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第10話 物語のレール

王太子の執務室は、やけに静かだった。


壁にはレグナリナの海図。


交易路が赤い糸で結ばれ、各国の港に小さな金の印が打たれている。


国の未来を語るための部屋で。


彼は、ひとりの令嬢の未来を弄んでいた。


「君は優秀だ、アルセリア」


柔らかい声。


その声音が、余計に冷たい。


「だが、優秀すぎる」


蒼がまっすぐに向けられる。


「意味が分かりません」


「分かっているだろう?」


ルシアンはゆっくり椅子にもたれた。


「先日の件だ」


先日の件。


あの暴走。


あの怒声。


あの、リディアの飛び出し。


「タイミングが良すぎた」


彼は指を組む。


「私がリディアに話した内容を、まるで知っていたかのように飛び出してきた」


「まるで、約束の場を把握していたかのように」


「まるで、仕組まれていたかのように」


沈黙。


蒼は揺れない。


「それは、王家に対する冒涜だ」


声が一段落ちる。


「王太子の権威を公然と貶める画策」


「王妃候補を操り、私を糾弾させた陰謀」


彼は笑った。


「そう解釈することも、可能だ」


可能。


それだけで十分だ。


王家は、解釈ひとつで首を落とせる。


「断頭台での処刑に値する行為とも、とらえられる」


言葉を選びながら。


しかし、愉しむように。


蒼が、わずかに細められる。


「……証拠は」


「必要かい?」


軽い。


あまりにも軽い。


「“疑い”で十分だ」


交易国家レグナリナ。


王家への忠誠は、商人たちの信頼そのもの。


王家に反逆の影が差せば、信用が崩れる。


信用が崩れれば、交易は崩れる。


「君が裏で糸を引いていた、と噂を流すだけでいい」


「氷の公爵令嬢は、王家を操ろうとした、と」


蒼は、動かない。


「……それで、殿下は何をお望みですか」


静かだ。


震えない。


「簡単だ」


彼は微笑む。


「あの平民の娘に、決意させればいい」


一拍。


「リディアを、俺の王妃になると決意させろ」


蒼が、わずかに凍る。


「そうすれば、今回の件は不問にしてやる」


「処刑も、反逆の嫌疑も、なかったことにしよう」


「君は側室にしてやる」


「仕事は今まで通り、いや、今まで以上にやってもらうが」


口角が上がる。


「リディアには楽をさせてやりたい」


「可愛くて、柔らかくて、平民で」


「君のように硬くない」


その言葉の一つ一つが、刃だ。


「君の従順なところだけは評価している」


「だからこそ、使い道がある」


蒼は、揺れない。


長い沈黙のあと。


「……王太子殿下が、そうお望みでしたら」


それだけを言う。


完璧な声音。


怒りも、悲しみも、滲ませない。


ルシアンは満足げに目を細める。


「そうだ。それでいい」


「従順な君は、美しい」


その瞬間。


蒼の奥で、なにかが微かに軋んだ。


処刑。


断頭台。


その言葉は脅しではない。


現実だ。


王家の一言で、貴族は落ちる。


国の未来のために生きてきた自分が。


国を乱した罪で落ちる。


皮肉。


だが。


それでも。


蒼は、揺れない。


「……承知いたしました」


けれどその背中を、誰も見ていないところで。


ほんのわずかに。


拳が、白くなるほど握られていた。


そして。


廊下の向こう。


偶然にも風に乗って届いた、その断片的な会話を。


誰かが聞いているとは、まだ知らない。





「ねえ、リディア」


昼休みの回廊。


人目を避けるように、ミレイユが私の腕を引いた。


「変な噂、聞いた?」


胸が、ひやりとする。


「……どんな噂?」


「詳しくはわからないんだけどさ」


ミレイユはいつもより真剣な顔で、声を落とした。


「アルセリア様が、王家に逆らったって話。反逆とか、画策とか……そんな単語が出てる」


反逆。


画策。


それだけで、空気が薄くなる。


「あとね……」


一瞬ためらってから、彼女は言った。


「断頭台、って言葉も」


――断頭台。


世界が、わずかに傾いた。


確証はない。


ただの噂。


尾ひれがついた誇張かもしれない。


王家と公爵家の間の政治的な牽制を、学生たちが面白がって騒いでいるだけかもしれない。


それでも。


それでも、私は。


理解してしまった。


この物語は、最後に誰かが処刑される物語だ。


それを、私は知っている。


原作では――


処刑台に立つのは、リディア・エヴァレット。


つまり、今の私だ。


けれど。


あの事件で、流れは変わった。


私が飛び出した。


私が怒鳴った。


私が、王太子に公然と逆らった。


あの瞬間。


物語のレールは、確実にずれた。


どちらに?


わからない。


断頭台が現実になるかも、まだわからない。


でも。


アルセリア様の名前と、“反逆”と、“断頭台”が一緒に囁かれている。


それだけで、十分だった。


私は、知っている。


この物語は、軽率な行動ひとつで、処刑ルートに入る構造だ。


知っていたのに。


知っていたのに。


どうして、あんなことをしたの。


胸の奥が、きり、と痛む。


王子が理不尽だった。


アルセリア様が物のように扱われた。


許せなかった。


だから飛び込んだ。


それは、正義だった?


違う。


それは、感情だった。


私は、物語を壊せると思い上がった。


自分だけは、結末を操作できると、どこかで思っていた。


でも。


この世界は、私の都合で動く舞台じゃない。


王家には権威がある。


公爵家には責任がある。


交易国家レグナリナの未来は、王家と公爵家の均衡の上に成り立っている。


そこに、平民出身の特待生が。


感情のままに、叫んだ。


軽い。


あまりにも軽い。


私の一言が、もし。


あの人を断頭台ルートへ押し出しているのだとしたら。


なんてことを、してしまったんだ。


確信はない。


でも。


可能性は、ある。


その“ある”が、致命的だ。


私は、物語を知っていた。


断罪の重さを知っていた。


処刑がどれほど政治的な意味を持つかも、知識としては知っていた。


それなのに。


なぜ、止まらなかった?


なぜ、もっと慎重に動かなかった?


なぜ、怒りを優先した?


推しを守りたい。


その一心だった。


でも。


守るつもりが、突き落としていたら?


息が浅くなる。


考えろ。


今は後悔している時間じゃない。


噂はまだ噂だ。


断頭台は、確定じゃない。


でも、物語は確実に変わった。


そして。


変えたのは、私だ。


だったら。


責任も、私が取る。


「……ありがとう、ミレイユ」


声が、少し震えていた。


「ちょっと、顔色悪いよ?」


大丈夫、と言いかけてやめる。


大丈夫じゃない。


でも。


止まるわけにもいかない。


とりあえず。


アルセリア様のところへ行こう。


本人の蒼を、確かめなきゃ。


凍っているのか。


揺れているのか。


それとも。


もう、覚悟を決めてしまったのか。


廊下を歩き出す。


一歩ごとに、胸が重くなる。


これは、物語じゃない。


これは、私が変えてしまった現実だ。


ノックの前で、手が止まる。


深く息を吸う。


「……リディアです」


返事は、すぐに返ってきた。


「入りなさい」


静かな声。


あまりにも、いつも通りで。


それが、いちばん怖かった。

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