(5)
「やあ霊夢。よく来たね」
藍が出迎えてくれた。
目のまえには、家族の憩いの空間が広がっている。
キッチン、テーブル、足の長い椅子。
博麗神社のそれとは正反対の、西洋風の居間だった。
霊夢がそこに足を踏み入れると、虚空にぽっかりと開いていた穴が閉じた。
紫の能力だ。
霊夢は、この穴を通ってここにやって来た。
紫の能力は、スキマと呼ばれる空間を操ることで、ありとあらゆる場所に、即座に移動したり、他人を移動させることができる。
(便利は便利なんだろうけど……)
良い気分はしない。
なぜなら、意味がわからないからだ。
射命丸のように、高速で移動し、目的地に到達するまでの時間を短縮させるならわかる。
でも紫の能力は、一瞬のうちに、自由自在にその身を移動させる。
どういう原理が働いているのか、まるで理解できない。だから気持ちが悪い。
紫の腹の底と同じだ。
なにを考えているのか、本音がどこにあるのか理解できない。
だからあいつは気味が悪い。
あるいは、そうやって他人を気味悪がらせることで、ミステリアスな自分を演出しているのだろうか。
「紫は?」
「じきにお見えになるよ。かけて待っておいで」
霊夢は曖昧にうなずいた。
紫は、霊夢が汗を拭き終えて、家にやって来たことを知っているはず。
至急の用事があると言うから、楽しみにしていた水風呂を我慢して来てやったというのに、客人を待たせるとは何事か。
内心は、カッカと気が立ったていたが、表情を変えずに椅子に座った。
(紫の目的はなにかしら……?)
霊夢に嫌がらせをして、反応を見て楽しもうということなのか。
または、霊夢の、人間として度量を試しているか。
もしくは、他になにかねらいがあるのか……。
紫の意図がはっきりするまでは、腹の内は見せないでおくに限る。
テーブルに、お茶と菓子が置かれた。
霊夢は、茶の香りをよく嗅ぎ、唇の先でだけ味わい、変な匂いがしないか、変な味がしないかを確かめてから、喉に通した。
「霊夢。妖怪だって、傷つくんだぞ」
せっかく茶を出したのに、そうも警戒されては、もてなす側としてはさみしい、と藍は眉をひそめた。
「私なりに、妖怪に畏怖を抱いているつもりだけど?」
妖怪とは、元来、狡猾にして残忍。
己の欲求を満たすためなら、平気で人間を欺き、害する。
藍は、霊夢に対して好意的だけど、紫になにかを命じられたら、従わざるを得ない。
仮に、この後、紫となにかを話し合うとして、お茶の中に、微量のしびれ薬や睡眠薬を投与しておけば、霊夢の思考を鈍らせることができ、紫は、優位な立場で交渉を行うことができる。
妖怪は、そのくらいのことをしても、心が痛まない。まして、あの紫なら。
「紫様も大変だな……」
「なんでよ?」
「好き好んで、他人に嫌われたいと思う者なんていないよ。それは、妖怪も人間も変わらない」
「はぁ?」
なにを言っとるのかわからんと、霊夢が首をひねったとき、ドアが開いた。
「いらっしゃい。霊夢」
紫だった。
ゆったりと歩いて、霊夢の対面に座る。
まったくの同時に、紅茶が置かれる。
藍の職人芸である。
淀みの無いしぐさで、紫は口元にティーカップを運んだ。
霊夢は身構えていた。
先日、紫に依頼された件。妖怪が人間に危害を加えず、かつ、怪異を起こしやすくする方法は、まだ思いついていない。
十中八九、それを責められると思ったからだ。
紫はティーカップを皿に置いた。
かちゃん……。
陶器が陶器に重なる音だけが響く。
「ちょっとしたお願いがあって呼んだのだけど……」
(なに……?)
