後編
「──アイリです。平民なので姓はありません」
「アイリッシュと呼ばれていたようだが?」
「平民臭いと、勝手に名前を変えられました」
思えば、陛下はずっと私を「アイリッシュ嬢」とも「ハウンド男爵令嬢」とも呼ばなかった。彼なりの配慮だったのだろう。やり方は強引だが、やはり彼は私が想像していた通り、優しい方だ。
陛下は私の肩に手を回し、周囲に見せつけるように口を開いた。
「さて、公式の発表は改めてするが、我はアイリを王妃とする。運命の番だ、文句はないだろう?」
王家の事は深く知らないが、先代も先々代の王も、運命の番を側妃として迎え入れた。そのせいで色々あったのだろうと想像はつく。
番尊厳法存続派が反対できるはずもないし、廃止派にとっても「側妃は作らない」という言質がとれたのは大きい。そもそも廃止派の筆頭が陛下だから、文句なんて出るわけがないのだが。
「──という訳だ。式は翌年だが、今日からアイリは我の婚約者として城で暮らす。アイリと我の婚約破棄の慰謝料として、そこの男爵家には爵位の返上と全財産を請求する。そこの公爵家と伯爵家は、別件で資産と領地を没収するので不問とする。──申し開きはあるか?」
「ッ、お、お待ちください陛下!!」
やけに獣達が静かだと思ったら、私が気付かない内に口を塞がれていたようだ。
陛下の合図で解放された女男爵とその夫は、叫ぶように異議を申し立てた。このままじゃ無一文で平民に落とされるので、当然必死だ。
「こ、婚約破棄に関して我々も被害者です! なぜ全財産どころか爵位まで奪われなければならないのですか!?」
「被害者? 共犯だろう。“子を生んで縁さえ繋がれば、領地か離れに押し込んでも、事故を装って殺しても構わない”か? 婚約式の場には神官が立ち会うというのに、見繕う気も起きなかったか」
「伯爵家に脅されたのです!」
おっと。なりふり構っていられないのか、伯爵に責任を擦り付けるようだ。
可愛がっていた飼い犬に裏切られた伯爵は、激昂して怒鳴り返す。
「ふ……ふざけるなッ! 元はといえば、貴様が婚約式直前に婚約者をすり替えたからだろう! ラフはピレニー嬢が気に入ってたんだ!」
「ピレニーはまだ十四なんだぞ! お前のようなケダモノの息子など、すぐに手を出すに決まってる!」
なるほど、婚約式前にそんな事があったとは。
あの時は怒濤の展開続きで、状況を把握しきれなかった。
ちなみにピレニーは私の腹違いの妹だ。年齢は幼いが早熟で、身体の凹凸は私よりクッキリしている。
頭は悪くないはずなのに、両親のような運命の番に憧れる夢見がちな所があった。散々甘やかされて育ったので、その内悪い男に騙されるだろう。男爵家にいる間、一度も助けてもらった覚えはないので、こちらも助けるつもりはない。
「ケダモノは貴様の方だろう! 妻や娘をたぶらかそうとしている事に、気付かないとでも思ったか!? 没落したら女男爵を捨て、伯爵家へ寄生するつもりだったのだろうが、残念だったな!」
「あなた!? どうゆう事よ!」
「うるさい!! 俺は裕福な暮らしがしたかっただけだ! それなのに、お前が調子に乗って嫡男を追い出したから、何もかも上手くいかなくなった!」
「他人事のように……! あなただって賛成したじゃない!!」
「知らなかったんだ! 貴族でも働かないといけないなんて!!」
ハウンド男爵家は領地を持たない。つまり税収はないので、自分達で稼がないといけない。
おそらく男爵家の本当の後継者は、騎士か文官として働いているのだろう。彼を追い出せば、当然収入はなくなる。しばらくは貯蓄を食い潰していたのだろうが、それも底を尽きかけてきた──という所だろうか。
罵り合いを眺めていると、父と目が合ってしまった。
すがるような視線を送ってくるが、同情など微塵も湧いてこない。
