冬空帰路
ジェームズ=オルブライト少佐が『グラトニーファング』のパイロットに抜擢されたのは桁外れの体力を持っているからだ。
彼の愛機は時速六百キロ程度で飛行する(ちなみにグラマンは最高時速五百六十キロ)ため、飛行中に体にかかる負担はとても大きい。それに耐え、戦闘機を操縦する力がパイロットには求められるのである。オルブライト少佐を含めたパイロットは文字通り命をかけて、戦っているのだ。
レイテ沖海戦から二ヶ月が過ぎた。もう師走である。
身を切るような冷たい空気が、肌にしみる。それはただ、寒くなったからというだけではない。
先の海戦で敗北したことにより、フィリピンの防衛は絶望的となった。残る要衝はルソン島だけである。ここを陥落させられれば、おそらく日本全土が戦火に見舞われるだろう。
このことは陸海軍司令部高官だけではなく、沖津や強羅のような士官、下士官に至るまで感じていたことだった。
師走も終わりに近づいたある日の朝、日課となっている愛機の整備をしている強羅の前を荷物を抱えた沖津が通りかかった。
大分といえども、十二月となれば寒い。暑がりの強羅でさえ、この日はシャツ一枚ではなく軍服姿で作業をしていた。
「おや、少尉殿。どこに行くんで?」
「帰る」
「はあ?」
要領を得ない、という顔だ。
「だから帰るんだよ。家に」
「除隊処分でも受けたんですか? それとも軍法会議に引っかかって……」
「馬鹿者。私がそんなことをすると思うか。妻に顔を見せに行くだけだ。上官には既に許可をもらっている。数日中には帰ってくるよ」
「何だ、つまらねえ」
沖津は苦笑した。
一瞬の沈黙の後、強羅は右手に持っていたスパナをゴトリと落として
「って、奥さんいるんですかい? その歳で?」
と大げさに驚いた。
「何だ、その反応は。私はもう二十一だ。妻くらいいてもおかしくないだろう」
沖津は整った顔をしているし、知的で穏やかである。それに地位もある。女性からすれば放っておけないだろう。
「いや、俺もてねえもんで」
「浅葱も彼女いるみたいだぞ」
「別にいいですよ。俺の恋人はこいつだけだし」
ぽんぽんと『鬼桜』を叩く。
レイテ沖海戦以来、この機体は強羅専用機となっていた。もちろん、それは強羅の戦闘技術と適性を評価されてのことである。
「さて、それよりも……」
険しい顔になる。
「戦局はきわめて不利ということは否めなくなった。いつ何時出撃命令が下るか分からない。私が不在の時に出撃命令があれば、お前が隊をまとめてくれ」
「承知しやした」
「それから、浅葱を頼む」
「頼まれたって何も出来ませんぜ。俺は子守じゃねえ」
「若い者の面倒を見るのも年長者の仕事だろう?」
「ええ、あんたを含めてね」
「それでは、また」
柔らかな笑みを残して、沖津は東京へと向かった。




