表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/16

(6)

「ごめんください」

 霊夢は、家の戸を叩いた。

「どうぞ」

 という返事を待ってから、中へ入る。

 その人は、霊夢を見るや、垂れている目じりをさらに下げて静かにほほ笑む。

「いらっしゃい。霊夢ちゃん」

 穏やかで、優しい声。

 霊夢はそれを、全身で感じた。

 心が安らぐ。

 彼女の声は、どんなに荒れた大地でも潤せてしまいそうだ。

「お邪魔します、結子さん」

「上がって。いま、お茶を用意するから」

「えっ。こないだ、安静第一って……」

「いいの。ちょっとは動いたほうがいいって言われてるもの」

 結子は土間に降りると、水桶からやかんに水を移して、火鉢にかけた。

 霊夢はそれを、ハラハラしながら見守っていた。

 妊娠期の女性のことは詳しくないけれど、お腹の中に赤ちゃんがいるということは知っている。

(も、もし転んだりなんかしたら……)

 霊夢はたまらず、結子に手を貸した。

「霊夢ちゃんも、私を病人扱いするの?」

「い、いえ。そういうわけじゃ……」

 気を遣って手を出しただけなのだが、結子は不満顔。すねて唇を突き出した。

 大人の女性なのに、かわいらしい人だ。

 だから余計に、手を貸したり差し伸べたくなったりするのだけど、結子はそれを嫌がっている様子。

「洋壱さんもご近所の人たちも、安静にしてなさい寝てなさいって、口うるさくてしかたないのよ。ずっと寝たきりなんて、そっちのほうが体に悪いわ」

 心配してくれるのはありがたいけれど、いきなり老け込んだみたいで気が滅入るという結子は、そろそろ三十路である。年齢の話題はタブーな年ごろだ。

(どうしようかな……。手伝えることがあったら手伝うつもりだったのに……)

 手助けが必要なことはありますかと、言い出しにくい空気になってしまった。

 結子はお茶を飲みながら、楽しそうにおしゃべりをしている。

 こうして話し相手になるだけでも、彼女の気分転換に貢献できているのかもしれないけれど、お茶を飲み、話がひと区切りついたらさようならでは申し訳が無い。

 というのは言い訳。

 本音は、もっと目に見える形で結子の役に立ちたいだけなのだが、そのことを、霊夢本人は自覚していなかった。

 妖怪たちと腹の探り合いばかりして、素直な気持ちをぶつけ合うことをしていない弊害である。

 土間に視線をやる。

 整理整頓が行き届いていて、食器や野菜がきちっと並んでいた。

(あっ)

 そこで霊夢はひらめいた。

「結子さん、足らない野菜はありませんか?」

「え……? ええと、大根と、ゴボウと、あとは里芋が心もとないかしら」

「わかりました。買ってきます」

 勇んですくっと立ち上がる。

「ええっ?」

 結子はびっくりしていたが、霊夢は、はや、草履を履いてしまっていた。

「い、いいのかしら……」

「気にしないでください。どうせ暇だったんですから」

 神社でぼけーっとしているくらいなら、里の人のために働くべき。

 もっともらしい言いぶんを盾に、霊夢は買いもの籠を持って表に出た。

(ふふふ……。おつかいなんて、いつぶりかしら)

 足どりは軽く、心は弾む。

 お花見にでも出かけるような気分だ。

 幼いころは、こんなちょっとしたお出かけが楽しかった。

 一人で、あるいは母と手をつなぎ、嬉々として出かけたものだ。

(それがまぁ、どういう因果なのかしらねぇ……)

 あんなに優しかった母親なのに、好きな男ができると態度が一変した。

 つき合う人間から影響を受けて人格が変化してしまったか、つき合う人間によって本性を呼び起こされてしまったのか……。

 母は、『わたし』に対して日に日に冷たくなっていき、きつく当たるようになり、最後は邪魔者あつかいするようになった。

 気づけば『わたし』は独りになっていて、いまは博麗の巫女なぞやっておる。

 受け入れ難い人生だが、受け入れる他に無い。

 だって、博麗霊夢として生きる以外の選択肢が無いのだから。

 この人間の体は、博麗霊夢という魂を吹き込むことで、存在意義を保っているのだから。

「いっそのこと、妖怪たちを幻想郷から駆逐してしまえ!」

 ぎょっとして霊夢がそちらを見やると、一緒にいた男が、バカやめろと口をふさいだ。

 二人の男は、そば屋から出て来た。

 明るいうちから酒をひっかけて、呑みすぎてしまったようだ。足元がおぼつかなくて、ふらふらと千鳥足で歩いている。

「なんだぁ? おまえだって、近ごろの妖怪は腑抜けだって言ってただろうが! 里の人間で徒党を組めば、妖怪ごとき……」

「わかった。わかったからもう黙れ」

 つき添っていた男は、霊夢に頭を下げた。

 霊夢は涼やかな笑みを返して軽く会釈し、酔っぱらいの言うことなんて、真に受けていませんよという風体をよそおった。

 よそおったのだ。

 酔っぱらいの言うことを、まじめに聞いていたらキリが無い。そう思ったのは確かだ。

 でも、一瞬だけロウソクの火が消えて暗闇に包まれたような、ほのかな不安が胸中をよぎったことも否定できなかった。

 人間の里は、塀と、自然の川を利用した水堀で囲まれ、櫓も建てられているので、外敵からの襲撃対策は充分だ。

 でも、知能が高く、空を飛ぶことができる妖怪に対しては、まったくの無力。

 妖怪たちがその気になれば、人間なんて、赤子の手をひねるように、たちどころに皆殺しにされてしまう。

 幻想郷で暮らす人間たちは、潜在的に、その恐怖を抱えている。

 さっきの人は、本当に、酔っぱらってたわ言を吐いただけなのだろうか。

 酒に酔ったことで、いつもは胸の奥にしまっている恐怖が、表に出てきたのではないか。

 人間が妖怪を恐れるのは悪いことでは無い。でも、その恐れが行き過ぎ、他の人間たちに伝播して、そのとおりだ、妖怪たちを倒せと賛同者が増えていったら……。

 幻想郷の均衡は崩壊する。

(考えすぎかもしれないけど……)

 もしもそれが現実になったら、幻想郷はどうなるのだろう。

 均衡が崩壊してしまった世界は、消滅するしかない。

 そのとき、博麗霊夢は、存在意義を失う。

 子どもたちが、木々の幹にくっついている、蝉の抜け殻を集めているのが目に留まった。

 幻想郷が消滅したら、自分も、あの抜け殻のようになるのだ。

 成すべき役も無く、生きている意味も無い、からっぽの抜け殻に。

 そんなことを考え始めると、言い知れぬ不安が、心に影をさす。

 霊夢は、不安から逃げるように歩みを早めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