『グラトニーファング』
三人は源田大佐の執務室から退室した後、白山少佐に案内され、木造の兵舎に入った。
「ああ、大変な任務を負っちまったな」
強羅が戦闘帽を投げ捨てて、部屋の片隅にあるベッドに座った。
大きなランプがひとつ天井にぶら下がっていて窓が三つ開けられている。入り口は一つしかない。ベッドが四隅にひとつずつ置いてある、殺風景な部屋だ。
「しかし、我が大日本帝国の行方を左右する任務だ」
沖津も空いているベッドのうちの一つに腰掛けた。入り口から最も遠いところにあるベッドだ。
強羅と同じように帽子を投げ捨てる。柔らかそうな総髪を右手でかきあげた。
「それで、強羅はどこまで知っているんだ?」
浅葱は二人が座ったのを確認すると、体をベッドに放り投げた。
「ああ。新しい部隊の編成までは知ってますぜ。剣部隊、って名前で」
「航空隊のやり手ばかりを集めた少数精鋭の部隊、ということは知っているか?」
「いいや。ただ、あのデストロイヤー菅野がいるってことは知ってますが」
「はは、あいつがいるのか」
菅野直。凄腕のパイロットだが、出撃するたびに戦闘機を潰しまくるため、ついたあだ名が『デストロイヤー菅野』。海軍随一の熱血漢としても有名である。
浅葱は眠りに落ちていた。緊張の連続だったから無理もない。沖津はそう思って、少年の寝顔を見た。
「なあ、強羅」
「ん?」
「戦争、終わったら何がしたい?」
「決めてねえですよ、そんなの。大体俺は昔っから軍にいたんですし、これ以外の生き方なんて考えたこともねえ。頭もそんなに良くねえし」
「なんだ、つまらないな」
「そういう少尉殿は決めてるんですかい?」
「私は戦争を、この戦いを子供たちに教える仕事がしたい」
「教師ですかい?」
「そうなるかな」
沖津はごろりとベッドに寝転ぶ。
「分からないんだ。何が正しいか、何をすべきか」
「そんなの俺だって分からねえです。だから、何となく思いついて行動してるんですよ。そういう時は」
「思慮が足りない、とはいえないか」
沖津は苦笑した。
「戦争というのは無慈悲で残酷なものだな」
何を今更と強羅は返事する。
「ああ、そうだな。明日、もしかしたら浅葱が死ぬかもしれない。お前も私も死ぬかもしれない。そう考えたら、怖くなってきた」
ランプには一匹の蛾がまとわりついていた。
「そうですな。戦争は、本当に恐ろしいもんです。少尉殿も何度か死線をくぐられたというのに弱気ですな」
「私はいつだって怖がっていたよ。そして恐れていた。私のせいで部下が死ぬのではないか、と」
「……少尉殿」
「何だ?」
「この服を着て、戦闘機乗りになった時から死ぬ覚悟は出来てますよ。これが死に装束になることくらいは予想していますぜ。俺たちは相手の生きる未来を奪うんだ。当然、奪われることも覚悟してます」
強羅が珍しく雄弁になっている。
「アメリカのグラマン以上の高性能戦闘機『グラトニーファング』が今、フィリピンに展開しているそうです。最高速度、武装、装甲のどれをとってもゼロ戦の敵じゃない。負けるのは目に見えている」
「やめろ、強羅」
「事実ですぜ。このままいけば、少なくともサイパンを死守できない。負け戦になるんだ」
沖津は整った顔をしかめる。
「負ければ、我々はすべてを失うだろう。米国が、連合軍がわが国の富や人々を奪うだろう。だからこそ、我々は負けられないのだ。大日本帝国同胞の未来を背負っているのだから」
「……少尉殿、何であんたは戦争に参加しようと思ったんですか? あんたの家は沖津公爵家だ。そして親父殿は元外務卿の沖津錬太郎殿だ。何故戦争に参じたかが分からない。高みの見物を決め込むことだって出来たはずだ」
沖津が戦争に参加しようと思ったのは元々米国嫌いだったからだと説明した。降りかかる火の粉は全力で振り払わなければならないと考えていた。
一方でひどく死を恐れている。周囲の人の死、それに己の死を。
「わが国は変わったな。最近、野球でも、ストライクと言ったら駄目になった。ストライクは『よし』、ボールは『だめ』と言う様になった」
灯にまとわりついていた蛾が翼を焼かれ、地に堕ちた。
「アメリカ憎しの風潮が国内で渦巻いているんでしょうな」
「それもあるだろう。それ以上に米国に敵対的感情を煽ることによって士気を保とうとする狙いもあるんじゃないか」
政府が情報を統制していることを沖津は知っている。
それもまた必要なのだ、必要悪なのだと言い聞かせていた。
「くだらない話をしたな。もう休もう」
既に浅葱は寝息を立てている。
「お前も、疲れたんだな」
少年の顔を見て、沖津は微笑んだ。
こんばんは、プログラムを組んだ後で投稿しているjokerです。
名前だけ登場する菅野直は実在した人物です。興味のある方は是非調べてみてください。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……