鼓動
「異動してもらう。沖津少尉には私から話を通しておく」
「……わかり、ました」
強羅はそう呟いて、司令室から退室した。顔は青ざめ、病人のように、ふらふらとした足取りで基地の通路を歩く。
全身から力が抜けていた。
それは恐怖からだけではない。様々な感情が胸の中で踊り狂っている。
いずれにしても死ぬことが決定された。決まっていないのは死に場所だけだ。
もう逃げられない。
どれだけ敵を倒そうとも、どれだけの軍功をあげようとも。
兵舎のベッドに体を放り投げて、手のひらを見た。
これが本当に自分のものなのか。今、自分は夢を見ているのではないのか。
握り締めた拳の中で汗がにじんでくる。ああ、これが現実なんだと数時間かけて理解した。
今まで嫌というほど見てきた天井が何か違うものに見える。
天井だけじゃない。
空も雲も、基地も。ありとあらゆるものがこれまでと違って見えるから不思議だ。
雨が降ってきた。
とんとん、と水が兵舎の屋根を叩く音がする。はじめはゆっくり静かに、それが次第に速く激しくなっていった。
強羅は起き上がって、ぼんやりと窓の外を見る。
確か、初めて出撃した時も、こんな天気だった。
ゼロ戦に乗って、雲の上まで駆け上がると、そこには壮大な青空があったことを今でも覚えている。
もう空に行くのは次で最後だ。大好きだった、あの空にはもう会えない。
ドアが開いた。
濡れ鼠の浅葱がいる。
「ただいま戻りました、軍曹」
「ああ」
「どこか、調子悪いんですか?」
「んなことねえよ。気にするな」
戦闘服を脱ぎ捨てて、浅葱は手近にあった椅子に座った。雨水がぽとぽとと床に零れ落ちる。
「それじゃあ、僕はそろそろ休みます」
「……ああ」
深夜になった。
今日は沖津がいない。任務で一人で出かけている。
ベッドに入った。体が、がたがたと震える。寒いからではない。
涙が自然と出てくる。誰か助けて、と叫びたくなる。
眠れない。
月が空高く昇る頃になっても、まだ意識は覚醒している。恐怖を押さえ込もうと、必死にあがいても、恐怖の波が押し寄せてくる。心臓は激しく鼓動していた。
結局、一睡も出来ずに強羅は朝を迎えた。
そのせいか、体中に力が入らない。
「軍曹、おはようございます」
「ああ……」
「本当にどうしたんですか? どこか悪いのでは?」
「……何でもねえ」
「一度軍医に見てもらったほうが」
「うるせえ!」
椅子を蹴り飛ばした。
「てめえに俺の……」
言いかけて口を止める。これは言えない。そう思ったからだ。
「……いいからメシ食って来い。俺はいらねえからよ」
浅葱が朝食を取りに行ってすぐに、鵜殿中佐が強羅の元にやってきた。
「強羅、入るぞ」
「……はっ」
「親しい者へ手紙を書いておけ。じきに出撃する」
「いつですか」
「三日後だ。早ければ。それまでは『鬼桜』の整備だけしておけ」
「……分かりました」
強羅は三日間の自由行動を許された。
こんにちは、Jokerです。
風邪が治りません。最近のはしつこいらしいですね。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……