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(1)

 コウモリが、ばたばたとやかましく羽根の音を鳴らしながら飛びかかってくる。

 一匹。二匹。三匹、四匹、五匹六匹七匹……。

 群れをなして襲ってくるコウモリたちを、霊夢はかわしていく。 

 ふわり、ふわりと軽やかに。

 羽根の生えているコウモリたちにとって、空中戦は専売特許。

 それなのにこの人間は、遠い昔から空で生活をしていたかのように、自由自在に飛び回っていた。

 速度は、目を引くほどでは無い。

 でも、速い。

 決断が早いのだ。

 霊夢の動きには、迷いというものが無かった。

 体を回転させながら、八方にお札を飛ばした。

 博麗神社特製の、退魔の札を食らったコウモリたちは霧散した。

「おのれ! ニンゲンの小娘ふぜいが!」

 眷属であり、かわいい我が子でもあるコウモリたちを退治された吸血鬼は、紅の瞳をにぶく点滅させ、牙をむき出しにして激怒した。

 異変の主犯である彼は、革靴で地面を踏みしめ、地団太を踏んだ。

 黒いマントを背中に垂らし、タキシードを着用して蝶ネクタイを締め、整髪料の照りもまぶしく、きっちりポマードを決めた彼は、チープな舞台に登場しそうなほどに、吸血鬼としてひねりの無い外見をしている。

 イエス。それがしはヴァンパイア男爵でござい。という恰好をしていれば、

「あれが親玉ね」

 霊夢の攻撃の的になってしまうのはあたりまえ。

 霊夢は、両手の指の間に針を挟み、腕を振るって吸血鬼に射出した。

「はっ。そんなもの」

 針は、正確に吸血鬼を捉えたが、あえなくマントで防がれてしまった。

 何本もの針が腕に刺さったが、霊夢が放った針は細く、殺傷能力を欠いていた。

 吸血鬼はけろりとして、

「しょせんはニンゲン。その程度か」

 ははっとニヒルに笑った。

 その際に、ちらりと見えた鋭い歯は、きれいに白く磨かれていた。

 見えないところこそ気を遣う。

 そんなポリシーを持っている彼は、強靭な肉体を持っていた。

 すでに多くの妖怪が彼の軍門に降っており、その他の妖怪は、日和見を決め込んでいる。

 幻想郷のパワーバランスが崩れつつあったのだ。

「ふははは。幻想郷の妖怪たちの、なんと哀れなことか。平和に慣れ、血で血を洗う闘争を忘れ、気力を失い、ろくな抵抗もせず、ニンゲンを頼んで静観を決めるとは。そのニンゲンにしたところで、たいした力は持っていないときた。このようなチンケな世界は、僕のような力を持った妖怪に支配されるべき……」