「アイリッシュッ! 愛しい我が娘よ! お、お前は俺を見捨てないよなっ」
「──失礼ですが、どなたでしょうか? 私に父はいません」
この男の血を引いていると思うと吐き気がするが、この瞬間だけは感謝してもいい。そのお陰で、迷う事なくこの男を捨てられる。
微かな希望も振り払ってやれば、男は憤怒の表情となり、唾を撒き散らす勢いで私を罵った。
「仕返しのつもりか、この疫病神めッ! お前さえ…ッお前さえ生まれなければッ!」
その疫病神を拐っておいて、よく回る口だ。
それに、この男が母を捨てたのは、働いて妻子を養う事を拒んだからだ。私のせいじゃない。
けれど母がいなくなった要因は私にもある。手足の先から冷えていく。
「利用されているだけの分際で────母親にも捨てられたお前を、誰が愛すものかッ!!」
そうだ。唯一慈しんでくれた母も、最期は私を捨てた。
恨んではいない。狂ってしまった母が、必死に私を守ろうとした結果だ。
けれど、本当は母と一緒に逝きたかった。
こんな世界に独りで取り残されたくなかった。
「アイリ」
名を呼ばれ、陛下を見上げる。金の瞳と目が合う。
瞳の奥に隠れているのは、ほんの僅かな寂しさ。──そうか、彼もまた「独り」なのか。
「……私、ずっと貴方にお礼が言いたかった。この気持ち悪い世界を変えてくれたから」
「確かに番尊厳法を廃止したのは我だが、生み出した王族の末裔でもあるぞ」
「あんな法がなくても、あの男はきっと母と私を捨てたわ。人はそう変わらない。だから法や国も変える事は難しいのに、貴方は成し遂げた」
どんな過去があるかは知らないが、番尊厳法の廃止から今日までが彼の「復讐」だったのだろう。それに比べれば、私の復讐はあまりにも稚拙すぎた。
“同志”などと肩を並べるには不相応だと分かっているが、彼の側に居たい。そう、思った。
「貴方の役に立てるなら本望だわ。好きに使って」
「……いいだろう。その言葉、後悔するなよ」
「したところで逃がす気はないくせに」
ほんの少し寄りかかると、優しく抱き寄せられる。微かなミントの香りに、不思議と私の心は慰められた。
遠目から見れば親密に見えるらしい私達に、父もどきが悲鳴のような声をあげる。
「戯れはやめて下さい陛下! その女が運命の番などと……ッ!」
「まさか“発情”していないから嘘だとでも? この程度の衝動くらい抑え込める。我は獣ではないのでな」
「俺は知っているんだッ! 運命の番などあり得ない!!」
狂ったように愉悦の笑みを浮かべる男。もはや私を苦しめる事しか頭にないようだ。
男の含みを込めた発言に周囲が戸惑いを見せる中、大きく反応したのは公爵と伯爵だ。騎士に取り押さえられた状態で、今までにない勢いで暴れだす。
「言うんじゃない!!」
「ッやめろ!! ──やめてくれッ!!!!!」
もはや悲鳴に近い懇願だった。
しかし男の耳に届く事はなく──
「運命の番など全て偽りだッ!! 百年前、国民全員のフェロモンは封じられ、番を見分けることなど出来ないのだからな!!!」
男は明かしてしまった。
墓穴を掘るどころか──この国の歴史すら覆しかねない真実を。
番の愛を疑っていた私でも、耳を疑わずにはいられない。
公爵達の必死な様子に信憑性は増すが、それでも百年の間に結ばれた“運命の番”が全て偽りだったとすれば──その影響は計り知れない。
一気に静寂に包まれた広間に、陛下の声だけが響く。
「……かつて、ここから遠く離れた国同士で、運命の番を巡る大戦が起きた。それを切欠に各国は番制度を見直し、同じ事が起きないようにフェロモンを封じる方法を編み出した。………それが“百五十年”ほど前の事だ」
「百五十年……?」
