(8)
(私は、この人には敵わないんだわ)
妖怪の賢者である紫にすら対等に張り合おうとする霊夢なのに、普通の人間にすぎない結子には、あっさり白旗を掲げた。
結子には、勝てない。
いや、勝負をしようとすれば、かえって墓穴を掘って、深みに嵌ってしまいそうな予感がする。
「結子さん」
「なぁに?」
「その……、嬉しいですか? つまり……、子どもができて」
霊夢は、胸の中の想いを、素直に見せることにした。
結子相手に隠しごとはしないほうがいいと思ったのだ。
結子は、お腹をさすって、
「嬉しい……、というよりも、素敵なことだと思うのよね」
「それは?」
「私と洋壱さんの血を継いだ命が生まれて、その命がまた新しい命を生み出して……。そうやって命がつながっていくことは、とても素敵なことだと私には思えるの。霊夢ちゃんも、そう思わない?」
「私は……」
霊夢は言い淀んで、
「私はあまり、血のつながりとか、意識しないほうなので」
それだけ応えた。
結子は、その言葉の奥に、なにかが潜んでいると察したけれど、追求はしなかった。
霊夢は、どこからともなく幻想郷にやって来て、博麗の巫女の座に収まった。
その過程でなにかはあったのだろうけど、霊夢本人が言いたく無いのなら、無理にほじくることはしないほうが良い。
(まだ、こんなに若いのに……)
弱音を吐いたり愚痴を漏らしたり、誰かに甘えたいときもあれば、好きなことをやりたいと思うこともあるだろう。
でも、いったん博麗の巫女になったからには、役に殉じ、博麗の巫女として生涯をまっとうするしかない。
そんな霊夢を、結子は不憫に思った。
「霊夢ちゃんは、なにか、やりたいことは無いの?」
「えっ?」
そんなことは、聞かれたことも考えたことも無かったので、霊夢は当惑した。
「なんでもいいのよ。言うだけならタダだもの」
「……」
そう言われても、特筆できるものは無い。
その日その日を、博麗の巫女としてすごすだけ。そのうちに年老いてやがて死ぬ。
そのくらいのことしか考えていなかったし、自分には、そのくらいで充分だと思っていた。
「私は、蝉の抜け殻みたいなものですから」
空蝉のようなこの身に、世界に存在する意味がある。それだけで充分すぎる。
「そんなことは無いでしょう? 博麗の巫女になるのだって、少なくとも、霊夢ちゃんの意思でそうしたんじゃないの?」
「他に、しようが無かったんですよ」
例えば、ものすごく貧乏で、お金もなにも無い人がいたとしたら、職業を選り好みなんかしていられないだろう。
「私も、それと似たようなものなんです。だから、住む場所があって、役があって、はたすべき責任があれば、それでいいんです」
「霊夢ちゃん。質問があるのだけど」
「どうぞ」
「もしも、この人間の里が、妖怪かなにかに襲われたら、きっと霊夢ちゃんは助けてくれるでしょう?」
「もちろんです」
それが、巫女としての使命ですから。とは言えなかった。
そんな霊夢の思いを、結子は見抜いていたのかもしれない。
「それは、霊夢ちゃんが巫女だから? それとも、霊夢ちゃんが、そうしたいからそうするの?」
「……!」
霊夢は、その質問に答えられなかった。
答えは明白だった。
でも、それを口から出すことができなかった。
「ごめんなさい」
折れたのは結子だった。
「大人気の無いことをしてしまったわ。意地悪だったわよね」
「いえ……」
結子のさみしそうな顔が、ちくりと胸に刺さった。
「長居をしてしまいました。そろそろお暇します」
いたたまれなくなって、霊夢は逃げるように土間に下りた。
「霊夢ちゃん」
距離を置こうとする霊夢を、結子は許してくれなかった。
「また来てね」
それは、結子の優しさであり、厳しさでもあった。
本心から逃げてはいけない。
そう言われているような気がした。
数日間、霊夢は神社に籠もりっきりになっていた。
夏まっ盛りだというのに障子を閉め、居間でもの思いに耽っていた。
蝉の鳴く声が、ひどく遠くから聞こえてくる。
(博麗の巫女だからそうするのか、私がそうしたいからそうするのか……)
結子に言われたことが、呪いのようにこびりついていた。
「考えてみたら、ずっと、自分以外のところに理由を求めてたのよね」
幻想郷にやって来たことも、巫女になったことも、自分の意思ではどうしようも無かったのだと、逃げ道を作っていた。
腹の探り合いの駆け引きばっかりを覚え、本心を遠ざけていた。
怖がっていた。
自分の意思で行動することを。
自分の責任で失敗することを。
おもいきって本心のままに行動して、失敗して、後が無くなってしまうのが怖かった。
だから常に逃げ道を用意していた。
そのせいで、好ましいと思える人に、好意を伝えることすらできない。
「もったい無いかぁ。確かにそうよね」
好きなことをやらず、やりたいこともやらず、与えられた責任をはたすだけ。
それで、後悔は無いのだろうか。
いつか死ぬときに、自分はちゃんと生きたと思えるのだろうか。
人生、やり直しはきかない。この身は、ひとつだけなのだ。
一回こっきりの人生を、もっと大切にするべきではないだろうか。
もしかしたら、結子との出会いは、隠してばかりいた本心が、外に出たいと訴えてきたから起きたのかもしれない。
結子ほどまで素直になるのは無理としても、彼女から学ぶべき点は、大いにある。
特に、ひねくれものの妖怪たちとかかわってばかりいる霊夢には。
「よし」
両手で顔をぱちんと叩いて気合を入れた。
がらっと障子を開けて空気を入れ替える。
ぐーっと伸びをして、けたたましい蝉の鳴き声を受け止めた。
「いっちょ、やってみましょうか」
妖怪が人間たちを傷つけず、かつ、妖怪が怪異を起こしやすくする方法。
頭を絞れるだけ絞って考えてみよう。
私がそうしたいからやるのだ。
幻想郷の均衡を保ちたいから。博麗の巫女であり続けたいから。そして……。
幻想郷の秩序を守ることが、結子のためになるから。
屁理屈や建前をとっ払い、裸一貫の自分の本心に従って行動するのは怖い。
でも、空蝉のようなこの身に、〝わたし〟として存在する意味を自分で与えてやれば、気持ちが軽くなる。
霊夢は、縁側から飛び立った。
なんだか無性に、空を飛び回りたい気分だった。




