第4話 甘い声
午後の回廊は、海風が抜けている。
白い石床に、金色の影が伸びる。
「リディア」
甘く整えられた声。
振り返らなくても分かる。
ルシアン・アルベルト。
レグナリナ王国王太子。
「少し、話をしよう」
距離が近い。
笑顔は完璧。
瞳は、値踏みする色。
「お時間が許す範囲で」
私は一歩、自然に下がる。
王子はそれを気にしない。
「君は優秀だと聞いた。特待生だそうだね」
「身に余る評価です」
「謙虚だ。好ましい」
声が低くなる。
「アルセリアは優秀だが、少々冷たい」
わざとらしく、ため息。
「王妃には、もう少し柔らかさが必要だと思わないかい?」
触れない距離。
でも、触れる前提の距離。
気持ちが悪い。
「私は王妃になるつもりはございません」
「予定は変わるものだ」
柔らかく笑う。
「君の未来は、僕が整えてあげられる」
囲う声だ。
選ぶのではない。
“与える”という口調。
「国の未来は、国が決めるものかと」
一瞬。
王子の目が冷える。
すぐ戻る。
「君は平民だ。後ろ盾は必要だよ」
優しい声のまま、刺す。
そのとき。
回廊の奥から、靴音が近づく。
規則正しい歩幅。
迷いのない足取り。
アルセリアだ。
彼女は角を曲がりかけ――
止まる。
王子の声が、ちょうど耳に届く位置。
蒼い瞳が、こちらを捉える。
感情はない。
だが、足は進まない。
「殿下のご厚意はありがたいですが、お受けする理由が見当たりません」
私は静かに言う。
「既に殿下には、相応しい婚約者がおいでです」
空気が凍る。
王子の笑みが、ほんのわずかに歪む。
「形だけのものだよ」
即答。
遠くで、アルセリアの指先がわずかに強く握られる。
ほんの一瞬。
それだけ。
「より国益にかなう選択をする。それだけだ」
国益。
便利な言葉。
「私は、誰かの代替にはなりません」
沈黙。
王子の瞳の奥が、暗く揺れる。
「強いね」
笑う。
温度のない笑み。
「だが、考えは変わる」
視線が私を通り越し、廊下の先へ向く。
アルセリアと、目が合う。
ほんの一瞬。
王子は、何も気づかないふりをする。
「また話そう、リディア」
去っていく背中。
金色が遠ざかる。
足音が消える。
静寂。
そして。
アルセリアが、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
背筋は伸びたまま。
表情も変わらない。
完璧な公爵令嬢。
「軽率な発言はお控えください」
低い声。
「王太子殿下は、執念深いお方です」
責めるでも、庇うでもない。
ただ事実を告げる。
その瞳は――
さっきより、ほんの少しだけ柔らかい。
いや。
違う。
氷が、ほんの少しひび割れた。
「……ですが」
わずかな間。
「代替にはならない、というご発言は」
蒼が、まっすぐに私を見る。
「理解いたしました」
それだけ言って、彼女は歩き去る。
背中は強い。
揺れない。
でも。
さっき、足を止めた。
それだけで、十分だ。




