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第8話 蒼がほどける

 廊下に出た瞬間、手首を掴まれた。


「こちらへ」


 低い声。


 振り返る間もなく歩き出す。


 前を行く背中。


 銀髪が揺れる。


 歩幅は一定。

 迷いがない。


 ああ。


 推しが三歩先にいる。


 やばい。


 心臓が持たない。


 扉が開く。


 アルセリアの自室。


 いや、自室というより——小さな宮殿だ。


 壁には海図。

 精巧な地球儀。

 各国の織物が掛けられている。


 そして。


 自室の奥に、応接室。


 応接室。


 自室に応接室。


 さすが未来の王妃。


 規模が違う。


「お座りください」


 冷静な声。


 慌ててソファに腰を下ろす。


 柔らかい。


 高級だ。


 落ち着け。


 落ち着け私。


 アルセリアは向かいに立ったまま。


 蒼が、まっすぐこちらを射抜く。


「……なんのつもりですか」


 低い。


 いつもより、わずかに温度がある。


 困惑だ。


 蒼が揺れている。


 尊い。


「王太子殿下の前で、あのような発言を」


 間。


「あなたは、自分が何をしたのか理解していますか」


「はい」


 即答する。


 怒られている。


 でも幸せ。


「処罰の対象になる可能性もあります」


「それでも」


 息を吸う。


「嫌なことをされたら、嫌だと言うのが普通です」


 蒼が、ぴたりと止まる。


「普通?」


「はい」


「王族の前で?」


「人としてです」


 沈黙。


 蒼が、わずかに深くなる。


 考えている。


「あなたは平民だから、そう言えるのです」


 冷たい言葉。


 でも。


 刺すためではない。


 確認している。


「そうかもしれません」


 素直に頷く。


「でも、アルセリア様は平民ではありませんが、人です」


 蒼が揺れる。


「殿下の所有物ではありません」


 ああ。


 言ってしまった。


「……あなたは愚かです」


 いつもの台詞。


 でも、声がほんの少しだけ弱い。


「知っています」


 正直に言う。


「一言だけ言うつもりでした」


「一言ではありませんでした」


「はい」


 少しうつむく。


 反省はしている。


 でも後悔はない。


「ですが」


 顔を上げる。


「アルセリア様が、あの命令を受け入れるのが当たり前のように扱われるのは、我慢できませんでした」


 蒼が、静まる。


 氷に戻る。


「私は、慣れています」


 その言葉は静かだった。


 でも。


 重い。


「慣れなくていいんです」


 思わず言う。


「慣れなくていい」


 蒼が、こちらを見る。


 真っ直ぐ。


「……あなたは、本当に」


 言葉を探す。


 困っている。


 あの完璧な公爵令嬢が。


 困っている。


 尊い。


「無謀です」


「はい」


「危うい」


「はい」


「放っておけません」


 え?


 一瞬、思考が止まる。


 蒼が、ほんの少しだけ柔らぐ。


「次は、私に相談してください」


 低い声。


「勝手に飛び込まないこと」


「……はい」


 叱られている。


 なのに。


 胸が温かい。


「あなたは、王妃候補になりました」


 蒼が、静かにこちらを見る。


「その立場で軽率な行動を取れば、学園だけの問題では済みません」


 声は冷静。


 でもわずかに揺れている。


「あなたが傷つけば、それは私の監督不足と見なされます」


 蒼が澄む。


 覚悟の色。


「ですから、勝手に飛び込まないこと」


 間。


「必ず、私に相談しなさい」


 その瞬間。


 ほんのわずかに。


 口元が緩んだ。


 小さく。


 本当に小さく。


「まったく」


 吐息のように。


「愚かな人ですね」


 くす、と。


 笑った。


 音は小さい。


 でも確かに、笑った。


 本にはなかった。


 どこにも書いていなかった。


 氷の悪役令嬢が、笑うなんて。


 私は息を忘れる。


 尊い。


 尊すぎる。


 原作を超えた。


 物語を壊した。


 いや。


 物語を、生きた。


 蒼が、ほんの少しだけ柔らいでいた。

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