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(8)

 アリスは、霊夢と一緒に上空に出た。

 胸がどきどきする。

 なにも考えずに行動できる人ならば、こんなに緊張することは無いのだろうけれど、アリスの場合、そうはいかない。

 この行動を選択したとき、なにが起きるのかと予測をし、先の見通しを立ててから動かないと、不安でしかた無いのだ。

 賽は投げられた。

 背水の陣。

 あとは野となれ山となれ。

 アリスは頭の中で、覚悟を決めるための格言を唱え続けていた。

 そうしないと、

(霊夢、私、やっぱりやめておくわ)

 という断り文句が喉でスタンバイしているので、すぐにでも口から飛び出てきてしまいそうだ。

 霊夢とアリスは、里にほど近い街道に足を着けた。

(ああ……。ここまで来ちゃったわ……)

 後ろ髪を引かれながらも、なんやかんや、里の近くまではやって来ることができた。

 でも、アリスの気持ちは、依然として消極的。

 消極的ながら、足は前に進んでしまう。

 霊夢の目的はなに?

 いったい、どこに行くの?

 といった、知的欲求に抗えないのもまた事実。

 すぐにでも家に帰って、アリスだけのテリトリーに逃げ込みたいという気持ち。

 予想がつかない、この先の展開を見てみたいという気持ち。

 どちらが本心なのかが、わからない。

「いやに緊張するわね……」

 霊夢が、白い息を吐き出した。

「なんで霊夢が緊張するの?」

 二人は、里の入り口にさしかかった。

 高くて立派な塀に見張り台。川を利用した、天然の堀。

 妖怪のいない世の中だったら、防衛施設として、充分に機能するであろう人間の里。

 しかし不幸なことに、幻想郷には妖怪がうじゃうじゃと存在する。

 それも、伝記に名を残す、強力な妖怪たちが。

 だから幻想郷の人間たちは、妖怪を恐れ敬う。

 そしてその裏で、妖怪たちを忌み嫌っているかもしれない。

 妖怪は、人間を喰う。

 人間は、妖怪に喰われる。

 かつて世界は、そうやって均衡を保っていた。

 しかし、幻想郷の住人たちは、外の世界では、妖怪が人間によって駆逐されたことを知っている。

 外の世界で忘れ去られた妖怪は、幻想郷でしか生息できない、もろい存在だということも。

 畏怖や恐怖が限界点を超えたとき、人間たちは、思いもよらない、残忍な行動に出るかもしれない。

 かつて西洋で行われた、魔女狩りのような……。

「実家に知り合いを連れて帰るときって、こんな感じなのかしらね」

 里に入ったところで、霊夢。

 かしらね。

 と言われたって、アリスはそんな経験が無いから、返事のしようが無い。

「実家といえば……」

 霊夢の推論の答え合わせをしてあげられない代わりに、アリスは他の話題を振ってあげようと思った。しかしアリスは、やわらかく笑ったまま固まる。

 霊夢は、幻想郷の出身なの?

 もしかして、外の世界の出身?

 それを聞くことは簡単だ。問題は、その後。

 そう言うアリスは、どこから来たの?

 と霊夢に聞き返されたときに、アリスは質問に答えることができるだろうか。

 霊夢は、アリスが抱えている秘密を受け入れてくれるだろうか。

「私の実家? さぁ、忘れたわね」

「忘れた、って」

「気づいたら山の中にいて、妖怪に襲われそうになったところを紫に助けられて、あとは、なし崩し。って感じね」

「そ、そんな軽いノリで言うことなの?」

 予想するに、霊夢がいま説明したひとつひとつの事象の内面には、さまざまな複雑な要素が渦巻いているに違いなかった。

 しかし霊夢は、霊夢らしくそれらをいかにも簡潔に短くまとめて、涼しい顔のまま言うのだ。

「大変だったんじゃないの?」

「他に選択肢が無かったのよね」

 他に、選択肢は無かった。だから、大変だろうがなんだろうが、目の前で起きている事象を受け入れるしか無かった。 

 この割り切りの良さは、霊夢が博麗の巫女という役職を経験したから学習したものでは無く、霊夢が生来持っているものだ。とアリスは感じた。

 そこからは、二人とも無言

 店が立ち並んでいる大通りを歩く。

 心無しか、里の人たちの視線を感じる。

 博麗の巫女が、対照的な雰囲気のアリスを連れ立って歩いているのだから、必然的に、視線も集まろうというもの。

 視線を感じる方向に、ちらりと瞳を動かしてやれば、八百屋で買いものをしていた主婦たちと視線が絡んだ。

 主婦たちは、びっくりして視線を外したので、アリスも視線を前方に戻した。

 すぐさま八百屋のほうに視線を送ると、主婦たちは、なにやらひそひそと話し込んでいる。

(良くやるものだわ……)

