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第一章 BEGINING OF THE FATE

【第1章】

聖暦2587年9月20日05時58分

カナニスタン共和国 KRG訓練キャンプ

「……っ!」

毛布を跳ね飛ばして起き上がる。

心臓がバクバクと脈打ち、全身にべったりと脂汗をかいている。

久しぶりにあの夜のことを夢に見たらしい。

最近は頻度が減ってきていたとはいえ、いつ見ても気持ちの良いものではない。

周囲を見回せば粗末な木造家屋の中に所狭しと並んだ二段ベッドの群れ。

その中で寝息を立てる同期生たちの寝顔。

ここはカナニスタン革命防衛隊の訓練キャンプだ。

時計の針は起床時間2分前を示している。

今から寝直す訳にもいかないので、そっと毛布から足を抜いて起床ラッパを身構えて待つ。

秒針が進んでいく。この時計は僅かに遅れているので、起床ラッパが鳴るのは5時59分44秒だ。

10秒前……5,4,3、2、1、今!

パッパラッパパッパパッパパッパパッパパッパパー

パッパパッパパッパパッパパッパラッパパッパパー

ラッパの音が鳴り響いた瞬間、全員がベッドから跳ね起きる。

寝間着代わりのジャージを一瞬で脱ぎ捨て、ベッド脇に吊していたハンガーからひたくったズボンに足を通す。

ベッド下に置いていたブーツに足を突っ込み、素早く靴紐を編み上げる。

帽子を頭に乗せ、上着の袖に腕を通しながら、中庭へ向かって全力疾走する。

よし、今朝は俺が一番に廊下に出た。

上着のボタンをかけながら廊下を走り、階段を駆け下りながら口に咥えていたベルトを腰に巻く。

玄関ホールを抜けて中庭に飛びだす頃には戦闘服上下を着用した兵隊が出来上がる。

ストップウォッチを携えて立つ当直助教の前で急停止し直立不動の姿勢を取る。

今日の当直はアッバス軍曹だ。

数秒遅れて走り込んできた同期生達が俺の周囲に整列していく。

「右へ~ならえ!」

「番号!」

「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10!」

「9班集合完了!」

「11班集合完了!」

「12班集合完了!」

「10班集合完了!」

「第3区隊集合完了!」

「第1区隊集合完了!」

「第4区隊集合完了!」

「第2区隊集合完了!」

「第119訓練中隊集合完了!」

総勢120人からなる訓練生が朝の点呼集合完了を報告すると、アッバス軍曹はストップウォッチを止める。

「3分45秒か。集合の速さはだいぶマシになってきたようだな」

そう言って訓練生達をジロリと眺め回すと、おもむろに俺の隣に立っているアブドル・ハサド訓練生を指さす。

「貴様!」

「はい!」

アブドルは上擦った声で返事をする。

「上衣の第3ボタンが無いようだがどうした!?」

アブドルは「しまった」という顔をしているのだろうが、直立不動で前を見ていなければならないので、俺からその表情を見ることは出来ない。

「答えろ!なぜ貴様の上衣には第3ボタンが無いのだ!?」

「先日の戦闘訓練の際に紛失いたしました!匍匐前進中に何かに引っかかって千切れたのではないかと思われます!」

アッバス軍曹はアブドルの顔を至近距離から覗き込む。

「紛失したのは良い。匍匐前進中にボタンが擦れて糸が切れることもあるだろう。だが、お前はなぜそれを報告し修繕しなかった!?」

アブドルは一瞬言葉に詰まった後、アッバス軍曹の顔に唾が飛びそうな勢いで叫び返す。

「申し訳ありません!失念しておりました!」

アッバス軍曹はネズミをいたぶるネコのような目つきで訓練生達を見回すと、当然のように号令をかける。

「腕立て伏せ用意!」

「体操の間隔に~開け!」

訓練生達が前後に距離を取りながら、両腕を水平に伸ばして間隔を図る。

