(3)
(綺麗な人……)
それが霊夢の第一印象だった。
この大人の女性は、美人だったのだ。
整った顔の中で、やや垂れ下がっている細目が、愛嬌を感じさせてかわいらしい。
内包している雰囲気は穏やかで、日向ぼっこをしているような安らぎを霊夢に覚えさせた。
「すみません……。急に気分が悪くなって……」
「さっき、もどしてたよ」
橙は、平気な顔をして言う。
(もうちょっと気を遣いなさいよ)
霊夢は、その言葉をしまった。
気分が悪かったといえ、大人の女性が道端で吐いたなんて、できたら他人に知られたくないはずだ。
それを、オブラートに包めとか、歯に衣を着せろとか言っても、きっと橙は理解してくれないだろう。
そういう、理屈が通じないところも、霊夢が子どもを苦手とする一因なのだった。
「里まで運ぶわ。あんたたちも手伝って」
霊夢は、女性の体を背中に乗せて空を飛んだ。すぐにでも医者に診せないといけないから、飛んだほうがいい。
橙たちは、周りから女性を支えた。
女性は、年下の女の子におんぶをしてもらうことに抵抗があったようで、始めは恥じらっていたが、体が地面から離れると、しっかりと霊夢の背中に密着させた。
霊夢の背中に、ふにっとした柔らかい感触が走る。
(紫といい、なんで育つ人ってのは、こんなに育つのかしら)
胸が大きくても動きにくいだけ。だから羨ましくなんかは無いけれど、大きい人を目の当たりにすると、気にはなる。
それは、性癖とは別のなにかのようなのだが、霊夢は、自身のそんな感情を分析しかねていた。
「ちゃんとつかまっていれば、大丈夫ですから」
「はい」
霊夢は、女性を安心させようとして、声をかけた。
霊夢のように、特殊な能力を持っていなければ、普通、人間は空を飛ぶことができない。
この女性にしてみれば、鳥のように大地から離れるのは初めての経験のはずだ。
でも彼女の声色からは、恐怖という感情が読みとれなかった。
おしとやかそうに見えるけれど、芯がしっかりしていて肝が据わっているようだ。
「あそこです」
と我が家を指さした女性の手のひらは、乾燥していて水気が少なかった。家事をしている手だ。
美を保ち続ける紫とは違う。
変化をしていく人間の手。
それは、命を削りながら生きているという証。
霊夢は、そんな女性の手のひらを、好きだと思った。
(私、なんでさっきからこの人と紫を比べてるのかしら?)
この人が放っている気は、紫とはまるで真逆。
妖怪の賢者である紫と、ただの人間の女性には、接点なんてありはしない。
比べるのは無意味。
でもなぜか、この人のことを観察していると、紫のことが思い出されてしまう。
「手伝ってくれてありがとう。あんたたちはもう帰っていいわよ。妖怪や妖精が、堂々と人間の里をうろつくものじゃないわ」
長屋のまえに着陸した霊夢は、ちびっ子たちを諭して帰した。
「ごめんください」
「はいはい」
戸を開けた男性は、びっくりするほど普通の人だった。
特別に美男子というわけでも無いし、身体的な特徴も皆無で、中肉中背のお手本のような人間。
「結子!? どうしたんだ!?」
男性は、霊夢の背中におぶわれている女性を見るや、顔面蒼白で両手を差し伸べた。
結子と呼ばれた女性は、その手をとって、家の中に入った。
「里の外で、うずくまっているのを見つけたんです。体調が悪いようなので、寝かせてあげてください。私は、医者を呼んで来ます」
「ありがとう。ありがとう」
男性は、涙を流さんばかりに霊夢に謝意を伝えた。
心からの感謝だとわかった。
(兄妹かしら?)
