(2)
数十のつぶらな瞳が、アリスを見つめている。
ある意味、アリスの人形たちよりも純粋。
邪気とか、悪気とかいうものは、まったく含まれてない。
純真な、瞳。
しかしそれだけに、扱いが難しい。
(どうしよう……)
そして、それを向けられる側の、感情の処理もまた難しい。
この子たちには悪気は無い。
いつもだったら、子どものすることなのだからと許容することができる。
それなのに、今日は……。
「あんたたち。お姉さんが困ってるでしょ。散った散った」
「うわっ! よーかい神社の巫女だ!」
「言うことを聞かないと、よーかいに売り飛ばされるぞー!」
「にげろー!」
霊夢が、お祓いをするように、御幣束をさっさっと振れば、子どもたちは一目散に逃げて行く。
「こらーっ! 変な噂を広めてるんじゃないわよ!」
そうやって霊夢が怒声を浴びせても、楽しそうに笑い合っているだけだった。
あの子たちは、たぶん、本気で博麗神社のことを、妖怪神社だと信じているわけじゃない。本当に妖怪に売り飛ばされるとも思っていない。子どもたちは、そういう空想を楽しんでいるだけだ。
「まったく……。無邪気だから、余計にタチが悪いわ」
霊夢が腰に手をあてがうと、御幣束から垂れている和紙が、かさっと音を立てながら揺れた。
「ありがとう。助かったわ」
「アリス。言うべきときは、ガツンと言ってやったほうがいいわよ」
子どもたちは、まだ、善悪の区別が曖昧なのだ。
だから、言ってはいけないことを言ったら、怒るなり注意するなりして意思表示しないと、どこまでも調子に乗ってしまう。
「でも、大人気が無いじゃない」
子ども相手に怒気をあらわにするなんて、恥ずかしい。
と言うアリスの顔を、霊夢はじーっと見つめた。
「な、なに……?」
「なんでも無いわ。それより、今日は買い出しかなにか?」
「ええ。食料と、生活用品を買いに」
「そのくらいの外出なのに、きっちり化粧してるわね」
魔理沙もだけど、霊夢も化粧っ気が無いので、おしゃれには興味が無いと思っていたが、良く見ている。
「霊夢は……」
なにか用事?
と聞こうとしたアリスの瞳が、霊夢が持っている御幣束のところで止まった。
それに気づいた霊夢は、御幣束を、そっと背中に隠した。
「巫女の仕事?」
御幣束というのは、お祓いとかお祈りに使うものだったはず。
それを持って里にいるということは、巫女としての、公の仕事で里にやって来たのだろうかと、アリスは推理した。
「え、ええまぁ……。そんなとこ……」
霊夢の声は、だんだん小さくなっていって、そんなとこ、の、とこ、に至るときには、糸が風にたゆたうかのような音量になっていて、とても聞きとりにくかった。
「霊夢。どうかしたの?」
「ななっ、なにがっ!?」
今度は、やけに声が大きい。
「だって、いつもと様子が違うもの」
いつもは明け透けな霊夢なのに、なんだかはっきりしない。
「え……。いつもって……?」
お次は、目を丸くしてきょとん顔。
これも霊夢にしてはめずらしい。
あまり大きく表情を変えることが無い彼女なのに。
「いつもはいつもでしょ」
ちょっと観察していれば、その人のことなんて、だいたいわかる。
そんなのは、あたりまえのことだろう。
少なくとも、アリスにとっては。
風が吹いた。
冬らしい、乾燥したからからの風だ。
その風が運んできたわけでは無いだろうが、里の上空を、一つの影が飛んで行く。
「魔理沙だわ」
霊夢は、頬を緩めた。
きっとまた、興味を惹かれるものを見つけたのだろう。
そこに向かって、一直線に飛んで行く。
魔理沙らしい。
「魔理沙は、なんで箒に乗っているのかしら?」
アリスは、以前から気になっていた。
おそらく魔理沙は、箒にまたがらなくても、普通に空を飛ぶことができる。
それなのに、なんでわざわざ、絵本に登場する魔法使いのように、箒に乗っているのだろう。
「さぁ?」
霊夢は別段、気にしたことは無かったので、魔理沙に聞いたことは無い。
だから、
「なんか、こだわりでもあるんじゃない?」
ということくらいしか応えられなかった。
「こだわり……、ねぇ」
霊夢の応えでは、アリスの欲求を満たすには不十分だったようだ。
アリスは、魔理沙が飛び去って行った空を見つめている。
「スペルカード戦のとき、邪魔じゃないのかしら」
「アリス。魔理沙にとってそれは、理屈じゃないのよ」
私の勘だけど。
という霊夢の応えでも、アリスの欲求を満たすには不足している。
魔理沙は、霊夢にスペルカード戦で負け続きだ。
箒に乗っていることが原因では無いのだろうけど、試しに、箒に乗らずに戦ってみようとか、そういう考えには至らないのだろうか。
霊夢に勝つ。
という理論を構築するために、箒に乗っていることが足かせになっているなら、それを外すべきではないだろうか。
「うーん……」
霊夢は、困ったように笑った。
「魔理沙は、魔理沙として私に勝ちたいと思うの。そのために、箒に乗って空を飛ぶっていうことは、私たちが思う以上に大事なことなんじゃないかしら」
魔理沙本人が、そのことに気づいてるかどうかは知らないけど。
そう言って、霊夢も魔理沙が飛び去った方向を見やった。
「よくわからないわね」
「私だって、わからないわよ」
アリスの考えかたは正しい。
正しいけれど、間違っている。
この、矛盾というか不条理というか、正しい考えかただけではおよばない領域があって、ちょいとばかし穢れた一面を持っているのが浮世というもの。
そこんところは、理屈で説明できるものじゃない。
「ま。でも、アリスの考えかたもわかるわ」
正しくて、美しくて、穢れの無いまっ白な考えかただけがまかり通る世の中だったら、それが良いに決まっている。
「そうなのよね……」
太陽が、雲に隠れた。
それだけで、一気に肌寒く感じる。
「長いこと、立ち話をしちゃったわね。アリスも、用足しがあるんでしょ?」
「あ。そうだったわ」
それじゃ、と、二人が別れようとしたときだった、
「さっき飛んで行ったの、あれでしょ?」
「そうそう。あそこの店の家出娘」
人里の奥様方の立ち話が、耳に入ってきた。
(家出!?)
それが、誰のことを指しているか、アリスはすぐに察した。
霊夢の顔を見る。
霊夢は、小さく首を左右に振った。
口に出してはいけないというサインだと思った。
風聞というのは、嫌でも耳に入ってきてしまうもの。
だけど、霊夢も魔理沙も、このことについてはなにも言わない。
言えば、安っぽい傷のなめ合いになってしまうから。
アリスはうなずき返して、霊夢と別れた。
「実家も親も荒れてるっていうのに、自分は魔法使い気どりで、好き勝手に飛び回ってるなんてねぇ」
「本当。いい暮らしをしてるわね」
奥様たちは、飽きもしないで、他人の噂話に夢中になっている。
それはあるいは、単なる暇潰しで、悪気は無いのかもしれない。
(でも……)
アリスは、遠目ににらみつけてやった。
どういう目的であれ、他人の傷跡を突くようなことをして良いのだろうか。
それも、あんなに楽し気に。
雲が太陽を隠すように、アリスの心が陰った。