「腕立て伏せよ~い!」

全員が地面に伏せ、手の平と爪先だけで体重を支える体勢を取る。

ピッ

アッバス軍曹は自らも腕立て伏せの姿勢をとり、ホイッスルを鳴らしては身体を下げて、上げる。

ピッ

下げる、上げる

ピッ

下げる、上げる

ピッ

下げる、上げる

ピッ

下げる、上げる

ピッ

下げる、上げる

ピッ

下げる、上げる

ホイッスル音がするたびに繰り返す。

40回を超えたあたりから、徐々に腕が辛くなってくる。

50回を超えると姿勢を維持するのがキツくなり、他の連中もフォームが崩れてきている。

アッバス軍曹のフォームはまったく崩れない。

ピッ

下げる、上げる

ピッ

下げる、上げる

ピッ

下げる、上げる

ピッ

下げる、上げる

ピーーーーッ

「立て!整列!」

立ち上がり、またドヤされる前にと急いで元の隊形に集合する。

「右へ~ならえ!なおれ!整列完了!」

「よし、やすめ」

「やすめ!」

「これにて今朝の点呼を完了する。なお、被服その他に問題のあるものは各班長に報告し、修繕や交換の手続きをするように!解散!」

俺達は腕はパンパン息はゼイゼイ心臓はバクバクといった体たらくにも関わらず、アッバス軍曹の声にはまったく乱れは無い。

まったくプロの軍人というのは大したものだ。

「ハサド訓練生!」

アッバス軍曹がアブドルを呼び止める。

「朝飯を済ませたら当直室に来い。予備のボタンをやる。すぐに直せよ。曹長にバレたりしたらこんなもんじゃないからな」

「はい!ありがとうございます!」


午前中は座学だ。

ライフルの各部名称や役割を暗記させられ、さらには何度も分解組立を繰り返す。

訓練教官のクルスム曹長が教場の中を見回りながら声をかけていく。

「いいか、今は時間がかかっても良い。しっかり確実に分解し、組み立てろ」

ひとつひとつの部品を慎重に取り外し、見本図と同じ順番で机に敷いた毛布の上に並べていく。

全て分解し終わったら、今度は逆の手順で組み立てていく。

組立が終わったら動作確認だ。銃口を上に向け、安全装置を解除し、槓桿を引き、引き金を引く。

おかしい。引き金がブラブラしていて何の手応えも感じない。

机の上を見ると、小さなバネが残っていた。何か組み込み忘れたらしい。これはどこの部品だったか。

「次からは時間を計る。確実に素早くやれ」

「最後には目隠しをしてやってもらうからな。夜中に銃が故障して、朝まで直せないでは話にならんぞ」

こんな作業を目隠しでタイムアタックとか正気の沙汰とは思えない。

目を開けて慎重に作業してても間違いが起こるのに。

カラ~ン

前の席にいたアブドルが何かを床に落とした。

途端に曹長の雷が落ちる。

「貴様!今の衝撃で照準が狂ってでもみろ!貴様の銃は金輪際狙った場所に当たらなくなるのだぞ!」

「腕立て伏せ用意!」

アブドルが机の間に挟まれた狭い場所で窮屈な腕立て伏せの姿勢を取る。

どうやら、軍隊という所は何か事あるごとに腕立て伏せをする場所らしい。

「ガスシリンダーさん御免なさいい~ち」

下げる、上げる

「ガスシリンダーさん御免なさいに~い」

下げる、上げる

「ガスシリンダーさん御免なさいさ~ん」

下げる、上げる


昼飯を食べているときに、アブドルに聞いてみた。

「お前、もう午前中だけで100回以上腕立て伏せしてるんじゃないか?」

「う~ん多分、そうだよな。でも半分以上は朝の点呼の時のだから、別に俺だけじゃないだろ?」

「いや、朝のアレはお前のせいだろ」

「まあ、そうだけどさ」

悪びれもせずに答えるアブドルの上衣には第3ボタンが下手糞に縫い付けられている。

アッバス軍曹から貰ったボタンを朝礼までの時間に急いで縫い付けたのだ。