「当時、ラッセルテリアだけ反対したんだ。島国で大戦の影響が無かったことで、運命の番を盲信する王の心は変わらなかった。幾度も周辺国や教会からの要請を拒み続けたが、百年前、番を求めて国を出た王女のせいで、ある二国の国交のための結婚が破綻した。これには流石のラッセルテリアも、国民のフェロモンを封じなければならなくなった」
最初は驚いたものの、それが事実なら納得出来るものがいくつかある。
いくら血が薄まり、耳や尾も失ったとはいえ、ラッセルテリアは犬獣人の国。国土はあまり大きくなく、強い風が吹けば王都でも潮の香りが届く事がある。
体臭は消せてもフェロモンは消えないと言われているのに、国内にいる運命の番が目の前に現れるまで気付かないなんて、おかしな話だ。
そして番尊厳法が廃止されたからといって、たった二年で世論が逆転するはずがない。おそらく周辺国の力添えもあったのだろう。
いくらフェロモンを封じ、法が廃止されたとしても、国民の意識を変えなければ何の意味もないのだから。
「とはいえ、番尊厳法を惜しんだ王族は、国民に真実を明かすことはなかった。その後は皆も存知の通り、“真実”を知る知らない関係なく、自称“運命の番”が蔓延るようになった訳だ」
「……番尊厳法が廃止になっても明かさなかったのは、公爵との契約に含まれていたからですか?」
「ああ。我にとって優先すべきは、番尊厳法の廃止だった。真実を明かしたところで悪法が存在する限り、開き直って更に悪用されるだけだからな。そもそも、諸悪の根元は法を作った王族にある。存続派には情けをかけたつもりだったが──それも無に還ってしまったな。残念だ」
なぜか悲しげな顔をしているが、絶対に嘘だ。
自分達で墓穴を掘らせようと、この時を楽しみに待っていたに違いない。
「あ…っ、う……!」
衝動のまま暴露してしまった男の顔色は、青白いどころか白くなってしまった。池から引きずり出された鯉のように、口をパクパクしている。
真実が曝されてしまった事により、罪を犯していない自称運命の番さえ、一生嘲笑の雨の中で過ごすことになる。それぞれの思惑はどうあれ、公爵達を支持していた面々だ。同情はしない。
彼らは嗤われる度、この男を思い出して恨むだろう。
今でさえ、人混みに紛れて男へ怨嗟の視線を向けている者がいる。
騎士に拘束されている公爵達は、もはや呆然自失だ。
真実を知る公爵と伯爵が制止しようとしたのは、おそらく自分の子供達の未来を守ろうとしたのだろう。
知らなかったとはいえ、お互いに惹かれて愛し合い、つい先程ここで婚約破棄までしてしまったのだ。自分の親達の未来と引き換えにしてまで。
舞踏会を台無しにした事でお咎めはあるだろうが、親の犯罪に荷担していないなら、多少後ろ指はさされるかもしれないが、貴族のまま慎ましく暮らせたはずだった。
しかし、真実は暴かれた。全てを犠牲にしてまで得た運命の番は、まやかしだった。
いくら本当の愛が芽生えていたとしても、今まで通りの関係には戻れない。むしろ一緒にいる事さえ苦痛になるかもしれない。
しかも王城で結ばれた運命の番。陛下は絶対に二人が離れることを許さないだろう。
因果応報だ。自分達の子供だけ守ろうなんて、図々しい。
王族が元凶だったとしても、貴族が一丸となって法の廃止を訴えていれば、少なくともこんな未来は訪れなかった。
「……そだ…ッ嘘だ!!! そっちの方こそデタラメだ!!」
「ラフ! もうやめろ!」
「フェロモンが封じられた覚えもないし、仮に封じられたとしても、僕と彼女に効かなかったかもしれないじゃないか!! “発情”だってしたんだ! 僕達は間違いなく運命の番なんだ!!」
自分達の立場と未来を理解しているのか、いないのか。両親が罪人になることよりも、元婚約者は自分達が運命の番でない事が受け入れられないらしい。
