2・世界が暗転する
強く掴まれた腕に痛みを感じた。そしてその先には、見た事もない女性が立っていた。
その姿は、自分がこれまで家庭教師などから聞かされて習った淑女となる女性からは外れた、肌の大きく見える派手な衣装を身に着け、顔は厚い化粧が施されている、母リリスよりも年が上の女性が眦を吊り上げて、捲し立てるように口を動かしているのが目に入って来たのであった。
ソフィアは知らないその女性の行動に慄き、思考も行動も止まってしまったままだ・・・
(・・だ、だれ?)
「あなた!クロウ子爵の娘よね?」
女性の激しい口調に、返答することも出来ずにただ茫然と立ち止まるだけのソフィア。
「ちょっと!聞いているの!」
見ず知らずの女性に、初めての社交の場で腕を掴まれてしまい、ソフィアの頭は真っ白の状態であるのに、一方、女性の方は、そんなソフィアの状況も気にすることもなく、自分の思いを口に出している。
「まあ、よくも図々しくも、娘を社交界にデビューさせたわね!自分が何をしたのかもう忘れたのかしら?本当に信じられないわ。うちの娘なんて今日のデビューは見送ったっていうのに、何てことなの!」
腕は強い力で掴まれたまま、女性は、更に、憎しみのこもった目で、今日の為に新調したソフィアの着ている衣装を見定め出すかのように目線を上へ下へと巡らせた後、尚も荒い口調を続けている。
(な、何??)
そんな状況に困り果てながらも、会場のどこかにいる父の姿を探すソフィア、だが、父の姿は視界にはなく、また、周りの貴族たちは声を顰めながらも、この事態を遠巻きに見ているだけである。
そんな奇異な目に晒されている中、ソフィアは、見知いった顔を見つけたのだった。
本来なら、この様な場で知る者と出会うことはないと思い、諦めていたのだが、そんなソフィアの目に飛び込んできたのは、これまで、ほとんど付き合いのない父の兄、ロルタン侯爵であった。
だが、ソフィアが侯爵の姿に気付いたことがわかると、彼は、一歩下がって人垣の中へと消えて行ったのである。
驚きであった。交流はないとはいえ、弟の娘で姪に当たるソフィアが困っている状況であるのに、伯父は助け出す事もなく、その場から消えたのである。
只でさえ、今の状況に大きく動揺しているのに、伯父の行動に言葉を失ってしまったソフィア。
父が見つからない今、ソフィアを助けてくれそうな大人が見付かったと思っただけに、ソフィアの落胆は大きかった。
(一体、何が起きているというの?)
本当に何が起きているのかわからない状況にソフィアは急激な恐怖を覚える。
先程まで、デビュタントによるダンスが行われた華々しい会場だったのかと思う程、自分の周りでは冷たく恐ろしい眼差しで向ける者たちに囲まれている様にさえ見えてしまう。
「ところで、あなたの保護者はどこにいるの!」
ソフィアの着用している衣装の品定めが終わったのか、ここで、ソフィアではなく、彼女の親に向けた言葉が女性の口から出たのだった。
「あっ、き、きょうは・・」
ここに来て漸く言葉を返そうと、ソフィアは口を開きかけたのだが、いつもはこんなことは絶対にないはずなのに、ソフィアは言葉がつまり上手く話せなくなってしまっていた。
そんなソフィアの様子を周りの者が見つめ、彼女が口を動かそうとすると、それに合わせて周りが顰めく姿が見える。
その行動が、ますますソフィアの言葉を押しとどめてしまい、ソフィアは唇を噛みしめて、とうとう、顔を下に向けてしまったのである。
「ねえ、あの子は来ているのかって聞いているのよ!」
俯くソフィアには気にも留めず、女性は手を離すこともなく、問い続けている。
それに対して、萎縮してしまったソフィアは、顔も上げれなくて肩を震わせているばかり。
そんな時だった・・人垣を掻き分けて、ソフィアと女性の元へと駆けつけて来ようとしている声が届いたのは。
「何かもめ事が起きていると聞いたが!」
誰かが衛兵にでも告げたのだろうか、何人かの人が二人の傍へと向かってこようとしているみたいだ。
その状況を、女性の方も察したのか、ずっとソフィアの腕を掴んでいた手を急に離し、そして、フンっ!と大きく悪態をつき、そこで漸くソフィアの前から立ち去ったのであった。
一瞬、解放されたことも理解出来ずに、ソフィアもその場に立ち尽くしてしまったが、再び、「どこだ、もめ事は!」と声が届いたことで、我に返ったのであった。
だが、今の状況を見たソフィアは、今度は不安に駆られてしまう。
衛兵と顔を合わせてしまえば、何事かに巻き込まれたとはいえ、自分が色々とわからないなりにも説明をしなければならない。
今の自分に、そんなことが出来るのかと自分に問えば、首を横に振ることしか出来なかった。
そうなると、このまま、衛兵の到着を待つことは出来ないと判断してしまった。
もうすぐ、衛兵がこの場に姿を見せる、そう思うと同時に、近づく衛兵の方へ目を向けたソフィアは、一人の青年と目が合ったように感じたが、だが、ソフィアはその目を態と逸らすような形で、くるりと身体を反転させ背を向けて駆け出したのであった。
到底、淑女とは縁遠い行動。
折角のデビュタントだったのに。
走る勢いを止めてしまうと、今、我慢している涙が瞳から伝ってきそうだ。
はじめての王城の舞踏会場、どこに何があるのかもわからない中、ソフィアは人垣を掻き分けて駆けていく。
そんな危機迫る勢いで掛けるソフィアを、大きな手が伸びて掴まえたのだった。
再び、掴まれたことにより、ソフィアの体が大きく飛び跳ねた。
そして、恐る恐る振り向いた先には・・
「お、おとうさ、ま」
そこには、険しい顔をしたジェフィスが立っていたのであった。
「帰るぞ・・」
ジェフィスは、そうソフィアに向けて言い放ったと思えば、ソフィアを掴んでいた手も直ぐに離して、馬車乗り場へ向けて歩きだしたのである。
そんなジェフィスの後ろ姿を、少し見つめた後、ソフィアはゆっくりと父に従うように一歩足を進めだしたのであった。
そんな親子の奇妙な様子を、青年が人目につかない位置から見つめていたことは、この舞踏会場に居合わせた者たちは知らずにいたのであった。
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