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第9話 余波

 翌朝。


 空気が、少し違った。


 誰も何も言わない。


 でも視線が増えている。


 廊下を歩くと、会話が止まる。


 扉の前で、ささやきが消える。


「……あれが」


「王太子殿下に」


「不敬だって」


 聞こえている。


 全部。


 自業自得だ。


 私は歩幅を変えない。


 平民特待生。


 王妃候補。


 面倒な肩書きが二つ。


「ねえ、気にしてないわけないよね?」


 横から声。


 ミレイユだ。


「気にしていません」


「嘘」


 即答。


「昨日、なにがあったの?」


「怒鳴りました」


「……は?」


「王太子殿下に」


 ミレイユの目が丸くなる。


「馬鹿なの?」


「知っています」


 ため息。


「でもさ」


 ミレイユの声が低くなる。


「言ってくれて、ちょっとスッとした」


 少しだけ笑う。


「アルセリア、あれはひどかったもん」


 胸が熱くなる。


 でも今は抑える。


「私のせいで、アルセリア様の立場が悪くなっていなければいいのですが」


「それは大丈夫じゃない?」


「なぜ」


「だってさ」


 ミレイユが顎で前を指す。


 回廊の向こう。


 銀髪が見える。


 アルセリアだ。


 一人で歩いている。


 誰も隣にいない。


 話しかける者もいない。


 完璧な背中。


 蒼は静まっている。


 冷たい。


 凛としている。


 こちらを見ない。


 距離はある。


 それが、いつもの光景。


 授業後。


 資料室。


 分厚い通商協定の原本を抱えていると、影が差す。


「……リディア・エヴァレット」


 低い声。


 振り向く。


 蒼が、こちらを見ている。


 揺れていない。


 完全な氷でもない。


「軽率な行動は、二度としないこと」


「はい」


 即答する。


 視線は逸らさない。


「あなたは、王妃候補です」


 淡々と。


「あなたの発言は、個人の問題ではありません」


「承知しています」


 間。


 蒼が、ほんのわずかに深くなる。


「……ですが」


 声が、少しだけ低くなる。


「昨日の発言は」


 蒼が、澄む。


「誤りではありませんでした」


 心臓が止まりそうになる。


 それだけ。


 本当に、それだけ。


 褒めない。


 認めない。


 肯定もしない。


 ただ“誤りではない”。


 それだけ。


「ありがとうございます」


 声が震えそうになるのを押さえる。


「勘違いなさらないでください」


 蒼がこちらを見る。


「私は、あなたの味方ではありません」


「存じています」


「理不尽を嫌うだけです」


 視線が、わずかに柔らぐ。


「それと」


 小さな間。


「噂は、すぐに収まります」


「……え?」


「気にする必要はありません」


 それだけ言って、背を向ける。


 歩幅は一定。


 揺れない。


 でも。


 蒼は完全に静まってはいなかった。


 ほんの少しだけ。


 光を含んでいる。


 私は深く息を吐く。


 親友ではない。


 味方でもない。


 でも。


 敵ではない。


 距離が、ほんの少しだけ縮んだ。

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