「どうせ、ただの口実でしょ。アブドルのボタンがちゃんと着いてたって、どうせ集合が遅いとか靴紐の結び方が悪いとか言って腕立て伏せするんだから」

横から同じ班の訓練生であるイヴン・ハメドが口を挟んできた。

それはまあ、その通りではある。

教官とか助教とかいうものは、何かと口実を作っては訓練生達に腕立て伏せやスクワットをさせるのが仕事なのだ。

「あーこんな事なら畑仕事の方がまだ楽だったなぁ」

「イヴンの家は農家だったのか?」

「うん、まあね。今は家も畑もジュレームザレム領になっちゃったからどうしようもないけど。アブドルのとこは?」

「ウチは漁師だったんだ。戦争の時にちょうどウチの近くの浜辺がライス軍の上陸地点でさ。艦砲射撃がバカスカ撃ち込まれてくる中を死に物狂いで逃げ回って、それっきり。家も船もどうなったのか今となっては確かめようも無いんだ」

似たような話は周囲にいくらでもある。

今この教育隊にいる新兵のうち、おそらく9割方は似たような境遇の持ち主だろう。

南部に住んでいて、4年前の戦争で命からがら逃げてきたけど家も仕事も失った。

口減らしと現金収入の仕送りで家族を支える一石二鳥の身の振り方として、軍への入隊は手っ取り早い方法だ。



聖暦2587年6月10日18時32分

カナニスタン共和国 難民キャンプ

バラック小屋と天幕の群れが雑然と並び、体臭、糞尿臭、腐敗臭が漂う。

二時間近く行列に並んで粉ミルクの配給を受け取ったウマルが錆びたトタン板を貼り合わせたボロ小屋に戻ると、中から女の金切り声と子供の泣き声が聞こえてくる。

ああ、また姉さんの発作かとゲンナリしながら扉を開ければ、予想通り暴れる姉さんをマルワ伯母さんが羽交い締めにし、反対側では泣き叫ぶ幼児を母さんが抱いて庇っている光景が目に入る。

おろおろしているアミル伯父さんに粉ミルクの缶を渡して、伯母さんと二人がかりで姉さんを小屋の外へ引き摺り出す。

ボロ小屋から離れて給水所のあたりまで来ると姉さんは暴れるのをやめて泣き出した。

伯母さんが姉さんを抱きしめて背中をさする。

このところ月に1~2回くらいはこんな事がある。

4年前、ジュールザレム兵達に姉さんが犯されて、サーラが殺されて、姉さんはジュールザレム兵達を皆殺しにした。

その後、しばらく姉さんと僕は山の中を彷徨っていたけども、母さん達と合流できた。

母さんのお兄さんのアミル伯父さんと、その奥さんのマルワ伯母さんも一緒だった。

ジュールザレム軍に出会わないように大きな道を避けて、山の中を進んで北を目指した。

心身共に傷ついた姉さんと足の悪いアミル伯父さん、当時10歳の子供だった自分を連れての道行きは大変だったけども、どうにかカナニスタン支配域まで辿り着いた。

似たような経緯で南から逃げてきた人達が大勢居て、難民キャンプが設置された。

当初はそれこそ水も食料も何もかも不足して、トイレも無いからみんなその辺に糞尿垂れ流しで酷いものだったけど、国際機関やNGOの支援が来るようになってからは大分マシになったし、キャンプ内に学校や病院もできた。

その病院で姉さんは女の子を産んだ。

姉さんはあの一件以来ずっと鬱ぎ込んでいて、体調も悪そうにしていたから妊娠しているのに気付くのが遅れたんだ。

もちろん父親はあの狩猟小屋にいたジュールザレム兵の誰かだ。

とっくに中絶できる時期は過ぎていて、産むしかなかった。

姉さんも「とにかく私の子であることは確かだから」と納得したような事を言っていたけど、たまにこうやって荒れ狂って我が子を傷つけようとする。

周囲の人達は同情してくれているが、中には「ジュダ人の子を身籠もるなんて恥を晒して、よく生きてられるよ」なんて言う人もいる。

逆に「敵兵一個分隊を皆殺しにするなんて女だてらに勇ましいじゃないか。子供は親に預けて軍に入ったらどうだ。KRGは国軍と違って女性の入隊も歓迎らしいぞ」なんて言う人もいる。

