(4)
「おっと、しまった」
ペンからインクが垂れて、紙に染みてしまった。
熱中しすぎて、力が入っていたようだ。
魔理沙はティッシュに手を伸ばして、インクを吸わせた。
ティッシュを丸めてゴミ箱に捨てるが、すでに箱の中はいっぱいだった。丸まったティッシュはころころと床を転がっていき、机の横に積み上がっている、本の山に当たって止まった。
魔理沙は、ペンを走らせた。
走らせては考え込み、また走らせて考えて……。
それを何回も繰り返して、一枚のわら半紙を、文字や魔法陣で埋めつくした。
「こんなものかな?」
椅子の背もたれを揺らしながら、ぐーっと伸びをした。
窓の外は暗闇。
魔理沙が居を構えている魔法の森は、すっかり夜に飲まれていた。
机の上に置かれたオイルランプの炎が、ガラスの中で力無く揺れる。
そろそろ燃料がきれかかっている。
オイルを取りに行こうと魔理沙が立ち上がると、本の山の一番上にあった一冊の魔導書がばさりと落ちた。
しかし魔理沙は気にしない。
本が一冊だけ床に落ちたところで、この部屋は、これ以上に汚くなりようが無いからだ。
無造作に積み上げられた本の山が、部屋の各地に存在していてごっちゃごちゃ。整理整頓という言葉とは、天と地ほどもかけ離れてる。
魔理沙はこの部屋を、研究室と称していた。
そして、とてつもなく散らかっているように見えるが、実は、合理性に基づいて本を配置しているのだと主張する。
机の横に積まれた本は、いま必要なものを置いてある。
壺やすり鉢の横に積み上がっている本は、調合に関係する本。
あの本が必要だとなったとき、いちいち本棚まで取りに行くのは非効率。手に届く距離に置いておくべき。
だから、なぜそこに本を置きっぱなしにしているのかということには、ちゃんとした意味があるのだ。
というのが魔理沙の言い訳なのだが、当の魔理沙ですら、どこにどの本があるかを把握できていない。
足の踏み場も無いほど本や魔具が散らばっている床を踏破し、魔理沙は部屋を出た。
手には、さっきまでペンを走らせていたわら半紙を持っている。
それを二つ折りにしてポケットに入れると、人差し指と親指を擦らせて、ぱちんと音を鳴らした。
すると、音に呼応して、箒が魔理沙のもとにやって来た。
箒を右手に掴むと、小走りに玄関のドアを開け、箒に腰かけて夜空に飛び出した。
わら半紙を広げ、二枚の白紙のカードを添える。
書かれているのは、自分のスペルカードを構成するための術式理論。要領は、魔術の研究をするときと一緒だった。
他の連中が、どうやってスペルカードを作るかはわからないが、魔理沙は、やり慣れたこの方法で、スペルカードを作ろうと決めた。
スペルカードは、自由に自分を表現することができる。
言い換えれば、自分はこういう者ですと紹介する、名刺のようなもの。
だから魔理沙は、いつもの自分のやりかたにこだわったのだ。
(自分、か……)
〝わたし〟は何者なんだろう。
これを信条として生きている、それが霧雨魔理沙なのだと主張できるものが、この身体のどこかにあるだろうか。
霊夢の内面を覗いてからこっち、そんな、ガラにもない自問をするようになった。
霧雨魔理沙は、なんのためにここに存在しているのかと。
魔理沙は努力家だった。
他人にできることが、自分にできないわけがない。なにごとも、まずは挑戦してみないことには始まらない。が持論だった。
だから、才能とか天才とかいう言葉が大嫌いだ。
そんなものは、挑戦をしない連中が、挑戦をしなくて良い口実を作るために使う言葉だ。
自分の頭の中で、天才という存在を作り、どうがんばっても、あの天才には敵わないという、言い訳をするために使う言葉なんだ。
できる人間、できない人間なんて、存在しない。
人間は、みんな対等。
そう信じていた。
だが、霊夢の内面を見たときに、魔理沙には、霊夢が大きな存在のように感じ、自分は霊夢よりも劣った存在のように感じるようになってきた。
あの日、博麗神社で感じた、小さなシミのような気がかり。
それは、秋が深まっていくにつれ、インクのシミが白紙を浸食していくように、じわじわと魔理沙の心の中に広がってきた。
魔理沙は、頬に手を添えた。
(だいぶ、殴られたな)
父に殴られた痛みや苦しみが、いまの魔理沙を形成していた。
自分は、泥棒娘でも無い。まして、他人よりも劣った存在では無い。
その意地だけで魔法を習得して、念願の魔法使いになることができた。
魔理沙は、ポケットから一つの魔具を取り出した。
部屋に出しっぱなしにしてある魔具とは違い、いついかなるときも、大事に手元に置いてきた、友人のような存在だ。
どれだけ父親から罵倒されようとも殴られようとも、守り続けた八角形のその魔具は、八卦炉と呼ぶ。
その中心には、陰陽玉がはめ込まれていて、そこから魔力を放出できる仕掛けになっていた。
(霊夢との縁も、ここから始まっていたのか?)
いま考えても不思議だった。
確かに面白い道具だけど、あんなにも強情に八卦炉を守り続けた理由が、いまだにわからない。
博麗神社で陰陽玉を見たときは、運命めいたものを感じざるを得なかった。
そのとき、二枚のスペルカードのうち、一枚が光っていることに魔理沙は気づいた。
カードを握りしめて、組み立てた術式をイメージする。
(そうだ。あのときも、こんな星空だった)
ほとんど独学で魔法を学び、試行錯誤を重ね、やっと空を飛ぶことができた。
初めて空を飛んだときの感動。
試行錯誤が報われたときの達成感。
そのときに見た美しい星空は、忘れることができない。
(やっぱり、魔法を作るときと同じだ)
自分の奥底に手を伸ばして、それを頭の中で形にする。形にしたいと心が欲する。
その欲求に応え、魔理沙はスペルカードの名を唱えた。
「魔符、スターダスト・レヴァリエ!」
すると、魔理沙を中心にして、星を模した弾幕が螺旋状に放出された。
まるで星の螺旋階段。
その美しさは、今日の星空に勝るとも劣らない。
「やった! 撃てた!」
魔理沙は思わず拳を握りしめた。
楽しい。
試行錯誤して、なにかを練り上げていくのは、とても楽しい。
だけど。
(なにかが足りない……。この虚しさはなんだ?)
実戦を想定した実用性も美しさも申し分が無い。しかし、魔理沙の胸には、なぜかもの足りなさが去来していた。
「もう一枚のスペルカードか……」
まだ白紙のスペルカードにどんな絵を描くか、そのイメージが沸かない。
そのぶんだけ、心がもの足りなさを感じているのだ。
スターダスト・レヴァリエで描いたのは、昔の自分。
ということは、白紙のカードに描くべきは、いまの自分、あるいは、これからの自分。
(自分……、自分って、なんだ……?)
わたしはなぜここにいる?
わたしはなぜ生きている?
インクのシミが白紙を浸食していくように、答えの見えない問いが魔理沙の心の中に広がり、影をさす。