最初に言い出したのはソチラ側の人間なのだが、当人はもうそれどころではない。陛下に対しての発言なら、あまりにも不敬すぎる。
貴族と平民の道は断ち消えた。あとは奴隷か、囚人か。
陛下はお優しい方なので、きっとそう簡単に殺してはくれない。
「フェロモンを封じる方法については、答えられん。公になれば、拒む者や逃亡を謀る者も出るからな。だが、そうだな……確かに貴様の言う事も一理ある」
「なら──!」
「では、こうしよう。不敬罪でお前達を同じ牢に入れ、フェロモンを解除してやる。一応言っておくが、体臭とフェロモンは違う」
「え……」
いや、なぜそこで驚く。思わず元婚約者に内心突っ込んでしまう。
先程も説明したが、ラッセルテリアの民は鼻がきく。そのため同族の体臭は個人情報そのもので、匂い消しの香水をつけるのはマナーというより義務に近い。だから会話をしたり、触れ合う距離でないと匂いは分からない。
「祖曰く、フェロモンは魂の匂いであり、“運命の番”とは、魂と身体両方の匂いが好ましい相手だそうだ。片方の匂いだけでは“発情”は起こらない。まあ、体臭だけでも身体の相性は分かるからな。隣の狼国だと、好みの体臭の異性に出会うと、“発情”したかのように交じる者が度々いるらしいが、そういう輩は“脳を下半身に食われたケダモノ”と牢に入れられ、酷いと去勢される。──まあ、本物らしい貴様らには関係のない話だが」
「そうよ! 私達は本物なのだから!」
「…きょ、去勢って、待っ」
「さあ余興は終いだ。連れて行け」
何か言いたげな元婚約者をバッサリ無視し、陛下は騎士達に指示を出した。
まだ現実が見えていないご令嬢とは違い、流石に去勢で怯んだらしい。しかしもう手遅れである。何もかも。
要するに、この百年の間に起こった“発情”など、ただの性衝動だったという訳だ。果たして自称運命の番達は、今頃息が出来ているのだろうか。
今までの歴史によって、“発情”はそういうものだと思い込まされたせいもあるだろうが、先祖が犬獣人だからといって遠吠えをする者はいない。油で燃えやすくなっていたかもしれないが、火を付けたのは紛れもなく本人達なのだろう。
「そもそも、運命の番が尊まれたのは、優秀な子を生んだ数によって群れの中での地位が変動したからだ。出会えたところで性格の相性まではフェロモンで分からないし、永遠の幸福など保証されない。本能だけで選ぶ相手などそんなものだ」
確かに、運命の番は獣人にとって理想の相手なんだろう。
けれどもう血は薄くなり、時代も変わった。もはや運命の番は「理想」ではなくなった。
「けれど……血筋を気にする王族や貴族は、やはり欲しがるのでは?」
「まあ秘密裏に探している者はいるだろう。先代の王もそうだった。見つけた運命の番を側妃とし、執務も子も放棄して愛欲に溺れ、最期は嫉妬に狂って死んでいった。その前の代も似たようなものだ。だからこそ、我は本能に屈したりしない──絶対に」
陛下の言葉に何か引っ掛かりを覚えながら、怒濤の余興は幕を閉じた。
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あれから一月。
ビション公爵とコリー伯爵は、番尊厳法を悪用していた事も含め、様々な余罪があったため処刑された。
陛下曰く「奴隷として飼ってやろうと思っていたが、もっと面白いものを見つけたからな」らしい。……私はそれ以上尋ねるのを止めた。
夫が処刑された夫人と子供達は、犯罪に荷担していなかったという事で、お咎めなしとなった。
とはいえ、財産と領地を没収されては、屋敷の管理さえままならない。精々出来ることは、醜聞にまみれた爵位と屋敷を売って、平民として慎ましく暮らしていく事くらいか。
ハウンド女男爵は、私に慰謝料を払うのを嫌がり、夜逃げしようとして捕まった。娼館送りになるらしい。