どちらにしても迷惑な話だった。

傷ついて敏感になっている姉さんをそっとしておいてあげて欲しい。

伯母さんの胸に顔を埋めて泣く姉さんを見ていると、いたたまれない気持ちになる。

あの時、俺はベッドの下に隠れて震えているだけで、姉さんもサーラも助けられなかった。

あれから4年が経ち、それなりに身体も大きくなったけれど、今また同じ事が起こったら、俺は彼女達を助けることができるだろうか。

そんな考えが頭の中をぐるぐると回り続ける。

姉さんが落ち着いた頃を見計らって、後を伯母さんに任せて別れた。

次は水の配給に並ばなければならない。

給水所で配られる水はたまに悪いことがある。

大人なら2~3日腹を下すくらいで済むけれど、幼児にはできるだけペットボトルに入った安全な水を与えたい。

父親が何であろうが、姉さんの娘であり、俺の姪なのだから。


聖暦2587年9月20日13時02分

カナニスタン共和国 KRG訓練キャンプ

午後の戦闘訓練のために完全装備でグラウンドに整列していたが、教官達が宿舎から出てこない。

いつもは時間より前に来ていて、一人でも遅刻する訓練生がいたら腕立て伏せを命じようと待ち構えているのに。

さらに5分ほど待たされてから、助教の一人が宿舎から走ってきた。

「本日の戦闘訓練は中止とする。装備を外し、追って指示のあるまで教場で自習せよ」

何とも不可解な指示に首をかしげながらも外した装備をロッカーに仕舞い、代わりに教本とノートを持って教場に向かう。

教場には他の区隊の連中もいて、窓そばに集まっていた。

何事かと思って彼らの頭越しに外を見ると、駐車場に見慣れない黒い大型トラックが停まっていた。

「なんかおエラいさんの視察とかが急に入ったのかな」

「視察があるなら、それこそ俺らに戦闘訓練させて泥まみれになる様を見せただろうよ」

「おエラいさんならもっと小綺麗なセダンとかで来るんじゃね?あれトラックだぜ」

皆、首をかしげながらも席について自習を始める。

軍隊に入ってもっとも意外だったのは、座学で勉強するべき事が死ぬほどあるということだった。

敵味方の使用する装備品の名称、性能、使用法、戦術理論、救急救命処置、戦争関連の国内法と国際法、ハンドシグナル、モールス信号などなどである。

学校の勉強なら出来なくても叱られるだけで済むが、これは自分や仲間の命に関わる。

もちろん、それ以前に試験で合格点が取れなければ、叱られた上に腕立て伏せが待っているのは確実だ。

日々訓練に追われて座学の復習をする時間も体力も残らない身としては、正直ここで座学の自習ができる時間ができたのはありがたかった。

しばらく首っ引きで教本とノートを操っていると、教場の扉が開いて助教が入って来た。

「今から名前を呼ばれたものは自習を中止して着いてこい。また戻ってくるから荷物はそのまま置いていって良い」

そうして読み上げられた名前の中に自分も含まれていたので、教本とノートを閉じて席を立つ。

イヴンとアブドルも一緒だ。

呼び出された訓練生は11人いたが、共通点がよく分からない。

体格が大柄なのも小柄なのもいたし、素行の良い奴も悪い奴もいた。

もっとも外見で分かること以外に関しては、よその区隊の連中についてはよく知らないが。

うちの区隊から選ばれた人選からすると、自分で言うのも何だが比較的頭の回転が早く要領の良い連中なのかもしれない。

助教事務室の隣にある会議室(もちろん入るのは初めてだ)に連れてこられると、教官のクルスム曹長と、見たことのない人物達がいた。

一人はグレーのスーツを着た金髪碧眼の白人男性で、年齢は30代半ばくらいだろうか。外国人の年齢はよく分からない。

隣にはアラブ系らしい黒スーツの男で年齢は40前後だろうか。白人が外国語で何か言うと、曹長にそれを伝えているので通訳なのだろう。

曹長は訓練生達に向き直って男達を紹介する。

「こちらはある兵器メーカーから来られたヒョードル・グレゴリー氏と通訳のモハメド・バイナリ氏だ。彼らが所属する企業に関しては機密に関わるので言えない」

グレゴリー氏が曹長に何か言い、それをバイナリ氏が通訳する。

「彼らはある新兵器を開発していて、その為の実験に協力してくれる人材を募集している。わが教育隊で募集条件に該当するのが君たちだ。志願するかは各人の任意だが、軍としてはできるだけ志願して欲しいと考えている」

