(7)
アリスは、あらかじめ鍋で沸かしておいた湯を、流しに注ぎ入れて、食器を洗っていった。
「なるほどね。こうすれば、冷たい水で洗いものをしなくて済むってわけね」
「霊夢は、いつも洗いものはどうしてるの?」
「井戸のところに水を溜めることができるから、食器も洗濯ものも、ぜんぶそこで済ませちゃうのよね」
「山水だから、なおさら冷たいでしょ?」
「そうなのよね。今度から、私もアリスの真似をして、お湯を使おうかしら」
アリスが洗った皿を受け取り、布巾で拭く霊夢。
なんと言っても、いまは冬なのだ。
今日のように晴れていても、充分に寒い。
これで大雪でも降った日には、水仕事なんてやっていられない。
「でも霊夢。寒さを気にするわりに、服が、夏と変わっていないけど……」
霊夢は、冬になっても、肩と二の腕が露出している服を着ていた。
そのくせに、マフラーと手袋を装着して、アリスの家を訪ねて来ている。
それは、激しく矛盾しているのではなかろうか。
「冬はねぇ……、特にサボりがちになっちゃうからねぇ……」
「?」
ああめんどうくさいと嘆く霊夢に、アリスは首をかしげた。
(あれ? そういえば、霊夢に聞かないといけないことがあったような気がするわね)
アリスは、そのまま首の角度を深くした。
霊夢が、やけにアリスの家に馴染んでいるものだから、霊夢がここにいることが、あたりまえのように感じていた。
でも霊夢は、あくまでも客人。
この家においては、イレギュラーな存在なのだ。
それをすっかり失念していた。
「そうだわ。霊夢は、なにか用事があって来たんじゃないの?」
「うっ……」
アリスがそれを思い出すと、霊夢は、皿を拭く手を止めて、渋面を作った。
「言いにくいことなの?」
思い返してみれば、霊夢は、なんの用事で訪ねて来たか、ということについて歯切れが悪かった。
ということは、アリスには、不都合なことであるのかもしれない。
(幻想郷に来てから、態度には気をつけていたつもりだったけれど……)
騒動を起こさないように努めているし、子どもたちに求められて、人形を操ってみせたりもしてきた。
それでも、アリスが人間では無いというだけで、里をうろつくのを快く思わない人もいるのだろうか。
博麗神社を、妖怪神社だと言って笑っていた子どもたちのように、アリスが、里の人間に危害を加えるかもしれないとでも、噂されているのだろうか。
もし、そうだとしたら……。
「みにくいわね……」
魔理沙のことを噂していた人間たちのように、思い込みや先入観だけで他者を評価する。
そういう人たちにとって、実情とか実態なんかは、どうだっていい。
もしかしたら、アリスが里の人間に危害を加えるかもしれないという情報だけがあればいいのだ。
考え始めると、心がどんどん陰っていく。
「そうだわ」
ぱちん。
霊夢が両手を合わせた。
その音で、アリスははっとした。
いまのいままで、別の世界に行っていて、霊夢に呼び戻されたような感覚だった。
「アリス。片づけが終わったら、里に行かない?」
霊夢の提案は、唐突だった。
いや、唐突では無かったかもしれない。
別世界に行っていたようにほうけていたものだから、そこまでに、霊夢がなにを話していたのかが、耳に入っていなかった可能性がある。
(そうだとしても……)
霊夢の意図がどこにあるのかは、つかめない。
「もしかして、都合が悪い?」
「そうじゃないけど……」
里に出かけるべき理由も無い。
生活用品の買い出しは、先日のうちに済ませたので、しばらくは、里に行かなくても平気だ。
人間のように、食事処で外食をすることも、できなくは無いだろうが、アリスは新参者で目立つのだし、変な視線を向けられたくない。
それに、人外の存在が、用も無く里で遊んでいて、いらない詮索をされたくもない。
アリスは、必要があるから里に出入りしているだけで、本来、魔女というのは、人里を離れた場所で、ひっそりと暮らすべきなのだ。
(それに、私が幻想郷にやって来たのは……)
そもそもアリスは、誰かと親しく交わるために、幻想郷にやって来たわけじゃない。
「気分が乗らないなら、無理強いはできないわね」
アリスがぐずっていると、霊夢はあっさりと提案をとり下げた。
なんでアリスが、里に行きたがらないのかとか、そういうことは聞いてこない。興味があるようにも見えない。
こういうときは、例え建前であっても、相手から、理由を聞かないことには納得しない人がほどんどだろう。
でも霊夢は、そういうことにはこだわらない。
アリスが出かけたくなさそうにしている。霊夢にとっては、それ以外の情報なんて必要が無いのだ。
その部分においては、アリスと霊夢は似ていた。
アリスも、無駄な御託とか理屈が苦手だから。
だからアリスは、安心して霊夢とかかわることができるのだろう。
「霊夢。ちょっと、待っていてくれる?」
「え?」
「上着、取って来るから」
それは、考えて発した言葉では無かった。
アリスは自分でも、なんでこんなことを口にしたのか不思議だった。
確かな根拠も無く、勘なんていう不安定なものに従って、霊夢の誘いに乗っていたのだ。
アリスは、二階に上がった。
意思表明をしてしまった以上、霊夢と一緒に里に行くしか無い。
最低でも、上着を取って来るというところまでは、動かないといけない。
いつもの自分だったら、もっとしっかり考えてから行動するはずなのに。
考えた末に出した結論に基づいて動くのではなく、不意に口をついた言葉に従い、なりゆきに任せる。
それは怖いことでもあるけれど、さわやかなそよ風が吹き抜けたような、新鮮な気分をもたらしてくれた。