 自分たちの中で、譲れないものがあるのか、それとも習性なのか、彼女たちは、噂話をすることをやめなかった。

 あきれたものだ。

 アリスと視線が交差すれば、すぐにびっくりして逃げ腰になるくせに。

 一方の、霊夢は。

 アリスは、隣を歩く、霊夢に瞳を向けてみた。

 里の人たちの視線とか、ひそひそ話なんか、まるで気にしていないように、悠然と構えている。

 あっちこっちに目を向けていたアリスは、自分が情けなくなった。

(どうして、こんなふうに、気にしてしまうのかしら……)

 見たくないものは見えないものとして、切り捨てることができたなら、どんなにか楽だろう。

 だけど、目に映るもの、耳に入ってくるものを、自然と体内に取り込んでいて、その情報を基にして、あれこれと考えてしまう。

 そんな自分が、ひどく幼く感じる。

(霊夢だったら……)

 霊夢なら、この、こだわりの無い、割り切りができる性格の霊夢だったら、アリスの秘密を知っても、あっそうなんだ、とすんなり受け入れてくれるかもしれない。

 アリスは、いまだアリス・マーガトロイドになりきれていない。

 幼稚な心が理想という着ぐるみを身にまとっているにすぎない。

 それが表に出てこないように、どうにか感情をコントロールしている。

 霊夢にこれを告げれば、アリスは楽になれるかもしれないのに。

 告げた後、のことを考えて、思考だけがぐるぐるめぐって、それで無言になる。 

 霊夢は、長屋に入って行く。

 井戸の周りでは、奥様たちが洗濯をしながら雑談し、広くは無い路地で、子どもたちが遊んでいる。生活感にあふれた空間だった。

 霊夢に気づいた奥様たちは、にこやかに出迎えてくれた。

 霊夢も、業務的ながら、好意的な笑みでそれに応えて、一軒の家の軒先に立った。

「ここ?」

 というアリスの問いに、こくりとうなずく霊夢。

 さっきから、やけに口数が少ない。

「結子さん。いらっしゃいますか?」

 アリスが、聞いたことの無い名だった。

「はぁい。どうぞ。霊夢ちゃん」

 女性の声だった。

 顔を見ずして、霊夢の声だと判別できたということに、アリスは着目した。

 どうやら、家の中に居る人と霊夢とは、それなりに深い仲のようだと予測をつけた。

(それにしても、霊夢……、ちゃんって……)

 その呼びかたに、アリスのほうが赤面してしまった。

 霊夢に対して、そんな呼びかたを選択する者はごく少数だろう。この年齢不相応に達観した巫女を、子どもにも似た扱いをしようなんて、普通の人は思わない。

 がらりと障子戸を開けると、そこは土間だった。

 かまど、縄で吊るされた大根、ざるに乗っている里芋に人参にネギ……。

 それらに、ひととおり目を通してから、土間を上がった先に顔を向ける。

 アリスは、畳に座っている女性に目を奪われた。

(似てる……!)

 それがアリスの、結子への第一印象だった。

「霊夢ちゃん、こないだは、ありがとう」

「こないだ?」

「結子さん! そのことはいいですから!」

 わたわたと慌てふためいて、結子とアリスとを、交互に見やる霊夢。

 こんな霊夢を見たのは、初めてだった。

「あら? そっちの子は……」

 ここで結子は、アリスに気づいた。

 そっちの子。

 と言われたことが、むずがゆかった。

 アリスは、普通の人間に、子、呼ばわりされるような歳では無い。

 でも、この人にそう呼ばれるのは、すごく自然な気がした。

「アリスです。アリス・マーガトロイド」

 自己紹介をして、頭を下げる。柔らかい笑みを添えるのを忘れてはいけない。

「そう。貴女が……」

 アリスが頭を上げると、春の木漏れ日のような、柔らかくて、温かい笑みが待ち受けていた。

(あ……)

 アリスは、胸を突かれた。

 立ちすくむ。

 足がぷるぷると震える。

「アリス。どうかした?」

「それじゃ霊夢。私はこれで……」

 アリスの様子を気にかけてくる霊夢とは、顔を合わせずに振り返る。

「え? アリス?」

 呼び止められても、足は止めない。

 家から出たら、すぐに空へと飛びだった。

(やっぱり、似ているわ……)

 水が、高いところから低いところに流れるように、ごくごくあたりまえに、柔らかい笑みを浮かべることができる、あの人に。

 アリスが、欲しくて欲しくてたまらなかった、ほほ笑み。

 それを、結子はいとも簡単に実践してしまう。

 なぜ。

 なにが悪い。

「欲しい」

 こんなにも、欲しいのに。

 アリスの笑顔をは、しょせんは仮面。

 笑顔の仮面をつけて歩くことで、上辺をとりつくろっているだけ。

「どうして、私はあんなふうに笑えないの……?」

 穏やかに笑うこと。

 たったそれだけのことができない。

 どうして……。


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