これは入隊以来初めての経験だった。

今までは何でも頭ごなしに命令してきた教官が、今回に限っては選択肢を与えると言っているのだ。

グレゴリー氏が直接訓練生達に話しかけ、バイナリ氏が訳す。

「実験に際しては一切危険はありません。簡単なビデオゲームのような物をして頂くだけです。ひょっとすると気分が悪くなるような事があるかもしれませんが、しばらく横になっていれば収まる程度のものです」

何とも薄気味悪い話ではある。害が無いなら志願など募らず、命令してやらせれば良いではないか。

かといって、こう言われてしまえば志願しないと宣言することも難しい。

結局誰も志願しないとは言わず、バイナリ氏が取り出した秘密保持宣誓書にサインさせられた。

ここで見聞きしたことは一切他言無用ということらしい。

「では、3名ずつ実施しますので、呼ばれた方は我々に着いてきてください。他の方はここでお待ちください」

そう言って名前を読み上げられた訓練生達と退出していった。

実験というのはあの黒いトラックでやるのだろうか。

隣のアブドルとイヴンに話しかけたかったが、部屋の隅に置かれたパイプ椅子には腕組みした曹長が難しい顔して座り込んでいて、私語をしゃべれる雰囲気ではない。

どうすれば良いか分からないまま突っ立っていると、曹長が顎でしゃくって座れと指示してきたので手近なパイプ椅子に腰を下ろす。

意を決したアブドルが曹長に話しかける。

「あの~教官、質問してもよろしいでしょうか?」

「なんだ」

「開発中の新兵器というものはどういう物なのでしょうか?」

曹長は不機嫌そうな顔のまま答える。

「知らん。今日の昼前になって急に上からあの連中の指示に従えって命令が降ってきてな。我々も何も聞いてないのだ」

「仮に知っていたとしても何も答えられん。機密事項だ」

替わってイヴンが口を開く。

「では教官、ここに呼び出された訓練生はどのような人選によるものなのでしょうか?」

教官は深い溜息をつく。

「それも知らん。連中がお前らの人事資料を見せろと言ってきて、その中から選ばれたのがお前らだ。どうやって選んだのかは分からん」

ますます薄気味悪い話だ。

曹長は真面目な顔になって言う。

「ここだけの話だが、今後もこういう事はよく起こるだろう。暫定政府はなりふり構わず外国に支援を求めているが、何事もタダって事は無い。中には心の底から我々に同情して無私の援助をしてくれる連中もいるかもしれないが、大半は援助と引き換えに何かを引き出そうっていう下心のある連中だ。今回の件も上層部が例の兵器メーカーとやらに借りがあって、お前らを実験台として差し出すしかなかったんだろう」

自分の祖国がハゲタカやハイエナのような連中に蚕食されていくイメージは、ひどく不快だった。

そうこうする内に、バイナリ氏が戻ってきて次の三名の名前を読み上げた。

俺とアブドルとイヴンだった。


バイナリ氏に従って駐車場に行くと、トラックの脇に先発組の三名が座り込んでグッタリしていた。

「どうしたんだ?」

「コイツはヤバい。何のシミュレータだか知らないが、きっと人間が乗るようなシロモノじゃあねえ」

どうやら、何かのシミュレータをやらされて酔ったらしい。

「うっ」

黙っていた一人が口を押さえて駐車場脇の茂みへ走って行き、ゲエゲエと吐き出した。

果てしなく不安を感じる状況である。

バイナリ氏が無理矢理つくったような笑顔で言う。

「ご安心ください。彼らはたまたま極めて相性が悪かったようです。少し休めばすぐに良くなります。」

その台詞を聞いて安心できる人間が果たして存在するものだろうか?

