(2)
魔理沙は、スペルカードを天にかざしてみた。
白紙のカードだ。
空からは無情にも、雪が降り続いていた。
雪は、家々を、木々を、野を山を白く染める。
なにものも抗えぬ、自然の力。
無力な人間である自分には、凍えながら春を待つことしかできない。
(私は、なんなんだろうな)
瞳を閉じた。
昔の光景を思い出す。
―――やった。やったぞ師匠! 私、空を飛べたんだ!―――
いまでは、あたりまえになってしまった、空を飛べるということ。
でも、最初の一回目は、あんなにうれしかった。あの感動は、どこに行ってしまったんだろう。
魔理沙が空を飛べるようになるまで、魔法の師匠は、ずっと魔理沙を見守ってくれた。
ふらふらと頼りなく宙に浮いては落ち、浮いては落ちを繰り返した。
そうして、顔や足に擦り傷をたくさん作った。
―――手のかかる弟子だよ、まったく―――
師匠は、ぶっきらぼうなもの言いをする。
魔理沙がいくら傷を作っても、知らん顔をしていた。
表向きは魔理沙に暴力をふるった父に似ていたけれど、中身はぜんぜん違う。
豪気で、堂々とした立ち振る舞い。自分に対しての絶対的な自信。
それは、かつての父が持っていた、孤高な誇りだった。
そんな師匠のもとで魔法の勉強を積んだ魔理沙も、師匠が乗り移ったように、自信を持つようになった。
普通の人間でも、努力すれば、なんでもできるんだ。という、絶対の信念が芽生えた。
あの自信は、信念は、どこに行った。
―――なんで魔理沙は、箒に乗ることにこだわるんだい?―――
師匠は不思議がった。
不便だし、戦いになったら被弾面積が増えるし、合理性を重んじる魔法使いとは思えないと。
しかし魔理沙は、自信満々で返した。
それが、魔理沙が理想とする魔法使いだ。魔法使いたるもの、箒に乗っているものだ。それのせいで、戦いで不利になってもかまわない。
そんなこだわりは、どこにいった。
目先の、勝つとか負けるとか。
失敗だとか成功だとか。
そういうものにとらわれず、おもしろみを求める霧雨魔理沙は、いったいどこにいったんだ。
(無様、だな)
このうえに、まだ自分に依ろうというのか。
人間の魔法使い、霧雨魔理沙の限界も、分際もはっきりしたというのに。
魔理沙は箒をぎゅっと握りしめて、天を仰いだ。
厚い雲が空を覆ってしまえば、魔理沙の空は、よりいっそう狭くなる。
うらめしい。
自分の世界を狭めてしまう存在が。
狭い世界の中でしか生息できない自分が。
「私は、なんなんだろうな」
憧れていた、魔法使いという職業。
魔法の力さえあれば、なんでもできる、どんな場所にだって行けるはずだった。
でも、それはしょせん、夢物語。
現実を知らぬものが描く、夢物語でしかなかった。
「いや、違うか」
現実では無く、自分を知らなかったのだ。
魔理沙が持っている器は、霊夢に比べて小さい。
人間は誰も、器を持って生まれてくるんだ。
魔法使いになろうが、魔法の力を得ようが、自分自身の器が小さければ、容量が少なければ、持てる力だって、限られる。
こんな簡単なことにも気づかず、魔法を覚えて得意になっていた、昔の自分が憎い。
「つまるところ、私は、私が好きだったんだろうな」
家のまえに降り立った。
父親に殴られ、罵倒されて、ひたすら否定されまくった自分を守るためには、自分を好きでいるしか無かった。
そして、傷だらけになった自分を慰めるための術が必要だった。
魔理沙にとって、それは魔法だったのだ。
玄関のドアを開けて、壁に箒を立てかけた。
箒はしっかりと立たずに、からんころんと床に転がった。
魔理沙は、見向きもしなかった。
もはや、魔法の力なんて、無価値。
なりたい自分にもなれない。
狭い世界から抜け出すこともできない。
そんな自分が、魔法の力なんて持っていたところで、なんの価値があるのか。
「消えたいな……」
窓の外は、白一色の景色。
この中に溶け込んで消えてしまいたい。
魔理沙はそう思った。
※
窓の外は、白一色の世界。
(静かね……)
雪は、どこまでも静かに、外界とこの空間とを隔てようとする。
まるで、世界にとり残されたよう。
アリスの右肩には上海が、左肩には蓬莱が乗っかっている。
棚には、人形たちがずらりと並んでいる。
独りでは無い。
親友と、友人たちと一緒なのだ。
「上海、蓬莱、寒く無い?」
アリスは、暖炉に薪をくべた。
炎が薪を燃やして、ぱちぱちと音を立てる。