それにしては、二人は似ていない。
でも、血縁者などの強い関係でないと、この尋常でない感謝のしようの説明がつかない。
霊夢は首をかしげながら、町医者のもとに向かった。
「うむ。おめでたじゃな」
老婆の医師が、うやうやしく診断結果を告げると、全員が黙りこくった。
結子も、その夫の洋壱も、そして立ち会っていた霊夢も、なにも言うことはできない。
なぜかといえば、老婆の口から出てきた言葉が、三人にはとうてい無縁なものだったからだ。
まず霊夢。
霊夢にとっては、妊娠とか出産なんていうのは、家ちくのお産を手伝うときにしか耳にしない。
よって、いま霊夢が考えているのは、
(そっか。人間も妊娠するんだったわね)
ということであり、まったくの他人事だった。
次に、結子、洋壱夫妻。
霊夢が中肉中背のお手本と評した洋壱は、なんと結子の夫だったのだ。
(こんな人が……?)
失礼は承知で、霊夢はそう思わずにはいられない。
結子のような美人ならば、もっと容姿の良い男の人を捕まえることだってできただろうに……。
ともあれこの夫妻、仲睦まじく暮らしているのだが、結婚して十年経っても、子宝に恵まれてこなかった。
そのため、洋壱はもちろん結子自身も、体調の不良がつわりだとは予想できなかったのだ。
「月のモンが遅れとるじゃろ」
「はい。でも、疲れが溜まっているだけかと思って……」
「危ないとこじゃったぞ。そのまま気づかんで無理しとったら、せっかくの子どもが流れてしまったかもしれん。安定期に入るまでは安静第一じゃ」
診断を終えた老婆医師は、よっこいせと土間に降りた。
「巫女さん。あんたは大事な命を救ってくれたんじゃ。この夫婦は、感謝してもしきれまいて」
「い、いえ……。そんなつもりじゃ……」
体調が悪そうな里人を助けただけのつもりが、ずいぶんと大事になってしまった。
子宝だの命だのと、質量が大きすぎて、頭の理解が追いつかない。
「やったなぁ。結子」
「ええ。もう子どもはできないと思っていたわ」
父になるという自覚が芽生えてきた洋壱は、ぼろぼろと涙をこぼしながら、妻を抱きしめた。
(あっ)
慌ててくるりと背を向ける霊夢。
背後では、夫妻が、命を授かった喜びに浸っている。
(子どもが生まれるって、そんなに嬉しいものなのかしら……)
よくわからない。
すぐ後ろで起こっていることなのに、別世界の出来事だと霊夢には感じられた。
それに、なんだかモヤモヤする。
結子が、子どもができたことを喜んでいるのが気に入らない。
(帰ろ……)
霊夢は、夫妻のほうを振り向かず、そのまま戸に向かって歩き出した。
戸まではわずかな距離なのに、霊夢は、ゆっくりと足を運んだ。
喜びに浸っている夫婦に気を遣ったのだ。という言い訳を頭に浮かべながら。
「あっ。霊夢ちゃん」
霊夢の求めを察したわけでは無いだろうが、結子は霊夢を呼び止めた。
霊夢は、顔がほころびそうになるのを抑えて、冷静に振り返る。
霊夢ちゃん。
その呼ばれかたは新鮮で、霊夢の胸に、高原の風のような清涼感をもたらした。
「今日は、ありがとう」
「いえ。当然のことをしただけですから」
人間として、博麗の巫女として当然のことをした。
それは、本心を隠すための強がりだった。
「良かったら、また来てね」
「それはいい。俺も仕事があるから、たまでいいから、結子の様子を見に来てくれると安心なんだが……。頼めるかな?」
すーっと鼻から息を吸って、
「たまにでよろしければ」
精一杯の虚勢を張って、そう言った。
結子と洋壱に頭を下げて、家から出る。
空へと飛び立つ。
大丈夫だっただろうか。
表情が崩れていなかっただろうか。
―――良かったら、また来てね―――
結子の優しい声が、霊夢の頭の中で、繰り返し再生されていた。




