(1)
夏空を見上げた。
(飛行機雲か……)
魔理沙は、とんがり帽子のひさしに手をかけて、流れていく一筋の雲を見上げた。
飛行機雲が、尾を引いて悠然と飛んでいく。
流星のようだ。
あんなに空高く飛ぶことができたなら、なにものにも縛られず、自由を謳歌することができるのだろうか。
空を飛べるようになって知ったのは、空の上には、また空があるということ。
我々が存在している世界を、下天なんて呼んだりするが、しょせん、私たちが生息できるのは、空の下に限られる。
見えないなにかに縛られ、誰かが作った狭い箱の中でしか、生きていけないのだ。
例え、魔法で空を飛ぶことができたとしても。
魔法さえ使うことができれば、どこまでも飛んで行けると思っていた時分もあったけれど……。いやいや、あのころのもの知らずぶりは、思い出すにつけ、恥ずかしいばかりだ。
(だけど……)
と魔理沙は不思議に思う。
空はこんなに高く、広く、果てが無いのに、なぜ、行くことができない場所があるのだろうか。
その場所は、本当に行くことができないのだろうか。
限界という、誰かが引いたライン。
それを越えることが不可能だと証明できないのなら、あきらめることはできない。
だって魔理沙は、自らの努力で空を飛ぶ方法を編み出して、魔法を使えるようになったのだ。
努力を続けてさえいれば、人間に不可能なんて無いんじゃないのか。
空の高さと広さを知ってなお、魔理沙は自らの能力に見切りをつけることができなかった。
※
魔理沙は、博麗神社の境内に着陸した。
里人が噂していたとおり、静まりかえっている。
蝉の鳴き声だけが響き渡る。
境内が静かなものだから、蝉の声をはっきり聞きとることができた。
けっこう不気味だ。
妖怪でも出てきそうな空気感……、といって、この神社の中で妖怪と遭遇しても、さほど驚くことでは無いのだが。
「おーい。霊夢ー」
返事は無い。
夏だというのに、母屋の障子はすべて締めきられている。
魔理沙は、おそるおそる縁側に上がり、居間の障子を開けた。
「うぉっ……!?」
ぼりぼりぼりぼり……。
ぼーりぼりぼりぼり……。
そこには、ものの怪に憑りつかれたように、ひたすら煎餅をかじっている巫女の姿があった。
据えた目で、居間に入ってきた魔理沙を一瞥すると、また煎餅をかじり始めた。
「な、なにしてんだおまえ……。ってか、汚いな!」
居間には、くしゃくしゃに丸まった紙くずが散乱していた。
「人間、そんな急に変われるかって話よねぇ~」
なんか知らんけど、自暴自棄になっているようである。
霊夢は、煎餅を口にくわえたまま、畳の上に寝そべった。
「おまえなぁ……。せめて片づけてから食べたらどうだ?」
「魔理沙の家よりマシでしょ」
「そりゃそうだが……」
「否定しなさいよ」
いまこの部屋は、作家や新聞記者が、没になったネタを無造作に投げ捨てたがごとき散らかりようなのだ。
それでも、まだマシと霊夢に言わしめる魔理沙の家とはいったい……。
「しかしまぁ、よくもここまで散らかしたもんだ」
「ちゃんと努力したっていう証拠よ」
「どういうことだ?」
「立ち話もなんだから、座んなさい」
魔理沙は、床に転がっている紙くずを足で払いのけながら、ちゃぶ台のまえに座った。
「努力はしたのよ」
霊夢はここ最近、紫に依頼された件を解決すべく、神社に籠もって、良策を練っていたのだ。
そこいらに転がっている紙くずは、考えを整理するための走り書きの、成れの果てだった。
「無理。妖怪が怪異を起こしやすくすると同時に、人間に危害を加えない方法なんて無い」
霊夢は断じた。
「どのくらい考えたんだ?」
「三日よ。三日も頭を捻り続けたのよ」
「三日坊主ならぬ、三日巫女ってか」
魔理沙は呆れて、笑えもしなかった。
「だって、これ以上考えたところで、無駄になるだけよ」
「やってみないとわからないだろ」
魔術の研究だって、順調にいかないことのほうが多い。
ときに行き詰まりながら、思考に思考を重ね、ようやく論理を構築することができるのだ。