その夫は、奴隷として陛下自ら他国に売り払ったらしい。もうどうでもいいので構わないが、陛下が「もしかしたら吉報を聞かせられるかもしれん」と言っていたのが少し気になる。
元婚約者コンビは、結局破局したらしい。
“真の運命の番”を探したいと図々しくも陛下に陳情し、彼は笑顔で了承したらしい。
『まあ、無駄だろうがな。身体の相性が良い相手は、同族なら千人に一人はいる。それに比べて、魂の相性は世界中を探して居るか居ないかだ。番の相手がフェロモンを封じられているなら、自分が世界を巡って寄ってくるのを待つしかないが──既に穢れた身体だ。気付いても嫌悪し、避けるだろうよ』
牢から解放された二人は、謎の男に「運命の番が待っている」と言われ、喜んで異国の船に乗り込んだそうだ。その船の中には、腹違いの妹の姿もあったらしい。
なぜそんなにも運命の番に拘るのだろう。魂とかの相性が良くても、自分の理想とは限らない。犯罪者だったとしても、喜んで愛し合うのだろうか。私にはよく分からない。
そして、私は──陛下の婚約者となった。
彼の“運命の番”として。
“真実”が公になり、運命の番は蔑称にまでなりつつある。だが今後現れるかもしれない“真の運命の番”や、長いものに巻かれる他なかった“元存続派”の事を考えれば、そのままにするのも宜しくない。
運命の番を騙る悪者に貶められた少女は、真の運命の番である王に助けられた。そういう筋書きにしてしまえば、表立って運命の番を貶しはしないだろう。
一連の騒動が丸く収まりつつある中、納得出来ていないのは私だけ。
王妃教育の合間にガゼボで休憩していた私に、数週間ぶりに顔を見せた陛下が尋ねる。
「どうだ、なにか不都合はないか」
「……何も思い付かない事くらいよ」
「そうか、それはなにより」
正面に座り、笑って紅茶を飲む陛下を私は睨み付ける。
小さな不満はいくつかある。王妃教育は大変どころか地獄だし、生粋の平民なので貴族の生活は慣れないし、当然といえば当然だが、私が王妃になる事を全員が歓迎している訳でもない。
しかし陛下は即位時点で王妃を娶る予定は一切なかったため、私の教育が遅れても執務に影響はないらしく、授業の日程は私の体調を最優先で決められているのか、休憩や睡眠時間は確保されている。
貴族作法が完璧になるまで社交界も出る必要はなく、出る時は陛下が必ず同伴してくれるらしい。
貴族の生活は慣れないが、私室では好きにしていいという言質はもらっているので、息がつまるという事はない。望めば護衛付きだが外出も出来る。会う度に文句を言われ、軟禁状態だった男爵家に比べれば、不満など出るはずもない。
王家や運命の番を批判から守る“贄”である以上、醜聞一つ起こせば翌日には謎の病で寝たきりにされるだろうが、それぐらいの代償がなければ、贅沢すぎる生活に罪悪感を抱いていただろう。
私が王妃になることを不服と思っている者もいるが、陛下が恐ろしいのか、せいぜい遠くから睨む程度で、直接何か言ったり仕掛けたりする事はない。
そんなもの痛くも痒くもないし、その都度陛下に報告がいくのか、同じ者に二度会う事はない。やりすぎな気もするが、火種になりかねない存在を城内に置いておくのも良くないのだろう。
改めて言うが、不満はない。
けれど、やはり納得は出来ない。──彼の口から聞くまでは。
「陛下、」
「ジークだ」
「……ジーク、一つ訊かせてほしいんだけど──私と貴方は“運命の番”なの?」
あれからずっと考えていた。陛下に引き寄せられるような、不思議な感覚について。
そこらの少女なら、窮地を救ってくれた彼に一目惚れしたと思うだろう。けれど男性不信だった私が恋に落ちるなど有り得ない。
調べても、王族に魅了の力はない。番尊厳法を廃止してくれた恩人ではあるが、この執着心は異常だ。