霊夢は肩透かしを食らった。
紫は、先日の件には触れてこなかった。
「そんなにたいしたことじゃないのよ?」
などどぬかし、憎らしいほど美しい顔で笑っている。
白々しいことこの上なし。
たいしたことだから、たいしたことじゃないと言うのである。
(まためんどうごとを押し付けられるのね……)
うんざりするけれど、ひき受ける他に無し。
この日の紫は、不自然なほどに、先日、霊夢に依頼した件のことを口にしない。
こないだの件を解決できていないことを不問にすることで、霊夢が、ちょっとしたお願いとやらを断れないようにしているのだ。
いやはや、見事な腹黒ぶりである。
霊夢は、ヤケ酒でも呷るように、ぐびーっと茶を飲み干した。
茶に薬を投入する必要など無かったのだ。
今日は最初から、霊夢の負けが確定していたのだから。
神社に戻って来た霊夢は、顔から突っ伏して寝転がった。
慣れ親しんだ畳の香りが、妙に愛おしい。
(たいしたことじゃない。か)
そんなはずは無い。
たいしたことだから、たいしたことじゃないなどと言って隠すのだ。
このときの霊夢の直観は、あまりにも的を得ていた。
だから、その奥にあるものに気がつくことができなかったのだ。
※
「うわはははは! 馬子にも衣裳ってのはこのことだな!」
霊夢の姿を見るや、魔理沙は腹を抱えて笑った。
大音声での笑い声だったが、喧騒にかき消されて、目立つことはない。
子どもも大人も屋台に群がり、各々、買いものを楽しんでいる。
辺りには、焼きそばや焼き鳥の匂いが漂っていて、それをつまみに酒を呑んでいる者もいる。
普段は里の中で営業している居酒屋の何件かは、掘っ立て小屋を建てて、霧の湖のほとりで店を開いていた。
すでに出来上がった酔っぱらいたちが、魔理沙以上に大きな声で笑っている。
「う、うるさいわね……。あんまりじろじろと見るんじゃないわよ」
祭りの当日、霊夢は約束どおり、結子のお下がりの浴衣を着せてもらった。
淡い水色の浴衣に、上品な藤の花の髪飾り。
いつもの霊夢の印象とは、まったく違う装いだったが、着るものが変わると言動にも変化が生じるのか、大笑いする魔理沙を叱りつけることも無く、おしとやかに恥じらっていた。
「いやいや。これでけっこう似合っているじゃないですか」
浴衣姿の霊夢を撮影する射命丸。
右腕には、撮影班という腕章を付けている。
新聞のネタを納めるために、カメラを扱っていることから、祭りの撮影を任されたようなのだが……。
「さぁて! 次はどの屋台を回りましょうか!?」
射命丸は、ひょっとこのお面をかぶり、ヨーヨーと金魚が入った袋をぶら下げている。
「おまえ、めちゃくちゃ楽しんでるな……」
実務的な運営係でないのをいいことに、射命丸は普通にお祭りを楽しんでいた。したたかなことだ。
「魔理沙」
「ん?」
「あれ」
霊夢は顔を振って、あごだけでそれを指し示した。
途端に、魔理沙の顔が不快感で満ちる。
そこでは露店が開かれていて、中年の男が、魔法に使う道具や、宝石を売っていたのだが、一人の女性客と、なにやらもめている。
「霊夢、射命丸、任せた」
魔理沙は露店に背を向けて、人混みの中に隠れた。
「えーと。どうかされましたか?」
「なんだぁ!? 関係の無い奴ぁ引っ込んでろ!」
いきなり喧嘩腰である。
酒でも食らっているのかと思えるほど、顔が赤い。
射命丸は、お面を外した。
「こう見えましても、私、運営側の者でして……。お話、うかがいたいのですが……」
妖怪の山の烏天狗である証拠として、閉じていた黒い羽を広げて見せれば、男は舌打ちをして、
「この嬢ちゃんが、うちの売りモンにいちゃもんをつけてきやがったんだ!」
ぎゃあぎゃあとわめく。
その声は、祭りの喧騒の中でも悪目立ちした。歩いていた人間たちは、なにがあったのだろうと、遠巻きに見物していた。
「ですが、このお店の売りものには、魔力を感じません」
ブローチを手に取り、その女性は言い切った。
西洋の生まれなのだろうか。綺麗な碧眼の持ち主だった。
魔理沙と同じく金髪だが、魔理沙とは違い、髪の手入れが行き届いていて、絹のような艶があった。
「うるせぇぞ! おめぇみてぇな小娘になにがわかる!」
霊夢はびくっと体を震わせた。
男の怒気にではなく、女性客の気配にだ。
穏やかに笑ってはいるが、空気が暗い。
「天狗様。こいつぁ営業妨害です」
これじゃあ商売になりませんよぉと、強い者を選んで媚びてくる男を、射命丸は軽蔑したが、
「うぅむ。水掛け論ですねぇ……」
運営関係者という立場上、中立を守らねばならなかったので、困ってしまった。
魔術とか魔力とかいうのは、専門家にしかわからない。
霊夢も射命丸も、特殊な力を持っているので、このお店の売り物から、うっすらとした違和感を感じとることはできる。
それに、店主が不必要に騒ぎ立てているのも怪しい。やましいことが無いならば、もっと落ち着いていられるはずだ。
といって、確証は無い。
魔法使いである魔理沙がいれば白黒はっきりするのだろうが、彼女はどこかに隠れてしまった。
「いえ。大丈夫よ」
霊夢は、やけに自信ありげに言う。
「ね。そうでしょう?」
女性客の肩に手を乗せ、機嫌の悪い子どもでもあやすように、明るく笑う。
それで、彼女の暗い気配が和らいだ。
「ええ」
霊夢と笑みを交換する。
「私、魔女なので」
目を細めて笑う彼女の肩に、霊夢は右手を置き続けた。




