一時休息
沖津家といえば江戸時代から続く名家である。
沖津の父、沖津錬太郎は元外務大臣。祖父の沖津倫太郎は内務省の高官であった。その沖津家の次男として生まれたのが沖津恭二である。
そんな生まれもあって、次男であるにも関わらず、彼にかけられた期待は大きかった。末は陸軍大将になるか、海軍大将になるか。身内ではそんな話がささやかれたものである。
しかし、沖津家の多くは大戦前に起こった二・二六事件により殺害されてしまった。ここから沖津家の権力低下が始まったのである。このことは歴史の闇に葬られており、沖津家と関係者以外は誰も知らない。
また、沖津の兄であった沖津竜太郎は少年時代にとある事故で亡くなっていた。
当時十代だった沖津は多くの人の死を見て、そして葛藤しながら生きてきた。自分がこれから沖津家のために、日本のために何をすべきか、と。
そして士官学校へ入り、今、海軍航空隊少尉の地位にいるのである。
大分から東京へ向かう列車は混雑を極めていた。年末だからという理由もあるかもしれないが、戦時下の列車内は満員が基本なのである。
丸一日電車に揺られて到着した東京はやはり懐かしいと沖津は思った。
そういえば、従軍してから子どもの顔も見ていない。
駅から歩くこと数時間。
沖津は我が家へと戻った。
洋風の大きな木造の屋敷である。これは父から受け継いだ遺産のひとつだ。
「ただいま」
玄関から屋敷に入る。そこには古びた大きなランプが天井からぶら下がっている。明かりは灯っていない。
沖津の声を聞くと、とたたたと音を立てて小さな女の子が走ってきた。
「おかえり、おとうさん」
「ただいま、さくら」
顔をほころばせて娘を抱き上げる。
いつの間にこんなに大きくなったのだろう。腕に感じる重さが愛しかった。
「おかえりなさい、あなた」
柔和な笑みで迎えてくれたのは沖津の妻、沙耶だった。沖津と同い年で、三年数年前に結婚したのである。
「ああ、ただいま」
沖津も愛する妻を見て、優しい声と笑顔を返した。
荷物を玄関に置くと
「ちょっと墓参りに行って来るよ」
と言い残して、出て行った。
墓は東京の街中、高台にある。
その中でも一際大きな墓石が置かれている所が、沖津一族の眠る場所だ。
白い吐息を漏らしながら、沖津はそこに花を添えた。
墓は綺麗にされている。おそらく、沙耶が掃除してくれているのだろう。
「父上、母上……そして兄上、ただいま戻りました」
手を合わせて祈る。
もう一人でも大丈夫。
そのことを両親と兄に伝えたかった。
「正月には戻れないと思いましたので、一足先に。私は元気に暮らしています。妻と子どもに恵まれて。この戦争が終わったら、またいつもの静かな暮らしに戻るでしょう。私は私の家族を守って、生きていきたいと思っています」