつにも重なり、まるで巨大な目を形成しているように見える。
これが羞恥プレイという類の処刑なのか。
耐えきれない、実に耐えきられない。
「え、えと……ね、は、は、激しい運動をしたのよ! 深夜にね!」
カアッとこみ上げてくる熱で体中が熱くなってしまったのか、アテナとの対戦を「激しい運動」と揶揄した。
その瞬間、ドンガラガッシャーーーーーーーーーーン!! と食堂の椅子から女子たちが見事に転げ落ちた。
紅茶やコーヒーを啜っていた女子たちも液体を噴きだしてしまっていた。
「ちょ、ちょ、ちょちょちょちょちょちょちょ!!」
悠華の発言に頭が回らないせいか奏美はかなり困惑している様子だ。
「奏美、この季節に蝶は少ないと思うけど」
「ボケをかましてる場合じゃないよ! 悠華、自分の言ってることがわかってるの!?」
「そのままの通りじゃない! 私、何にも悪いこと言ってないわよ!」
「完全に言ってましたーーーー!」
食堂のあちらこちらからキャアキャアと黄色い歓声が上がり、中には赤面になって倒れる者や何故か興奮している者もいたりする。
「やはり麗しい悠華様でも情熱を燃やすことはありますのね!」
「そんな……私たちのマリア様が既に……!」
聞き様によっては怪しい発言が飛び交っているものの、今にもヒートしそうな状態の千世が詰め寄って、胸倉をわし掴みする。
「ふしだらよ! 不健全よ! 貴方の行動はルール違反どころか学則違反にも値するわ! 『在学中は異性との交遊は禁止』と記されてる通りよ!」
「な、何を勘違いしているのよ。私はスポーツで言うところの『激しい運動』と言っただけよ、何を想像してるのよ!」
ずれかけていた眼鏡をクイッと正す千世。やや背が高いせいか眼鏡が悠華からの視点で白く光っていた。
「とりあえずこの発言は不問にということにするけど、今後からは寮監に夜間のチェックを厳しくするよう伝えとくわよ!」
「あ、そういえば気になる事が一つあるんですが聞いてもいいですかね?」
と、奏美が思いついたように千世に問いかける。
「私に何か」
「悠華が部屋では下着姿になっている事、どうして知ってるんですか? ルームシェアをしている私だけにしか知らないはずですけど? それと学生寮の玄関には監視カメラは設置されていないですし、監視カメラの映像は学校側が管理していて風紀委員が与っている仕事ではないのでは?」
「っ!!…………」
奏美の質問に千世の顔がいきなり強張り、しまったと言わんばかりに顔を背けて、再度ズレた眼鏡を正す。
その後に冷や汗を垂らしながらもコホンとわざとらしい咳をした。
「と、とりあえずはお相子又はナウイーブンという事でなかった話にしましょう」
「ちょっと待って。美堂先輩、とりあえず聞きましょうか。何で私の下着姿を確認しているのかを!!」
悠華の方に向けられていた視線が切り替わってしまい、そそくさと食堂から退散しようとする千世。
逃がすまいと悠華が追いかけて、拘束しようと肩に手をかける。
――その瞬間。
「―――――私の背後に触れるなあああぁぁぁぁぁ!」
食堂に甲高い声が響いて、悠華の体がふわりと宙に浮かんだ。
それが千世に担ぎ上げられたのだと理解するのにどれくらい時間がかかったのかは特定できない。
やがて視界がグルグルと反転した後、ドカン! と強い衝撃が悠華の華奢な体躯にハンマーでも打ち据えたかのごとく叩きつけられた。
「イタタタタタタ……」
「悠華、大丈夫なの!?」
「イタタタタ…何とか前回り受け身は取れたみたい」
リノリウムで設計された床に強く叩きつけられたのか、腰骨あたりにヒビが入っている。それなのに痛みが生じないのはきっと白の魔女の眷属として魔法少女としての再生治癒能力がある故からだろう。
しかし背負い投げをされたと思ったのが、恐ろしい剣幕の千世がクイックターンで悠華の右手を引っ張った後、背負い投げをしたように思える。
柔道の類よりも、近距離戦に於いて長けた格闘術のそれに近い。一度も見たこともないし体験してもいないが、直感でわかる。
格闘術と思われる技を仕掛けた方の本人は、雨水のような脂汗を流して呪詛の如く連続して呟いていた。
「っ!…………私、なんてことを……あの人に頼まれたのに……!!」
「あの人……?」
――――誰?
頼まれた――――何を?
謎の多いキーワードを吐きながら、千世はハッとなって悠華を一度見やった後に何かを恥じて食堂を後にした。
「一体、あの人何を考えてるんだろう……悠華に一言も謝らないで、風紀委員の名が知れるね。悠華もやられるままじゃなくて何か言い返してよね」
「わかってるよ。でもあの千世先輩、裏がありそうよね。投げた私を見て恐れているように凝視してた……」
悠華は見てしまったのだ――――恐怖に脅えて震えている千世の手を。
直後にリノリウムの床に叩きつけられた悠華を心配してか、慕っている同級生や後輩が彼女を中心に囲んでいた。
「お姉さま、大丈夫ですの!?」
「ハハハハハ、大丈夫よ。ほら、この通り何ともないし」
「私、お姉さまに何かあったら本当に耐え切れませんわ。耐え切れなくて、耐え切れなくて……今すぐに抹殺したい程ですわ」
「そう、スプラッターにして!」
「アハハハハハ、ホントーにダイジョウブダカラコロサナイデネ……」
恐ろしくとんでもない殺害予告を発言する後輩たちの言葉は聞き流すことにした。
「それよりも美堂千世先輩の事について知ってない?」
すると悠華たちを囲む女子たちの中から一人の後輩が現れる。若干、そばかすが目立つが小動物系の可愛い子だ。
制服には蘇芳の校章が縫い付けられており、後輩である一年生の生徒だと判断できる。
「あ、あの千世先輩は、お姉さまみたいに勉強も、運動もできる人みたいですけど……な、なんていうかこんなこと言うのもどうかと思うんですが奇妙な人みたいで、夏でも冬でも長袖の制服を着て、水泳では水着に着替えずにいつも休んでて、それ以外の体育の授業ではいつもジャージを着てるみたいなんです」
「長袖でジャージって、紫外線を浴びるのを極度に嫌う体質なのかしらね。とてもそうには見えないようだけど」
奏美が推測したのはおよそ間違ってはいないが、何かが違う。先ほどの剣幕に噴出していた殺気と無機質な機械の瞳、そして触るのを嫌った事。
隠しているのは確実で、きっと誰にも触れられたくもないものを体を秘めていて、それを必死に隠そうしているはずに違いないのだ。
「ありがとう、えーと一年生の秋山里子さん」
するとパアッと笑顔が作り上げられる。
「っ……はい! 名前を覚えてくださっていたんですね! この感激、一生忘れません!」
「そんなの大げさよ。それよりもこっちがありがとうよ」
「はうぅ……」
恥ずかしいとでも言いたげに赤面する後輩を余所に、やはり千世が去った方向を見やる。
――彼女は一体何者なのだろう。




