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黒い城の孤独な君主と愛を運ぶ聖女  作者: Lucy M. Eden


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第五章

ロレンツォ男爵の別邸は、祝杯の酒の匂いと、下卑た笑い声に満ちていた。


「ククク……。計画通りだ。あの偏屈な公爵も、女一人で脆いものよ。絶望に沈んだダミアンを禁治産者として公に宣言すれば、カスティリオーネの広大な領地も財産も、すべて私の掌の上だ」


ロレンツォが従者と杯を交わしていた、その時。


応接室の重厚な扉が、凄まじい音を立てて蹴破られた。


「……その野望ごと、地獄へ持っていくがいい」


現れたのは、マントを風になびかせ、右顔の傷を月の光に堂々と晒したダミアンだった。その姿は、伝説に語られる復讐の魔王そのものでありながら、その瞳にはかつてない理知的な光が宿っている。


「ダ、ダミアン……!?なぜここに……」


ロレンツォが腰を抜かし、椅子から転げ落ちる。


「貴様の工作はすべて露見した。お前がベアトリスの鞄に図面を忍ばせた従者は、すでに私の執事が捕らえ、すべてを白状したぞ」


ダミアンは冷徹な手つきで、一束の書簡を床に投げつけた。それは、ロレンツォがベアトリスの利用していた商人を脅迫していた証拠、そして公爵家乗っ取りの計画を綴った密書だった。


「お前を殺すのは容易いが、それでは彼女の清らかな祈りが汚れる。……今すぐこの領地から失せろ。王宮の憲兵にはすでに通報済みだ。夜明けまでにお前の姿がこの国にあれば、次はお前の喉笛を食い破ってやる」


ダミアンの放つ圧倒的な威圧感に、ロレンツォは言葉を失い、這いずるように夜の闇へと逃げ出した。


「……待っていてくれ、ベアトリス」


ダミアンは愛馬に飛び乗った。彼女が日記に書き残した、あの「修道院」を求めて。朝霧がピレネーの麓を白く染め、夜明けの光が世界を浄化していく中、彼はひたすら馬を走らせた。



街外れの、ひっそりと佇む古い修道院。


追放されたベアトリスが、行く当てもなく雨の中を彷徨い、ようやく辿り着いた安息の地だった。彼女は身分を隠し、ただの「働き手」として受け入れられたばかりだった。


ベアトリスは、支給されたばかりの粗末な麻の服を纏い、孤児たちの世話をしていた。かつての令嬢としての華やかさはどこにもなかったが、慣れない手つきで洗濯物を干す彼女の横顔には、自分の運命を呪うことのない、静かな気高さが宿っていた。


突然、修道院の広場が騒がしくなった。一台の荒々しい馬車が止まり、中から現れた男の姿に、修道女たちが息を呑む。彫刻のような美貌の半分を、無残な傷跡が切り裂いている男。だが、今のダミアンに、その傷を隠そうとする卑屈さは微塵もない。


「ベアトリス!」


その声に、彼女は持っていた洗濯物の籠を落とした。


「……ダミアン……様?なぜ……」


群衆の視線が突き刺さる。傷跡を嘲笑うような囁きも聞こえた。しかし、ダミアンはそんなものは聞こえないかのように、彼女の前まで来ると、泥に汚れるのも厭わず、その場に跪いた。一国の公爵が、没落した令嬢の前に、すべてを投げ出して跪いたのだ。


「ベアトリス……。私は愚かだった。鏡に映る傷ばかりを気に病み、お前の瞳に映る真実の自分を見ようとしなかった。私は王冠を被った怪物だ。だが、君がいなければ、私はただの生ける屍に過ぎない」


ダミアンは彼女の荒れた手を、愛おしそうに両手で包み込んだ。


「ロレンツォの罠はすべて暴いた。妹君の病も、借金も、すべて私が引き受けよう。……だから、ベアトリス。お願いだ。私という男を、もう一度だけ、お前の光で照らしてくれないか」


ベアトリスの目から、大粒の涙が溢れ出した。彼女は膝をつき、彼の頬にある、あの愛おしい三筋の傷跡に、そっと唇を寄せた。


「……ずっと、愛しておりました。ダミアン。あなたが怪物でも、王様でも、どちらでも構いません。私はただ、あなたのそばにいたいのです」


周囲の喧騒が消え、二人だけの聖域がそこにあった。ダミアンは彼女を抱き上げ、世界で最も大切な宝物を手に入れた子供のような、晴れやかな笑顔を浮かべた。



数ヶ月後。


カスティリオーネ城のバルコニーには、鮮やかな薔薇が咲き乱れていた。かつての「呪われた黒い城」は、今やピレネーで最も美しい愛の聖地として知られている。


窓辺で寄り添う二人。ダミアンは、ベアトリスの腰を愛おしそうに抱き寄せ、琥珀色の光が差し込む中で囁いた。


「明日は、図書室に子供たちを招く日だな。お前の焼くスフレを、皆が楽しみにしている」


「ええ、ダミアン。あなたの笑顔が、一番のスパイスになりますわ」


ダミアンの右顔の傷跡は、今も消えてはいない。けれど、それはもはや悲劇の象徴ではなく、二人が嵐を乗り越えた証――。寄り添う二人の影は、二度と離れることのない一つの形となって、永遠の静寂の中に溶けていった。

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