 背後に殺気を感じた。

 しかし、振り返ることはできない。

「良くおしゃべりになりますこと」

「き、貴様は……」

 体が動かない。

 それは、この金髪の女が放つ殺気のせいもあるのだが……。

「ふふ。お気づきになった? 男爵が勇敢にもまっこうから受け止めたその針は、銀でできているのよ。銀、お好きでしょう?」

「く……」

 吸血鬼の弱点の一つ、それは銀。

 腕に刺さっている針は、蛇の毒のように、彼の体を蝕んでいく。

 しびれ薬を飲まされたようだ。

 ひりひりと体が熱くなり、思考が鈍り、力が抜けていく。

 膝が震え、立っているのがやっとだ。

「ところで男爵。人間社会には、このような格言がありますのよ。ご存知かしら?」

 紫は、スカートの両裾を押えて、

「弱い犬ほど、よく吠える」

 吸血鬼を蹴飛ばした。

「ぐぇっ!」

 顔からうつ伏せになり、母なる大地と熱いキスを交わす吸血鬼男爵。

 それを足蹴にするのは紫。彼の胴体に足を振り下ろす。

「いたっ。いたた。いたいっ」

「紫。よしなさいよ大人気無い」

「だって霊夢。こいつっ、幻想郷を馬鹿にっ、馬鹿にしたのよっ、私の子どもを馬鹿にしたのと同じよっ!」

 子どもを馬鹿にされて、怒らない親があるものか。

 紫は、何度も何度も吸血鬼を足蹴にした。

 きっちりと、靴のかかとで踏みつけているところに、紫の幻想郷への愛が表れていた。

 というのは考えすぎで、単に、紫のサディスティックな性格がそうさせるだけなのかもしれないが……。

「いたっ、あんっ、いたぁいっ」

 吸血鬼はもだえた。

 彼の頭の中に、なんか新しい扉が見えたよーな気がし始めたときだった。

「「変な声を出すなっ!」」

 紫と霊夢の声が見事に重なり、同時に吸血鬼に蹴りをかました。

 ごろごろー。

 彼は地面を転がっていった。一張羅のタキシードとマントが泥で汚れる。

「うぅ……。な、なぜ妖怪の賢者ともあろう者が、ニンゲンなどに味方する……」

 泥と屈辱にまみれた彼は、地面に突っ伏したまま、紫に問うた。

「死出の旅への餞別代りに教えてあげるわ」

 紫は、日傘を吸血鬼の背中あてがう。

「私が信仰するのは、幻想郷のみ」

 彼が心の蔵を潰されたそのときをもって、吸血鬼異変は解決されたのであった。






「紫様、お疲れ様でした」

 藍は、紫に拝礼した。

「労われるほどのことでも無いけれど、ありがとう。そっちの首尾は?」

「あれに」

 藍が指をさしたのは、吸血鬼が根拠地としていた城だ。

 中世の西欧を偲ばせるレンガ造りの城は、ところどころに苔が生えているものの、堀で囲まれ、塀は高く、四方に見張り塔まで敷設されていた。

 そんなしっかりとした拠点から、ぞろぞろと妖怪たちが出て来た。

 吸血鬼に降った妖怪たちである。

 紫と霊夢の姿を見つけるや、みな一様に、えへへと愛想笑いをした。

「手間が省けたのだから、喜ぶべきなのでしょうけれど……」

 紫の心境は複雑だった。

 こんな立派な防衛拠点に籠もっていたのに、妖怪たちは、抵抗らしい抵抗もせずに、あっさりと城を捨てた。

 結局、彼らも日和見を決めて静観していた妖怪たちと同じなのだ。

 なんとなく吸血鬼の軍門に降っただけで、闘争によって幻想郷を手中に納めようなどという野望は、ハナから抱いていない。

「紫様。彼らの処分はいかがいたしましょうか」

「この目障りな城を破壊させるように。それが終わったら、もとの生活に戻るよう伝えなさい」

「よろしいのですか? それで大事は……」

「無い。いいから伝えてきなさい」

「は」

 藍が、紫の命令を妖怪たちに伝えると、わーっと歓声があがり、妖怪たちは、ぺこぺこと紫に頭を下げ、さっそく堀を埋め始めた。

「なんだか、拍子抜けしちゃうわね」

「だけど霊夢。これが幻想郷の実情なのよ」

 幻想郷の妖怪たちは、気力を失っていた。

 だってぇ、怪異とか起こさなくても平和に生きていけるしぃ。いまが楽しければそれでいいってゆうかぁ。

 てな感じで、夢も野心も無く、無為に日々を浪費している人間みたいだった。

 妖怪の山などは、それこそ人間並みの厳格な縦社会を形成していて、上層部が異変を静観すると決定したならば、それに反抗して独自に動こうという者はいない。

 秩序が守られているのは良いことだ。

 しかし、人間を襲わない蛇や蜂に、存在意義があるだろうか。

 藪の中に入ったときに、蛇に襲われるかもしれない、蜂が飛んで来るかもしれないという警戒心が、それらを恐れさせる。

 妖怪が怪異を起こさないのであれば、人間は、妖怪を恐れず、夜を恐れなくなる。

 そうなれば、科学文明の発達に伴い、妖怪の存在が否定されていった幻想郷の外の世界と、変わらぬ道筋を辿ることになりはしないか。紫は、それを危惧していた。

「紫様。あの様子ならば、見張っておらなくても大丈夫でしょう」

「そうね……」

 えっちらおっちらと労働に勤しむ妖怪たち。

 紫の顔に、憂いの色が浮かんだ。

「霊夢も、帰って休んだらどうだ? 初陣で疲れたろう」

「ま。多少はね」

 霊夢は涼しく応えた。

 霊夢が博麗の巫女として博麗神社に務めるようになってから、初めての大がかりな異変だったにもかかわらず、庭の掃除を終えたくらいの声色だった。

(胆力は本物か。さすが紫様は見る目がおありだ)

 どこぞで紫が見つけてきたこの人間の娘は、まだ年若くて見ためも華奢だ。

 藍は始め、こんな小娘に、博麗の巫女が務まるのかと懐疑的だったが、今回の騒動で、霊夢の力が証明された。これならば、博麗の巫女として申し分無いだろう。

 藍は頼もしく霊夢を見つめた。

「ときに、霊夢」

「うん?」

「その格好についてだが……」

 藍は、遠慮がちにきり出した。

 霊夢の服は、紅と白を基調としていた。

 上着には、女学生の制服のようなカラーが付いており、胸の上で、黄色いタイを結んでいる。

 そして、神職を連想させる、巫女服の袖。

 なのだが。

「なんでそこだけ露出しているんだ?」

(聞いた! 私でも聞けなかったことを!)

 黙して二人の会話を見守っていた紫の耳が、ぴくぴくと反応した。

 霊夢の服の袖。

 それは、紫と藍にとって大きな謎だった。

 霊夢の巫女服の袖は、腕と手首だけを覆い、二の腕の一部と肩が露出している

 肩の形も、締まった二の腕も綺麗だが、まさか、それを見せつけようというわけでもあるまい。

 いったい霊夢は、なんでそんなけったいな服を着ているのだろうか。

 生真面目な藍は、その疑問を解消せずにはいられなかったのだ。

「ああこれ」

 霊夢は、袖を持ち上げた。

「最初、紫が用意した服は、袖がくっついてたのよ」

「そうだったな」

「でも私、めんどうくさがりだから、隠すと、処理をサボっちゃうのよね」

「処理……、とは?」

「これの」

 霊夢が、さらに高く袖を持ち上げると、脇が覗いた。

「だから最初は、袖を無くしてほしいって言ったんだけど、紫が、それじゃ巫女だってわからないって引かないもんだから、間をとって……」

「あはははは!」

 紫が、たまらずといったふうに大笑いをした。

「そ、そんな理由だったのね……。ふふふっ……。霊夢、貴女は本当に不思議な人間だわ。あはははっ」

 紫は、たっぷりと三分間は笑った。

 そして予感した。

 この博麗の巫女は、幻想郷に蔓延している停滞感を払拭してくれるだろうと。

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