それでも軍務とあらば否も応も無い。

トラックのコンテナ内部は異様な空間だった。

背面付きのシートが据え付けられ、操縦桿やペダルのようなものが付属している。

その前には四面のディスプレイが正面上、正面下、右、左と設置されている。

そのブースが三組並び、奥の方には制御や記録用と思われる制御卓に囲まれた席に作業服姿の人物が座り、背後のグレゴリー氏の指示で操作していた。

グレゴリー氏が合図するとバイナリ氏が説明を始める。

「これは我が社で開発中のある兵器のシミュレータです。今は非常に扱いが難しいものとなっていますが、いずれこれが万人に扱えるようなものにする為のデータ収集が本実験の目的です。操作方法を説明しますので、各自シートに座ってください」

促されるままにシートに座る。

「シートは上下前後に調整可能です。ペダルに足が届かないなどの問題があれば言ってください」

シートの下を探ると調整用のノブに触れたので、丁度よさそうな位置へシートを動かしてみる。特に問題は無いようだ。

「シートが調整できましたら、ハーネスを着けてください」

肩と腰の辺りにブラブラしているベルトを装着すれば良いのだろうが、はめ方が分からずにマゴついているとバイナリ氏が手を貸してくれた。

「次に各ペダルとスティック、ボタンの使い方を説明します…」

これが中々に複雑で難しい。機密がどうだか知らないが、せめて事前に操作マニュアルでも渡しておいて欲しいものだ。

「まあ、ちょっとやってみればすぐに憶えますので、とりあえずやってみましょう」

なんたるアバウト。結局操作方法はうろ覚えのまま始まってしまった。

四面のディスプレイに光が灯る。

大昔の安っぽい3Dゲームみたいな粗いポリゴンで造られた風景。

緑色の草原に茶色い道路が延びている。

「まずは道に沿ってゆっくり前進してみて下さい」

右スティックを僅かに前へ倒しながらペダルを踏むと視界が上がりながら前へ進み、続いて視界が下がる。

画面左下に表示された人型のピクトが右脚を前に出して直立した姿勢になっている。

続いてピクトが左脚を浮かせて前へ振ると、視界が再び上がりながら前へ進み、続いて視界が下がる。

ピクトは左脚を前にした姿勢になっていた。

なるほど。これは直立二足歩行する乗り物で、画面左下のピクトは現在の姿勢を表すらしい。

ペダルを踏み込むと前進する速度が上がる。調子に乗ってさらに踏み込むと歩く動作から走る動作に変わった。

視点の上下動はさらに激しくなる。

なるほど、先発の連中はこれの3D酔いでヤラれたのか。

特に気分が悪くなることもないので、さらにペダルを踏み込んでスピードを上げる。

前方に川が横たわっているのが見えた。

橋が架かっているが、橋の強度はこのマシンの重量に耐えられるだろうか?