もし私の本能が彼を運命の番と認識したのなら、ほとんど説明がつく。
陛下も気付いたからこそ、私を囲いこむために婚約したのだろう。そうでなければ、平民で利用価値もない私を、生かし続ける理由もない。
ガゼボの中を静寂が包む。
ティーカップをテーブルに置いた陛下の返答は、思いもよらないものだった。
「──分からん」
「……は?」
「君も気付いている通り、可能性は高いだろう。だがフェロモンを封じているから確認しようがないし、する気もない。正直どうでもいい」
「どうでもいいって……」
予想外の返答に呆然としてしまう。
そんな私を一瞥すると、陛下はガゼボの外へ顔を向けた。
「だから婚約したんじゃないの?」
「違う。婚約破棄された時の君の返答が気に入ったからだ。前に言わなかったか? 面白いものを手に入れたと」
「そんな理由で平民を娶らなくても……」
「元々独りで生きていくつもりだった。後継者も既に決めて、教育も進めている。運命の番は要らんが、君は欲しいと思った」
庭を眺める陛下の瞳に熱はない。彼も私に一目惚れした訳ではなさそうだ。
けれど私も彼も気付いている。ただ傍に置くだけなら、王妃にする必要などない事を。
春の訪れのような暖かな風が吹く。
今だ横顔を見せる陛下の少し長めの黒髪が揺れ、真っ赤になった耳を露にしていった。
私は彼に恋などしていない。惹かれるのは番の本能でしかない。
──けれど。
「…………私、きっと貴方の事を好きになるわ。それでもいいの?」
理性的に考えても、陛下を嫌う要素はどこにもない。いつか私が過去を乗り越え、普通の女の子に戻ってしまった時、きっと簡単に恋をしてしまうだろう。
その時こそ番の本能に負け、ケダモノに堕ちてしまうかもしれない。そんな姿を彼に見せるくらいなら、今の内に殺してほしい。
俯いた私の視界で、彼の手がこちらへ伸ばされ、テーブルにのせていた私の手を包みこむ。
思わず顔を上げれば、真摯な金色の瞳とぶつかった。
「……その時は、理性で恋をすればいい。我は、我と君の理性を信じている」
頬が熱い。
私は返事の代わりに、彼の手を握り返した。
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──かつて、ラッセルテリア国には“運命の番”がいた。
二十八代国王シュナイダーと、王妃のアイリである。
とはいえ、それが国策として作られたものだという事は、今となっては有名な話だ。
シュナイダー王は番尊厳法を廃止しただけではなく、時代に合わず抜け道の多い法を改正し、国民の自由を尊重した賢王として、いくつもの書に名を遺していたからだ。
彼らが亡くなってから、およそ百年後。アイリ王妃に仕えていた侍女の日記が見つかり、その内容に誰もが驚愕した。
シュナイダー王とアイリ王妃は、“真の運命の番”だったのである。
フェロモンを封じる事が当然となった昨今でも、真の運命の番は度々現れる。
障害を越え、奇跡によって出会えた彼らの互いへの熱情は尋常なものではなく、必ず騒動を起こして周囲に迷惑をかけるのが“当然”という風潮が生まれつつあった。
しかし、件の国王夫妻も“真の運命の番”であった事が明らかになり、「本当は自制出来るのでは?」という風潮が生まれ、愛に浮かれ周囲に甘えていた運命の番達も自省する結果となった。
未来の運命の番達の経典となったアイリ王妃の侍女の日記だが、個人的なものだったため、夫妻の登場はあまりない。
ただアイリ王妃亡き後、彼女が退職した日の一文に、こう書かれてあった。
《お二人は最期まで“運命の番”という本能に打ち勝った、私が最も敬愛する夫婦だった》
ちなみに主人公の母親は生きてます。
記憶を失ってますが、運命の番と幸せに暮らしてます。
お読み頂きありがとうございました!