「そりゃ、必ずゴールにたどり着けるとは限らないが……」
ちょっと行き止まりにぶつかったからって、すぐに投げ出すのはもったいない。と、魔理沙は思った。
「だから言ったでしょ。人間、そんな急に変われないのよ」
結果が伴うかどうかわからないことに労力を注ぐのを、全身が拒否するのである。
「これはもう、生まれ持った個性ってやつだわ。ここを無理にいじくったら、私は私でなくなっちゃうわ」
もはや霊夢は、やる気を失っていた。
「霊夢がそう言うなら、私が口出しするのは余計なお世話だな」
でも……。
魔理沙は、居間の床を見回した。
せっかくここまで頑張ったのに、あっさりあきらめるのは、口惜しいとは思わないのだろうか。
「私は魔理沙と違って、努力ってやつが性に合わないのよ」
「そういうもんかなぁ」
こういうところの霊夢の価値観が、理解できない魔理沙であった。
「霊夢さーん! いらっしゃいますかー!?」
その飛行体は、博麗神社に突っ込んできた。
風をまとい、音速を越え、猛スピードですっ飛んで来たのは射命丸文。
「良かった。ご在宅でしたか」
霊夢と魔理沙の姿を確認した文が、急ブレーキをかけて止まると、まとっていた風が解き放たれて、びゅおぉっ……、と強風が吹き荒れた。
風は、居間の壁にぶつかると、方向転換をして文のほうに戻っていき、渦を巻いた。
軽い竜巻が起こって、障子や襖が、ばたばたと揺れる。
霊夢と魔理沙が両側から押さえたので、ちゃぶ台と茶飲みセットは無事だったが、床に転がっていた紙くずが舞って、あっちこっちに散らばってしまった。
「うわぁ。こんなに部屋を汚くして、どうしたんですか? まるで校正中の私の部屋ですよ」
「あんたがやったんでしょ!」
文が風を起こしたせいで、縁側の外にまでゴミが飛んで行った。
「人間の真似事ばっかりしてるから、妖怪だっていう自覚が薄れてるんじゃないのかしら」
力の加減がなっていないと、ぶつくさ文句を言いながら、ゴミを拾いに行く霊夢。
「私が博麗神社にやって来るときは、いつも霊夢さんの機嫌が悪い気がしますね」
文は、あっけらかんと笑いながら、自分でお茶を注いだ。
「いい性格してるわねっ!」
外から戻ってきた霊夢は、文めがけて紙くずを投げつける。
「もう、凶暴ですねぇ。どっちが妖怪か、わかったものじゃありません」
意に介さず茶をすする文。
「ところで、ずいぶんと急いでいたみたいだが、急用か?」
「そうでしたそうでした。魔理沙さんも居てくださって、手間が省けましたよ」
文は、粗茶ですがと言い添え、霊夢の湯飲みに茶を注いでから、ちゃぶ台に紙の束を置いた。
「新聞はいらないわよ」
文は、烏天狗の身でありながら、人間の真似をして、新聞を発行していた。
ゴシップみたいな、品が良いとは言えない記事も書いたりするので、霊夢は、あまり好ましく思っていない。
「あんたの趣味をとやかく言うつもりは無いけど、博麗神社を巻き込まないでちょうだい」
というのが、文が発行している新聞への、霊夢のスタンスだった。
「情報収集して、見分を広めるのは大事ですよ」
人生は学びなんですから。と、もっともらしいことを言う文だが、
「その情報が、信用に値しなきゃ意味が無いでしょ」
霊夢は一蹴。
「それで、この新聞がどうしたって?」
魔理沙は、文が持参した新聞をめくった。
「よくぞ聞いてくださいました。実はこのたび、妖怪の山が主催の、花火大会が開かれることになったんです!」
【妖怪の山主催、花火大会開催決定!】
いかにも目玉記事らしく、大きな文字でその宣伝がなされている。
「夏もそろそろ終盤戦。季節の名残をみんなで楽しもうという企画です」
「ほう。それはおもしろそうだな」
おもしろそうなことに目が無い魔理沙が食いついた。
場所は霧の湖か、とか、屋台も出るのか、など、記事の詳細にまで目を通していく。
「私は、この記事をお伝えするために飛んで来たんです。人間の里に新聞を巻いたら、それはそれはみなさんうれしそうで……」
「なにを企んでるの?」
熱っぽく語る文とは真逆に、霊夢は冷めた瞳で記事を眺めた。