それ以外の音は聞こえない。
上海と蓬莱は、アリスのまえで、左右に首を振った。
寒くは無い。という意思表示だった。
「そう。良かったわ。今夜もきっと冷えるから、温かくしておかないとね」
リビングのソファーに腰かけたアリスは、中断していた編みものを再開した。
すでに、毛糸の帽子やマフラーがいくつかできあがっていたけれど、人間が身に着けるにしては、サイズが小さい。もちろん、アリスが身に着けるにしてもだ。せいぜい、生まれたての赤ちゃんが着られるかどうか……、というくらいのサイズだった。
「本格的に寒くなるまえに、みんなのぶんを作らなくちゃね」
目じりを下げて笑う。
アリスの目元には、クマができていた。
寝食もそこそこに、編みものに熱中していたからだ。
だけど、アリスは気にしていなかった。
どうせこの雪だ。誰かに会うことも無い。
それに、魔女であるアリスは、食事を摂らなくても平気だし、睡眠をとらなかったとしても、体は壊れない。
なにより、こうして黙々となにかにとり組んでいるのが楽しい。
大事な友人たちへの贈りものを作っているのだから、なおさらだ。
これが、私のあるべき姿だったのだ。
なににも触れず、誰にも会わなければ、嫌な感情は湧いてこない。嫌な自分に気づくことも無い。
不思議の国のアリスだって、好奇心に駆られて兎を追いかけなければ、珍妙な体験をせずに済んだのだ。だから、こうしていればいい。
「風が出てきたわね」
窓が揺れている。
風にあおられた雪が、斜めになって大地に下りてくる。
軽い吹雪になるかと思ったが、風はすぐに収まった。
「雪は良いわね」
自分だけの空間に閉じ籠らせてくれるから。
自分だけの世界を守ってくれるから。
アリスの胸に、すきま風が吹いた。
(独り芝居……)
こんなにも、充実している時をすごしているのに、どうして、その言葉がつきまとってくるのだろうか。
だがたしかに、いまのアリスは、端から見れば滑稽だろう。
上海も、蓬莱も、他の人形たちも、アリスの意のままに動くのだ。
ならばアリスは、不思議の国に迷い込んだ女の子では無くて、トランプの兵士を従える女王か。
なるほど。思いどおりに事が運ばなければ、すぐに癇癪を起してしまう女王には、意のままに動く人形たちは、うってつけの部下だろう。
こんな狭い世界の中で、人形たちを従えて、女王を気どっている。
それはそれは滑稽なことだろう。
だが、この狭い世界こそが、この狭い世界の中で、独りでいることこそが、アリスにとってのすべてなのだ。
作業机のはしっこに置いてある、数枚の便せんに目をやる。
差出人は母だ。
整った綺麗な字で、でも、かわいらしさを感じさせる丸みがある。
その字で、受取人のアリスの名が記されていた。
字を目に映しただけで、心が穏やかになる。
それは、その字を見ただけで、母が、アリスのことを愛していると感じることができるからだ。
穏やかで、感情を乱すことが無い、大好きな母。
アリスは、母のような女性になりたかった。
そう、先日、霊夢に紹介された、あの結子という人のように、なりたかった。
だが現実には、そういう人たちに憧れれば憧れるほど、それは無理なのだと理解できてしまう。
表面だけを取り繕っても、心の奥の奥からあふれ出てくる感情、それぞれの人が持つ本性というのは、隠しようが無い。
アリスには、あの穏やかな大人たちのようになる資質が欠けている。
人形たちと一緒に、母から送られた便せんを抱きしめた。
「要するに、私は私が好きだったのね……」
自作した、アリスの意志をくみ取ってくれる人形たちを愛すること。それは、自分を愛するという行為でもある。
そして人形たちを母のように愛することで、アリスは、憧れていた大人の女性としての疑似体験をしていたのだ。
つまり、どこまでいってもごっこ遊び。
「それでも、私は……」
アリスの表情が険しくなる。
憧れの存在に手が届かないと知ってなお、まだ、アリスはアリスをあきらめることができなかった。
がたがたと、玄関のドアが揺れた。ドアがノックされたような音にも似ていた。
また風が強くなったようだ。
「鍵、閉めたはずよね」
念のために、鍵はかけていたはずだったが、いきなりドアが開いては敵わない。
施錠されているかたしかめようと、アリスがソファから腰を上げると、
「アリス―?」
ドアの外から、アリスの名を呼ぶ声が聞こえた。