停止することも考えたが、このマシンの制動性能が分からない。最悪転倒するかもしれない。

咄嗟に左ペダルを踏み込みつつ、スティックを操作する。

右脚が地面を蹴った瞬間に腕部を上方へ振り、同時に補助ロケットエンジンの点火スイッチを押してジャンプを敢行する。

マシンは川にかかった橋を飛び越え、対岸に着地した。

「ハラショー!ウマル訓練生、君は実に素晴らしい適正を持っているようだ」

グレゴリ氏の声に、シミュレータ世界に没入していた集中力が現実世界へ引き戻された。

左右を見ると、アブドルとイヴンは既にシートを降りてバケツの中へゲロを吐いているところだった。

「ウマル訓練生、次の課題だ!道なりに進むのは変わらないが、今度は正面から流れてくる。それに接触しないようにして進んでくれ給え」

すぐそこでグロッキーになっている同期二人を心配する気持ちがチラリと浮かんだが、妙に高揚した気分で再びシミュレータの世界へ没入していく。

道路に沿って走って行くと、前方から紫色の円柱形をしたオブジェクトが迫ってくる。

スティックとペダルを操作して進行方向を調整し、円柱形と接触しないコースをとる。

危なげも無く円柱形とすれ違う。

再び前方から円柱形が接近してくるが、今度は先程より速度が速いようだ。

落ち着いて先程と同様の操作で回避する。

次は二個同時だった。二つのオブジェクトが同時に迫ってくる。

まずは先に接触するオブジェクトに接触しないコースをとる。

一つ目をパスするが、そのままでは二つ目と衝突してしまうので素早く進路を変える。

次もまた二個同時だが、今度は速度が異なる。

向かって手前のオブジェクトは速度が遅い。奥のオブジェクトは速度が速い。

どちらが先に接触するか、それぞれのオブジェクトの進行方向と相対速度から接触するタイミングを見極める。

奥のオブジェクトが手前のオブジェクトを追い抜いて迫ってきたが、最小限の操作で双方の隙間をすり抜ける。

さらに今度は速度が異なる三つのオブジェクトが現れた。

だいたいコツが分かってきたところだ。どこまで出来るかやってやろうじゃないか。


聖暦2005年(西暦2583年)5月20日04時41分

カナニスタン共和国南部 某市街の役所(ライス帝国陸軍 第267自動車化歩兵大隊前線司令部)

「旅団司令部より入電。56号線を進行中のジュールザレム軍第21機甲大隊が未知の敵戦力と接触。支援を求めています」

「未知の敵戦力とは何だ」

「旅団司令部でも詳細は分からないようです。ジュールザレム側はかなり混乱しているようです」

「一番近い部隊はどこだ」

「C中隊がポイント58で補給中です。12号線を5km北上してから脇道へ入れば、56号線に合流できます」

「よし、それで行こう。C中隊に連絡しろ」

「HQよりチャーリー0 状況知らせ。即時移動は可能か?」

「チャリー0からHQ 現在燃料補給中だが間もなく完了の見込み」

「HQからチャーリー0 補給作業は中断。ジュールザレム軍が支援を求めている。移動ルートは戦術リンクで送る」

「チャーリー0からHQ 戦術リンクを確認した。10分以内に進発する」

「HQからチャーリー 了解。敵情については不明。充分に注意せよ」



聖暦2583年5月20日04時43分

カナニスタン共和国南部 州道56号線道路上

撃破された車輌から漏れた燃料が燃え上がり、夜の道路を赤く照らしている。

「おい!進めないのか!このままでは敵の良い的だ!」

「だめだ!先頭あたりの車輌が軒並みやられて道を塞いでいる!」

「後ろもだ!完全に閉じ込められた!」

狭い山道で先頭と最後尾の車輌が大破炎上し、車列はにっちもさっちも行かなくなっていた。

キュラキュラッ

「馬鹿!危ねえ!無意味に動かすな!轢き殺す気か!」

ヒュンッ ドーン

空気を切り裂く音がした次の瞬間、主力戦車の上面装甲に成形炸薬弾が穴を開け、車内に高熱のメタルジェットを流し込む。

弾薬庫に達したメタルジェットが搭載弾薬に火をつけ、砲塔が10mも飛び上がる大爆発を起こす。

ガァーーーーン!!

落ちてきた砲塔に踏みつぶされまいと、兵士達が右往左往して逃げ惑う。

「敵はどこだ?どこから撃ってきている」

「あそこだ!発砲炎が見えた!」

闇の中へとむやみやたらと機関銃や機関砲が撃ち込まれるが、手応えは無い。

「巨人だ!大砲を抱えた巨人がそっちに走った!」

「馬鹿は黙ってろ!」

見えない敵からの一方的な攻撃にパニックが広がっていく。

「歩兵は下車して火災を消火しろ!これでは一方的に狙われるだけだ!」

ダンダンダンダンッ

大口径機関砲の重い発砲音と共に歩兵戦闘車の側面装甲が破られ、砲弾に充填されたテルミットが3000℃の高温を伴って撒き散らされる。

「うわぁぁぁぁぁ」

今まさに降車しようとしていた歩兵達が火達磨になりながらアスファルトの上をのたうち回る。

「援軍はまだ来ないのか?このままでは全滅する!」


第一章完 第二章へつづく

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